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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第三十五章 森と里と山
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ⅩⅩⅩⅤー2 夜の飲み会での神経戦――ばあちゃんズと三人の青年ディーンとジュンギとシン

■ディーン

 ディーンは、落胆していた、お目当てのリトはいない。

――まさか、天月修士と一緒なのか?


 こんなに落ち着かない気持ちになるとは思わなかった。リトのばあちゃんも、姉二人も、姪もいる。なのに、リトはいない。


 同室のジュンギが戻ってきた。人は好いが、天月士らしからぬ軽さだ。こっちの気分にはとんと無頓着で、気軽に誘ってくる。

「ディーン、今夜の晩ご飯は一緒に行こうね!」

 鼻歌交じりで、機嫌がいい。

「どうした? 何かいいことでもあったのか?」

 特に話題もないので、適当に聞いてみると、待ってましたとばかり、食いついてきた。


「わかる? そうなんだ。今日はすごく気持ちがラクなんだよ。最近、頭の冴えはいいんだけど、気分はちょっとブルーでさ。肩こりまでしちゃって。でも、今日は晴れ晴れした気分!」

「そう……」

 ディーンの反応がイマイチなのが、ジュンギには()せない。

「あ、そうそう。さっき、そこで〈蓮華〉の連中に会ったよ。アイリもいたな。例のマキ・ロウの授業だってさ。ボクたちも参加したいよね!」


「マキ・ロウ……」

「小耳に挟んだんだけどさ、彼女ってすごいんだって」

「何が?」

「あのサアム・リエンスキーとは犬猿の仲だったって、レッティーナ・ヒックス所長が言ってたじゃん」

「そうだな」

「でも、彼女をアカデメイアに留学させたのはサアムらしいよ。それに、独身のとき、サアムはマキ・ロウを追っかけしてたんだって。マキ・ロウは逃げ回ってたらしいけど。みんなが不思議がってたって。だって、サアムは超エリートの美男子。マキ・ロウは素性も知れない田舎出身の小娘――まったく釣り合わない。なのに、サアムがなぜマキ・ロウに執着したのか、だれにもわからなかったってさ」

 ディーンの顔つきが変わった。目元が険しくなり、こころなしか声が震えている。


「誰に聞いた? そんな話、誰に?」

 詰め寄るディーンにタジタジとなりながら、ジュンギが答えた。

「この宿に勤めている掃除のおばさんだよ。彼女は昔、サアムとマキ・ロウがいた研究所の事務員だったって」

「その人を教えてくれないか!」


■夜の飲み会

 ルナ大神殿遺跡は百年前に発見され、このあたりは観光ブームに沸いた。いまサキたちが泊まっている宿もその頃できたものだ。

 だが、老朽化して建て替えを検討しているときに、カトマール内戦が勃発し、観光どころではなくなった。あたり一帯はさびれ、ほとんどの宿も店も閉じられた。この宿とごくわずかの店だけが、規模を縮小して、細々と営業を続けた。

 十年ほど前、政府軍と抵抗軍の最後の激戦がこのあたりで繰り広げられた頃には、皇帝家離宮に籠城した政府軍を取り囲むように、抵抗軍が陣営を張った、抵抗軍が勝利を収めたあとは、協力者として宿や店の主人たちが報償を受け、兵士たちは気炎を上げた。


 現在、大規模調査で大勢の人が出入りする。来年のルナ大祭典にあわせて、新規の出店ラッシュもすさまじい。大通りに面したそれらの新しい店の裏通りに、一軒の古ぼけた居酒屋があった。昔からある古い店の一つだ。地域のなじみ客を相手に生き残ってきた。


「おう! ここだ、ここだ!」

 シンが暖簾(のれん)をくぐると、奥でガロンが手を上げた。給料が出たので一杯おごると、ガロンがシンを強引に誘ったのだ。


 シンは酒を飲めない。飲むと、失敗が多い。つい、異能を発揮してしまうようだ。だから、普段はこのような店に近寄らない。憑依した人物が飲んでいるときは、その人物の中で身を丸めて寝入ることにしている。

 だが、ガロンの誘いを断るわけにはいかなかった。全身全霊に重い鎧をかぶせたように警戒しながら、表面上は愛想良く、ガロンの隣に座った。ガロンはシンに酒を無理強いはしない。手酌で自分はチビリチビリと酒を飲みながら、シンの好物を何品か注文した。


 シンの好物は果物と野菜だ。〈森の一族〉だ。共食いになるような肉は食べない。ジビエなどとんでもない。温かい豆腐鍋を前に、シンの顔もほころんだ。


 ふと気づくと、向こうのテーブルでは、老女二人と痩せた中年女性、そしてアラサー女性が怪気炎を上げている。ばあちゃんとセイばあちゃん、マキ・ロウとサキだ。


「ありゃありゃ。元気なばあちゃんたちと先生たちだあ!」

 すでにホロ酔いのガロンが陽気に四人に声をかけた。

「おう、現場監督さんじゃな! 今日は世話になったのう。ほれ、どうじゃ、一緒に飲まんか?」

 ばあちゃんが声をかけた。

「いいんですかい?」

「おう、かまわんぞ。のう、みんな」

 ばあちゃんに逆う者などいない。


 サキは箸で持ち上げていた唐揚げをポロリと皿の上に落とした。

(ヘンだ! ばあちゃんが飲み屋に行こうと誘ってきたこともヘンだが、よく知りもしないおっちゃんたちを同じテーブルに誘うなんて、ありえん!)

 ばあちゃんはケチだ。財布などほとんど持ち歩かない。外食なんて贅沢はめったにしない。

(ひょっとして、ラクル温泉でプチ贅沢をして、感覚が狂ったか?)

 ラクル温泉の経費は、すべて彪吾持ちだ。よもや、これも彪吾経費?


 二人の男が、テーブルに加わった。

「こっちの若いモンは、オレの知り合いでさあ。今日たまたまこっちに来たってんで、寄ってくれたんでさ」

「よろしく。シンと言います」

「シン?」と、一瞬、サキが繰り返した。

 きれいな涼しげな目元が軽く動いて、美青年がサキを見た。リトと同じ年頃――二十歳くらいか?

(またまた美青年。こりゃ、ミオ姉が大騒ぎするぞ)


「何か?」と問われて、ウッと詰まったサキに代わり、ばあちゃんがとりなした。

「いや、なに。昔の知り合いに同じ名の者がおったもんでな。気にするな」

(ますますヘンだ! ばあちゃんがとりなすなんて、普通はせんぞ。何か魂胆があるな)

 そう感づいたサキは、注意深く、青年を見守ることにした。


「そうですかい。おたくさんは日本、こちらさんはカトマール。じゃが、いまはアカデメイアでご一緒にお過ごしなんすかあ」

 ガロンは屈託がない。

「そーじゃ。縁というのは不思議じゃのう。わしの孫たち――ほれ、コイツも孫の一人じゃが、孫たちがこのお方のお孫さんにえらく世話になっておってのう」

(セイばあちゃんの孫? レオンのことか? だが、しゃべりすぎるとボロが出るな)

 テキトーに話を合わせておこうと、サキも口を挟んだ。

「そーなんです。ところで、あなたも遺跡に興味を?」

 サキはシンに話題を向けた。


 シンはていねいな物言いをする。

「ええ。ボクが困っているところをガロンさんが拾ってくれて、仕事をくれたんです。楽しかったですよ。ねえ、ガロンさん」

 ガロンがうれしそうに相づちを打った。

「いやあ、助かったのはオレのほうでさ。コイツは若いのにまじめでしてね。気もきく。こんなにきれいで、細っこいのに、力も強いし、敏捷だ。作業にはもってこいだったんですが、まあ、コイツにも事情がありますからねえ」

 ガロンはプライバシーには介入しないタイプらしい。


「あれ! サキ先生!」

 素っ頓狂な声がした。振り返ると、二人の青年が立っていた。ジュンギとディーンだった。


■微妙な緊張

(まさか、コイツらまで誘うの? ばーちゃん、血迷ったか? いったい誰が勘定をはらうつもり?)

 サキは心の中で仰天した。

――「合宿経費はたっぷりあるがな、ムダ使いはいかんぞ!」と、宿のゲームコーナーでゲームをしたがる子どもたち(ゲームのあら探しをして怒鳴りまくるアイリ以外)を諫めていたのは一体誰だよ?


 結局、二人の青年も加わった。一見、大盛り上がりだった。だが、実際は、神経戦のように微妙な緊張が走っていた。


 やがて、サキは気づいた。

 シンとばあちゃんは互いを推し量っているようだ。シンはジュンギ、ディーンはマキ・ロウを気にしているが、その素振りを見せないように気を遣っている。


 サキは、自分の恋愛模様にはまるで(うと)いが、この種の人間関係には鋭い。教師として、生徒たちの関係をいち早く察しようとしてきた結果だろう。言葉や態度に出ない思いを読み取るのが得意だ。これは、異能ではない。職業上、鍛えてきた能力だ。


 ジュンギは屈託がない。常識もない。なさすぎる。

(世間知らずにもほどがあるぞ。これが期待の天月士だとしたら、天月の教育がまちがっとる!)

 サキは、ジュンギを見ながら、そう思った、

(だが、ひとのことは言えんな。〈蓮華〉も似たり寄ったりだ。いや、もっとひどいかも……)

 サキは、オロの悪ガキぶりを思い浮かべた。

 脳内イメージで、オロが思いっきりアッカンベーをした。コイツ!と睨み返そうとしたが、すでにオロの顔は消えて、リアルなジュンギの顔があった。


 そんなジュンギが、いきなりマキ・ロウの方を向いた。

「先生!」

「は?」

 マキが戸惑っている。先生と呼ばれたことなどない。

「マキ・ロウ先生!」とジュンギが繰り返す。

「いや、わたしはあなたの先生じゃないですよ」

「いえ! 先生ですっ! ボクたち、いまいろいろな人たちにインタビューしてるんです」

「インタビュー?」


「そうです」と、ディーンが答えた。

 ジュンギが言うと冗談にしか聞こえないが、ディーンが言うとたちまち学術的色彩を帯びる。

「内戦期とその後の軍事政権における大学と学問のあり方について、ルナ大祭典で学生企画をするんですが、そのために、何人かの先生にお話を聞いています」


 ジュンギがうんうんと頷きながら、調子はずれのことを口にした。

「先生のことはレッティーナ・ヒックス先生から伺いました。サアム・リエンスキーにさんざん嫌がらせされていたそうですね」

 マキがブッと吹き出しそうになって、あわてて口元を抑えた。


 サキは仰天して、ジュンギを見た。

(サアム・なんたら……いったい誰のことだ?)

 二人のばあちゃんズもポカンとしている。ガロンもシンもだ。

(このお坊ちゃんは、誰も知らない名前を出して、話題をどーするつもりだ?)


(こんなときには、常識派のディーンが止めに入るはず)

 サキは、そう思ってディーンの助け船を期待したが、彼は素知らぬ顔をしながら、その目は強い興味を示している。


 やむなくマキ・ロウが周りに気を遣いながら答えた。

「サアム・リエンスキー――カトマール出身の非常にすぐれた科学者です。ですが、彼の名はいまはほとんど誰も知りません。カトマール内戦の犠牲になって、研究をやめたからです。大統領暗殺まで疑われてどこかに姿を消し、今も見つかっていないはずです」

 ジュンギが誇らしげに言った。

「そうです! サアム・リエンスキーは、今はほとんど忘れられた人物なんですが、カトマールが誇る科学者だったんです。ボクたちもそう考えて、今度のルナ大祭典学生企画で、彼の再評価をしようとしています。だから、ぜひ先生にもお話を伺いたいと思っています」


 マキ・ロウが困ったように言った。

「確かに、わたしは、カトマールの研究所で彼と一時期、同僚でしたが、それだけの関係です。詳しいことは何も知りません。ですので、お話しできることは何もないと思いますよ」

「でも、サアム・リエンスキーは先生を追い回していたって。いつもふざけ倒していたとか?」


 マキが厳しい表情になった。

「やめましょう。誰しも、人にはあまり言いたくない過去をもっているものです。軍事政権時代には、まともな研究はできませんでした。政府が学問を統制したからです。わたしの友人もわたしも研究をやめざるをえませんでした。それがどれほど辛いことだったか、あなたにわかりますか? せめて日常生活で憂さ晴らしをするしか、まともな精神を保つことはできなかったのですよ」

 みながシーンとなった。


 セイばあちゃんが言った。

「わしも内戦と軍事政権から逃げて暮らしておったからな。あんたさんに何も言えんのう。じゃが、あんたさんの辛さはようわかるぞ」

 マキ・ロウはうつむいた。指が震えている。


「さてと、辛い話はここまでじゃ。今は、うまいメシを楽しもうぞ」とばあちゃんが言い、ガロンが相づちを打った。

「そうでっせ! じゃあ、景気づけにコイツを頼んでもいいですかい?」

「何じゃ?」

「ジビエでさあ! 鹿やイノシシや狐、熊。森の野生動物たちの肉でさあ」

 ばあちゃんもサキもドンびいた。シンも固まっている。


 ジュンギだけが大喜びしていた。

「うわああ! ごちそうですね! 天月じゃ絶対に食べられない!」

 サキはげんなりした。

(そりゃ、そうだろ。森や山と共存している人たちはむやみやたらに野生動物を狩ったり、喰ったりせんぞ。ジビエは中世貴族の狩猟趣味じゃないか!)


 ディーンが言った。

「ジビエには危険なものもあります。きちんと処理はしていると思いますが、あえて食べることはないのでは? それよりもこちらにしませんか? カトマール名物料理の一つですよ」

 ディーンが示したのは、野菜と果物の煮込み料理だった。

「いいですね! これはおいしいですよ」とマキが言った。サアムが好きだった料理だ。

 ディーンは、チラリとマキを見て、みなの同意を確認してから、料理を注文した。


 しばらくして、テーブルに熱々の大鍋が運ばれた。大根、白菜、かぶ、ごぼうなどの冬野菜がじっくりと煮込まれ、果物が香りと酸味を与えている。

 美味だった。ガロンもジュンギも大満足している。

 その後の宴会は大盛り上がりだった。さすが、宴会奉行――ガロンはみなを飽きさせない。

 

 だが、大笑いしながらも、サキの中では疑問が膨らむばかり。

(ディーンは、なぜマキ・ロウを気にかけるんだろう? ばあちゃんもおかしい。シンという青年を見極めようとしている……何でだ?) 

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