《9.悪役令嬢と姫殿下の出会い(ニーフ姫殿下視点)》
──私にとって、その人との出会いは運命とも言えるものであった。
その日は、とても暖かで気持ちのいいくらいに青空が広がっていた。いつになく気分も高揚していた。理由は本当に些細なことだった。
「初めまして、ニーフ姫殿下……。私はシーラ・アルファスターと申します。今日から、ニーフ姫殿下の義理の姉にならせていただく者ですわ」
──私にお義姉様ねえさまができたのだ。
歳の近いお義姉様。
私のお義姉様。
私にとって、本当に尊敬できる格好いいお義姉様。
「これからよろしくお願いします」
シーラの優雅な所作と、咲き誇る薔薇のような大人びた笑顔にニーフは一瞬にして虜になっていた。
夜空のように真っ黒な漆黒の髪も、女性にしては高めの身長も、なにより有象無象に埋もれることのない圧倒的な存在感。
ニーフにとって初めて出会うタイプの人物であった。
「はい、お義姉様!」
それは、ニーフ・リフ・アズラエルにとっての転機である。
孤独で、親しい呼べる友人のような存在もいなかった彼女にとって、シーラとの出会いはそんな境遇を打開してくれるものであった。
──シーラお義姉様は、それから頻繁に王宮へと赴いてくれた。
「ニーフ姫殿下、何をしているのですか?」
「有名なパティシエの作ったお菓子を持ってきました。良かったら、一緒に食べませんか?」
「ニーフ姫殿下は、本当に聡明ですわね。その歳でここまで礼儀作法をマスターしているなんて……私、ニーフ王女殿下のお義姉になれたことを光栄に思いますわ」
「ニーフ姫殿下、今、とっても楽しいですわね!」
──屈託のない笑みを浮かべて、シーラお義姉様は、いつだって私に正面から向き合ってくれた。城内が息苦しくて、誰にも頼ることのできなかった私にとって、シーラお義姉様は、私の前に唯一現れた聖女様のような方だった。
「ニーフ姫殿下は、私のことどう思っておりますか?」
ニーフはシーラにそんなことを尋ねられたことがある。
「勿論、お義姉様のことは世界で一番大切な存在だと思ってます! ……お義姉様が本当のお姉様だったら良かったと思うくらいに」
それは、ニーフの本心であった。
ニーフにとって、家族なんてものは特段優先すべきものではなかった。大切に真心込めて育てられた記憶もなければ、家族の絆なんてものを体感したこともない。
唯一、ニーフに対して愛情を込めて接してくれたのは、シーラだけだったので、そのように答えるのはニーフにとって必然であった。
「ふふっ、嬉しいことを。でも、一番大切なのは陛下や王妃様、殿下……ご家族のほうでしょう?」
「いいえ! 私にとっての一番はお義姉様だけです!」
ニーフは必死の形相でそう言い切るも、シーラは柔らかく微笑み、「ありがとう」と華麗に言うだけである。
──私は本当に、本当にシーラお義姉様のことが一番大切だと思っているのに。
冗談混じりで、そう言っているのだと軽くあしらわれてしまう現状はニーフにとって歯がゆいものでしかなかった。
身分は自分の方が上ではあるが、それでもニーフはシーラのことを敬愛し、礼を尽くすべき相手であると認識している。その想いは、誰より強い自信が彼女の中にはあった。
──どうしたら、シーラお義姉様にこの気持ちが伝わるのかしら?
焦ったい日々は続いた。
ニーフに対して、シーラの接し方は特段変化なく、常に誠意を持って接していた。
対してニーフの方は、シーラに本心を曝け出し、どれだけ自分がシーラとの関係を重要視しているのかを知ってもらおうと思案し続けていた。
──シーラお義姉様は、人に好かれることに慣れていないんだわ。
ニーフがそれに気が付いたのは、シーラが義姉になってから半月程経過したくらいのことだった。
日々シーラと接しているうちに、ニーフは些細な違和感を覚えることが多々あった。
「お義姉様、お兄様とは最近どんな感じですか?」
──お義姉様との会話が楽しくて、そんなことを聞いた。
別段お兄様のことは興味もなかったし、私自身お兄様の傲慢な態度も気に入っていなかったから敢えて聞きたいものではなかったが、それでも一応お義姉様の婚約者。
お義姉様がお兄様とどんな関係性であるのかは、聞いておくべきだなと思った。
政略婚約ではあるものの、それでも信頼関係の構築をするには十分な月日が過ぎていた。そうニーフは安直に考えていた。
「……えっと、殿下のことですよね」
しかし、シーラの反応は芳しくないものだった。
「お兄様と打ち解けていないのですか?」
「ええっと……はい、そうかもしれません。殿下は、私に特別な感情は抱かないと断言されました。けれど、なんら不思議なことではないのです。私は、あまり人付き合いが上手くありませんから」
寂しげに笑っているその姿がニーフの心を締め付けた。
──お義姉様に惹かれた理由もなんとなく分かった気がした。
きっと、お義姉様も私と同じ。
誰かに愛されてこなかったことに孤独を感じていた。
私から見れば、お義姉様は孤高で憧れてしまうくらいに輝いて見えたけれど、それはきっと本来のお義姉様ではないのかもしれない。
「お義姉様は、私のことどう思いますか?」
いつか問いかけられたことと同じ質問をニーフはシーラにしていた。
「なんだか、懐かしい質問ですね」
「ええ、あの時はお義姉様からでしたわ」
──お義姉様の質問に対して、私は素直に答えた。
けれども、お義姉様からの気持ちを私は聞いていなかった。
「お義姉様にとって、私はどういう存在ですか?」
──この時お義姉様から聞いた言葉を私は励みに生きてきた。絶対に忘れることのないもの。
「私にとって、ニーフ姫殿下は、いつまでも一緒にいたい存在……かしら。ニーフ姫殿下と共にいる時間が、私にとって本当に充実していて、代わり映えのない日々がとても充実した時間に変わりましたわ」
にこりと微笑んだシーラは、ニーフを優しく抱き寄せた。
「だから、そんなに不安そうな顔をしないでください」
「えっ?」
「先ほどから、とても怖い顔をしてますよ。ニーフ姫殿下には笑顔が似合います。笑ってください。私はニーフ姫殿下の笑った顔が一番好きなのですから」
──この時に私は、一つ自分自身に誓いを立てたのだ。
お義姉様の好きな私で居続け、いつかお義姉様を守れるくらいの力をつけることが出来たなら……。
お義姉様が窮地に陥った時、私だけは必ずお義姉様に手を差し伸べようと。
その誓いを立てた僅か数日後から、シーラとニーフは顔を合わせなくなっていた。
2人が望んだことではない。
シーラが王宮に訪れる機会が減ったことと、ニーフの姫教育が忙しくなったせいであった。それに加えて、意図的にニーフとシーラが会えないように周囲が2人を引き離したという事情も存在していた。
──あれから約3年間。
お義姉様の情報は、人伝に聞いていた。
お兄様と中々上手くいっていないことも、社交界で孤立してしまっていることも。
けれども、私はお義姉様に対して失望などという感情は抱かない。
私だけはお義姉様の優しさを強さを知っているから。
だから、今回のことも。
私はお義姉様が誰かを殺害しようとするなんてことはあり得ないとちゃんと理解している。ましてやお兄様を殺そうだなんてそんなことをお義姉はしない。
ニーフの瞳には、薄ら影が宿る。
──だって、お兄様に殺す価値なんて皆無なのだから。
けれども、お義姉様は捕まってしまった。誰も寄り付かない幽閉塔に閉じ込められてしまった。
……3年間、私はこの国の王族として相応しい力を身につけてきたつもりだ。
今こそ、私を変えてくれたお義姉様に恩を返す時。
「お義姉様……やっと、やっと貴女のお役に立てる日が来たのですよ」
ニーフは、拳を握りしめて立ち上がった。
「お義姉様との再会……ああ、本当に楽しみだわ」
真夜中に部屋から抜け出したニーフは、シーラのいるであろう一室へと一直線に向かった。
姫殿下視点でお送りしました。
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