第10話 受領印
「……おい……まじかよ……」
大樹の声が、低く震えていた。
賢人のスマホ画面に映し出された拡大映像。
デジタルズーム特有のノイズが走るピクセルの隙間に、逃れようのない事実が刻まれていた。
「……『あなたたち』? ……なんで、複数形なんだよ」
賢人が呟く。その指先は、スマホを固定できないほどに小刻みに揺れていた。
普通、こうしたホラーの仕掛けなら「あなたの番です」と書くのが定石だ。読んでいる「個人」に恐怖を突きつけるのがセオリーだからだ。
だが、この資料に記されていたのは、明確な複数形。
まるで、この資料を複数人が同時に見ることを、最初から分かっていたかのような書き方。
今、この狭い食卓で、肩を並べて画面を覗き込んでいる二人の姿を、どこからか俯瞰して書かれたかのような——。
二人は、たまらずお互いの顔を見合わせた。
大樹の顔は土気色に変わり、額にはうっすらと汗が浮いている。賢人も自分の心臓の音が耳元まで響いているのが分かった。
「……なぁ、賢人。これ、ただのモキュメンタリーだよな?」
大樹の震える問いに、賢人はすぐには答えられなかった。
二人の共通の趣味であるモキュメンタリーやARGの世界では、いかに「現実」に干渉して見せるかが評価の基準になる。
だが、これはフリマアプリで赤の他人から送られてきた、ただの「紙」だ。
そこに、今この瞬間の状況を予見するような言葉が紛れ込んでいるはずがない。
賢人は喉の奥が異常に乾くのを感じ、無理やり唾を飲み込んだ。
「……ああ。そうだよ。出品者が、どうせ複数人で考察するだろうって踏んで、あえて複数形にしたんだ。マニアの心理を突いた、よく出来た演出だ」
必死に絞り出した合理的な解釈。
「今日はもう終わりにしよう。片付けて、寝るぞ」
賢人がそう言って、資料を茶封筒に戻そうとした時だった。
机に置いたまま、先ほどまで「極小の文字」を映し出していたスマホに目をやると、画面が真っ暗になっていた。
賢人がスマホを手に取り、画面をタップする。だが、反応がない。
その後は電源をつけようとしても無反応。
「おい、電源切れたのか?」
「……いや、充電はさっきまで80%以上あったはずだけど」
二人の顔が、みるみるうちに青くなっていく。
故障したわけではない。ただ、十分な電力を残したまま、何者かに強制的に電源を落とされたかのような不可解な挙動。
それが、この部屋で起きていることが「単なる演出」ではないことを告げていた。
「……捨てよう。今すぐ」
「ああ、それがいい」
二人は資料を強引にゴミ袋に押し込み、逃げるように部屋を飛び出した。エレベーターを待つ時間すら惜しみ、階段を駆け下りる。
24時間利用可能なマンションのゴミ置き場へ向かい、ゴミの山のへその袋を投げ入れた。
オートロックの重厚なドアが閉まる音を背に、二人は夜の街へ駆け出す。
「……家にいられるかよ」
「カラオケ行こう。駅前のあそこ、朝までやってる」
朝までヒット曲が鳴り響くカラオケボックスの個室で、二人は震えながら時間を潰した。
フリータイムが終わるまで、モニターに映る明るい映像だけを凝視して、昨夜の出来事を忘れようと必死だった。
翌朝。
店を出ると眩しい朝日が二人を照らす。夜通し起きていた気だるさと、明るい日光が、昨夜の恐怖を「悪い夢」のように思わせた。
「……結局、何事もなかったな」
「だな。やっぱり、ただの凝った演出だったんだよ。ビビりすぎたわ」
寝不足の目を擦りながら、二人はマンションへと戻ってきた。
エントランスの自動ドアを抜け、いつものように壁際の集合郵便受けを確認する。
賢人がダイヤルを回し、自分たちの部屋の郵便受けを開けた。
中には、ピザ屋のチラシが1枚と——その上に重なるように、「不在連絡票」が1枚、横たわっていた。
賢人の手が止まる。
その不在票の「お届け先」の欄には、昨夜ゴミ捨て場に捨てたあの資料と全く同じ、歪な手書きの字体でこう記されていた。
『松村様、吉田様』
そこには、二人の苗字が記されていた。
普通、郵便物は部屋の契約者か個人の名前で届くものだ。わざわざ二人を並べて、連名で不在票が入れられるなんてことはまずありえない。
「……なんで、俺らの苗字……知ってんだよ」
大樹が横から覗き込み、かすれた声を出した。
そして、差出人の欄には、まだインクが乾ききっていないような鮮やかな赤色で、一言。
『再配達(受領印をお待ちしております)』




