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王子来訪の日は、朝からよく晴れていた。
今日を迎えるまでに、使用人たちは前回と同じく、王子が入るであろう部屋はもちろん絶対に入らないような場所であってもしっかりと掃除を行い、いつも以上に磨き上げてくれていた。
カーテンや絨毯、飾る花にいたるまで朝一番に母が最終確認をしてまわっているので抜かりはない。
勿論、今回の目的である薔薇園も綺麗に整えられている。
わたし自身についてもメアリとジェーンにより王子を迎えるための完璧な装いを施された。
やはり王子が来るとあっては少しの不手際、失礼があってもいけない。
門前払いなんて勿論できない。
わたしたちはお迎えする準備をしっかりと行う義務があり、それはわたしの意志とは無関係なのだ。
使用人や両親が忙しく準備を行う中、相手が王子なのだと実感して溜息を吐いたのは言うまでもない。
そんな準備万端の状態でサロンで過ごしていると、昼過ぎ、王子到着の報が入った。
父が急いで玄関へと出迎えに行く。
それと同時に、ディアナたち侍女もお茶の準備などの手配のために一斉に動き出した。
わたしはと言うと、母と共にサロンの椅子に座ったままだ。
父が王子を迎えに行ってサロンへ連れてくることになっているので、わたしたちはここで待っていればいい。
今日は薔薇を見に来るという話だったので、サロンで簡単にお茶をした後ですぐに薔薇園に移動しようという考えだ。
そして、あわよくば薔薇を見たらすぐにお帰りいただきたいという願いも込めている。
そわそわとしながら待っていると暫くしてからノックがしたので、母に視線を向けた。
母もこちらを見ており、目が合ったところで揃って立ち上がる。
居住まいを正してから扉の方に向かう。
気合を入れるために大きく深呼吸をするのを忘れない。
そうしてこちらの準備ができたのを確認して、メイドが扉を開いた。
そこには、父と王子、そして王子の従者が立っていた。
「リアム王子、ようこそおいでくださいました」
母の言葉に合わせて、そろって礼をとる。
「ああ、久しいな」
王子は青い瞳をやや細めてこちらを見ていた。
そんな視線と言葉に思わず動揺してしまい、ピクリと体が揺れる。
これは嫌みなのだろうか、それともそのままの意味なのだろうか。
真意を図りかねて、わたしは笑顔を引き攣らせてしまう。
どちらにしても、どうやらご機嫌がよろしくないだろうことは間違いがない。
「王子、こちらへどうぞ」
そう言って父が案内すると、王子は無表情のまま椅子に座った。
従者のクリフはというと、騎士のように部屋の隅に待機している。
王子が座ったのを確認し、わたしたちも先ほどまで座っていた椅子に腰かける。
今回サロンには敢えて楕円形のテーブルを用意しているのだが、そこに時計回りに王子、父、わたし、母の順に並ぶかたちだ。
つまり王子とわたしは隣でも真正面でもない。
王子はこの配置にやや不思議そうな表情をしたものの、タイミングよく出されたお茶にすぐに意識が向いたようだった。
「お忙しい中、長旅でお疲れではないですか」
母が問いかけると、王子は首を振った。
「いや、ちょうど近くで視察の予定があったのだ。今日はそのままそこから来られたので、疲れはそれほどない」
「あらまあ、それは良かったですわ。今日はまたそちらにお戻りになるのでしょうか」
「そうだ」
それを聞いてわたしは少し落胆した。
ここから近い場所に戻るのであれば、帰路の時間を考えてすぐに帰るということはないかもしれない。
そんなわたしを尻目に、父は母と王子の会話に納得したように頷いた。
「だから本日のお越しも少数精鋭だったのですね」
「そうだ。大勢で押しかけては迷惑になると思ってな」
「お気遣いありがとうございます」
三人の会話にわたしはただただ作り笑顔で相槌をうっていた。
しかし内心では冷や汗が止まらない状態だ。
それというのも、やって来てからまだ10分と経っていないというのに王子は何故かとても不機嫌そうなのだ。
王子と会うのはまだ片手で足りる程の回数ではあるが、表情や声にそれが表れているのでよくわかる。
なんとなく語尾が強い、どこか棘があるような声なのだ。
父と母の話し方が優しく朗らかなものなので、その対比が顕著だ。
この部屋に入って来た時からこの状態ということは、来る前から不機嫌だったのだろうか。
例えそうだったとしても、先ほどから王子がこちらを見て何かを言いかける度に父か母が王子に話しかかるというこの状況が、その不機嫌さに拍車をかけているように思う。
どんどんと表情が硬く険しいものになっていく王子が視界に入る度に、背中に汗がジワリと滲む。
実はこれは両親とたてた作戦だ。
「この婚約に乗り気でない」「できるだけ王子と距離を取っておきたい」というわたしの気持ちを汲んで、両親がわたしと王子が出来るだけ二人きりになったり会話したりしなくていいようにと守ってくれているのだ。
婚約解消を言い出すことが無理でもこのくらいは協力できる、と言い出したのは母である。
そう言った経緯で、両親は王子に話しかけ続けてわたしに話を振ったりしないし、わたしも積極的に話に参加したりはしない。
わたしはこの部屋の中で存在感を消して、ただの笑顔の張り付いた置物のつもりで聞き役に徹している。
しかし王子のこの様子にわたしは本当にこれでいいのかと思わずにはいられない。
王子が怒って婚約破棄になってくれれば嬉しいけれど、それよりも両親の評価が下がったり不敬で罰を与えられたりはしないかとひやひやしてしまう。
だって相手は子どもとは言えれっきとした王族なのだ。
父と母のことだからそんな状態になるほどまでは無茶をしないと思うが、やはり娘としては心配にもなる。
そんなふうにヒリヒリする空気の中で過ごしていると、次第に話題もお茶も尽きていって。
「さて。そろそろ、薔薇を見に行こうと思うのだが」
王子の言葉にわたしは「ついに来た!」と肩を震わせた。
王子としては薔薇を見るために今日ここに来たのだからやっと本題というところなのだが、わたしの方はこのまま父と母と会話して帰ってくれたらいいなと願わずにいられなかったのでやはり落胆してしまう。
落胆する理由は簡単だ。
さすがに薔薇園の案内はわたしがしなければならないだろうと考えているからだ。
前回もそうであったのだから今回も、となるのはごく自然だ。
おそらくわたしだけでなく父も母も同様に思ったはずだが、さすが長年貴族をしているだけあって表には全く出ていない。
わたしはまだまだ修業不足だ。
そんな風に思っていると、ここでも母は先んじてにっこりとほほ笑んだ。
「ではご案内させていただきますわ」
母の言葉に、王子は一瞬ではあったが今日一番の不満顔を浮かべた。
「いや、そこまで手を煩わせるつもりはない」
「そんなお気遣いは不要ですわ。私が手塩にかけた薔薇園ですから、是非ご案内させていただきます」
微笑みを崩さない母と無表情の王子。
空気がピリリと張りつめた状態がしばらく続く。
王子の出方を窺っていると、王子がちらりとこちらに視線をよこしてきた。
青い瞳が何か言いたげにまっすぐに見つめてくる。
そのまっすぐさに視線を逸らすことができずにいると、王子は徐にガタリと音を立てて立ち上がった。
「リアム王子?」
父が声を掛けると同時に王子は父の方に向いた。
「薔薇園への案内はエレノア嬢に頼みたい」
有無を言わさないと言う雰囲気。
父は王子を見やった後に、母とわたしにそれぞれ視線を送ってきた。
母もこちらを見ている。
父も母もこれ以上は難しいと判断したという事だろう。
わたしは気づかれないように気を付けながらゆっくり息をはいた。
そして気合を入れてから父と母に視線を返した。
父は申し訳なさそうに、母は心配そうにしている。
そんな二人に大丈夫だと伝えるように笑顔を向ける。
そして最後に、王子に視線を向けて微笑んだ。
「喜んで。ご案内させていただきますわ」
わたしはゆっくりと立ち上がり、美しく礼を行った。




