ⅩⅩⅩⅥー6 エピローグ――雪の中の離宮公園:空間移動の力を帯びた場所
■雪の中の離宮公園
「やい、アイリ。できたか?」
パソコンに張り付いているアイリのそばをちょろちょろ動きながら、オロが首を伸ばして画面を覗き込もうとする。
「おまえ、何をえらそうに言ってる? だれのために働いてると思ってるんだ!」
アイリは、オロの意味不明の絵をもとに、オロの説明を聞きながら、オロ対応ソフトを起動して、ヘリコプターの機種を特定しようとしていた。
ところが、案外むずかしい。二次元の平面図とは違って、三次元の立体図だ。当初のソフトでは対応できず、アイリは改良版を作成した。
――なのに、コイツは脳天気に、なにが「できたか?」だ!
アイリはカッカすると、途中で仕事を放り出す。
風子があわててアイリのそばに駆け寄った。
「ねえ、モモの散歩の時間だよ!」
アイリは一も二もなく立ち上がり、モモを抱き上げて、玄関に向かった。風子がリードを持って追いかける。
久しぶりの離宮公園だ。夕暮れが早くなり、ブルッと震えた。
モモがうれしそうに駆け回る。ほとんど人がいない公園に、雪がちらほら舞い始めた。
「うわああ! きれいだね。ルナ大神殿のときみたい!」
風子のはしゃぐ声につられて、アイリは空を見上げた。花びらのように大きな雪が舞い降りてくる。
ルナ大神殿の第二次調査では、神殿のレリーフ文様ではなく、地形と地質の調査に焦点を当てた。だが、基礎を知らないのに、本格的な調査などできるはずもない。
アイリたちは、専門家であるマキ・ロウの指導を得ながら、調査を行った。
――幼い時に、虹色の小石のことを話したおばさんだ!
そう気づいてから、アイリはマキ・ロウの様子をついつい盗み見るようになった。
しばしば目が合った。そんなとき、マキ・ロウはニコッとして笑顔を向けてくれる。だが、アイリはプイッと横を向く。マキ・ロウはそれ以上は近寄ってこない。
――ホントは聞きたいことがある。
だが、聞けなかった。ザワザワと胸が鳴ったが、聞けなかった。
「くそお!」
アイリがモモと一緒に走り始めた。
「アイリイイイ! モモオオオオ! そっち行っちゃダメだよお!」
風子の叫び声を背に受けながら、アイリとモモは立入禁止区域に走り込んでいた。だれも入ることが許されない小さな館がある区域だ。
アイリの身体がフッと浮いた。モモも空中浮揚している。モモを掴もうと手を伸ばした風子もそろって浮き上がった。
――あわわわわわ。
水中のように腕を掻き、体勢を整えると、すでに高く上がっていた。離宮公園全体が見渡せる。
二人と一匹は離れないように手を繋いだ。
さらに高みに上ると、蓬莱群島全体が視野に入り、さらには大陸まで見えてきた。
大陸東部の山の麓がキラリと光った。
――なんだ?
そう思ったとたん、アイリの身体が引き寄せられるようにその場所に飛んでいった。
右手に風子、左手にモモもくっついたままだ。
風子は足をバタバタしながら、わあああっと叫んでいる。
モモは案外平気だ。モモンガのように手足を横に広げ、巻き尾を長く伸ばして、バランスをとっている。
小さな家の窓の向こうに横たわる人が見えた。
――彪吾センセ!
そう言ったとたん、離宮公園の雪の中に戻った。雪が次第に激しくなる。
呆然としているアイリの手を風子が強く引っ張った。
――早く帰ろう! 寒いよう!
鼻の頭を赤くして、風子はズズッと鼻汁をすすり上げた。
■レオンとカイ
聖香華レオンと銀麗月カイは、カトマール禁書庫で落ち合った。
いくつかのことはわかったが、解決すべき難題はむしろ深刻になった。
彪吾はふたたび拉致され、リトは傷を負った。
レオンは憔悴しきっている。カイ以外には見せない姿だ。
「叔父上。まずは彪吾さんの救出を最優先しましょう」
レオンは力なく頷いた。
カイはレオンの姿に胸を痛めながらも、ここは自分がしゃんとしなければと心を震い立たせた。
「アリエル・コムことホン・スヒョンの行動範囲は、全世界の天志教団に広がるでしょう。ですが、ひと一人を完璧に匿うことができる場所やそれに協力する人脈は限られるはずです」
「……やはり、天明会でしょうね」
「はい。そう思います」
「ですが、天明会の実態がほとんどつかめないままです……」
レオンが美しい顔をますます翳らせた。
「このたびのリトの件で思ったのですが、弓月御前の異能は尋常ではありません。絹の里もまた非常に閉鎖的で、かなり特殊な地域のようです」
「弓月御前……弓月財閥の長ですね? 何度か会ったことはあります」
「御前は、わたしが銀麗月であることを見抜いていました。リトが弦月であることもです」
レオンが驚いた。
「まさか……! どちらもわれわれ以外に知る者はほとんどいない情報です」
「そうなのです」
レオンが思案げにカイを見た。
「今度の彪吾の拉致についても、こちらの対策をあらかじめ承知していたような動きでした。ひょっとしたら……」
「どこかから情報が漏れているということですね?」
レオンが頷いた。
「対策を考えてみます」とカイが答えた。
「叔父上。禁書庫のこの書をお借りしてもいいですか? 天月禁書庫には、この種の記録は所蔵されていません」
「それは?」
「ウル大帝国に関する詳細な手書き文書です。ウル大帝国時代の地理、経済、政治、宗教、文化などが記録されています。初代聖香華か、それに近い者が書き残したものでしょう」
■櫻館
アイリがバタバタとサキの許に走っていった。
「ヘンだ!」
「何が?」
「空中を飛んだぞ!」
「は?」
サキがカパッと口を開けた。
「空中を……飛んだ? 誰が?」
「あたしだ! 風子もモモも一緒だった」
「え? おまえ、空中浮揚の異能まで持っていたのか?」
「そんなもん、あるかよ!」
「なら、なんで、飛んだ?」
「わからん! だから、ここに来たんじゃないか!」
ばあちゃんとセイばあちゃんが揃って顔を出した。最近、ふたりは常にセットで行動している。
「離宮公園じゃったんじゃな?」とばあちゃんが訊ねた。
「うん! だけど、風子は飛んだのを覚えてないって言うんだ。ヘンだろ?」とアイリがじれったそうに言い募る。
「ほう……で、飛んだ先は?」
「わからん! だけど、大陸東部のどっかの山の麓だったぞ。キラリと光って、引き寄せられたら、彪吾センセが見えた」
サキが色めき立った。
「それを早く言え! おい、すぐにレオンさんに知らせろ!」
櫻館のレオンの部屋に、何人かが呼ばれた。
カイ、リト、サキ、ばあちゃん、セイ。加えて、アイリ、風子、オロだ。
レオンが沈痛な面持ちで言った。
「情報が漏れている可能性があります。しばらくはこのメンバーだけで行動します。くれぐれも注意しておきますが、ここにいる人以外が怪しいということではありません。ただ、行動を把握されているかもしれません。それはわたしたちも同じです。このため、情報を限定するのです」
みなが緊張した表情で頷いた。オロですら、顔が引きつっている。
ばあちゃんが説明した。
「アイリが離宮で空中浮揚したようじゃ。飛んで行ったさきで彪吾を見かけたという。じゃが、一緒だった風子はこれをまったく覚えておらん」
「離宮になんらかの力が働いているようでございますな」とセイ。
「何らかの力って?」とオロが問う。
「時空を歪める力じゃ。アイリは空を飛んだと思っておるが、実際は、空間移動したのじゃろう。空間移動に耐える力を持っておったアイリは記憶を残したが、風子はその記憶を残せなかったとみるべきじゃな」と、今度はばあちゃん。
「ひょえ……」と風子が口を抑えた。
子どもたちが去った後、レオンの部屋には、大人だけが残った。
「離宮は、ロアン王太子――わが父上の住まいでした。亡くなって二十年――ずっと閉鎖されてきたはずです。なぜ、時空を歪める力を帯びるようになったのでしょうか?」
セイが首を捻りながら答えた。
「あの離宮をだれかが空間移動に利用しておるのかもしれませんな」
「ほうじゃの。空間移動は、人と場所の二つに関わる。両方が揃っておれば、その者の望む場所に移動できる。場所を問わずに空間移動できるのは、最高レベルの異能者に限られる。じゃが、場所に力が備わっておれば、異能者でなくとも移動は可能じゃ。じゃが、目的地は選べん」とばあちゃんも首を傾げた。
「特定の場所が空間移動の力を帯びるのはどのようなときでしょうか?」と、カイが重ねて訊ねた。
「異能者がその場所を空間移動に使った場合でござろうの。異能を使うと、その痕跡が残ることは知っておろう? むろん、通常なら、数分もすれば痕跡は消える」とばあちゃん。
「はい」
「じゃが、痕跡が長く残ることがある。繰り返し使った場合じゃな。すると、その建物や土地が、次第に力を帯びていく」
「ねえ、ばあちゃん! 特定の場所が帯びる力って、どこか決まったところに飛ぶ力って考えていいの?」とリト。
「その可能性があるとわしは思うておる」
「じゃあ、アイリが飛んだ先は、離宮を使って空間移動していた人物の目的地?」
「そうじゃな」
サキがふと思いついたように割り入った。
「ちょっと待て! なんでわざわざ離宮を使う? 他にいくらでも候補地はあるだろうに」
「一つ考えられるのは、異能の痕跡に気づかれないためではないでしょうか? 離宮であれば、異能者どころか、だれも近寄りません」とレオン。
「なるほど。だが、逆もありうるのでは? 人目につかずに離宮に近寄るのは難しい気がするが……」とサキ。
「目立たずに離宮に近寄れる者であれば、どうですか?」とカイ。
全員が顔を見合わせた。
離宮公園であまりにもあたりまえで、まったく目立たない存在……?
――例えば、公園の清掃員や管理員?




