ⅩⅨー6 『天月記』手稿
■『天月記』手稿
午後、カイはレオンに秘密の相談があると部屋を訪ねた。部屋に結界を張り、二人は向かい合った。
「狙われたのは、初代銀麗月の手書きの書物ではないかと思います」
「どうしてそう思うのですか?」
「天月には、宗主と銀麗月のみが使うことができる禁書庫があります。そこには、初代銀麗月が書いた多くの記録が保管されています。当然、エル宗主もそれを見ているはずです。ですが、今回の手稿は禁書庫にはないものです。『天月記』はそもそも書き写されて、いまでは活字となって書物として手に入ります。このため、手稿は禁書扱いにならなかったのでしょう。
ですが、たとえば、手稿だけに記載されていて、活字にはならなかった箇所もあるかもしれません。そこに何か重大なことが書かれていたのではないでしょうか?」
「重大なこと?」
「『天月記』をはじめて読んだときに思ったのですが、これは誰に向けて書いているのだろうかと……。禁書とされた記録は、はっきりと宗主と銀麗月を想定しており、主観も交えた詳細な記録です。ですが、『天月記』は、ルナ神話の解釈から始まり、当時の情勢分析と天月の成り立ち、天月の理念が書かれています。天月の成り立ちと理念については天月の者は必ず読むのですが、ルナ神話の解釈も当時の情勢分析もいまではほとんど読まれません」
「その箇所が、例えば弦月に向けて書かれたものではないかと?」
「そうです。そうであれば、その箇所に弦月に向けた何らかのメッセージが書き込まれていた可能性があるのではないでしょうか?」
「ふーむ……」
「お願いがあるのです。ファウン皇帝からレオン叔父上が受け取られた香華族の禁書庫を見せていただけませんか?」
「たしかに、そこに手掛かりがあるかもしれませんね。初代弦月は初代聖香華ですから」
■香華禁書庫
ファウンから受け取った腕輪の一つの鎖をはずすとマイクロチップが仕込まれていた。それを見ると、一つの地図があらわれた。ある場所に香華族の印がつけられていた。――そこは、〈忘れられた村〉だった。
カイとレオンは顔を見合わせた。〈はぐれ香華〉の村に、香華族禁書庫があるとは?
セイに聞いたが、初耳だという。二人はそろってカトマール離宮のファウンの許を訪れた。もちろん空間移動を使った。
「おうおう、よくきたな」
ファウンは喜んで孫と曾孫を迎えた。隣でシュンもうれしそうだ。
カイが天月での顛末を語ると、ファウンはしばらく考え込んだ。そして、おもむろに口を開いた。
――わたしも何度か禁書庫を使ったことがあるが、禁書庫の外部のことに注意を払ったことはなかった。わたしが使っていた禁書庫は、〈忘れられた村〉ではなく、皇宮そばのわたしの私宮の地下にあったからな。
「二つの禁書庫があるということですか?」
――違うだろう。おそらく、禁書庫は〈忘れられた村〉にあるが、わたしがいた私宮の地下とつながっているのではないか。空間が歪んでいると思われる。
「香華族禁書庫が〈忘れられた村〉に置かれたことには、何か理由があるのでしょうか?」
――はるか昔には、香華族と月読族がまだ対立しておらなかった。禁書庫の「守り人」として月読族が置かれたのであろう。禁書庫自体は封印されている。中に入ることができるのは、そなたに与えた腕輪を持つ者と、その者が認めた者のみ。空間移動で直接禁書庫に赴くゆえ、〈村〉の者が禁書庫を訪ねた者の姿を見たことはあるまい。
「初代聖香華の宝冠と正装については何かご存知ですか?」
――セイが申したように、五十年ほど前、香華族宝物庫から紛失した。誰も入った形跡はなく、空間移動で入られた痕跡もなかった。そのとき、何人かの者がこう申しておった。痕跡を残さずにこんなことができるのは、聖香華か銀麗月、あるいは弦月のみ、と。
「天月宗主が、宝冠と正装を宝物として大事にすることには、何か理由があるのでしょうか?」
――宝冠はめずらしい宝石や玉を使っている。それ自体がきわめて高価で貴重だ。とくに宝冠の正面には虹色の光を発する宝玉が嵌められていた。この宝玉は〈月の村〉に由来するものと伝わる。だが、それだけではない。
宝冠を被って人を見ると、人の〈気〉を読み取ることができると言う。
また、正装にはその裏側に精巧な縫い取りがしてあってな。正装の衣で抱きかかえれば、空間移動の力がない者もともに移動させることができる。いわば、聖香華の力を補強する神具と言えよう。
だが、宝冠と正装はいずれも、それにふさわしい者のみがまとうことができる。それ以外の者がまとったならば、宝冠によって頭を締め付けられ、正装によって胸を締め付けられる。下手をすると命を失うであろう。
「天月宗主はそのことを知っているでしょうか?」
――おそらく知らぬだろう。香華禁書にのみ伝わる伝承だからな。
「初代銀麗月の『天月記』の手稿には、弦月に当てた書き込みがあるのではないかと考えるのですが、何かお気づきのことはございますか?」
――ふーむ。手稿か。シュン、どうだ?
ファウンの隣でしずかに耳を傾けていたシュンが口を開いた。
「『天月記』は二部構成をとる。その前半部分が弦月を名宛て人にすると考えているのか?」
「さようです」
「ルナ神話の箇所は公式のルナ神話たる『ルナの書』の焼き直し。情勢分析は当時の地理と風土の分析で、限界がある。『ルナの書』は多くの神話伝説のうち、ウル皇帝家にとって都合が良いものだけを選んだものだ。集められた大量の神話は『ルナの書異本』に収録されているが、整理はされていない。おそらくもっとさまざまな伝承は禁書とされているに相違あるまい。ゆえに、銀麗月がわざわざルナ神話に書き込みをするとは思えぬ。おそらく情勢分析の箇所だろうな」
「なにゆえでございますか?」
「情勢分析のうち、地理案内はルナ神話を読み解くカギとなるように思う。ルナ神話の箇所では〈月の一族〉が〈月の村〉を出てからのことが詳細に書かれており、ルナ古王国時代にどの地域にどの部族が分かれたかが地理案内に書かれている。しかし、〈月の一族〉がもといたはずの〈月の村〉についてはほとんど記述がない。〈月の村〉がどこかは長年探されてきたが、いまだに手掛かりすらない。
ルナ古王国以前の地理は、初代銀麗月の『天月記』がじつは最も詳しい。その記述に、銀麗月が例えば〈月の村〉などの重要な場所に関してコメントをつけていたら、のどから手が出るほど欲しい情報ではないかな?」
レオンもカイも驚いた。
夫君シュンは『天月記』も『異本』も含め、関連書を隈なく読み込んでいる。
「夫君殿下の仰せの通りだと思います。そのような読み込みは普通の者にはできません。天月宗主もそこまでは考えていなかったのではないでしょうか?」
「そうだろうな。だから、秘宝展示を考えたのだろう。宝冠と正装も天月銀麗月のものと信じているのではないかな? すでに本香華はいない。あれが盗まれたものと声を上げる者はおるまい。そうして、歴史は作り替えられていくのだろうな」
「であれば、宗主ではなく、別の誰かが宗主を唆して、秘宝展を計画し、宗主が抱え込んできた秘宝を表に引きずり出したと考えた方がよさそうですね」
「そうだな。心当たりはあるか?」
「天月修士の一人が香華族の香りをもちます。ごく弱い香りですが、強い異能者かもしれません」
レオンは天月草のことを語った。
「その者が囮となって、だれかに秘宝を確認させたということか?」
「おそらくは……」
「ふーむ。ルナ大祭典のときに展示されるのだな?」
「さようです」
「その展示室から盗まれたらどうなる?」
「天月は激怒し、カトマール政府とラウ財団の責任を問うでしょう。カトマールで大祭典を主導したシャオ副大統領が責任をとって辞任。ラウ財団は莫大な賠償金を支払うことになりますね……。ラウ伯爵もわたしもカトマールから手をひかざるをえなくなります」
レオンはハッとした。
「なるほど。現大統領ともう一人の副大統領には、いたって有利な筋書きです。初代聖香華は初代弦月――弦月を支持する者は苦もなく宝冠と正装を手に入れることができます」




