外伝「景子の雑記帳より」 ※壊れ注意
羽柴景子は一冊の帳面を綴じて、これを日頃から持ち歩いている。
中身は、なんのことはない。日記やその他日々の雑多な事を書きとめてあるだけなのだが、人目をはばかる内容も含まれるため、肌身離さず持ち歩いているのだ。
以下は雑記帳に書かれた内容の、ほんの一部である。
◆景子の雑記帳より、明智玉に関する記述(抜粋)
私が密に手紙のやり取りをしている人の中に、明智玉がいる。
ふたつ年下の少女だ。父の名は明智光秀である。正式には惟任日向守光秀というらしい。
ややこしい。なんでこの時代の人間はころころと名乗りを変えてしまうのか。覚えるほうの身にもなって欲しい。
風雅な趣味を持つ父親を持つだけあって、彼女の教養も相当深い。
だから手紙のやり取りのなかで歌の交換なんかもするのだけど、比べてみると私の不出来が際立ってしまう。
それでもまあ、お見限りなく歌を届けてくれるあたり、いい人なのだろう。でも私のことを鬼姫鬼姫書くのは止めて欲しい。というか琵琶湖の対岸まで伝わっているのかこの呼び名。
天正五年六月二日 ○○○
玉姫は近江坂本城に住んでいる。
長浜城とは琵琶湖を挟んで対岸だ。
そこから船に乗って、彼女はやってきた。事前になんの連絡もなしに。
「やってきたぞ鬼姫!」
あわてて波止場までいって出迎えた私に、彼女はそう言って胸を張った。
玉姫は、数えてみれば十五歳か。全体的にすらりとした感じの美人さんだった。
私と違って真っ当に成長している彼女は、当然私などよりよほど成熟している。しかしそれは外見だけのようだった。
「ほうほう、うむうむ」
初対面の挨拶もそこそこに、彼女は私の体を舐めるように観察してから、からりと笑って言った。
「小さいのう。それに雅な面差しじゃ。妾はもうちょっと男らしい姿を想像していたぞ?」
かなり失礼だったが、彼女に邪気がないので怒りにくい。
それよりなぜ玉姫がそう思ったのかが気になって、尋ねてみた。
「なぜですか?」
「文字には書く者の人となりが出る。妾が思い描いたのは、たとえば唐の顔真卿のごとき文武に長けた丈夫の姿じゃ」
鋭い。そう思った。
学生だったとき、私は書道を習っていた。
おなじ施設の出で書家になった先生がいて、この人が無償で教えてくれたからだ。
賞を取って実績にしたいという下心からだったが、性に合っていたのだろう。それなりに楽しんでやれた。先生には「書家にはなれない」ときっぱり言われたけれど。
それはさておき、当時私が最も熱心に模写をしていたのが顔真卿だった。玉姫はそれを見破ったのだ。
「そうですね。顔真卿の模写を熱心にやりましたので、その跡が出たのでしょう」
「ちがう。そうではない」
玉姫は首を振って言った。
「妾が似ていると言ったのは、表一層のことではない。書の骨柄が顔真卿に近しいと言ったのじゃ」
「骨柄、ですか」
言われて、私は先生に言われた事を思い出した。
書も人とおなじ、皮があれば肉もあり、骨を持っている。
骨とは筆を運ぶ者の持つ哲理よ。どう思いどう考えどんな信念を以って筆を運ぶか。
そこに思い至って初めて、書はおなじ風韻を発するものだ。骨を掴むとは、そういうことだ。
長浜で暮らし始めてから、私は模写をやっていない。
だけど、あの頃の努力を、時代を超えて褒められた気がして、私は嬉しくなった。
だから暗に男らしいと言われた事に関しては、気にしないでおく。
ちなみに、この時の玉姫の言葉、父親(明智光秀)の受け売りだった。どおりで普段の言行とかみ合わないはずだ。
この日は玉姫といろんなことを話した。
主に教養系だ。同年代で話せる人間が少ないので、自然とそっちに偏った。
私とて深くは語れないのだが、そんなレベルでも彼女にとっては貴重らしい。
稀に玉姫が知らない事を話すと、彼女は顔を真っ赤にして知っているふりをしていた。かわいい。そんなことが数度もあった。けっこう負けず嫌いなのかもしれない。
話しこんでいると、部屋に妹の豪が遊びに来た。
三人で一緒に餅を焼いて食べた。私は焼き役になったので、あまり食べられなかったが、ふたりが喜んでいたのでよし。
天正五年六月三日 ○○○○○○○○○○○○
昼前に良い風が吹きはじめたので、玉姫が帰ることになった。
「今度は鬼姫が坂本に来るのじゃぞ」
と上機嫌で言い残し、玉姫は去っていった。小さな嵐のようだった。
私も軽々と外出できる身ではないが、折を見て母上にねだって見ようと思う。
それはそれとして、この時代、醤油がない。
いや、たまり醤油はあるから、ないと言ってしまうと間違いかもしれないけれど、元の時代の一般家庭にある醤油がないことは確かで、これはゆゆしき問題である。五平餅とかあられ餅的な物はできるんだけど、やっぱり焼き餅には普通の醤油を合わせてみたい。
だが、そもそも醤油ってどうやって作るのかわからない。
たまり醤油から進化させたらそのまま醤油になるのだろうか。それともまったく別の製法で作るのか。醤油についてちゃんと勉強していなかったのが悔やまれる。
父上に頼んでそのあたりの研究をやってもらいたいと思うけど、あいにくと我が家にはそんな金銭の余裕はない。以前餅焼き網を作ってもらった時もいい顔はされなかったので、なるべく羽柴家の財布にやさしい方法で研究していきたい。
将来父上が天下人になってお金の心配しなくてよくなったら、真っ先に醤油の開発をやってもらいたい。
味噌も悪くない、というより、いまや定番のひとつとして外せないものになっているが、やはり餅に醤油は欠かせないものだと思う。
そんなことを考えていると、餅を食べ過ぎてしまった。反省。無為徒食はいけない。午後からは母上の代筆を頑張ろう。
天正六年二月十一日 ○○○○○
延び延びになっていた坂本城行きが、ようやく実現した。
石田弥三さんが一緒についてきてくれた。気のよさそうなお兄さんだ。
石田ということは、ひょっとして石田三成なのかもしれない。と思って尋ねてみると、石田三成のお兄さんだとわかった。
ここで初めて知ったが、石田三成は通称佐吉と言うらしい。
ということは、虎之助や市松が佐吉佐吉言っていたのは、石田三成のことだったのか。
五奉行のひとりで関ヶ原の戦いで西軍を率いていた人、だったかな? でもこのお兄さんを見ている限り、武張った姿って想像できない。
それはさておき、城に着くと玉姫に出迎えられた。
「よく来てくれたの!」
玉姫はものすごく嬉しそうだった。
坂本城は明智光秀の城だけあって、すごく奇麗だ。
庭ですごく格好のいい松を見つけたので「よい松ですね」と言うと、玉姫は顔を輝かし、「あれは父上が自ら選んだのじゃ」と来歴を説明した。
前から思っていたことだけど、玉姫はちょっとファザコン気味だと思う。
この日は珍しく教養関係の話にはならなかった。
というのは、前年私が参戦した手取川での戦いについて、玉姫が執拗に聞きたがったからだ。
私が見た限りのことを説明したが、玉姫は私の活躍についてもっと聞きたがった。聞けば羽柴の鬼姫は柴田勝家と肩を並べて上杉謙信と戦い、これを退けたことになっているらしい。
すごいですね羽柴の鬼姫さま。私は必死でした。
父上の話を聞きつつ思い返して見れば、武神さまが戦略的勝利以上のものを求めていれば確実死んでました。
まあ、目をきらきらさせて聞いてくる玉姫の前で、そんなこと言えませんが。
「孫九郎どののように鬼らしゅうは無いと思って居ったのじゃが、すごいな鬼姫は!」
「孫九郎どの?」
「我が家の鬼じゃ!」
玉姫が言うには、物静かで鬼らしい鬼、らしい。
羽柴家で言えば宮田喜八郎さまのような感じだろうか。
もちろんそんな人なので、主君と一緒に出陣中である。ちょっと会ってみたかったから残念。
この日は御馳走をいただいたので、あまり餅を食べられなかった。
天正六年六月二十四日 ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
祝、玉姫結婚。ジューンブライドだよ。やったね!
と口では言ってみたものの、内心ではかなりへこんでいる。
十五じゃ早いとは言えないし、この時代の婚期の早さは知っているけど、それでも赤の他人と友達ではダメージが違う。しかも玉姫は二つも年下だ。
私も以前の私のこととかいろいろ葛藤があって、早く結婚したいとは思わないものの、すでに数え十七歳だ。たとえ外見ちっとも成長していなくても、婚期がただ過ぎ去っていくのを平静な気持では見送れない。
けどまあ、玉姫にとっては喜ぶべきことだ。
わたしの事情で祝福をためらっては、もう彼女を友達とは呼べない。
だから玉姫には「おめでとう」と「頑張って」を言おうと思う。わたしたちにとって結婚は他家との縁をつなぐ大切なものだ。一種外交官的な役割も持っているのだ。結婚して終わりではない。彼女の務めはこれからなのだ。
そういえば玉姫の嫁ぎ先は長岡家である。
元は細川と言って、応仁の乱で有名な細川氏の分家筋らしい。歴史はどこにでも転がっているものだなあ。
ともあれ父親同士親交があるらしく、信長の口ききに二つ返事で決まったようだ。
ともあれ、めでたい。めでたすぎて食が進む。今夜の餅はやけにしょっぱいです……
天正七年四月八日 ○○○○○○○○
玉姫から手紙が届いた。
すみません。砂糖を吐いてもよろしいか。
このバカップルめ。
天正七年八月十九日 ○○○○○○○○○○
近頃ふと思い出すようになったが、明智光秀は本当に反乱を起こすのだろうか。
いろいろと聞いてみても、どうにも彼が反乱をおこす姿が想像できない。ひょっとして歴史が代わってしまっているのではと、ときどき考える。
でも、もし本能寺の変が起こるなら。玉姫と夫の仲がいいのは、ある意味好都合かもしれない。
長岡家が光秀に与力するにせよ敵対するにせよ、おそらく玉姫を粗略に扱うことはないだろうから。
戦が終わり、史実通りになったら、せめて玉姫の命だけは助けたい。わがままかもしれないけど、その時は父上に頼んでみよう。
それはそれとしてこの夫婦、私に何度砂糖を吐かせる気か。
天正十一年六月二十八日 ○○○○○○○○○○○
ちょっとひと死線越えてきて、そのほかにもいろいろあって忙しかった。
本能寺の変後、長岡忠興どの|(玉姫の夫)は明智光秀に付かなかった。光秀の娘である玉姫は丹後国の味土野に幽閉された。
逆臣の娘との離縁を迫る父親に、忠興どのは断固反対したらしい。ただし織田方諸将をはばかって、玉姫はいまだ幽閉中である。
なんとか玉姫を開放できるよう父上に掛け合ったが、ようやく旧織田勢力をまとめつつある父上は、こんなところで鶴のひと声を使いたくないみたいで、諸将を納得させる下準備に少し時間がかかるということだった。
とりあえずそれを伝えにこの日、丹後国味土野を訪れた。
そうしたら忠興どのが味土野屋敷に居た。仮にも幽閉中なんだから自重しろコノヤロウ。
明智玉――私の親友。×負けず嫌いの文系美少女→旦那にデレデレな美人さん。超父上好み。父上に会わせるの禁止。
長岡忠興――玉姫の旦那さま。×凛々しい若武者→×自重しない男→ヤンデレ。
◆景子の雑記帳より、宮部治兵衛|(豊臣秀次)に関する記述(抜粋)
一族が少ないと言われることの多い父上だが、私にとってはそれでも多い。
同年代、あるいは年下の親戚の数も、片手ではかぞえきれないほどだ。
宮部治兵衛もその一人だ。
弥助伯父様の息子にあたる八つ下の少年は、初対面以来なにかと私に構ってくる。
その度合いは年々増してきている。どうも好意を向けられているようだが、悪い気しかしないのはなぜなのか。
天正四年一月四日 ○○○○○○○○
子供たちの騒ぎ声を聞いて、様子を見に縁側へ出た。
小姓連中が鬼ごっこをしているらしく、庭中を駆けまわっている。
その中にひときわ小さいのが居て、これが鬼に追われた拍子に転んでしまった。
「治兵衛」
と目に涙をためている少年に声をかけると、彼は口元をへの字に結んで泣くのをこらえた。
治兵衛は父上の甥っ子に当たる。だから私とは従姉弟同士の関係だ。父上の数少ない血縁として、長浜で武士としての教育を受けている。
「強い子ですね」
褒めると、にこっと笑って、「姉姫さま」と駆けてきた。
そのままの勢いで抱きつかれた。かわいいものだが、何故だろう。触れてくる手が、どうにもいやらしいものに思える。
数え八つの子供にセクハラも何もないのだが、なんだろう。背後に父上のオーラが見える気がしてならない。やはり血か。
天正五年九月三日 ○○○○○○○○○○
最近思うことだが、従弟の治兵衛がどうも真っ当な成長をしていないように思う
早熟なのか女の子に興味を持っているのはいいのだけれど、身内にまでいやらしい目で見てくるのはどうかと思う。
必要な教養とかは過不足なく備えているので、ちょっと叱りにくくて困る。
それはそれとして、最近甘い餅作りに凝り始めた。
私も未来の知識を持つ人間だ。餅の進化形をいろいろと知っている。
だからそれを再現できるよう、厨房の人間に工夫してもらうのだが、すこし問題がある。
この時代、砂糖が非常に貴重だということだ。
だから手に入る甘味を使っていろいろと工夫してもらっているのだが、これが我が家の女性陣や子供たちにことのほか好評である。
甘味が貴重な時代だから当然かもしれない。虎之助が「男が甘いもんなんぞにかまけとれるか」などと意地を張っていたが、後でこっそり厨房に行っていた。食べたいなら言えばいいのに。何故そんなに無駄な意地を張るのかこの子は。
天正六年三月二十九日 ○○○○○○○○
豪にまでいやらしい目を向ける治兵衛は病気だと心底思う。
一刻も早く真人間になって欲しい。あと私のことを、「成長しないのが素晴らしい」とか言うな。これでも気にしているのだ。せめてもう二、三歳成長してから止まってくれてもよかったのに。これじゃあ永遠の小学六年生じゃないか。
「だがそれがいい」
うるさい黙れ。
天正七年十月二日 ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
今日はまずめでたい日だった。
なにせ治兵衛が四国の三好康長さまの養子にもらわれることになったのだから。
いや、もう元服して立派な名を持つことになったのだから、これからはちゃんと三好孫七郎信吉と呼ばなくてはいけないだろう。
いや孫七郎、実にめでたい。ていのいい人質みたいなものだけど、本当にめでたい。むこうの家で立派な真人間に教育されてくればいいと思う。
天正十年一月三日 ○○○○○○○○○○○○
ひさしぶりに孫七郎が帰ってきてしまった。
私を見て成長していないことを確認するや、そのことに関して喜びの言葉を送ってくれやがった。わたしはちっとも喜ばしくない。
あともう十五歳なのだから、そろそろおいたが許される年齢じゃないってことに気づいて欲しい。孫七郎の後ろで虎之助と市松がぽきぽき指を鳴らしているのには、気づかなくていいですけど。
まあ、そんな風にして愚か者は罰を受けたのは、よしとして。
「でもなぜ私にばかり構うのですか? すこし前までは妹姫妹姫言ってたのに」
私が尋ねると、孫七郎はこう答えた。
「確かに妹姫はかわいい。素晴らしい! だけど気づいてしまったんです。大変なことに!」
「……何です?」
「幼女は、歳をとると大人になってしまうんですよ!」
「当然のことを、なぜそんなに深刻な顔して」
「でも、姉姫様は違う。いつまでたっても子供のままなんです。なんてすばらしいんだ! 二十歳を過ぎても幼いままなんて姉姫様は我が理想の女性です!」
頭を強く打って死ねばいいのに。
宮部治兵衛→三好孫七郎信吉――私の従弟。×変な子→×変態→×大変態→超時空変態。男もいけるとか……どれだけストライクゾーン広いんですか。
◆景子の雑記帳より、餅に関する記述|(一部)
餅が素晴らしい、天上の食べ物であるということは言を俟たないが、つくづく世の人間と言うものはそれを口に入れる幸福を噛みしめることを怠る愚を犯してしまうものだ。
しかしそれは罪ではない。なぜならば、心が感じていなくても、その体は餅という至上至極の食べ物を栄養として取り込む幸福を、まさに味わっているのだから。
だから餅に罪など存在しない。
餅を食べる人間にも罪は無い。ただしずんだ餅以外。
いや、あの堕天使のような食べ物ですら、餅であるという一点においては許されている。
訂正しよう。ずんだ餅にも罪は無い。ずんだ餅に救いを感じている人間にも罪は無い。ただしずんだ餅の発明者。てめえは駄目だ。
ぜったいに許さない。もしこの時代にずんだ餅を発明した人間がいるとすれば、これこそ天の配剤だ。私の全身全霊を駆けて戦い滅ぼす。
いや、ずんだ餅の発明者といえども、未来の罪はさばけない。
なんにしろ餅は無罪である。訂正する。ずんだ餅の発明者が、すでにあの堕天使的食べ物を開発していたら、それこそ戦争だ。
だが、もし万一、いまだ発明していなかったとすれば。私が導いてやろう。真の餅道と言うものを徹底的に教え込んでやろう。まずは語るだから聞け。そもそも餅の原料は何だ。そう米だ。日本人の心のふるさとだ。餅はそこより出でてしかもそれを超えた。なぜ越えたと断言できるか。それは餅の持ついくつかの優れた特性に起因する。まずは保存性だ。これは言うまでもあるまい。つぎに加工性。米の素朴な味わいを残しているので、どんな食材にも無難に合わせることができる。それどころか米には合わせづらい、甘味を持つ素材にも合わせることができる。これは偉大な特徴と言っていいだろう。考えても見よ。ぜんざい。きなこ餅。あんころ餅。どれをとっても米が取ってかわることが出来ない食べ物ではないか。さらには生餅焼き餅かき餅凍み餅、千変万化する触感と味わい。そう、味だ。想像してみろ。こんがりと焼けた表面からぷっくりと膨らんだ食べごろの餅をつまみあげ、醤油を浸した小皿に押しつける。ぱりぱりと音をたてながら浸みとおった醤油と表面ぱりぱり中モチモチの二重の極楽味が奏でる天上のハーモニー。また想像しろ。箸を頭の上に差し上げてもまだ伸びるつきたての生餅に、これまた新鮮な大根をすりおろした大根おろしを絡めてぽたりと醤油を垂らす。他に何もいらない。他では味わえない、できたての餅のうまみとおろし大根の辛みがDNAの二重らせん構造のように絡み合い引き立て合い味の相乗爆発を起こし、醤油がそれを完全にひとつの究極味にまとめ上げる。他にも多種多様、餅を使った料理は実に数百を数える! 豆腐百珍? 片腹痛い! 豆腐で腹が膨れるか! なに酒のあてに抜群? 馬鹿野郎日本男児なら肴も餅だ! ジーク餅! ハイル餅! ビバ餅! 我愛餅! 我ら餅を愛する者熱き鉄血となって餅の千年王土への道を魁んっ!!
餅――天上の食べ物。人生。家族以外のすべてに優先すべきもの。×虎之助クラスとならイコールで並ぶ感じ→虎之助は餅より上でいいかも。
鬼姫戦国行におつき合いいただき、ありがとうございました
説明するまでもないと思いますが、○は餅です




