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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第三十五章 森と里と山
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ⅩⅩⅩⅤー5 紫の秘密――絹の里の土と水と毒 

■紫地のラクル織物

 リトたちは急ぎ温泉宿に戻った。ばあちゃんたちがミン国で手に入れたラクル綿織物が必要なのだ。


 湯から上がったばかりの二人のばあちゃんが、ホカホカのままフルーツ牛乳を飲みつつ部屋でくつろいでいた。

 そこへリトが駆けこむ。


「ばあちゃん! 早く、虚空おじさんの部屋に来て!」


 虚空の部屋はケイとカムイとの同室だ。すでにカイが端然と座し、そばにはクロが寝転がっている。

「ありゃ? みんな揃ってどうしたんじゃ? 絹の里では何も収穫がなかったのかえ?」


 よっこらしょ、と掛け声をかけながら、ばあちゃんズは自分たちのために用意された上席の椅子に腰を下ろした。困ったときのばあちゃん頼み――豊富な知識と長い人生経験に裏打ちされた知恵は、若者には持ち得ない財産だ。


 フルーツ牛乳を飲み干し、満足げな二人に、リトがまくし立てる。

「違うよ! 大ありなんだ!」

 ばあちゃんが眉をピクリと上げた。

「ほう?」

「これ見て!」

 リトがラクル綿織物を広げる。パドアの伯母の家で見つけたもので、昨日から虚空とケイが整理していたものだ。


「ふむ。何かわかったのか?」

「ねえ、色を見てよ!」

「色?」

 ばあちゃんは床に広げられた綿織物を見渡した。


「地色が紫じゃ」

「だ・か・ら、その紫色の〈違い〉を見てって!」

「ほう、微妙に色が違うの。で、それがどうした?」

「一番きれいな紫色はどれ?」


 ばあちゃんは一通り見回し、ある布を取り上げた。

「これじゃな。色に深みがある」

「その布が、式典のときの風呂敷だよ」

「なに? じゃが、おくるみとは模様が違うのではないかえ?」

「うん。模様は何種類かあったみたい。でも、地色の紫色は共通してるんだ。一案深い紫色」

「ほう……」


 ばあちゃんは布をかざし、ふと気づいた。

「お、ここの布切れに何か書いとるの」

「うん。パドアさんの伯母さん、律義な人だったみたいでさ。手に入れたラクル綿織物の全部に、日付と場所を書いたメモを縫い付けてるんだ」


「もう一度見て」とリトが促す。

「ありゃ? おくるみの布以外は色が微妙に薄いの。しかも、薄くなったり濃くなったり、バラバラじゃな」

「そうなんだ! これ、日付順に並べたんだ。ほぼ毎年一枚あるよ」


 セイばあちゃんが瞬きをしながら息を吐いた。

「そういえばパドアが申しておったな。伯母は毎年、ラクルから来る行商人から綿織物を買っておったと。三十年ほど前に九十を超えて亡くなったそうじゃが」

「織物は五十枚以上あったんだ。しかも、全部模様が違う!」

「ほう。それは、コレクションしがいがあるのう」

「うん! でね、地色の紫は四十五年前のものが一番濃いんだけど、それと同じくらい濃いものがあるんだ。これ見て!」


 リトが差し出した布は、深い紫色をしていた。絵柄はない。

「紫地のみというのも、なかなか味わいがあるのう」

 セイばあちゃんが目を凝らす。

 

「これは骨董品らしいんだ。弓月ミュージアムに同じものが展示されていてさ。ラクルで綿花が栽培されてから最初期に染められたものなんだって。今から五百年ほど前らしいよ」

「こりゃ、驚いた。そんなに古いのに、これほど鮮やかなのか?」

 二人のばあちゃんはしげしげと布を眺めた。


■土と水と毒

 ようやくカイが口を開いた。

「明日、弓月御前が絹の里を訪れるようです。染織の神を祀る(やしろ)で儀式があるとか。その社の涌き水とヤマブドウの実を使って、紫色の染料を作り出す儀式と思われます」

「ほう、神の水とヤマブドウか……」

 セイばあちゃんの声がわずかに固くなる。何か思い当たったときの声だ。


 カイが静かに頼む。

「アイリによれば、火の山には毒性の強いヤマブドウが育っていたそうです。そうしたヤマブドウについて、ご存知のことを教えていただけませんか?」


 セイは紫色の布を手に、しばし考えた。

「ふむ、そうじゃな……カトマール南部の火の山一帯に生える毒ヤマブドウは、かなり特殊じゃ。突然変異か、土や水の影響かはわからん。枝や葉にさわるとかぶれる。ウルシのようなもんじゃ。実にも毒がある。葉も実も獣に喰われず、熟した実はそのまま土に落ちる。多くは斜面に生えておるから、実が転がり落ちて芽吹き、一帯が群生地になるわけじゃ」


「危険な実を収穫して染料にする技術について、何か伝わっていることはあるのでしょうか?」

 カイが重ね訊ねるる。

 セイは低く唸りながら答えた。

「よくわからんのう。この種のヤマブドウの実を発酵させると、濃厚なワインになる。毒がなければ、とてつもなくうまい酒になるぞ」


 リトが思い出したように言った。

「オレ、子どものときに雲龍の山でヤマブドウの実を食べたことがあるよ。カラカラに干からびた葡萄でさ、サキ姉が見つけてきたんだけど、ものすごくおいしくて……いつのまにか気を失ってて。ばあちゃんにこっぴどく叱られたよね」


 ばあちゃんが苦虫をかみ潰したような顔になった。

「まったく、サキもリトも言いつけをきかん悪ガキでの。たいへんじゃったわい!」

 セイが笑った。皺は深いが、歯は丈夫そうだ。

「ははは。そりゃあ慌てたじゃろな。自然発酵したヤマブドウは最高の酒になるが、強すぎて子どもなんぞすぐ失神するわ」


 カイがリトをちらりと見てから、改めて訊ねた。

「そのワインのような紫色を染料に使ったということでしょうか?」

 セイが答えた。

「むろん染まるのは染まる。じゃが、ムラができるし退色が早い。紫色の天然染料としてよく知られるのは紫根と貝紫じゃ。紫根は冠位十二階の最高位、貝紫はオリエントやローマの皇帝の色。どちらもごくわずかしか採れん。綿織物に使うような染料ではない」

「そうでしたか……」


「じゃが、言い換えれば、紫根や貝紫に匹敵する紫色を安価に作れたら、飛ぶように売れたじゃろう。色を定着させるには媒染剤が必要じゃ。鉄や銅、アルミニウムなどの鉱物が一般的じゃが、ラクルの社の涌き水にはそうした成分が含まれておるのかもしれん」

「なるほど……ヤマブドウの毒成分と湧き水の成分の相性が良かった、ということですね」

 カイはそう言いながら、再び考え込んだ。


■弓月御前

「御前さま、ようこそお越しになられました」

 里の一番奥にある立派な建物――守り神を祭る社の本殿。その最上の部屋である大殿で、村長(むらおさ)は弓月御前を出迎えた。


「息災のようで何より」

「これもすべて御前さまのおかげでございます」

「で、手はずはいかがじゃ?」

「はい。つつがなく進んでおります。今年はヤマブドウの実の色合いが濃く、いつになくよい色に仕上がると期待しております」

「そうか、それは楽しみだな」

「儀式は明日の夜。それまで、どうぞごゆるりとお過ごしくださいませ」


 すべての者を下がらせたあと、弓月御前は立ち上がり、別室に消えた。


 天井に張り付いていたアカテン(赤いテントウムシ型の超小型通信ロボット=アイリ作)が慌てて後を追ったが、別室に入る隙間はなく、やむなく天井に張り付いたままとなった。このままでは電池切れする。リトはアカテンを呼び戻した。


――温泉宿の一室。

「カイ修士、いったい何を気にしておる?」

 虚空が訊ねた。

 カイがためらいながら言葉を絞り出した。

「土と水と日付が気になるのです」


「土と水と日付?」

「はい。普通なら毒を持たぬヤマブドウが毒をもち、湧き水は見事な染め物を生み出す……この里はいったい何なのか……それに、紫地が濃かった四十五年前には何が起こったのかと……」


「何なのかって? 月読族の村ってことじゃなく、単なる百周年記念なんかでもなく、ってこと?」

 リトが無邪気に聞く。

「うむ。この里は火の山の東面の麓にある。アイリさんの村は西面の中腹の谷合にある。火の山は、古来〈魔の森〉と呼ばれる広大な樹海と硫化水素を含む〈五里霧〉で守られてきた神山だ」

「うん」

「鉄を含んだ岩が多く、方位磁石が狂うという俗説もあるが、実際にはほとんど狂わない。だが、森が深く、一度迷い込むと道を見失いやすい」

「そうだね」


「水は鉄分を含み、土は硫黄を含む。鉄は光合成に必要、硫黄は肥料にもなる。植物にはむしろ好条件だ。なのに絹の里のヤマブドウは毒を持つ。なぜだ?」

「アイリに調べてもらう必要があるね。土も水もサンプルは手に入れたよ」

 リトが言うと、カイがにっこりした。

「そうだね。下手に推測するよりも、アイリさんに任せた方がいい。四十五年前のことについては、気象条件などを調べる必要があるだろう」


 戻ってきたアカテンを掌に載せ、リトが訊ねる。

「カイ、どうする? アカテンで情報を集めるのは無理みたい。オレたちが行く?」

「そうだな。だが、ここは月読族の村かもしれぬ。異能の発動に気づかれると厄介だ」


 結局、二人そろって小型化して忍び込むことになった。カムイはカイの役に立てると張り切っている。


 カムイは天敵であるはずのクロを物陰に呼び、こっそり言い含めた。

(おい、リトがカイさまに言い寄らないよう、しっかり邪魔しろ! いいな!)

(ニャゴ)

(毎夜、おまえが二人の間で寝そべってくれるから助かる。ほれ、約束通り木片のカケラだ。今度も頼みを聞いてくれたら、またもってきてやる!)

(ニャゴ、ゴ!)


――本殿には人影がない。

 生活空間である別棟では煮炊きが行われ、村人たちが大勢集まっていた。明日の準備らしい。だが、そこに弓月御前はいない。

 カイとリトは御前を探してさまよったが、どこにもいない。

(こういうときは原点に戻るんだ。大殿に戻るぞ!)


 大殿から御前は別室に消えた。その入り口は固く閉ざされ、人の気配はない。

(もう一度念入りに探そう。天井裏に行かないか?)

 リトの言葉にカイは頷き、ふたりはスッと飛び上がった。これくらいなら異能なしでもできる。


 天井裏から覗いた別室には、奥中央に一つの神像が置かれていた。里が最も大事にしている秘像で、四十五年ぶりに公開されると噂されていた像だろう。


 やはり、誰もいない。

 カイとリトは、音もなく飛び降りた。


 別室の出入り口は本殿大殿への引き戸のみ。あとの三方は一面の壁で、見事な装飾が施されている。奥の壁沿いに祭壇がしつらえてあり、そこに神像が仮安置されていた。祭壇は古いが、神像は磨き上げられた金色で、眩しいほどに輝いている。

 

 カイは一瞬、言葉を失った。

――こ……これは、シャンラ王家に伝わる月の神の像と同じではないか!


 ふと見ると、リトの姿がない。

 カイは真っ青になった。 

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