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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第三十五章 森と里と山
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ⅩⅩⅩⅤー6 月の神像に似た女人――囚われのリトと潜入したカイ 

■御簾の向こうの女人

――う、ううん。

「気がついたか?」

 御簾(みす)の向こうから(つや)を帯びた声がした。


 リトが周りを見回すと、サイズは元に戻っていた。ということは、すでに丸一日経ったということか?

「サイズを変えて忍び込むとはのう。なかなかの異能者のようだな」


 顔は見えない。だが、声には張りがあり、姿勢は良い。

 室内はきらびやかではなかったが、品があり、良い香りに満ちている。


「さてと、そなたが何者かを調べたい所ではあるが、今は時間がない。しばらくここで過ごすが良い」

 リトは身を固くした。

「そう怖がらずとも良い。貴重な異能者をむざむざ失うような愚かしいことはせぬ」

 身構えるリトを御簾の向こうから見定めるように、女は哄笑した。

「ハハハ、美しく健康な若者だな。その身体も、その能力も傷つけることはないゆえ、安心するが良い。だが、逃げだそうとは思うな。ここから出ることは不可能だ。そなたの連れが類い希な異能者だとしても、この場所を見つけることはできぬ」


 リトの顔に強い疑念が走った。

「なるほど、やはり、連れがおるようだ。その者もそなたと同じようにここに連れてきたいものだな」

 リトは片膝を上げて、立ち向かおうとしたが、軽くいなされた。

「勇ましいのう。まあ、それが若さの強みだな。ここにあるものは何でも食してよいぞ。毒などは入っておらん。言うたであろう。貴重な異能者を失うようなことはせぬと」


 リトは御簾の向こうの女人を睨み付けた。

「おまえ、誰だ?」

「そなたが名乗れば教えもする。ゆっくり考えておけ」

「弓月御前か?」

「ハハハ、怒りと恐怖に満ちたその顔も好みだな。まあ、今夜はゆっくりとここで過ごすがよい」

 女人がサッと手を上げた。そのとたん、リトはふたたび気を失った。


■儀式

 本殿奥の別室から、リトが消えた。


 カイは、丹念に別室の構造をチェックした。

――どこかに秘密の出入り口があるはず。


 しかし、見つけることができないうちに、本殿大殿で声がし始めた。儀式のために、神像を運び出すらしい。

 カイは屋根裏に飛び上がった。クロが待っていた。


 やがて、下で作業がはじまった。何人もの男女が仮面を付け、同じ装束に身を包み、慎重に神像を運び出している。

 屋根裏伝いに後をつけると、社の奥にある洞窟の中に神像が安置された。

 洞窟の中はきれいに飾り立てられ、何本もの蝋燭(ろうそく)の灯りが揺れている。奥には、立派な服装をまとった数人の者たちが待ち構えていた。これも仮面を付けている。


 カイは、一人の村人の意識を失わせ、装束と仮面を奪って、儀式に忍び込んだ。

 天井にはアカテンを張り付けている。カムイは洞窟そばの高い木の梢から様子を見下ろし、クロは社の陰に潜んだ。

 クロはリトの匂いを嗅ぎ分けることができる。そのためのスタンバイだ。


 演奏が始まった。低い弦の音で、ゆるやかな調べだ。

 社から立派な神輿(みこし)が担がれてきた。

 御簾の向こうに人影が揺れる。だれかが乗っているようだ。


 神輿が静かに台座の上に置かれ、一人の女人が降り立った。天女のような装いだ。装束も被り物もすべて金色に輝いている。他とは明らかに違う黄金の仮面を付けていた。


 月はなく、灯りは蝋燭のみ。光と影がくっきりと浮かび上がる。音楽が昂揚してゆく。

――月の神像!

 カイは波打つ胸を(なだ)めた。


 クロが走り始めた。神輿が来た方向に向かっている。リトの匂いを感じたようだ。

――頼むぞ! クロ!


 儀式は粛々と進んでいく。カイにはだれも気づいていないようだ。言葉を発するのは、一人、神像に似た女人のみ。周りの男女が作業を補助し、立派な服装の数人の者が儀式を見守る。


 洞窟の奥に、金の神像が安置されていた。

 その神像の前で湧く水を金の柄杓(ひしゃく)(すく)い、石臼(いしうす)に注ぎ込む。

 金の女人が祝詞(のりと)を唱え、渡されたヤマブドウの一房を石臼に設置された棚に捧げる。

 金の女人は、その房から実を一つ一つもぎ取りながら、石臼に実を放り込む。祝詞はずっと絶やさない。

 すべてを投げ込むと、金の女人は、神像に向かって跪拝(きはい)した。

 その後、女人は金の神像の隣に用意された黄金の椅子に腰掛け、片手を上げた。

 これが合図だったのだろう。村人たちが集まり、石臼を取り囲み、そばに山盛りにされたヤマブドウを次々に石臼に投げ込み始めた。


――このヤマブドウは毒をもつはず。

 だが、村人のだれもそんなことは気にしていない。ヤマブドウを投げ込まないわけにはゆかず、カイは一房を取り、石臼に投げ込んだ。その一粒は着物の内側に収めた。


 かぶれることもなければ、倒れることもなかった。

 音楽はますます昂揚し、みなが歌い踊っている。

 狂騒は明け方まで続いた。フィナーレのように、金の女人は最後の祝詞を捧げ、神輿に乗った。


■月読族

 リトは意識を回復した。

――いったい何なんだ?


 わかっているのは、別室で自分が囚われたこと。

 あのとき、何が起こったっけ?

 そうだ! ある壁に手を触れたんだ。そうしたら、スッと取り込まれた。カイに声をかける間もなかった。

 気がつくと、妙な部屋で、妙な女の前にいた。身体は元の大きさに戻っていた。

 御簾の向こうの顔はわからない。だが、声はしっかりと覚えた。


――弓月御前か?

 女は小馬鹿にしたように、リトの問いを軽くいなした。リトの言動から、カイの存在にまで気づいたようだ。

――カイに手出しなどさせるものか!

 リトは戦闘モードになったが、女にスルリとかわされた。相手の方が数段上のようだ。


 誰もいなくなった部屋でリトはあちこちを確認した。たしかに厳重に閉ざされた部屋のようで、入り口は見当たらない。結界を張っているのだろう。リトの力では結界を破ることはできない。


――うーん。

 リトはあぐらを組み、腕を組んで、考え始めた。

 下手に動くと、カイが危ない。


 カイはきっとオレを心配して、なんとか助け出そうと無理をするだろう。つまり、オレはエサだ。あの女は、オレの異能の程度は見切っているはずだ。こんなレベルのオレを連れて里にやってきた者にこそ興味をもったに違いない。その協力者が高度の異能者だと踏んでいるのだろう(その通りなんだけど)。


――カイが言っていたな。絹の里は月読族の里かもしれないと。


 月読族――香華族と同じく、〈月の一族〉の傍系だ。かつては、ウル大帝国の頂点に君臨したこともある()えある一族だ。だが、すでに滅んだはず。強い異能者集団だったと聞く。

 もし、月読族が存続していたとして、なぜ、こんな鄙びた里で染織を生業(なりわい)としているのか?


――絹、綿、毒を持つヤマブドウ、里の水、紫色の綿織物、門外不出の織物技術……。


 リトは記憶をフル動員した。ルナ神話と古代史には強い。父要の研究もすべて頭に入っている。

――そうだ、父さん! 父さんの研究に何か手がかりはなかったっけ?


 朱鷺要(ときかなめ)は、五年前に、シャンラのルナ遺跡を調査中に事故死した。古代神謡の権威だが、古代ルナ学とウル学にも通じていた。リトは父の研究をすべて読破し、それをもとに書いた論文が評価された、アカデメイアの特別入試(一芸入試)に合格した。なのに、ドイツ語で苦戦し、留年してしまった。ディーンのノート提供を受けて、今期は無事進級できた。


 妙に頭が冴え渡る。遠い記憶の底から、リトは一つの物語を引っ張り出した。

――ヤマブドウの物語!


険しい山の深い森のさらに奥深く、小さな洞窟があった。

神が穿(うが)った洞窟として崇められ、大切にされた。

その洞窟には聖なる水が涌き出でて、村人の病を治した。

村が大飢饉に見舞われたとき、

村人は赤子を供えて、神に乞うた。

食するものを与えてください。

神は村人に告げた。

この山の斜面に育つヤマブドウを授けよう。

だが、取り過ぎてはいけない。

村人は喜んでヤマブドウを食し、飢餓を脱した。

村人は神の言いつけに背いた。

たわわに実るヤマブドウをあるだけ取って売り物にしたのだ。

村は賑わい、森の木々は切り倒され、獣たちは狩られた。

次の年、ヤマブドウは同じように実った。

だが、それを食べた村人は次々と死んでいった。

ヤマブドウは毒を持つようになっていた。

人間の乱暴なふるまいで絶滅の危機に瀕したヤマブドウの報復だった。

洞窟の聖なる水も涸れ果てた。

村は滅び、森は静寂を取り戻し、

山は何事もなかったように端然とそびえている。

神に供えられた赤子だけが生き延び、新しい村を築いた。


 ヤマブドウが毒を得て、人間に報復したという伝説だ。

 リトは震え始めた。

――赤子を神に供える?


■クロの活躍

 クロは鼻をピクピクと動かしていた。

 あの金の女人から、うっすらとリトの匂いがした。直前までリトと一緒にいたのだろう。あの女人がやってきた道を逆に辿った。


 小さいが、華麗な建物の前に来た。ここから神輿が運ばれたようだ。クロはあたり一帯を嗅ぎ回った。

――ここじゃない!


 クロはいきなり進路を右に取った。本殿とは反対方向だ。長い渡り廊下で結ばれている。

 いくつかの似たような建物が点在していた。クロは慎重にひとつひとつの匂いを嗅いで回った。

 そして、ある一つの建物に狙いを定めた。グルグルと周囲を何度も回ったが、入り込む場所がない。


 クロは一声短く鳴いた。

「ニャゴ!」


 リトが気づいた。リトは壁を三回叩いた。トントントン。クロへの合図だ。


 誰か来た!

 クロはすばやく身を隠した。


 リトが気づくと、御簾の向こうにふたたび女人が座っていた。

「ほう。おとなしくしていたようだな。まあ、逃げるのはそもそも無理だが」

 リトは一言も発しなかった。しゃべると何かを察せられる。

「沈黙の抵抗か、それもよい。ペラペラとしゃべるよりは信頼できるというもの」


 女人はスッと立ち上がった。

「また来るぞ。そなたも好きなものを食して休んでおけ」


 女人は消えた。またリトは意識を失いかけたが、必死で耐えた。耐えることができた。女人は御簾の向こうの壁に手をかざし、姿を消した。


 しばらくして、リトは立ち上がった。室内をもう一度(くま)なく見て回った。

 ブーン。小さな羽音を立てて、一匹の虫が飛んできた。

「アカテン!」


 女人の服のどこかに潜んで一緒に入ってきたのだろう。念のため、アカテンの通信機能は遮断しているが、録音録画機能は残している。アカテンは映像を床に投影し始めた。

――カイ!

 仮装して儀式に潜入していたカイは、いま、森に潜んでいるようだ。カイはアカテンにメッセージを託した。

――リト、無理をするな。必ず助けに行く。待っていろ!


 そこまで映し出して、アカテンは電池切れで転がった。

 リトは泣きそうになった。オレはカイをおびき寄せるためのエサなんだ! カイもそれがわかっていて、それでも助けに来るという。


――ここでやられるわけにはいかない。

 リトはふところに忍ばせた非常食と水を取り出した。雲龍九孤族忍者のたしなみだ。


 手元のアカテン(電池切れ)、外のクロ、そして森の中のカイ(カイこそがあの女の真の目的だ)。カイのそばにはカムイ(妙にオレを敵視している)がついているだろう。


――結局、オレの切り札はクロだけだ!

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