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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第三十八章 双子と密偵
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ⅩⅩⅩⅧー5 絵本作家の恋心――神獣のペンダントをもらった女

■風変わりな子連れ女

 シャンラに舞い戻ったシンは、ルナ遺跡そばの安宿に居着いた。生活費が必要だ。シンは、発掘調査のアルバイトに応募し、即刻、採用された。


 毎日、風変わりな女の姿をすぐそばで見ることができた。

 作業がないときは、スケッチブックを片手にさまざまなものを描いた。


 その風変わりな女が、都築凛子という名であることを知った。話しかけるきっかけなどないままに一年が過ぎた。いつしか、凛子は幼子を連れ歩くようになった。


――風変わりな子連れ女。


 〈未婚の母〉と噂された凛子には、だれもあえて近寄ろうとはしなかった。それでも風子は黙々と発掘作業に携わった。

 シングルマザーは、一つの選択かもしれないし、選ぶことのできない運命の結果かもしれない。いずれにせよ、シンにとって、シングルマザーはあたりまえの存在であった。シンの母親が、シングルマザーだったからだ。


 母はシンの行動にほとんど干渉しなかった。十八歳の成人年齢を迎えたあとは、一定の資金を奨学金兼生活資金として息子に与えた。シンは、これを自由に使うことができた。むろん、責任が伴う。母からもらった資金はムダ使いできない。


 シンは、奨学金を得て、アカデメイアに留学した。興味があったのは、古代ルナ神話で描かれる自然と生き物の自由な姿だった。生来、空想好きな性格が、これに拍車をかけた。シャンラでは、古代ルナの研究はできない。最先端のアカデメイアに留学するのは、ごく自然な選択だった。


 アカデメイアでは、文学部に属した。図書館や博物館は、シンのお気に入りの場所となった。アカデメイアには深い森もあり、シンはしばしば絵を描きに出向いた。

 そんなとき、風変わりな女性に出会ったのだ。


 彼女は、さまざまなものを熱心に観察していた。

 石ころ、草花、木々、雲、カエル、ヘビ、地域のネコやイヌ――。彼女が観察するものをシンもまた追い続けた。すると、毎日が発見の連続だった。


 石ころには微妙な模様があり、草花にはささやかな成長がある。木々は微妙な風に梢を揺らし、複雑な音を奏でる。雲はまるで命を持つように、変幻自在だ。動物たちは食べるために必死で戦っていて、その姿が愛おしい。


 シンは、それらの発見と感動を、スケッチブックにしたためた。素描と短いフレーズ――。


 シャンラでも同じように過ごしていた。ある日、背後に視線を感じた。振り返ると、風変わりな女が幼子の手をひきながら、奇妙な顔つきで、絵を眺めていた。


「あ……」

 シンは真っ赤になって、画紙の絵を手で覆った。

「なんで隠すの? もっと見ていたいのに」

「え……?」

「いい絵だね。絵から声が聞こえるみたい」

「声?」

「うん。ホントの絵はね、動きを伝えるんだ。声、手、足、目……空気の揺らぎまで描けるよ」

「ホントの絵?」

「そう。あんたの絵は本物だよ」

「……そう……なの?」


 風変わりな女は、幼子を横に座らせ、シンの隣にドンと腰を下ろした。

「もっと見せて!」とシンからスケッチブックを取り上げ、過去の絵を見始めた。同意を伝える暇すら与えない。


 夢中で絵に見入る女のそばで、シンの胸が熱くなっていった。


「あれ?」女が手を止めた。

 画紙の上には、一人の女が描かれていた。シンは大慌てでスケッチブックを取り戻し、その上に自分の身体を重ねた。

「あわわ……」

 声にならない声が震え出る。


 女がシンをじっと見た。

「慌てなくてもいいよ。別にモデル料なんて要求しないからさ」

 真っ赤になったシンは言葉も出ない。

「でもさ、代わりに、晩ご飯をおごってよ。安くてうまい定食屋があるんだ」


 その日から、二人はいつも夕食を一緒にとるようになった。幼子もつねに女のそばにいた。


 二人とも貧しい。各自の食事代は自分で支払った。男の方が五歳ほど年下だったが、風変わりな女とシャイな絵描きは、つねに対等だった。


 二人で過ごす時間は最高に楽しかった。

 シンは、凛子が語るルナ神話やウル神話に聞き惚れた。

 凛子は、自分が語った神話をもとにシンが描いてくる絵を見て喜んだ。


 幼子は、遺跡跡で暮らす浮浪児だった。凛子はその子を拾い、宿舎で育てていたのだ。ノラネコのように警戒心の強い幼子を、凛子はクレアと名付けた。


 クレアは、しばしば、シンの邪魔をした。凛子を取られないように、シンを警戒した。

 その警戒を解く唯一の方法は、画紙とクレヨンを持たせ、一緒に絵を描くことだった。クレアは小さめのスケッチブックを買ってもらい、シンの真似をして、しばしば絵を描いた。得意なのは、昆虫の絵だった。クレアは、シンも驚くほど精密な絵を描くことができた。


「これは?」

 あるとき、シンはクレアに訊ねた。

「青いチョウチョ――神殿にいるよ」

「ふうん。白い神殿に青い蝶が飛んでるのか。きれいだね」

 クレアは満足した。いままでだれも本気にしてくれなかった。でも、シンは信じてくれる。

 

 二人と幼子の奇妙な関係は、ほどなく壊れた。凛子の前に美少女が現れ、凛子を独占しようとし始めたからだ。有力者をバックに持つらしい美少女は、自分の欲望に忠実だった。


 正体不明の美少女は、まず幼子を凛子から奪い、養育を自分の乳母に任せた 。

 次に、巧妙にシンを凛子から遠ざけた。有名出版社にシンを紹介し、シンの絵本が出版されることが決まった。シンはアルバイトをやめ、シャンラ王国の首都に住むようになった。ときどき発掘現場に戻ってきたが、その頻度は次第に少なくなった。


 クレアは〈風〉として再教育された。

 ある日、本屋に並んでいたシンの絵本を手に取った。


――青い蝶だ……。


 さまざまな緑に囲まれた白い神殿の中を、深い青色のきれいな蝶が舞っていた。光が銀粉になって、蝶の軌跡を追い、忍びやかな羽音が震えるように響いた。


 やがて、ルナ遺跡からルナ石板が見つかり、世間が沸き立った。

 発見者の都築凛子は、一躍、時の人となった。ジュンケンは手柄を横取りせず、凛子の研究を公平に評価し、凛子の努力を称えたのである。しかし、ジュンケンと凛子の関係を邪推する者もいた。


 多忙になった凛子は、シンと会うこともままならなくなった。十八歳になった美少女はクレアをつれて、アカデメイアに留学した。発掘作業はほぼ終わったが、凛子はシャンラに残った。


 その間に、凛子は一時期姿を消した。シンは、凛子が日本に帰国したとの噂を聞いた。落胆した。

 絵本を描くのはもっぱら凛子のためだった。凛子が喜ぶからだ。なのに、凛子はシンに何も告げず、突然、日本に帰国した。


 一年後、凛子は現場に戻ってきた。シャンラ北部で、別のルナ神殿を探し始めたのである。


■絵本

 シャンラ王国北部の鄙びた村の民家の庭先で、青年の声がした。

「凛子!」

「あらあ、シン。一年ぶりだね。元気だったあ?」

「うん。凛子も元気そうだね」

「あたしはいつも元気だわよ」

 シンと凛子は再会を喜び合った。


「今度はここを調べてるんだって?」

「そうだよ。この神殿は、最初の神殿よりもっと重要なはずなんだ。でも〈王の森〉だからね。調査なんてとうてい無理だって思ってたけど、なんと王室の許可が出たんだよ!」

「へえ、よかったね」

「新しい女王がルナ学に理解がある人みたいでさ。積極的に支援するなんて言ってるらしいよ」


 凛子は、ルナ遺跡で出会った美少女がサユミだとはついぞ知らないままだった。サユミは女王になる代わりに、ルナ文化保護を夫たる男王に約束させたのである。


 シンは新しい絵本を凛子に渡した。

「これ、最新作なんだ」

 凛子の目が輝いた。

「うわあ、完結版かあ! やっと五冊のシリーズが揃ったんだね! しかも、特別印刷の限定版じゃん!」

「うん……」

 シンがうれしそうに目を瞬かせた。五冊の絵本を仕上げたら、凛子に伝えようと大事にしまい込んでいた言葉がある。


 シンがややためらいがちに切り出した。

「ねえ、ちょっと話があるんだけど、今夜、時間ある?」

「あ、ごめん。今夜はダメなんだ、明日、報告があってさ。レポートをまとめないといけない」

「じゃあ、いつならいい?」

「そうだね、来週なら大丈夫だよ!」

「来週か……」

 シンが肩を落とした。


「どうしたの?」

「うん……ちょっと出かける用事があってさ。でも、大丈夫! ここに戻ってくるよ」

「うん。待ってる!」


「あ、これ」

「何?」

「ペンダントなんだ」

「あれ? シンがペンダントなんて、あんまり似合わないよ」

「だから、キミにあげる。シリーズ完結を記念して、出版社がファンにプレゼントするみたい。ボクの絵本のキャラクターを彫り込んでるんだ。これは、特別に頼んで職人さんに作ってもらった一点物だよ」

「へえ、神獣だね」


 ペンダントを手に取る凛子を、シンはまぶしそうに見つめた。

(プロポーズのペンダントなんだ)

 その言葉を飲み込み、シンは去っていった。


 そして、二度と戻ってこなかった。出張から戻る途中で飛行機事故にあい、シンは命を散らした。


 凛子はペンダントを握りしめた。

(あたしからも伝えたいことがあったのにさ……なんで先に逝っちゃったんだよ!)


 凛子は写真を一枚取り出して、ペンダントの前にかざした。

(ほら! あんたとあたしの子だよ。風子って名付けた。あんた、いつも言ってたろ? 風のように自由に生きたいって。だから、あんたに内緒で産んだんだ)


 凛子は泣かなかった。

(大丈夫! 風子は絶対に守る!)

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