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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第三十五章 森と里と山
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ⅩⅩⅩⅤー4 ラクルの二人――温泉宿の月明かりに浮かぶ寝顔

■温泉宿の二人

 リトは、カイと同室同床で緊張のあまり眠れないと覚悟していたが、連日、熟睡――安眠だ。

 夜十二時にはどうしようもなく眠くなり、ちょっとだけのつもりでベッドに横になると、次に目覚めるのは朝だ。カイが寝る前に寝入ってしまい、カイが目覚めた後に目覚める。


――どうもおかしい。


 まさか、例の木片白湯?

 ルナ古王国の王女エファの秘宝庫にあった木片は、よい香りがして、水に浸すと鎮静効果がある。天月禁書庫でカイが極度の緊張状態を続けているときに、リトは、そっとその木片を浸した白湯をカイに飲ませ、カイを眠らせたことがある。


 夕食はいつもカイと一緒にレストランで取る。木片を使うのは難しいだろう。怪しいのは、部屋の飲み物だ。夜九時頃になると、カイは白湯(さゆ)を注いでくれる。カイも飲み、リトも飲む。ある日、リトは白湯を飲んだふりをして、飲まずに様子を見た。


 眠くはならなかった。だが、いつものようにベッドに入り、寝たふりをした。

「おやすみ、リト」

 カイのやわらかな声を聞いたような気がした。


 しばらくして、隣にカイが来た。カイのまなざしを感じたが、耐えた。カイは灯りを消して、リトの隣で横になった。二人の間にはいつものようにクロが寝そべった。窓の外でカラスが鳴いた。

 いつのまにか、うとうとしたのだろう。気づくと、カイはすでに目覚め、窓際で本を読んでいた。


「おはよう、リト」

 二人の一日は、カイのこの言葉で始まる。結局、その日も同じだった。

 木片白湯が原因なのか、カイがなんらかの術をかけているのか、はたまた、単にリトが健康すぎて眠くなるのか、まるでわからなかった。


――カイはオレに襲われると思って、警戒してるんだろうか?

 そう思うと、どんよりと落ち込んでしまう。


 カイは温泉には入らない。人前に裸体を晒さない。

 その日も、リトは一人で温泉に向かった。できるだけ空いている時間帯を狙っていくと、露天風呂には虚空ひとり。リトを見かけると手を振って招き入れ、妙に明るい声で話しかけてくる。


「やあ、どうした。あまり元気がないじゃないか」

「そうかな?」と答えながらも、すでにどんより。

「おまえはすぐに顔に出るからな。いったい何を悩んでおる?」

「いや……悩みなんてないけど。まあ、眠りすぎるってことくらい?」

「ほう、おまえ、カイと一緒にいるというのに、よく眠れるもんだな」

「え?」


「隠さんでもええぞ。みんな知っとるからの」

「な……なにを?」

「言うのも野暮じゃな。で、ここに来てずっと安眠か?」

「……うん。だから、なんか警戒されてるのかなって……」とリトは歯切れが悪い。虚空にホンネをさらけ出して、泣きそうだ。


「逆じゃな。カイが自制しとるんだろう。そのために、おまえを眠らせとるように思うがの」

「どういうこと?」

「おまえ、天月修士がどういうもんか知っておろう」

「うん。容姿端麗、頭脳明晰、優秀有能、品性高潔、それに……」

 虚空は笑い出した。

「おまえは、とことんカイに惚れとるのう。カイを褒める言葉が足りんくらいではないか」

「……」


「まあ、ええ。で、禁欲節制はどうじゃ?」

「天月修士のいちばん大事な規範のはずだよ」

「じゃろう? そんな天月修士のトップにいる銀麗月が、おまえに手出しなどできるはずがなかろう」

「て……手出しって……」とリトが、湯気に顔を埋めながら、茹で蛸のように真っ赤になった。


「まあ、カイの気持ちにもなってやれ。カイはこれまでずっと一人じゃった。一人でなんでもできたし、一人でおることを不思議に思うこともなかったはずじゃ。じゃが、おまえと出会ってからは、つねにおまえと一緒にいようとする。おまえを守るためじゃが、カイもまたおまえに守られておるんじゃ」

「守る?」

「そうじゃ。おまえたち二人は運命の糸で結ばれておるようじゃ。カイはおまえを失いたくないから、自制に自制を重ねておる。それをわかってやれ」

「……わからない……」

「まあ、いずれはわかろう」


「でも、運命の糸か……カイにとってもオレは必要ってことだよね?」

「そうじゃ。じゃから安心せい」

「うん!」と答えたリトは元気よく湯から上がり、着替えるのももどかしそうに、足早に去っていった。


 その姿を見送りながら、虚空はひとりごちた。

「やれやれ、あの単純さが救いじゃな」


 虚空は露天風呂の脇にある松の木の梢を見上げた。

「おい、カムイ。降りてこい」

 一羽のカラスが舞い降りた。

「おまえは、毎夜毎夜、見張りに行って寝不足じゃろう。いくら三足烏とはいえ、夜目はさほど利かぬはず。どうじゃ、安心せえ。おまえの心配は杞憂だったようじゃの」

 カラスは情けなさそうにカアアと鳴いた。

「今夜からはしっかりと寝ろ。仕事は山積みじゃぞ」 


■カイの夜

 その夜も、月明かりにぼんやり浮かぶリトの寝顔をカイはじっと見つめていた。

 無邪気な寝顔だ。時折、寝返りを打って、ムニャムニャと聞こえるか聞こえないかの寝言を言う。その寝言に必ず入っている言葉がある。


「……カイ……」


 夢の中でも、リトは自分と一緒にいるのだろう。激しい感情の起伏を抑え込むことに慣れているカイですら、うれしくて思わず顔がほころぶ。


 リトの寝顔を間近に見つめ、リトの口から自分の名を聞き、リトの息遣いを感じながら眠りにつく。たったそれだけのことなのに、いままで感じたことのない喜びが突き上がってくる。


 あるとき、思い切ってリトの指に触れてみた。リトの感情が押し寄せてくる。それはカイへの思いであふれていた。次の日、今度は、リトの頬に触れてみた。同じように、カイへの思いが感じ取れる。

 しだいに貪欲になった。髪、くちびる、胸と触れる場所を移していった。どこに触れても、まっすぐな思いばかりだ。

――カイ、キミが好き。


 リトの思いにどう報いたらいいのだろう? リトに向かう自分の気持ちをどう表したらいいのだろう? そして、その先は? 

 カイにはわからない。わかるのは、リトを失った自分をもはや想像できないことだ。だから、毎夜、リトを眠らせる。眠っている限り、リトは自分から離れない。


 リトの安らかな寝顔を見つめながら、日々、自分に問いかける。

――リトが弦月として覚醒したとき、銀麗月たる自分はどう対峙すべきか?

 本人はほとんど気づいていないが、リトの力は日増しに強まっている。弦月の闇落ち――それを防ぐために何ができるのか。何をすべきなのか。


 だが、どれほど古書を調べても、どれほど考え抜いても、いまだに答えが見つからない。その答えが見つからない限り、リトを望む自分の心を抑え込むほかない。


■絹の里

 ラクルの旧市街から西方に広がる豊かな丘陵地が織物業の産地だ。綿花栽培もあれば、桑を栽培し、蚕を育てる養蚕農家もある。古くからいくつかの村があり、共同体の絆は強い。村同士を結ぶ村連合も存続している。

 だが、絹の里は特別だ。丘陵地から断崖絶壁を挟んだ向こう側の谷あいに絹の里がある。里へとかかる橋は一本で、通行は規制されている。他の村と交流しないというわけではないが、自給自足ができるため、他からは隔絶した村となっている。


 絹の里では特別な桑と特殊な蚕が育てられ、織技術も染色術も秘伝で持ち出し禁止だ。たとえ、絹の里から桑と蚕を持ち出そうとも、里以外では普通の桑と蚕にしか育たない。染色は里の水でなければきれいに発色せず、織物技術は一子相伝の伝統技術で、家ごとに織模様が微妙に異なる。幼い時からの熟練を要するため、マネはできない。


 カラス姿で偵察に飛んでいったカムイが戻ってきた。話を聞いたばあちゃんが言った。

「わしらが里に入るのはむずかしそうじゃな」

「そうじゃな」とセイばあちゃん。

 ばあちゃんが、カイとリトをじっと見た。

「カイ修士とリトに頼むしかないのう」


 カイが頷いた。

「はい。リトと一緒に空間移動してみます」

 セイばあちゃんが二人を頭からつま先まで見回した。

「じゃが、そのままでは目立ちすぎますぞ」


 結果、二人はクロとともにミニサイズになって、カムイの背に乗って、里に忍び込むことになった。向こうでの移動はクロに乗っかる。絹の里では、絹糸をかじるネズミ対策としてネコを飼ってきた伝統から、地域ネコたちが普通に里の路地を歩いている。クロが混じったとしても、村人には気づかれまい。


 まずは、里全体を見張らせる高い木に降りた。リトが耳を澄ませる。さまざまな会話から里長らしき者を特定し、その者の家に忍び込むことにした。大きな立派な農家だった。

 屋根裏に潜む二人に、主人の声が聞こえてきた。

「明日、弓月御前さまがお越しになるそうだ。心してお迎えするように」

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