とある少女の嘆き
私の前世はRPGでした。
そして。
私の今世は漫画でした。
「……だあれがそんな戯けた事信じるかって奴ですよね」
よくあるハンバーガーショップのイートインコーナーの一角から、そんな不貞腐れまくった呟きが漏れた。
声の主は、少女。
長い髪をゆるく三つ編みしてシュシュで纏めた少女は此の近くに在る地味に知名度の高い高校の制服を着ており、校則違反の無い真新しい制服は彼女が新入生だろう事を連想させる。真面目だが野暮ったくは無い。見た目一般的な女学生然とした彼女は、細くも無く太くも無い体躯に不似合いな量の棒状の揚げ芋をトレー一杯に盛り、只管に口へと運んでいた。
現実逃避、と云う奴だろう。
「わあお。こんな典型的なやけ食いって初めて見たかも」
呆れた様に声を上げたのは、かなり整った容姿の男性。おしゃれな服装に身を包む姿は一見長身の美女に見えるが、性別は紛う事無く男だ。
「でも、あんた。胃が弱いんだからそういう食べ方してると間違いなく明日は撃沈するわよ」
ほほ、大変ね。と雅やかに微笑まれ、がつがつと云う勢いで……だが妙に小奇麗な食べ方をしていた彼女はぴたりと動きを止めた。
「……お兄ちゃん」
平凡な顔つきながら愛嬌のある童顔が笑みを浮かべる。
「此の先のお兄ちゃんの顛末、教えてあげようか?」
「え?いらないわよ」
ハートマークでも付きそうな声音の返事に、少女はいやいやと笑みを深くした。
「遠慮はいらないよ? 私とお兄ちゃんの仲じゃない」
うふふふふ。
ほほほほほ。
お互い微笑ましく笑顔で語らっているのに、其の背後には明らかに虎と竜が浮かんでいる。
事の起こりは、実に簡単。
隣に住んでいる幼馴染の大学生(眼前の彼である)に、高校入学祝に何が欲しいと云われた彼女は、無邪気に今一番の売り出しである大人気RPGソフトを攻略本と一緒に所望した。
現代を舞台に世界の滅亡を止めようとする解かり易いストーリーの其のゲームは、登場人物の見目が麗しい上に年齢層が幅広く、乙女ゲー要素在り学園もの要素在りアイドル育成要素在りと、単純なストーリーに反してやりこみ要素が満載でしかもマルチエンディングと云う盛沢山なゲームだった。
美貌の幼馴染はオネエ属性紛いの口調であるにも関わらず人気があり人脈も広い。入手困難かと思われた其れ等をあっさり手にして少女の家にやって来たのが昨日の事だ。プレゼントを渡してさっさと帰った幼馴染に感謝の声を浴びせ、家の中に入ると彼女は取りあえずOPを見ようと早速ソフトをゲーム機に入れて起動した。
雄大な音楽の中に、ポップな響きを持つテーマソングが流れ、映像が現れた刹那――――――彼女は、突然頭の中に入り込んできた膨大な知識に、意識を失った。
ブラックアウトした彼女の意識の中で、突然やって来た知識は類型化され明確な形になって彼女の中に浸透し、固定される。
意識を取り戻した彼女は、先ず最初にゲーム機の電源を切った。
其のゲームは、彼女の前世だったのだ。
画面一杯に現れた登場人物に見覚えがあった。勿論、直接の面識はない。だが、良くテレビのニュースで取り上げられた顔だった。徐に攻略本に手を伸ばし、ぱらぱらとページを繰れば、果たして其処には思った通りの紹介分が書かれた美少女の姿があった。
そう。
黒髪長髪純和風美少女。凛とした佇まいの此の少女は高校生ながら類稀無き薙刀の名手で、異種格闘戦が盛んだった前世の世界ではかなりの有力者だった。あとは……と紹介されている登場人物達を見れば、科学者だったり歌手だったりと様々な業種ではあるが、いずれもテレビで見た顔ばかりだ、と確認し、少女は本を投げ捨てた。
如何やら、前世の世界は滅びかけていたらしい。
そう云えば、何時だったか真夜中に白光が西の方で炸裂した事があったけど。
彼女はこめかみを揉みながら嘆息する。
音の無い雷なんて珍しいと友達と翌日教室ではしゃいだものだが、あれ、戦いの余波だったのか……。しかも、其れに負けてたらあの世界が崩壊モードになってたって……!
何も知らずにはしゃいでいた自分が恨めしい。それと同時に、如何考えてもメインキャラと接点のないモブ中のモブであった自分の過去世なんぞ思い出さなくても良かったんじゃなかろうか。と、彼女は何処かにいるだろう神様に向けて愚痴ってみる。
知らない間に世界が滅びかけていたなんて知りたくなかったと蹲る彼女の頭に、不意に、もう一つ蘇る知識があった。
今世の、環境。
前世の記憶を思い出した彼女は、酷い既視感に苛まれていた。
家の様子なぞ見た事があって当たり前だ。近所の人や幼馴染だって知っていて当然だ。
だが、しかし。
なんで幼馴染の大学での様子とか、此れから通う高校に居るだろう人達の姿が思い浮かぶのだろう?
いやいやまさか。と彼女は滴り落ちる冷や汗を拭いもせずに頭を横に振る。有り得ない、と虚ろに呟いて。
兎に角精神的な衝撃に打ちのめされた体を引きずり、寝具に倒れこんで寝たのは手っ取り早い回復方法と云う名の現実逃避だった。
寝て起きたら、夢になるかもしれない。
そんな彼女の思いは、翌朝出しっぱなしにされていたゲームを咎める母親の声で木端微塵にされたのだが。
ゲームをもう一度起動させれば、出るわ出るわ……既視感だらけのそれに、最早マップなんかいらないじゃないと乾いた笑い声すら湧き起こる。
突然閉鎖になった公園で化け物が人を喰ってたなんて知りたくなかったし、違法建築で崩壊したビルの真相が主人公達と敵の戦いの余波だとか知りたくもなかった。
だが、明らかに前世で不可思議に思っていた事柄の事情がゲームで明かされていけば、もうゴシップ誌を読む感覚でゲームをするしかなく。……テレビの向こうの人達を育成とかやる気出ないわーとある程度の確認をし終わった彼女はゲームを放り出した。
そして。
思い出したもう一つの事…………前世の世界で結構人気のあった漫画の内容。
それこそが、今現在生きている世界の情報を詳細に齎した元凶だった。
うわ、と彼女は思う。
勘弁してくれと、嘆く。
何が悲しくて前世がゲームだったなんて事から立ち直る暇も無く今世が漫画の世界などと納得しなくてはいけないのだろう。
だが、しかし。
彼女が此の春から着る制服は其の漫画の中で散々見慣れた存在であり、学校の名前はまさにドンピシャ。しかも、隣の幼馴染は……なんと、主要メンバーとして登場していたのだ。
だからあんなに顔が整っていたんだな~等と納得してしまったのも良い思い出であると彼女は虚ろに頷いた。
取りあえず、入学式ではっきりするだろうと諦観し、彼女は、ついに本日其の晴れの日を迎えたという訳だ。
結果は。
惨敗。
見事に覚えている漫画通りの見目に煌びやかな生徒会役員が壇上に立ち、聞き覚えのある祝いの言葉を凛々しい男子生徒が朗々と紡ぐ。
あ、此の声……声優さんの声と一緒だ。
人気作品だったので時代の常としてメディア展開は山程されていた。
アニメやゲームになった時の声が、如何やら其の儘今世の人物の声になっているらしいと断じ、彼女はふと眉根を寄せた。
なんで、お兄ちゃんの声にはそういうの無いんだろう?
不思議に思って必死に記憶を辿れば、彼は生徒会の中でも孤高系の人物と親しいと云うオイシイキャラだったにも関わらず、漫画の登場時期が遅かった為アニメではいない人となっていた事に思い至る。
そうだそうだ。お兄ちゃんの立ち位置にはオリキャラが入ったんだっけ。
故に、原作派とアニメ派にファンは別れていた。
其処に思い至り、彼女は心の内でぽんと手を打つ。
正直、此の漫画の中で彼女の立ち位置はモブだ。完膚無き迄の背景だ。故に、話の本筋には関わらないだろう事は明確なのだが、巻き込まれて地面に倒れ伏す死体役にだけは転じたくは無かった。
そう。
此の漫画は、学園ものの様相を呈していながら、結構なバトル漫画だったのだ。
ジャンルは少女漫画だったというのに、戦闘描写はえげつなく、腕が飛んだり胴が別れたりなんかはよくある事。
……其れ処か轢死に圧死もありうるってどんな世界よ!
こんな世界か、と内心で叫びつつも一転がっくりと肩を落とす。
兎に角。
彼女は思う。
式が終わったら、さっさとお兄ちゃん呼び出そう。
さり気無く握られた拳には、迷いなく巻き込んでやると云う意気込みが見られた。
そして、今に至る。
「まあねえ……あんたの頭がオカシクなったんじゃなくて良かったわあ」
只管に揚げ芋を口に放り込む幼馴染を見やり、彼は優美に肩を竦める。
彼とて最初は何云ってやがんだと思ったのだ。
突然呼び出され、ほいほい呼ばれた場所に来てしまう位には幼馴染を可愛がっている自覚はあっても、突然「私の前世は~」「此の世界は漫画で~」などと云われたらまず正気を疑う。
だが、しかし。
あたりさわりは無いけれど彼女は知りうる手段の無い極個人的な情報を何点も明示されれば、其れは頷かざる負えなかった。
幼馴染がストーカーか犯罪に手を染めている可能性は無い事は、彼が一番良く"知っている"ので。
自分で告げた情報が本当の事だったと知って、彼女自身も驚いた様子だったのが笑えると、彼は目を眇めて眼前の幼馴染を見る。
「で? 之から如何するの」
ん? と問えば、芋を握る手をピタリと止め、彼女はついと視線を上げた。
「此の世界って、漫画じゃない」
其れは良いんだよね? と問う視線へ勿論と視線で答え、彼は話の先を促す。
「其の漫画……題名はなんか忘れちゃったんだけど、とにかく漫画の舞台は、私の高校な訳」
其れも良い? と問う視線に、彼は是と頷いた。
「んで。此れから……多分、一年間、かな? 生徒会のメンバーが変わるシーンを覚えてないから、多分、此の一年間が漫画の世界なの」
芋から手を放し、紙ナプキンで掌や指を拭いつつ、彼女は自分の内から何かを紡ぐように言葉を続けた。
「お兄ちゃんは、うちの高校の生徒会に知り合い、いるでしょ?」
探るような問いに、彼は是と頷いて笑う。
「高校生にしては随分老成してる奴でね? 大学の資料室に閲覧申請して来た時に案内したのが付き合いの切っ掛けだったわねえ」
付き合いと云っても邪推は無しよ?と笑えば、当たり前じゃないと言葉が返る。其の躊躇わない断言に、彼が僅かに……だが深い喜色を目元に刷くが、其れは彼女の目には留まらなかった。
「んでね。高校の一角に実は遺跡があって……其れを巡る戦いが物語の主軸だったの。其処の神殿に実は姫神様がいて、其の姫神様は二人いたり……とか、なんか、こう、色々ぐちゃっと」
「随分なはしょりようじゃない?」
苦笑に、彼女ははあと溜息を吐いて答える。
「だって、なんか一転二転どころじゃなくてホント筋を追うの大変だったし。場面場面のバトルシーンだけでも、結構見応えあったし」
だからしょうがないと云う幼馴染へ、彼はそうねと笑って頷き、先を促した。
「取りあえず、私は話の筋には何にも関係が無いの。モブなの、モブ。群集。……でも、だからこそ巻き添えで死んじゃうのはいやなんだ」
ひたり、と据えられた視線に、彼は変わらぬ笑みでうん?と言葉の続きを待つ。
「あのね、お兄ちゃん。だから、此の一年間、絶対二人とも生き残ろうね」
真剣な、声音だった。
「……付き合い止めろって事?」
「違うよ」
ふると首を横に振って否定し、彼女は云う。
「多分、此の一年間。此の一年間だけが、危ないと思うの。だから、お互いに死なないように頑張ろうねって話」
……精神論?
其れを聞いた彼は、思わず心中で呟き苦笑を浮かべた。
結局のところ、此の幼馴染は状況は掴んでいても混乱の極みに居るのだ。故に、兎に角当事者であろう自分を捕まえ、死なないでと云いたかったと。
ああ、カワイイ。
ふふ、と笑い、彼は彼女の頭をぽんぽんと撫でる。
「ばっかな事云ってんじゃないのよ? あたしが死ぬ訳ないでしょう」
勿論、あんたもね?
そう云うと、彼女は未だ不安で揺れる瞳を向けながらも、僅かに安堵の感情を浮かべ頷いた。
「うん、実は、漫画の中でもお兄ちゃんは生き残り組だった」
あははと笑い、彼女は再び揚げ芋の山に取り掛かる。
何か困った事があった時、只管何かを咀嚼せずにはいられなくなるのは、彼女の癖だった。なので、彼もそれに付き合う。どうせ食べ過ぎ多分はすぐに嘔吐してしまう彼女の体質も知っているので、体重が増えたと嘆く事もあるまいと思ったのだ。……些か斜め上の認識だが、其れが彼だった。
黙々と食べる幼馴染を見て、彼は思う。
此の世界が漫画だった、と云うのはとても斬新な認識だと。
此の世界に在るゲームが前世だったと云うのも又、興味深い。
世界とは、そう云う関わり方をしているのかもしれないな、と彼は思い、興味を持つ。
今度、姫神殿にきいてみようかしらねえ?
くつりと笑う、心の内。
……彼は、漫画の主要人物だ。
話の中核に食い込んでいる、人物だ。
で、あるならば。
彼女の話た事柄など、知っていて当然ではなかろうか。
彼は、笑う。ひっそりと。
生まれた時から見てきた、大事な幼馴染を見て。
機密が漏れた、と騒ぐ輩がいるかもしれない。あの高校は、本来遺跡の守護者と姫神へ仕える巫女の育成を目的とした場を、一般社会に紛れさせる為に構築された施設なのだから。
まあ、煩い奴らは潰してしまいましょうね。
あっさりと断じ、彼は幼馴染へと声をかける。
「そろそろ帰るわよ? あんた、明日も学校でしょ」
促されれば、彼女は些か辛そうな表情でうんと頷く。
「何? 気持ち悪いんでしょ。だから云ったじゃないの、仕方のない子ねえ」
軽口を交わしながら、二人は帰途に就く。
何気なく歩いて、家へと帰る。
気持ち悪そうに顔を伏して歩く彼女の肩をさり気無く抱き、上手く歩けるように手を貸していた彼がふと視線を背後に向けた。
何かを見つけたのか、眇められた視線で睨めつけ、綺麗な唇がそっと言葉を紡いだ。
手ヲ出シタラ、殺スヨ?
ぼとりと、何かが落ちる音。
当然、彼女は気が付かない。
平穏極まりないと思っていた世界は、最早危険に満ちた浪漫溢れる漫画の世界へと変貌を遂げていたのだ――――――。




