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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第三十四章 雪の古代神殿
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ⅩⅩⅩⅣー7 エピローグ―― 九尾の狐が抱いた疑惑――黒狐シンか?

■ヤマブドウの秘密

 ばあちゃんズ一行は、ラクルの温泉とグルメを十分堪能した。


 ばあちゃんズ二人はいったんルキアに行くことにした。ルナ大神殿そばのアユ夫人の城館に出向くことにしたのだ。ラクルにはリトたち男どもが残って引き続き調査する予定だ。ケイは運転手としてばあちゃんズをルキアに送り届けることになった。


 セイばあちゃんは、主君ファウンのためにラクルを代表する果実であるラクルミカンを買い求めた。ラクルミカンは、突然変異で生まれた品種で、小粒だが、皮が濃いオレンジ色。甘く、味が濃厚だ。それを見て、ばあちゃんもラクルミカンを購入した。だが、こちらは自分用だ。まあ、一個くらいはサキにやってもよかろう。


 城館では、アユ夫人とパドアが二人を大歓迎してくれた。ファウン皇帝もシュン夫君殿下も久しぶりの客に大喜びだ。ケイはサキへの報告があるからとすぐに辞した。


「陛下、ラクルの絹の里についてお教え願いたいのでござりまするが」とセイが口火を切った。

「ラクルの絹の里? はて?」とファウンが首を捻った。

「どうやら、月読族の根拠地のようでござりまする」

「月読族だと?」

「さようです。聖香華の正装に使った生地を織った村のようでございましてな。陛下がお好きであられたあの綾織りの絹織物でございまする」

「ああ、あれか。あの生地は、どこかの村が直接皇宮に納入しておったようだが、それ以上のことはわたしは知らぬな」


 シュンが口を挟んで良いかと断ってから、語り始めた。

「ラクルの絹織物は、わたしの生まれた村でも有名であった。むろん、村人には高級すぎて手が出ない。だが、ラクルの綿織物なら、農民でもなんとか買えた。もちろん、農民にとってはこれ以上ない晴れ着だ。鮮やかな染め物が若い娘たちには人気であった」

「殿下。それは、このようなものでございましたか?」とセイは、ラクルの弓月ミュージアムで買い求めた木綿の染め物をシュンに魅せた。


「ああ、これだ。この紫色が珍しくて、男も女もみなが欲しがった。紫色は性別を問わぬからな」

「これは、特殊なヤマブドウの実で染めたもののようでございまする。カトマールの火の山にはいまも多く自生しているとか。ですが、みだりに触れるとかぶれやすく、扱いは難儀だそうで」と、セイが言った。

「ほう、ヤマブドウか。わたしが知っているヤマブドウは甘く、熟して発酵すると、濃厚なワインになって、村人たちのとっておきの酒になっていたがな」

「そのようなヤマブドウならば、雲龍にもございますぞ」とばあちゃん。


「さようか。だが、この染料としてのヤマブドウは食用ではないのだな?」

 シュン殿下は、渡された綿布のしなやかな手触りを楽しむように、何度も布を撫でた。

「そうですな。むしろ人間には毒になるようでございましてな。食すと内臓が腫れて死に至るとか」

「内臓が腫れて死ぬ? 猛毒ではないか!」と、シュンが驚いて、手を止めた。

 セイがやや厳しい表情で説明した。

「さようです。それが不思議ですのじゃ。それほどの猛毒を持つヤマブドウというのも珍しいが、その毒を抜いて染料に使うというのも、生半可な技術ではござらん」


 シュンは一瞬、考えた。記憶を呼び戻しているようだ。

「そう言えば、子どものころに村でこんな話を聞いたことがある。ラクルの紫地の綿織物は、色あせせず、雨に濡れても色が落ちずに長持ちする。ゆえに重宝された」


 八十を超えてもなお端正な表情を少し翳らせ、シュンは続けた。

「ある男が布にマムシ酒をほんの一滴落としたらしい。紫の色が滲み、そこだけ白くなったという。思わずそれを触ったその男の指先は真っ赤に腫れた。なんだなんだと騒ぎになったが、二日ほどで腫れは引いた。しばらくして、その男は心臓発作で亡くなった。酒好きな男であったゆえ、不摂生が原因だろうとみながうわさした」


 ばあちゃんズは固唾(かたず)を呑んで、シュンの言葉を待った。

「だれも、紫の染め物と男の死を結びつける者などいなかった。だが、いまの話を聞くと、なにやら関係があるのかもしれぬな」


 セイが納得したように頷いた。

「さようですな。紫の染料にはもとの毒がごくわずか残っていて、毒蛇のエキスで毒が復活したのかもしれませぬ。マムシの毒は天月蛇の毒に似ておりまする。毒と薬は表裏の関係――ヤマブドウの解毒にも使えたでしょうが、毒素を強める効果ももったかもしれませぬ」

「セイさんや。そうすると、その紫の染料は、人を秘かに(あや)める道具にも使えるということじゃな」とばあちゃん。

「そうじゃな」とセイが相づちを打った。

 

 ばあちゃんがファウンに向き直った。

「陛下、殿下。いまの天月宗主は生まれてすぐ天月に捨てられた子。赤子をくるんでいたおくるみはラクルの綿織物だったようでございましてな。しかも、それと同じおくるみに包まれて、わが孫リトの父親も同じ時期に日本の養護施設に捨てられたようでございまする」

「なんとまあ……」と傍らのアユ夫人が口元を抑えた。


「そのおくるみに使われた布地は、四十五年前にラクルの弓月財閥の百周年記念パーティで引き出物として参加者に贈られた絹織物を包んでいた特製風呂敷らしいのですじゃ」

 ばあちゃんの言葉に、ファウンは遠い記憶をたぐり寄せるように語った。

「弓月財閥の百周年記念パーティ? ……そう言えば、皇室にも絹織物が献上されたな。極上の絹織物であったゆえ、アリアの女官長が喜んでおった。たしか、アリアの衣装に仕立てられたはずだ。セイは衣装や装身具にほとんど関心をもたなかったゆえ、その織物を目にしておらなかったのかもしれぬがな」

「いやはや、お恥ずかしい限りでござりまする」とセイが頭を掻いた。


「そのときの包み布がきれいだと申して、その女官長が引き取ったのをおぼえておる」

「陛下、まさしくそれでござりましょう。その女官長も香華族でありましたゆえ、処刑されました。リリアさまとレオンさまを逃がすために尽力した者にて、いま、ここにいるパドアの長姉でござりまする」

「忠義の者を……むごいことだ」


 セイがハッとしたように、パドアの方を向いた。分をわきまえて口をつぐんでいたパドアが目を上げた。

「陛下、女官長は、身の危険を感じ、末妹であるパドアにさまざまなものを秘かに託しましてござりまする。わたくしめの手書きの薬草記録もパドアに委ねておりました」

「なるほどな。あの女官長は非常にすぐれた者であった」


 ファウンがパドアに訊ねた。

「ずいぶん古い話じゃが、ラクルの弓月財閥の百周年記念のとき、カトマール皇室にも絹織物が献上されたはず。女官長が喜び、特製風呂敷を愛でていたと聞く。そなた、なにか知らぬか?」  

「ラクルの弓月財閥でございますか?」

 パドアは少し考え込んだ。


「姉から、ラクル綿の染め物を譲り受けた記憶があります。わたしはあまり興味がございませんでしたが、わたしの夫の伯母が趣味で集めていたのです。姉はそれを知っていて、わたしに贈ってくれたのです」

「ほう、趣味で集めておられたのか?」とばあちゃん。


「はい。ラクルの絹織物は、王家と高位貴族専用です。わが夫の伯母はミン国男爵でしたので、贅沢なラクル絹織物などは持っておりませんでした。ですが、ラクル綿の染め物には目がなく、多くをコレクションして、室内のインテリアに活かしておりました。伯母が亡くなったあと、わたしがすべて受け継ぎましたが、細かくチェックしたことはございません。いつでも、伯母が残した館にご案内いたします。どうぞ、じかにご確認ください」

 渡りに船だった。

 翌日、ばあちゃんズは、ケイの車で、パドアとともにミン国に出向くことを決めた。


■疑惑

 夕方、セイは城館に残り、ばあちゃんはラクルミカンを三個持って、サキの許に向かった。サキとミオとカコ用だ。


「おばあちゃん!」

 ホテルのロビーに行くと、白い子ネコを抱いたカコが喜んで走ってきた。子どもは子イヌのようにじゃれつく。

「おう、元気か?」

「うん!」


 カコを追いかけてきたミオが言った。

「あ、ばあちゃん! いいところに来てくれた! ちょっと用事があるから、ここでしばらくカコを見ててくれる?」

「お、おい!」

(いつもながら勝手なヤツだ)

 ばあちゃんはため息をついながら、曾孫の手を取った。モミジのように小さなかわいらしい手だ。


 ミカンを渡し、一緒に食べていると、カコが突然大きな声を出した。

「ビンちゃん!」

 ビンビンだ。

「あら、カコちゃん!」

「カコのおばあちゃんだよ!」

「あらまあ、初めまして。アカデメイアの学生でビンビンと申します。リトくんの友人です」

「ほうか、リトが世話になってすまんのう」

「いえいえ、リトくんには助けられています」


 向こうから、何人かの学生が歩いてきた。サキから聞いていたルナ研究会とやらのメンバーだろう。みんな若くはつらつとしている。中に一人、きわめて美しい青年がいた。

(ああ、あのスマホに写っておった青年じゃな。ミオが、リトの二股疑惑とかなんとか騒いでおったのう)


 美形青年はディーンと名乗り、丁寧に挨拶した。年寄り受けする愛想の良さで、礼儀正しい。

(フム、悪くない。じゃが、リトはカイ一筋。かわいそうじゃが、リトのことはあきらめたほうがええだろうのう)


 美男子の隣にやや幼い感じの軽めの青年がいた。天月士ジュンギだ。

「こんにちは」と屈託なく挨拶する。


 ふと、ばあちゃんはジュンギの後ろに黒い影を見た。それは一瞬のことだった。

(なんじゃ? こやつは?)

 ジュンギに憑依したシンもまた驚いた。目の前の老女の後ろで白い影が揺らいだからだ。シッポのようなものもちらついた。

 だが、ほんの(またた)きの間にすぎず、目をパチパチさせて見つめ直すと、老婆の姿しか見えなかった。


 深夜――すでに寝入ってガーガーとイビキをかいているサキの隣で、ばあちゃんは寝返りを打っていた。どうにも、あの軽めの天月士が気にかかる。

――あんな天月士もいるのか?


 カイ修士を見慣れた目には、ジュンギの軽薄さが鼻につく。天月士ゆえ、それなりにきれいな顔立ちをし、立ち居振る舞いも敏捷だ。発言を聞いてもなかなか鋭い。だが、見た目そのままに、言うこと、なすこと、どこかちょっとだけズレている。だが、本人はうぬぼれがあるのだろう。そのズレに気づいていない。


 問題は、そんな天月士らしからぬ軽さにあるのではない。二十歳前後の世間知らずの青年にはよくあることだ。リトなんぞはズレまくっている。だが、リトは自分を落ちこぼれだと思い込んでいる。その素直さと天性の明るさが、暗い人間には光のように見えるのだろう。

 眉目秀麗の大秀才カイは、はっきり言って根暗だ。さきほどの美青年ディーンもどこか陰を帯びている。月光のような彼らにとって、陽光のようなリトはさぞかしまぶしかろう。


 だが、目の前の天月士は軽く、明るい。うぬぼれが鼻につくとはいえ、リト並みに素直だ。なのに、その軽い青年の瞳にごくたまに暗い影がスッと走る。


 ばあちゃんは、その暗い影のことを考え続けていた。

 どこかで見たような気がする。


 ハタと、ばあちゃんは布団をはね除けた。

――園じゃ! 〈園の管理者〉と名乗った黒狐――あの者と同じ目をしておる。


 まさか、シン?

 

 だが、天月士ジュンギは実在する。シンには変身能力があると思われるが、ジュンギに変身しているとは考えにくい。

――まさか、憑依か?


 単なるなりすましの変身よりも、はるかに高度な術だ。


 ばあちゃんは考え込んだ。

――シンがジュンギに憑依しておるとすれば、その目的はおそらく〈森の王〉じゃろう。リョウが危ない。ガガさんに相談せにゃならんの。じゃが、不用意に憑依の術を破ると、憑依した者もされた者も命が危うい。うーむ、どうすればええかのう……。 

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