第四記 清濁
神殿。
そこは、マターが住まう場所。
中がどうなっているのか、誰一人知る者はいない。
分かっているのは、この国の神殿にはアグリス・マターがいること。
そのマターは、自分の村を奪った。
エルにしてみれば、それだけで十分な場所だ。
(もし、もしも、川で流されているその人が、マターだとしたら)
エルの心は揺れ動く。
全否定することはできない「もしも」だ。
自分は、カタキである者を助けようとしているのかもしれない。
「……とにもかくにも」と、
エルはつぶやくように言った。
「川に行かなきゃ、何もわからない」
そうして、かつて村へ走った時のように、エルは宿屋を飛び出した。
*
大混乱。と、
骨董屋の息子は言ったが、その例えはこの事態には当てはまらない。
少なくとも、エルはそう思った。
川に集まっている人々は、予想より多かった。
が、混乱はしていないように見える。
どちらかといえば、ざわざわしつつも冷静といったところだ。
集まっている多くの人々は『その者』を助けていいものか、考えあぐねている。
エルと同じことを考えているようだ。
エルは、ゆっくりと濁り渦巻く川へ目を向けた。
水流は強かったが、危惧していたほどではない。
少しほっとしたエルの瞳は、ついに『その者』を捉えた。
川には、魚を採るための網が仕掛けてある。
その者はそれに引っかかっているようだ。
どうやら気絶しているらしいことが遠目にも分かった。
流されてしまうことはないだろうが、このままでも良いわけはない。
しかし、エルがその者を観察してしまったのは仕方のないことだといえよう。
その者は、少年の姿をしていたのだ。
見かけでは、エルと同じくらいだ。
エルは心底驚いていた。
てっきり、荒々しい者でも流れてきたのではと思っていたのだ。
だが、その少年はどう見ても、人だ。
神と表現するのはおかしく思える。
川の水が、激しくはないものの、かなりの水流になっている。
少年はもまれて揺さぶられて、浮き沈みしている。
水量が多いため、肩から下はちらりとも見えない。
土砂が混じって茶色く濁った水が勢いを増す。
「あっ」
誰かが声を上げた。
ジャバン!!
大きな音を立てて、少年が引っ掛かっていた網が切れた。
少年の頭が水に飲まれた瞬間、エルの体は動いた。