ⅩⅩー1 シャンラの闇
■主治医の自死
――王太子の主治医は自死したらしい。
タン国密偵スメンの報告にキュロスは言葉を失った。
主治医の辞職は唐突だったという。ロアン王太子の病気を見過ごした責任をとり、命をもって償いたいとの遺書を残していたとか。急流に面した崖の上に、主治医の持ち物と遺書が残されていた。遺体は見つからなかった。
しかし、すべての責任を主治医がかぶったことにより、王室医局の他の者の責任はいっさい問われなかった。主治医の家族にも累は及ばなかった。だが、自死はあまりに不吉であるゆえ、隠されてきたという。
キュロスは首をかしげた。
――あの主治医ゲンが自死? ありえない。
ゲンは責任感が強く、とことん真実を明かそうとするタイプの人間だった。事実を突き留めずに、自死で幕引きを図るなど、彼の選択肢としてはありえない。だが、殺されたとすれば? 陰謀の匂いがする。それも、王室を巻き込むとてつもない陰謀だ。
キュロスはハッとした。
――まさか、ロアン王太子は気づいておられたのか? 陰謀に? ご自身の暗殺計画に? アメリアさまを探せとの遺命は、わたしをシャンラ王室から遠ざけ、陰謀に巻き込まれないようにわたしを守るためだったのか?
思わず、キュロスは膝を着いた。
――わたしは、何も気づかず、遺伝病だと信じ、ロアン王太子の暗殺を見逃してしまったというのか?
ひとしきり泣いた後、キュロスの頭は恐ろしく冴えわたっていった。
ロアン王太子は周到だ。自身の命が短いと知り、それが何者かによる暗殺の可能性が高いと気づいて、王太子が手をこまねいていたはずはない。キュロスにさえ明かさなかったとすれば、陰謀の首謀者はキュロスなど簡単に消してしまえるほどの力を持つ者だろう。
だが、聡明な王太子のことだ。誰にも疑われないように、何らかのメッセージを残しているはずだ。遺言でアカデメイア市民に寄付された離宮。離宮公園の中で、唯一、小さな別館は立ち入り禁止にされた。
アメリアとの思い出の館だからだろう。キュロスはそう思ってきた。確かにそれはそうに違いない。だが、王太子が何かのメッセージを残すとすれば、その別館以外にはなかろう。アメリアと再会した時、王太子はすでに発病していた。国王夫妻には隠していたが、キュロスと主治医はそれを知っていた。王太子が別館に何かのメッセージを残すことは十分にありうる。
――別館を暗殺者から守るために、王太子は離宮を市に寄贈したのだろうか?
別館は年に一回、風通しと清掃のために一日だけカギを開けられる。だが、それ以外は閉鎖されている。遺言により、離宮はすべて市に寄贈されたが、別館だけは立ち入り禁止にされた。その結果、別館は当時のまま時を止めたようにひっそりと建っている。
キュロスはカイに相談した。
■紫の秘密
カイは別館に結界を張り、リトと二人で建物の中に空間移動した。中から通用口を開け、キュロスを導き入れた。灯火をつけた。外に明かりは漏れない。
キュロスの目に涙が溢れていく。なつかしい別館。絵画も調度も、ロアン王太子が愛したものがそのまま残されていた。この部屋で、王太子はアメリアを迎え入れた。
カイは、じっと佇み、部屋の中を見回した。会ったこともない父――。その人が生きた証がここには残されている。リトは、そんなカイの隣でカイの気持ちに寄り添った。リトはカイに手を伸ばし、そっとその手を取った。表面の冷静さとは裏腹に、言葉にならない激しい感情が押し寄せてくる。
キュロスは、涙を拭い、室内を確認し始めた。誰にも知られず、ロアン王太子が大切なものを隠す場所――。それはどこだろう。キュロスは冷静さを取り戻した。すぐに見つかるはずがない場所とはいえ、キュロスにすら見当がつかない場所のはずはない。アメリアが去って、ロアンもここを去る最後の日、ロアン王太子は何を見、何に触れ、何を言っただろうか?
記憶がめぐる。たしか、ロアンはこうつぶやいた。
――あのひとの瞳は、本当は深い紫色なんだ。
深い紫色……室内でその色を帯びた場所はあるか?
瀟洒な引き出し付の家具の上に、アメジストをあしらった置物があった。紫色の光を放っている。キュロスは駆けよって、その置物を手にした。何もない。置物にも細工はない。引き出しにはカギがかかっていたが、リトが難なく開けた。だが、そこにも何もなかった。もう一度部屋を見回した。華麗な金彩をほどこした紫色の茶器セットが棚にしまわれていた。しかし、そこにも目指すものはなかった。
クローゼットには王太子の衣類が残されていた。そこには一点だけ女性向けのガウンが残されていた。
ガウンを取り出し、ベッドの上に広げた。上質の白い絹で織られたしなやかなガウンだった。おそらくアメリアがまとったのだろう。袖口と襟と帯は紫色の縁取りで彩られ、縁取りの内側には見事な刺繍がほどこされている。
キュロスの目が光った。
彼は帯を手に取り、慎重に探り始めた。ごく小さな一ケ所だけ、袋とじになっていた。縫い目を切ると、芯地に挟まれ、小さく折りたたまれた紙が見つかった。
キュロスは震える指でその紙片を開いた。ロアンの字だった。
――毒を盛られたようだ。だが、探すな。国民に害をなす。
キュロスとカイとリトは顔を見合わせた。やはり、王太子は毒殺だった。しかも、ある段階でそれに気づいたようだ。だが、犯人探しと報復を禁じた。それをすれば、国民が被害を受けると言う。王太子は、おそらく犯人とその意図にも察しがついていたのだろう。
王太子をもってしても食い止められない暗殺事件で、そこにメスを入れることは国を脅かすほどのスキャンダル。
――それはいったい何だ? 自死した主治医は何かを知って、消されたのだろうか?
櫻館に戻ったキュロスは、小さな荷物をほどいた。ロアン王太子が亡くなってから封印してきた荷物だった。キュロスは、カイとリトに中のものを広げて見せた。
ロアン王太子がこのアカデメイアで過ごしたときの写真。「青薔薇の館」でアメリアと寄り添う写真。
今のカイと同じ年齢のロアンは、若々しく美麗な青年だった。カイよりもやや線が細いが、聡明そうな面差しはカイにどこか似ていた。
リトが一枚の写真を手に取った。
「これは?」
「カトマールに戻られた後のお写真です。すこしやつれておいでです」
「隣の人はだれ?」
「王太子の主治医です」
「自死したって人?」
「そうです」
リトが首をかしげた。
「ヘンだな。どっかで見たことがあるような気がするんだけど……」
「え?」
「どこだったけ……うーん。たしか、オロの知り合いのおじいさんにちょっと似てるような気がする」
「オロくんの知り合いですって?」
「うん。二年前に亡くなった人なんだけどさ。シャナ老って呼ばれててね。みんなからすごく慕われてた人なんだ。このまえ、橋の下の仲間で三回忌の法事みたいなことをやったんだ。オレは、イ・ジェシンに頼まれて、〈ムーサ〉からいくつか料理を運んで行ってね。そのときに飾られてた写真に似てる。写真に撮られるのをすごく嫌がってたらしくて、橋の下に来た頃に、たまたまケマルさんが写真に撮ってたものなんだって」
キュロスが目を輝かせた。
「橋の下のみなさんですか! ケマルさん、いや、ケイさんに聞いてみましょう」
カイがそれを止めた。
「いえ、ケマルさんやケイさんではなく、ヤオさんに聞いた方がいいでしょう。ケイさんたちに尋ねると、子どもたちに伝わる恐れがあります」
リトも頷いた。
「そうだな。これだけやばい話にアイツらを巻き込むわけにはいかないもんね。おまけにきっとイ・ジェシンも話を聞きこんで、あれこれ口を出すはずだ」
これにはキュロスも納得した。イ・ジェシンに悪気がなくても、彼はラウドスピーカーになりうる。
翌日、ヤオがやってきた。ヤオは橋の下の仲間たちと再会を喜んだが、現在の境遇については何も語らなかった。




