ⅩⅩⅩⅤー8 エピローグ――ディーンの憂いとシンの絶望
■ディーンの憂い
ディーンは、ため息交じりに窓の外を眺めていた。
〈蓮華〉の生徒たちが、楽しそうに遺跡に向かっている。アイリはいつも子イヌを連れている。その子イヌモモもずいぶん大きくなったようだ。時々「拒否シバ」を発動しながらも、つぶらな瞳でアイリを見上げ、アイリが相好をくずして撫でまくっている。風子がそばにいることも多いが、そんなときにはシュウも一緒だ。
シュウは大男キュロスにいつも見守られており、キュロスに絶対的な信頼を寄せているようだ。風子やアイリには、サキがついている。怒鳴りながらも、生徒たちにつねに気を配っている。
――ボクには、そんな大人はいなかった……。
ディーンは、ほうっと息を吐いた。北の冬の空気は冷たく、息は白く煙る。
マキ・ロウ、サアム・リエンスキー、そしてアイリ・トゥルガ。
自分の人生に関わる人たちの姿がおぼろげながら見えてきた。だが、何ができるというのだろう。
アイリは父を知らぬらしいし、一歳のとき、母にも棄てられた。マキのそばに父サアムが居つづけたわけではなさそうだ。やはり、父の所在はわからないままだ。
マキが母から父を奪ったわけでもなかろう。マキとサアムは早くに出会っていた。サアムの結婚を機に別れたのか、それとも、そもそも無関係だったのか――それも結局はわからない。
少なくとも、父が母との結婚を自ら望んだわけではないようだ。母方の祖父に母との結婚を強いられたに違いない。
調べれば調べるほど、当時の権力構図が明らかになる。
大統領である母方祖父は、独裁者だった。彼の言うことを聞かねば、謀反の罪をでっちあげられた。
独裁というのは、ごく簡単にできてしまうものらしい。
振り返って見れば、ありえないような人権侵害と言論抑圧と暴力が吹き荒れた時代によく人びとが耐えられたものだと不思議になるが、その時代を生きた者にとっては日常の変化であり、恐怖であり、いつのまにか抵抗も反論も封じられている。
祖父の大統領も、ある種の信念をもっていた。彼にとって、独裁は目的だったのではない。手段だった。
「国の栄光」や「国の名誉」の回復といった「崇高」な理念の実現のために、可能で即効性の高い手段をとったにすぎない。民意を得て大統領に選ばれた以上、自分の信念が国民に受け容れられていると信じた。
事実、大統領を熱狂的に支援する人たちもいた。
そうした人たちの多くは、大統領とのつながりから利権を得た。だが、貧しい人びとも大統領に期待した。旧来の帝政や貴族制の下で踏みつけられた労働者や農民たちだ。
反対者は「国を否定する者」とみなされた。とくにインテリが攻撃された。大学が潰され、研究者は追放されるか、国家に尽くすよう求められた。
自由は奪われた。言論の自由、学問の自由、思想の自由――民主主義の根幹をなす諸制度が否定された。
「国」など、想像の産物でしかない。その想像上の理念のために、リアルな人の命が何万と奪われたのだ。
父方祖父マウル・リエンスキーは、貧民出身の温厚な人物だった。平和主義者で、よく母方祖父を諫めていたと聞く。ふたりはもともと親友で、マウルは大統領に唯一意見を言える人物だったようだ。だが、父方祖父の悪口を大統領に吹き込む者もいたのだろう。
祖父マウルは、かつての親友であり、息子の義父たる大統領を手にかけた。
――だが、あの暗殺事件は、そもそも真実だったのだろうか?
あらゆる情報が統制されていたあの暗黒の時代に、真実などだれにもわからなかったはずだ。
父は、研究を棄てた。自分の人生も同時に棄てたのだろう。母との結婚は、誰かを守るため――祖父と祖母と……まさか、マキ・ロウ?
それでも、父はボクを愛してくれた。父の大きな手のぬくもりを忘れたことはない。
だが、結局、父はボクを棄てた。
――ボクと母を守るため?
ウソだ!
「暗殺された英雄」たる大統領の娘と孫は、それなりの待遇を受けた。父はそれを見込んで姿を消したのだろう。
だが、それからなお十年も続いた軍事政権で、大統領は次第に「英雄」ではなくなっていった。国際社会からは独裁者と断罪され、数々の非人道的行為の責任を問われた。
生き残った母とボクの居場所はなくなっていった。母は心を病み、自らの命を絶った。
ボクは母にも棄てられたのだ。
アイリも親に棄てられた子だ。
だが、あの子は強い。ボクのように、過去に囚われたりしていない。自分を偽ってもいない。
マキ・ロウがアイリを見る目は、母の目だ。かつてボクが独り占めしていた愛する母のまなざしと同じ――限りなくやさしい母の目だ。
ボクは母を喪い、アイリは母を知らない。
アイリとボクに共通するのは父――そして、その父の不在。
ただ、ボクは父を知り、アイリは父を知らない。
ボクとアイリの絆は、つながっていない――いつか、つながる日がくるのだろうか?
■シンの絶望
「ガガさま。シンというヤツの後をつけてみました」
「うむ、いかがであった?」
「森の奥の洞窟に入っていきました」
「そこに本体を置いておるのじゃろうな。明日からは、またジュンギに憑依するつもりじゃろう。そのまま、ジュンギを見張れ」
ジュンギは、また身体が重くなったような気がした。でも、頭は冴え渡る。
シンは、ジュンギを通して、サキを見ていた。気になる宗主は、早々と去って行った。
サキとは、これまで何の関わりもないはずだった。サキには異能があるとはいえ、ムラが大きすぎる。高度な異能者である子どもたちに振り回されている平凡な教師にすぎない。
だが、なぜか気にかかる。
それ以上に気になるのは、風子だった。風子もまた異能者ではない。だが、風子のそばにいると、心がほのぼのと安らぐ。
あのとき――猛烈な風が吹き、低い音が流れて、全身が貫かれるように感じたとき――、〈園〉に入りこんだネズミは、おそらく風子とルル。ルルは高度異能者だが、風子は異能を持たない。なのに、二人は揃って〈園〉に入り込み、〈園〉から脱出した。
脱出を手助けしたのがリョウ――〈森の王〉だ。まだ、幼すぎて、王にはなれないが。
リョウが成長し、王になれば、王とともに〈森〉に戻ることができる。だが、成長が難しいようだ。〈森の賢者〉ガガですら、手を出せずにいる。
どうしたものか?
リョウに成長を強いれば、身体と精神が分離するだろう。
だが、王が戻らねば、〈森〉は崩壊する。
〈森〉と〈園〉にいたときには、自分の過去など思い出したこともなかった。なのに、こちらの世界に来てから、ふいに、記憶が蘇る。
――深い山、ヤマブドウ、年上の少女、そして、母。
すべては、ほとんど無彩色に近い淡い色合いの幻のような断片にすぎない。パズルにはめ込むにも、欠けたピースが多すぎて、全容はまったくつかめない。つかもうとしても、手指から漏れ落ちるばかり。
過去を知りたいわけではない。
いつの日だったか、あの〈園〉に行ったことは覚えている。自分の意思で選んだはずだ。
〈園〉に留まることは、こちらの世界と切れることを意味する。未練などない。
王を〈森〉に連れ戻すことは必要だ。〈森〉の崩壊は、世界の秩序を混乱に陥れる。
だが、自分が〈森〉に戻りたいかと聞かれれば、わからないと答えるだろう。
一年以内に〈森〉に戻らねば、急速に老い、死を迎えるという。
――それもいい。
こちらの世界で蘇る記憶は、すべて深い悲しみと孤独の陰を帯びている。絶望以外の記憶がない世界に留まっても、未来は見通せまい……。




