ⅩⅩⅩⅧー6 エピローグ――〈王の森〉の神殿石棺と神獣のペンダント
■〈王の森〉の神殿
ルナ石板を発見してから数年、凛子は、〈王の森〉の神殿調査を提案した。
だれもが相手にしなかった。だが、ジュンケンは耳を傾けた。調査費用はわずかだったが、凛子をチーフにした調査団が組まれ、調査許可はジュンケンがシャンラ王家に掛け合ってくれた。
凛子の推測に基づいて、半信半疑で森に調査に入ったメンバーは、呆然となった。
白い神殿が蔦に覆われていた。その威容に、調査団は圧倒された。
シャンラ北部に広がる〈王の森〉は貴重な原生林。これを傷つけることなく、神殿遺跡の調査が始まった。からまった蔦を取り除き、覆い被さった木の枝を慎重に切り落とし、神殿はその全容を次第に明らかにした。
ほぼ損傷はなかった。何らかの事情で放棄されたが、破壊を免れたようだ。〈王の森〉に位置したことで、結果的には守られることになったのだろう。森の木々に覆われて、何千年もの眠りについていたようだ。
――この神殿は、これまで見つかったルナ神殿とはずいぶん違う。
古代ルナ神殿の一つであることは間違いない。シャンラのルナ神殿とよく似た文様が彫り込まれ、神殿の構造も材料もほぼ同じだ。
だが、〈王の森〉に包まれたルナ神殿は、調べれば調べるほど奇妙だった。
最も奇妙なのは、祭壇の構造だった。ルナ石板は見つからず、長い石棺が安置されていた。大理石の石棺には、見事な文様が彫り込まれていた。このような石棺は他のルナ神殿では見つかっていない。
石棺の中はカラだった。ただ、糸切れらしきものと植物の花びらの痕跡が発見された。糸切れは絹糸だろうと鑑定された。花びらは何の花か特定できなかった。
凛子は、石棺の意味と役割について、あらゆる文献を調べた。だが、どこにもまったく言及がない。
ルナ神話では、神殿は、神と人間が交流する場として非常に重視される。これゆえ、神話にはしばしば神殿が登場する。石板についても、神話に断片的に登場している。なのに、石棺の話は出たことがない。
――なぜだ?
石棺の謎に夢中になっていたとき、シンが訪ねてきた。シリーズ最終巻五冊目の絵本を携えて。
シンは、いつもよりも明るく、飄々としていた。やっとシリーズを終えて、憑きものが落ちたかのように、晴れ晴れとした表情だった。手を取り、抱きしめると、互いの鼓動を感じた。
それが最後の逢瀬になろうとは、予想もしなかった。
シンは、カトマールで世話になった人に謝礼を兼ねて絵本を届けに行ったのだ。だが、政府と反政府の暴動に巻き込まれ、飛行機が撃墜された。
ニュース速報を見た凛子は、狂気のように駆け出した。帰らぬ人を求めて、会えぬ人を探して、ボロボロになるまで駆け続けた。
道ばたに倒れた凛子を月の光が包み込んだ。〈王の森〉の神殿がポウッと明るくなり、青い蝶が舞い出てきて、凛子の震える肩に止まった。そのまま、時が止まったように、満天の星屑が漆黒の空に張り付いた。
青い蝶だけがゆっくりと羽を開き、空に向けて飛び立った。
■赤子
シンと最後に会った日から遡って一年半ほど前のこと――凛子は妊娠に気づいた。
――絶対に産む。
だが、シンは超多忙らしい。最初の絵本が大ヒットし、数々の賞ももらった。そのような作家を出版社が手放すはずがない。一年一冊――五冊のシリーズ絵本を出すことが決まり、シンはその準備に追われている。
――絵本を待ってるひとがいるなんて、言わなきゃ良かったか……?
最初の絵本を出版してからまもなく、シンは、凛子に相談した。シリーズ絵本の仕事を引き受けたら、凛子に会う時間が減ってしまう。それはイヤだとシンは泣いた。
凛子はシンを慰めた。
「あんたの絵本を待っている子どもたちがいっぱいいるよ。あたしもシンの絵本を読みたい」
駄々っ子をあやすようにシンを宥めていると、シンが抱きついてきた。
「ボクはキミとずっと一緒にいたい!」
「わかってるよ。あたしだって同じだ。だから、もう泣くなよ。あたしはどこにも行かない。ここであんたを待ってるから」
その夜、ふたりで抱き合いながら見上げた月の明るさを凛子は一度も忘れたことはない。
シンの多忙化は予想以上だった。凝り性のシンは、一つの絵を仕上げるために、花や木や雲や獣たちを時間をかけて観察し、精密にスケッチする。手抜きはしない。
珍しい花の噂を聞けば、飛んでいってそれを写生し、季節ごとや天気ごとの風景の変化を描くために、気に入った場所に泊まり込む。凛子にはまめに連絡をよこしたが、会う時間はどんどん減っていった。
凛子も多忙になっていた。ルナ石板の発見者として脚光を浴び始めたからだ。
ジュンケンは常勤研究職のポストを用意してくれた。多くはないが、安定した収入を得て、「雑用」に追われることなく、研究に専念できるようになった凛子は、ますます研究に没頭した。
収入のほとんどは研究に費やした。凛子もあちこちを動いていた。古文書を探し、地域の風土を調べ、神話や神謡を何度も読み直した。
絵本が完成するたび、シンは凛子に絵本を届けに来た。限定版のきれいな印刷本だった。
それを手にして喜ぶ凛子を見るのが、シンにとって最大のご褒美であり、最高の幸せであった。
凛子は、シンが生み出したさまざまな神獣の姿をいつも褒めてくれた。そんな凛子に抱かれて眠るとき、シンは一年間の苦労をすべて流し去り、子どものように安らかな夢を見た。
――古代の神殿に凛子とシンが並び立ち、シンが幼子の手を引いて、日が沈み、月が昇る光景を眺めている。
一年のわずかな時間をシンと凛子はくっついて過ごし、またそれぞれの仕事に戻っていった。凛子が妊娠に気づいたのは、四冊目の絵本が届けられてから数ヶ月後のことだった。
シンはカトマールに出向いたはずだ。政府と反政府運動の対立が激化して、危険だと凛子は止めた。
だが、カトマール南部の火の山一帯には人の手が入っていない森がたくさんあると、シンは目を輝かせた。
「でも、きっとしばらく連絡がつかなくなるよ。カトマールでは通信網は破壊されているらしいから」
妊娠をシンに告げる手立てはない。一人で産む力もない。
凛子は故郷に戻ることにした。日本の四国の山奥には、祖母稲子と祖母に使えるイチがいる。二人の助けを借りよう。蔵には、代々集められたさまざまな資料も保管されている。都築家は、異能一族ではないが、異能者や祭祀の研究をする一族だったからだ。
稲子もイチも大歓迎してくれた。凛子は大きなお腹を抱えながら、蔵の資料を片っ端から読み進めた。有益だった。ルナ神話やウル神話を外から見る視点で書いた文書が山積みだったからだ。
産まれた赤子は「風子」と名付けられた。真っ赤なホッペのふっくらとしたかわいらしい女の子だった。
(うふ。目元はお父さん似だね)
だが、シンは娘の存在を知らぬまま、帰らぬ人となった。
■風子
泣いている暇などない。
凛子は風子を母乳で一年育てたあと、風子を稲子とイチに託して、現場に復帰した。風子には、シンの絵本を子守役に残した。
やがて、凛子は関西の大学に職を得た。子育てと実地調査を優先したいという条件を呑んでくれた。大学の近くにアパートを借りて、凛子は風子とともに住み始めた。西日が当たる安普請のアパートだった。ときどきイチさんが手伝いに来てくれた。
シャンラに調査に行くときは、風子を祖母の稲子に預けた。風子は泣きもせず、凛子の言いつけを健気によく守った。やがて、シャンラへの調査留学が決まった。一年か、二年は戻ってこられない。
風子は小さな赤いリュックサックを背負って、曾祖母の家にやってきた。風子は稲子から物語を聴くのを好んだ。首にはお守りにと凛子がかけてくれた神獣のペンダントがいつもかけられていた。
まもなく日本に帰国すると連絡があったあと、いつまで待っても凛子が戻ってこない。不審に思ったイチが問い合わせると、凛子が行方不明という。
仰天したイチは、老骨むち打って、シャンラに出向き、凛子の消息を訊ねてまわった。凛子をよく知っているという農婦タマが手伝ってくれた。だが、見つからなかった。
憔悴したまま四国に戻ったイチに、さらなる衝撃がまっていた。
高名な大学教授である朱鷺要が息子リトを連れて稲子を訪問した日の夜、長く仕えた主人稲子は静かに息を引き取った。稲子の遺言で、蔵を開け、教授に文書を見せた。いちばん喜んだのは、曾祖母の死を理解していない風子だった。風子は、大量の文書に大喜びした。(⇒第一話序章、第一章参照)
イチは、稲子に倣って、風子に文書を読む訓練を施した。風子は驚くほど早く、知識を習得した。稲子が亡くなった夜、森で拾ったという白い子イヌがいつも風子のそばにいた。
だが、やがて、イチの体調が悪化した。このまま、大事な風子を一人にはできない。学校にもやらねばならない。イチは、関西に住むある女性に相談した。凛子の友人だった女性だ。彼女は、風子を引き取ると約束してくれた。
風子は、稲子を描いたスケッチブックを片手に、いまでは少し小さくなった赤いリュックを背負って、大阪にやってきた。
風子が中学三年になって、高校の進路を考え始めたとき、養い親の女性が言った。
「アカデメイアを受験してみない? あなたのお母さんの願いだったの」
「お母さん?」
「そうよ。あなたには古文書を読む力がある。アカデメイアには、一芸に秀でた者を選ぶ試験があるの。それを受験してみたらどうかしら?」
無事、合格し、風子はアカデメイアに向かうことになった。
しかし、アカデメイアに着いたとたん、事故に遭い、風子の記憶は失われた。
いま、風子には稲子とイチの記憶はかすかに残っている。だが、母凛子の記憶は消えてしまった。胸にかけた神獣のペンダントだけが、おぼろな記憶への手がかりだ。
風子は、今夜も眠る前に、ペンダントを握りしめた。
――おやすみなさい。わたしの守り神さん!
隣のモモをはさんで、アイリの安らかな寝息が聞こえる。
――わたしは一人じゃない。




