違和感と突然の能力と未来の夢
私は普通の女子高校生・・・のはず。少なくとも表面的にはそういう風になっている。学籍もきちんとあるし、入学は果たした。
でも、今は違う。今の私は患者という名前になってしまっている。
昔から、そう、生まれついてから心臓が弱いという欠点を持っていた。
だから激しい運動なんてできないし、遠足とか、修学旅行なんてものは縁遠い存在のイベントだった。
学校では地味な、いるかいないか忘れられている感じの女の子だったりする。
いじめは全然ない。だって、いじめのせいで心臓の調子が悪くなるかもとか思っているみたい。
死ぬかもしれないではなく、殺すかもしれない。そんな相手にいじめをする覚悟のある人はそうそういない。
さらにいえば私はいわゆるダブリという状態で、クラスメイトより年上。完全に腫れ物に触れるかのように浮いていた。
だから私の居場所は授業が終われば図書室と家と病院だった。
私は本が好きになっていた。
冒険、ミステリー、サスペンス、ロマンス、文学作品など何でも読み耽っていた。
とにかく楽しい世界だった。苦しく寂しい日常から離れ、紙の中にある物語という非日常に浸り、酔いしれる。
それがささやかにして、贅沢な楽しみだった。
でも突然、それは襲ってきた。
本格的に心臓の機能が不安定になってきた。
学校を休み、病室に閉じ籠る。白い牢獄。でも生きるためには仕方ない監獄。生きるためだけの存在する場所。無機質な病室を彩るのは小さな本棚。そこには好きな小説があった。それだけが生きがいだった。
新しい小説を読みたい、その思いだけでなんとか心臓を持たせようと頑張っていた。
苦しい、不定期に襲ってくる心臓の苦しみ、それは不定期ゆえにいつ起こるかという恐怖と共に存在する悪夢。
だが、それは終わりを迎えることができた。移植できる臓器が見つかったという話。それは誰かが死んだということ。だけど、苦しみから救われるという機会が訪れたことに、日頃信じていない神様とやらに感謝したくなっていた。
・・・・・・・・・。
・・・・・・・・。
・・・・・・・。
・・・・・・。
・・・・・。
・・・・。
・・・。
そして手術は成功した。お医者さんの話では私と心臓の適合率はすごくいいらしく、免疫抑制剤の量も少なめでいいらしい。
苦しまなくていい時間、怯えなくていい時間、それが訪れたのが嘘のようだった。
そして訪れた自由な時間、私はいつもと違う感覚に囚われた。
英語がすごく簡単に理解できるのだった。
今までは中学までの簡単な英語なら分かった。
だけど、そうじゃない。繁華街ですれ違う英語を話している外国人旅行者の声がすべてわかる。
試しに街で一番の書店に行ってみた。そこにはいわゆる英語の原文で書かれていた小説や時事論評に関する書籍が並んでいる英字コーナーのような一角だった。
そこにある小説を一冊手に取り、ページをめくっていった。
わかる、そこに書かれている描写が、まるで日常の会話のように普通に頭へ流れ込んでいく。今まで見たこともない、高等な言い回しとか、そういう表現もわかる。
不思議な感じだった。今まで普通に英語は中学レベルしかないはずなのにそれが突然わかるようになったということが。
そして定期試験では英語で満点をとった。最初はカンニングを疑われたけど、再度別のテストをしても、日常の手紙を書く程度の簡単さですぐに解いていく。そう、高校3年生で出るような問題も普通に、むしろわからない方がおかしいという感覚だった。
ごく当たり前、そういう意味で言い表せることだった。
そしてインターネットの色々なサイトを巡るうちに1つの話に出会った。
それは臓器移植を受けたレシピエントがドナーから臓器を提供された結果、ドナーの得意とする分野のことや性格、好き嫌いも変わるとか、そういう話だった。
魂の継承とかそういうオカルトめいた話かもしれない。だけど、現在、今、現実にある私の変化はまさにそれで説明できる。それしか説明が出来無い話だ。
今、私はこのギフトを手に大学受験の準備をしている。将来は翻訳家になりたい。私が好きな本の世界をもっと色々な人に広めたい。そう願い、準備している。
今は心臓をくれた人に感謝を言いたい。でも、個人情報保護という理由で、どこの誰かを調べることはただの高校生には無理だと言われた。だから今はこの手段を取ることにした。
そう、ドナーカード。心臓はさすがにあげたくない。だから他の臓器を持って行って欲しい。そしていつの日か、もし私が夢半ばにして倒れたら、その命を預けていきたい。
親はきっと反対すると思う。
でも、もらった命は譲ってもいいのではないか?そう思う。
だから・・・、ドナーカードは今は私だけの秘密として財布の中に入れている。
命は受け継がれる。そういうのって素敵だと思いませんか?