ⅩⅩⅩⅤー3 壊れた愛――家族を棄てた子と家族に棄てられた子
■シンをめぐる疑問
宿の部屋に戻ったサキは、続き間でカコとミオ姉が寝入っているのを確認してから、ばあちゃんに訊ねた。
「なんでアイツらを誘ったんだ?」
「情報収集じゃ。言わんとわからんのか?」
「情報収集?」
「おまえが状況を理解したら、話してやる。いまは、おまえが下手に動くとかえって邪魔じゃ」
(なんだよ! 邪魔って?)
サキは頬をプウッと膨らませた。
「ほれ、おまえはすぐ顔に出る。もちっと修行せい! わしはガガさんのところに行ってくるぞ」
シュウの部屋は広い。寝室は二つに、広いリビング、ダイニング、ミニキッチンまである。シュウとリョウは寝入り、キュロスもまたばあちゃんを招き入れて、自室に入った。寝室二つの間には引き戸があり、いつでも互いを確認できる。
広いリビングの隅におかれた菓子箱のそばに腰掛け、ばあちゃんは結界を張って声が漏れないにした上で、ネズミのガガとしゃべり始めた。
「今日は、どうやらシンはジュンギから分離しておったようじゃ。本人が現れた」
「ほう……憑依を一時中断したのか。で、本人はどんな風じゃった?」
「二十歳くらいの若者じゃったな。落ち着いた雰囲気の美青年じゃった」
「あんたが見て、どう思うた? 甥と確信できたか?」
「いや……わからん。甥が消えたのは十歳の頃、こちらで生きておれば、五十歳ほどじゃな。じゃが、あの者は二十歳ほど――年が合わん」
「〈園〉や〈森〉では時空が歪む。時間の進み方がこちらとは違う。こちらの世界では四十年であっても、〈園〉では十年ほどにしかならんというのは、十分に考えられるのう」
「そうか……。ならば、甥であっても不思議ではないの。顔かたちはわしの妹によう似ておった」
「ならば、どうする?」
「〈森〉に戻らなければ、あれはどうなる?」
「こちらの世界で朽ち果てていくだけじゃ。急速に老いていき、本来の寿命よりも早く死を迎える」
「老いと死か……。それを避ける方法はあるのか? 」
「一年に一度ほど〈森〉に戻り、〈森〉の英気を浴びれば、こちらの世界でも〈森〉の時間で生き延びることができる。わしとロロもまた五十年ほど前にこちらの世界に来たが、毎年一回は日帰りで〈森〉に帰る。じゃが、それは、自分の意思で〈森〉を出た場合じゃ」
「甥は違うと? なぜじゃ?」
「〈園の管理人〉だからじゃ。言うたであろう。〈園の管理人〉がみだりに〈園〉を離れることはないと。〈園の管理人〉は幹部候補者じゃから、その者が〈園〉を離れるのは、〈森〉の別の職務に昇格したときだけじゃ。じゃが、いま〈森〉に空いているポストはない。昇格はなかろう。考えられるのは、何らかの罰として〈森〉を追放されたということじゃ。その場合、〈森〉に戻ることはできん。〈森〉に戻れるのは、〈森の王〉をお連れしたときだけであろうな」
「そうか……。ならば、シンは否が応でも〈森の王〉を見つけ出し、〈森〉に連れ戻さねばならんのじゃな? しかも、期限は一年か……」
ばあちゃんは深いため息をついた。ガガも同じだ。
「リョウさまは、いずれ〈森〉にお戻りになるつもりのようじゃ。ただ、今のような五歳児のままでは〈森の王〉たる白虎に変身できん。せいぜい子虎じゃ。子虎では結界を超えることができん。身体が破壊されるじゃろう。本来の十五歳のお身体を取り戻す必要がある。じゃが、それにはしばらく時間がかかろうの。三年から五年はかかるはずじゃ」
「その間、シンは何もできんというわけか……」
ガガはばあちゃんを見た。決意に満ちた目だった。
「じつは、そのことで、わしも考えておったことがある」
「なんじゃ?」
「〈森〉はいま瀕死じゃ。数年待つこともできんほどにな」
「瀕死?」
「じつは、夏頃にロロと一緒に一度〈森〉に戻ったんじゃ。去年とは明らかに違うておった。〈森〉を守る結界のあちこちに綻びが出ておってのう。一千年に一度の月蝕のあおりで結界が弱まったようじゃ。〈森〉の結界を張り直す必要がある。しかも、ことは急を要する。じゃが、〈森の王〉の不在で〈森〉を守れる者がおらん」
「いま、リョウが〈森〉に戻らねば、帰る〈森〉そのものが消えるということか?」
「そうじゃ。結界が崩壊すれば、〈森〉の生き物は全滅する。〈森〉だけの問題では済まぬ。こちらの世界にも亀裂が走るであろう。〈森〉は銀月の世界と緋月の世界の緩衝帯――〈森〉が消えれば、二つの世界が衝突して、たいへんなことになるぞ」
「おまえさんはどうすべきと考えとるんじゃ?」
「リョウさまに王として〈森〉にお戻りいただくしかあるまい」
「じゃが、それはリョウにとって危険ではないのかえ?」
「そうじゃ。じゃから、通常の方法では無理じゃな」
「特別な方法があるということか?」
「うむ。何が可能かをずっと考えておった」
ばあちゃんは言葉を挟まず、ガガの意見を待った。
「可能性は二つじゃ。一つは、リョウさまが双子の弟シュウさまに憑依する場合じゃ。だが、そうすると、リョウさまのお身体はこちらの世に放置され、シュウさまの魂はシュウさまのご自身の身体の中で封印される。数日程度なら支障なかろう。だが、数ヶ月、数年となると、お二人のどちらにとってもお命に関わる。ひとたび〈森の王〉として戻られたなら、そう簡単に〈森〉を離れることはできまいからな」
「ふむ」
「もう一つは、リョウさまの成長を早めることじゃ。三年から五年のところを数ヶ月でやってしまう。普通は、こうした無理をするとリョウさまのお身体がもたず、死に至る怖れが高い。じゃが、リョウさまは、〈月の一族〉の血を引いておられる。〈森〉の危難を知ったリョウさまが自ら早い成長を望まれた場合には、潜在力たる〈月の一族〉の異能が発現するかもしれぬ」
「その異能とは、蘇りの異能か?」
「そうじゃ。焦るこころが暴走し、手当たり次第に他人に憑依して、その生命エネルギーを貪りながら、自らの成長を早めるということじゃ」
「つまり、蘇りの異能を他者に対して使うのではなく、自分のために使うと?」
「うむ。蘇りの異能は代償が大きい。瀕死の者を蘇らせた場合には、その者に代わって己が瀕死となる。憑依によってこの関係を逆転させれば、憑依した相手を犠牲にして、瀕死の自分を蘇らせることができよう」
ばあちゃんが絶句した。
「それは……! 絶対禁忌の技ではないか!」
「そうじゃ。暴走して凶鬼と化した者には、分別はない。じゃが、いずれは正気に戻る。凶鬼として他人を犠牲にした末に王になったことに気づいたとたん、自責の念にかられて、王は自らを抹殺するであろうな。〈森〉は永遠に王を失い、結界は完全に崩れるじゃろう」
「いずれもリスクが大きすぎるというわけか……」
ガガが頷いた。ネズミ姿でも、ガガには相応の貫禄がある。
「じゃが、あるとき、思い至ったのじゃ。櫻館には、聖香華も銀麗月もおる。これに弦月が加われば、神話に語られる三聖月じゃ。三聖月四神――これらは互いに補い合い、助け合うことができる。じゃが、一歩間違うと、世を破壊するほど対立しあう」
ばあちゃんが思案しながら言葉を出す。
「三聖月四神か……その上に立つのが天満月じゃな? 天満月三聖月四神は、二つの世界の調和と破壊をもたらす。これまで、聖香華と銀麗月の二聖月と四神は、己が領分を守り、他を侵さぬことによって、この銀月の世界の秩序を保ってきた。弦月が現れようと、泡沫に過ぎなかった。これゆえ、天満月が現れる必要もなかった。じゃが、こたびの月蝕は今までと違う。弦月の力が格段に強まった。三聖月の一角をなしうるほどにな。天満月が現れぬ限り、二つの世界の衝突と崩壊を避けられぬほどに……こういうわけか?」
「そうじゃ。さすが、雲龍九孤族宗主。わしと同じ考えであったようじゃな」
「おまえさんが言う弦月とは、リトのことじゃな?」
「さよう。おまえさんも承知しておるじゃろう。あの者の潜在的な異能はすさまじい」
「うむ。じゃからこそ、こうしてわしはリトを見守っておる」
「わかるぞ。おまえさんと銀麗月の力でリトは闇落ちせずに守られておる」
「……そうじゃ。本人は気づいておらんが、リトの力はきわめて危うい」
「四神が揃えば、闇落ちを防ぐことができるはず。」
「そうじゃな。青龍と白虎は現れた。じゃが、あと二神はわからんままじゃ。四神が揃わねば、天満月は現れまい」
「だが、朱雀はおよそ検討がついておろう? 違うか?」
「アイリか?」
「そうじゃ」
「じゃが、玄武がまるっきり見当がつかん。おまえさんはわかるか?」
「いや、わしにもまるでわからん。はたして存在しておるのかどうかすら怪しい」
「そうよのう……」
■ディーンの疑念
ディーンは月を見上げながら、物思いに耽っていた。
――マキ・ロウはサアム・リエンスキーと相当親しかったようだ。
ディーンは確信した。
あの野菜煮込み料理は父の好物で、幼いときのやさしい父の面影と結び付く。
マキ・ロウが、大鍋から取り分け、自分の皿に盛った具材は、父と同じだった。食べる野菜の順序まで同じだった。
両親がケンカをしている姿など見たことがない。
暴力などかけらもない穏やかな父と美しくやさしい母のそばでボクは幸せに暮らしていた。母方の祖父母も父からの祖父母も、たった一人の孫であるボクをことのほかかわいがってくれた。
なのに、突然、そのすべてが奪われた。
その日も、母は父の好物の野菜煮込みを用意して、父の帰りを待っていた。料理はほぼすべて使用人が作っていたが、野菜煮込み鍋だけは母が作っていた。なのに、父は戻ってこなかった。鍋が冷えてしまうからと、母はボクの分だけ、小さな椀に取り分けてくれた。父がいないのでつまらなかったけれど、お腹がすいていたので食べてしまい、ベッドに入った。
翌朝目覚めたとき、食卓の上に鍋が置かれたままで、母の姿も父の姿もなく、ボクは怯えて泣いてしまった。可愛がっていたイヌが寄り添ってくれていなかったら、どうなっていただろう。――それからあとのことは思い出したくもない。
父はいつまでも戻ってこず、母は日ごとにやつれていった。広い屋敷を兵士たちが取り囲んでいた。屋敷を守ってくれていると母が言っていたが、ボクは監視されていることに気づいた。
それ以来、あの野菜煮込み鍋を食べることはできなかった。食べると父と母のことを思い出すから。なのに、なぜ、昨夜、わざわざあの料理を注文してしまったのだろう。
運ばれた鍋を見て、具材を取り分け、野菜や汁を口に含んだとき、マキ・ロウの瞳がうっすらと潤んだ。あれは湯気のせいだったのかもしれない。
レッティーナ・ヒックスからマキ・ロウの話を聞いて以来、彼女のことは調べられるだけ調べた。だが、出身地も現在の所在もわからなかった。ただ、若いときに公表した数本の論文だけを手に入れた。分野が違うので、正確なことは言えない。テーマは違うけれども、父の論文の影響を受けているように感じた。分析方法は堅実で、論理の進め方は明快だった。
母は、父の心が自分にないことに早くから気づいていたらしい。だから、父が愛する人を知ろうとあれほどまでに必死になった。
父の真の恋人――それは、マキ・ロウなのか?
大統領暗殺事件で非常事態宣言が出され、海外留学生はすべて強制帰国させられた。マキ・ロウもその一人だったはず。その後、マキ・ロウの消息はプッツリと消えた。マキ・ロウが特別だったのではない。研究を放棄せざるを得ない者は多かった。
それから十五年余り。マキ・ロウは八年ほど前から、ルナ大神殿遺跡発掘調査に関わっているようだ。しかし、その前――軍事政権末期の彼女の消息は、どんなに手を尽くしてもわからなかった。
月の光が静かにディーンの横顔を照らした。
(ボクは、何をしたいんだろう? マキ・ロウを見つけたのに、その先がわからない……)
■家族崩壊の向こう
家族が崩壊して、初めてボクは真実を知った。
母は父を愛していたが、父は母を愛していなかった。母方祖父は、父方祖父を従属させていた。父方祖母は、父以外を愛していなかった。
ボクの幸せは砂上の楼閣のように脆かった。二人の祖父は死に、父方も母方も没落し、父は失踪した。五歳から十歳まで母と二人で過ごしたが、軍の監視下に置かれ、行動の自由も、発言の自由もなかった。母はしだいに心を病み、ボクは母を支える思いだけで生きていた。
ボクは、父に棄てられ、母にも見捨てられた。
新政府の成立は、ボクには何の利益ももたらさなかった。軍の監視から政治家エリナの支配下に移っただけのことだった。母は自死した。餓死寸前のボクをエリナは拾ってくれた。だが、手駒として利用するためだ。すでにボクは自由も感情も持たなかった。
ただ生き延びるためにできたことがあった。生まれながらのすぐれた頭脳を発揮することだ。
父親譲りなのだろう。ボクはなんでもすぐに覚えることができた。ひとが数日かかることをボクは数時間でやり遂げることができた。エリナはボクの能力を喜んだ。利用価値が高いと踏んだようだ。
だから、エリナには隠した。ボクの本当の力を。
ボクには異能がある。気づいたのはいつだったろう。望むところに、スッと空間移動できる。
ある日、一羽の傷ついたフクロウの子を拾い、世話した。その子をアロと名付け、鍛えた。アロは優秀な見張り役であり、伝達役であり、ボクの大切な唯一の友だちになった。
人間の友だちなどいらない。人間など信用できない。肉親ですら信用できないボクに、他人を信用できるはずがない――そう思ってきた。
アカデメイア国費留学生という地位も、狙って獲得した。こんなことは朝飯前だ。エリナから離れて、自立することを目指した。エリナはまだボクを支配しているつもりだが、ボクはすでにエリナを見限っている。
アカデメイアは自由だった。むろん国費留学生には監視がつく。常時監視されているわけではないにせよ、行動はチェックされている。それを分かった上で行動した。学生のうち、いちばん脳天気で、いちばん単純な青年を隠れ蓑にしようと考えた。リトだ。
だが、リトといると、自分の影がくっきりと濃くなる。リトが明るいからだ。光は影をつくる。リトの光で映し出されたボクの影は、この上なくいびつで、限りなく寂しそうだった。
いつしか、リトといるのが楽しくなった。たわいないおしゃべりをして、何気ないことで笑う――それだけのことなのに、それは何物にも代えがたい時間となった。
――なのに、リトはボクを見てくれない。
■昔語り
掃除のおばさんは、懐かしそうに語った。
「ええ、ええ。カトマールで国際会議が開かれたとき、そう、結局、あれは最後の国際会議になったんですけれどね。そのとき、サアム・リエンスキーは、マキ・ロウにドレスを贈ったんです。わたしたちが化粧をしてあげて、パーティに送り出しました。わたしたちの手で、お姫さまを作り上げているような気分でしたね。彼女は見違えるようにきれいでしたよ。あの暗かった時代のいちばん楽しかった思い出です」
「楽しかった思い出ですか……」とディーンは首を傾げた。
「ほかに娯楽もない時代ですからね。サアムはいつもおちゃらけていて、マキとの掛け合いはコントのようでしたよ。ふたりのケンカはいつも楽しみでした」
「サアム・リエンスキーがおちゃらけ?」とディーンは驚いた。たしかに、レッティーナもこう言っていた。
――見事にチャラ男に変身してたわよ。
「ええ、ええ。あんなにハンサムでエリート然としているひとだったのに、マキの前でだけは子どものように無邪気になるんです。そのギャップがおもしろくてね」
「はあ……」
「マキはマキで、全然化粧っ気がなくて、野生児のようだったんです。まあ、いまもですけどね」
「いまもマキ・ロウとは親しいのですか?」
「親しいというか、まあ、一種の戦友意識ですかね。あの暗い時代をお互いよく生き延びたねって言ってるんですよ。マキは全然変わっていない。仕事一途で、化粧もしない。でも、磨き上げたら、彼女はとても美人なんですよ。そうですねえ。若いころのマキは、あの〈蓮華〉のきれいな女の子にちょっと似てましたね」
「〈蓮華〉のきれいな子? アイリのことでしょうか?」
「いえ、名まえは知らないんですけどね。あの黒い大きな目と野生児みたいな鋭い感じがね。ちょっとマキに似てるんです」
「そうですか」
ディーンは、驚いた。いまのマキ・ロウとアイリはほとんど似ていない。
しかし、おばさんの次の言葉に、ディーンは言葉を失った。
「でも、あの女の子の皮肉っぽい冷たさと子イヌと一緒にいるときの素直さのギャップの大きさは、サアムみたいですよ。サアムは一人でいる時とマキと一緒にいる時とでは、まるでキャラが違いましたからねえ。そのキャラ変も大人気でしたよ!」
――アイリ?
ディーンは、思わぬ予感に震えあがった。




