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加護を手繰る時限令嬢  作者: 羽蓉
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深まる寒さと共に草木から彩りが失せるように、カルネヴァル侯爵邸を包む空気は急速に変化していったように思う。

居心地が悪く、周囲の視線が煩わしい…そんな日常から遠ざかるようにシエールは、以前にも変わらず『秘密の部屋』に籠りきっていた。


興味のある本を数冊手にして、最奥にある本『未知の扉を開く物』の背表紙にある大きさの違う三つ薔薇の箔押しをそっと撫でる。

一瞬の撓みと同時に部屋の更に奥へと移動したシエールは、煩わしさからの解放からソファへと身体を投げ出した。

今日初めて視線を上げ、呼吸ができた気分だ。


気を取り直して、手に持っていた本へと視線を向ける。

装丁が細部にこだわり美しい本もあるが、必要な物だけが施されている本がほとんどだった。


今シエールが手にしているのは、『失われた大図書館とその末裔』という本だった。

史実に基づいた大筋に、脚色を加えた夢のある物語に仕上げられている。

硬くざらざらとした質感のページは捲るたびに小さくない音をたて、新しい展開を運んできてくれる。

物語の中にはエートゥルフォイユの歴史とも呼ばれる、三大公爵の特徴を色濃くもつ登場人物がおりシエールを楽しませた。

現実から逃げ込むように視線を滑らせ、その夢のある偽物の世界に没頭していった。


   ・

   ・

   ・


王宮から手紙が届いて以来、シエールに対する監視はあからさまになっていた。


シエールが居を構える別棟へ、見慣れない本館の使用人が出入りしだしたこと。

些細な用事であってもリューンを通すわけでもなく、数人の使用人が出向き様子を伺っているようだった。


それと同時に、リューンが本邸から戻ってくることが少なくなった。


「別棟に戻ろうとすると必ず声がかかり、誰でも良いような用事を申し付けられます。それとメイド達がやたら親し気に話し掛けてきて、別棟の様子やシエール様について質問をしてくるのです。…まあ、教えてなどおりませんが。」


肉体的な疲労というより、神経をすり減らした様子でリューンは言った。

シエールの侍女として仕えている彼女だが、他の仕事を全くしないで良いというわけではないので逃げようがない。


シエールは先日の件で、色々な事を諦めていた。

コルシックの反応…彼の言い分は、カルネヴァル侯爵家の事を考えれば間違ってはいなかった。

それでも今までの彼であれば、シエールの侯爵令嬢としての立場も考慮してくれていたはずだ。

何が彼を変えてしまったのか、思い当たる事がある。


「(―――トレミエとの、結婚。)」


頭に浮かんだ悪い予感に、ページを捲る手に力が入る。


彼の意思が、全てトレミエに寄ってしまったとは思えなかった。

ただ『カルネヴァル侯爵家の為』と諭され、侯爵夫人からも口添えされれば、彼の忠誠は正しい方向へと進むだろう。

間違ってはいない…ただそこにカルネヴァル侯爵家として、シエールが含まれていないだけだ。

シエールに見せたあの表情、あれは侯爵家への忠誠からくる表情だったのか?

どちらにしても上手にトレミエに誘導され、利用されているのは明らかだった。


そこまで考えた上で、女中頭の役職を得たトレミエは厄介だった。

直接シエールに対してなにかをしてくることはなかったが、何かと使用人を使いこちらの動向を探ってくる。

一対一ならば交わす自信はあるが、数を投入されると対応しきれない部分も出てくる。


シエールが代行していた公爵家の女主人の仕事も、ディアンジュの復帰によって彼女の元へと権限が戻っている。


侯爵家の内側全てが、トレミエそしてディアンジュの監視下にあるようだった。


王宮からの手紙の画策からみて、この後は『聖輝祭』にシエールがどう対策するのか様子を伺っているのだろうと思う。

招待に対して、怒ったり、落ち込んだり、悲しんだり…またそう言った反応とは別に、何か企んでいるのではないかと警戒しているのかもしれない。

またカルネヴァル侯爵家の系譜の紫の宝石を阻止しただけではなく、ドレスを仕立てる事にも邪魔をする気だろう。


頭が痛い、好奇や監視の視線が煩わしい。

シエールはなるべく人目に付かないように、秘密の部屋に籠ることが多くなった。


「…とはいえ、ゆっくりもしていられないのよね。」


部屋の中にある唯一の時計に目をやると、シエールは持っていた本を置き立ち上がった。

身形を直すと目的の本を探す。


――― 『自由を求める者』。


この部屋…いや侯爵邸から、誰にも知られずに外に出ることが出来る本。

その本を片手に持ち前を向く。


外に出ようとする前に、一つだけ気がかりな事があった。

白緑色の壁紙に薄っすらと映る自分の影を、じっと見つめる。


シエールは、声を低くして呼びかける。


「リジアンチュス=ヴィリディ。」


リジアンの本名を口にすれば、ゆらゆらと影が揺れる。

まるで本物のリジアンがシエールに対して、頷いているようにも思える。

リジアンの加護【影身】は、確実にシエールを追っているようだった。


護られていることを確認したシエールは、再び本を手に持ち背表紙の箔押しを撫でた。

小さく視界が撓む…顔に冷たい風を感じて瞼を上げると、そこはすでに侯爵邸の裏の森の前だった。


きょろきょろと辺りを見回し、それらしい人を探す。


先日提出物を持って学園に行ったときに、エタンセルに会った。

顔色が悪いシエールを心配してくれたエタンセルに、王宮から手紙が来たことや邸の中の変化を話してみた。

人に話すことで自分の中の感情を整理していくつもりだったのだが…。


「ではシエール様のドレスの仕立ては、私の家で行えばよいのではないでしょうか?侯爵夫人からの横槍も入りませんし、今ならばデザイナーも紹介できると思います。」


そう押し切られてしまった。

悪くない話だと思う…シエールがドレスを依頼したところで、受けてくれる人がいるかどうかが問題だった。

シエールの悪評と、ディアンジュの妨害…その二つを退けて、引き受けてくれるデザイナーがいるのだろうか?


「ここで迎えの人が待っていてくれるはずなのだけど…。」


こっそりと抜け出し訪ねると伝えたので、エタンセルの方から迎えを寄こすと言われていた。

見れば一目でわかるとも…。


侍従もしくは使用人を探していると、木陰に身なりの良い壮年の男性が後ろに手を組んで立っていた。

にこにこと温か味のある笑顔に、仕立ての良い服。

このような身なりの人が、悪評のある…まだ子供であるシエールを迎えに来るとは考えにくい。


シエールは瞬時に、身体を強張らせて身構えたが…その髪色に、その顔に見知った人の面影がよぎる。

その男性はシエールを見つけ、小走りに駆け寄り…膝をつき頭を下げた。


「もしかして、エタンセルの…?」


声がかかったことで顔を上げ、シエールを見上げる形でにっこりと微笑む。

間違いない。

この表情、艶のある茶色のまっすぐな髪…エタンセルそのものだ。


「お嬢様、お初にお目にかかります。ユニヴェール商会会頭、準男爵の爵位をいただいておりますメテオール=ユニヴェールと申します。」


お父様であるカルネヴァル侯爵とそう変わらない位の年齢であるはずなのに、童顔なのか笑顔が多く若く見える。


「カ、カルネヴァル侯爵が娘…シエールでございます。」


突然の事に、いつも流れるようにできるはずの挨拶がどこかぎこちなくなる。

シエールは大人が苦手だった。

あの日以来、大人は助けてなどくれない…平気で傷つく言葉を浴びせてくるものだと理解している。

しかしエタンセルといい、メテオールといい、シエールの警戒心を軽く飛び越えてくる。


「私の可愛らしくも愛しいセルが、毎日のように会話にのせ敬愛してやまないお嬢様にお会いすることができる機会がこようとは。」


セルとは、エタンセルの事だろう。

目の前にいる男性の笑顔には、芝居がかった様子が少しも見られない。

本心から話しているのだろう…この様子だとエタンセルは、家族に溺愛されているに違いない。

シエールは父親に溺愛され、恥ずかしそうにしているエタンセルを思い浮かべて口元を緩めた。


シエールの様子に、メテオールは続けて話しかける。


「本日は内密にお嬢様をお迎えする任務があると聞きつけ、是非ともと私が名乗りを上げた次第でございます。」


娘の友人を迎えるのに、わざわざ商会の会頭として忙しい中…自らが足を運ぶとは。

恐縮する気持ちが大きくなると同時に、言い回し事態にくすぐったさを感じる。

日頃から慣れているのだろう、子供をその気にさせるのが上手い。


「さあ、わが家の姫君達がお待ちでございます…お手を。」


膝をついたメテオールはそっと下から掌を差し出す。

シエールは少しだけ困ったように微笑みながら、そっとメテオールの手のひらに指を乗せた。

エスコートを受け、離れた場所で待つ馬車まで気恥ずかしそうに連れ立っていった。

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