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傭兵は自室の寝台に寝転がりながら、天井を見つめていた。ふと気がつくと、揺れる窓掛けの隙間から光が覗きはじめている。
身体を起こし、窓掛けの端をつかんで隅に寄せると、一匹の鳥のさえずる音が耳に入った。視界を遮る灰色の髪をかき上げ、木の枝にとまる小さな黄色い鳥を見つめる。鳥は羽ばたいて窓枠へ移動し、傭兵を見上げて何度かさえずると、そのまま飛び立った。青に染まった空に黄色が紛れて消えると、傭兵は窓枠に置かれた四つ折りの小さな紙を拾い上げる。中身を確認しながら、寝台から足を下ろした。
酒場で夜を明かしたのは四日ぶりだった。夜が深まった頃に酒場に戻ることはあったが、少女と顔を合わせることはなかった。否――傭兵自身が、少女に会おうとしていなかったのもあった。酒場を長く出ていた理由は、大規模な魔獣狩りだった。
そのきっかけとなったのは、少女の暮らしていた村――ラディート。
深い森にあったその村は凶暴化した魔獣によって滅んだ、そう誰かが囁いたことが種火に、騒ぎは国中に広がった。国王が魔獣の痕跡の報告についての王令を出したが収まらず、やがて、魔獣関連を統括する辺境伯の命により、魔獣狩りの認可をもつ傭兵や兵士による調査が始まった。傭兵もまた、それに駆り出された。
その間、休憩として何度か酒場に戻っていたが、少女には何をしているのかはあえて話さなかった。家族が死に、帰る場所もなくなった少女に、この騒ぎについて少しも耳に入れさせたくなかった。少女も、何かを察してか傭兵に訊ねることはしなかった。が、エヴァーツの口から村のことが少女に伝わった後は、傭兵の中では気まずさばかりが募った。それを境に、少女の中でどんな感情が渦巻いているのかも、傭兵は考えないようにした。
身支度をし終え、黒い手袋をはめる。調査は落ち着いた。だから、やっと腰を据えて話をすべきだと、戻ったはずだったのだが。
傭兵は机の上の、紙切れとは別の黒い封筒を軽く折って腰に下げた入れ物にしまいこみ、酒場に通ずる扉を開けた。
薄ら明るい酒場の奥。ぽつんとある亜麻色が、長椅子に膝をついて、窓台に置かれた花瓶に挿された透明な花の花弁を触っていた。扉の閉まる音がすると、小さな背中が少し跳ねて振り返る。薄い青緑色の大きな瞳が弧を描く。
「ようへいさん、おはよう」
少女はそう言って、傭兵へ駆け寄った。紺色を基調とした裾の長い服がふわりと揺れ動く。
「お茶、飲む?」
「……あぁ」
反射的にうなずくと、少女は長机で分けられた作業場の方へ入った。エヴァーツが用意した足場に乗って、手鍋に水を入れ始める。傭兵は慌てて作業場に入って、少女が右手で持つ手鍋を支えた。
「ようへいさん、エヴァーツさんから台所に入っちゃだめって言われてるの知ってるよ、わたし」
怒ってたもん。と、半目で見上げる少女。傭兵はばつが悪そうに一瞬たじろぐが、水の入った手鍋は少女の手から離させる。
「手をむやみに使うな」
「治癒師様から少しは動かしてもいいって言われたよ?」
「重たいものはだめだと言われているはずだ」
傭兵の言葉に、少女は口をとがらせてぼそぼそとつぶやく。
「重たくないもん」
そうしてうつむいてしまった少女の頭を見下ろしながら、傭兵は居心地が悪そうに首に触る。半分程度まで水の入った手鍋を火付け台に置いた後、引き出しの中から木製のお椀型の柄杓を取り出す。
「湯の移し替えはこれを使えばいい」
少女は傭兵が差し出したそれを受け取り、浮かない表情のままうなずいた。
それを確認した傭兵は作業場から出て、長椅子に腰をかける。そして、仕切りの向こうの少女に目配せをすると、少女は頬を綻ばせた。
手際よく作業をこなし、少女は二つのカップに注がれた紅い茶の一つを傭兵の前に置いた。もう一つは家畜の乳を混ぜて傭兵の横に置き、少女は作業場からぐるりと回って傭兵の隣に座った。
「エヴァーツから教わったのか」
「そうだよ。ようへいさんのお世話してやってくれって」
そう言いながら湯気立つ白茶をすする。傭兵はエヴァーツへの怒りに頬をひくつかせながら少女がいれたお茶に口をつけるが、自分がいれるより明らかに美味しいそれに、もともと抱いていたより別の複雑な感情に悩まされた。
「ようへいさん、今日は何もない日なの?」
少女の瞳の光がほのかにまたたく。傭兵はその期待に反して首を振った。
「その予定だったんだが」
「そっか」
少女は両手でカップを抱えた。足置きに届かない黒い靴がふらふらと動く。
「お留守番はできるからだいじょうぶだよ」
声音は明るいが、目線は波打つ茶白に落ちる。
この酒場がある場所に危険はない。ひとりで過ごせる能力があることも分かっていたが、この少女にとって一番の苦痛は取り除こうと相談した結果、傭兵とエヴァーツのどちらかは酒場にいるようにしていた。
急遽入った断れない依頼だが、変えるつもりは毛頭なかった。朝返ってきた紙切れを読むに、そろそろか。
「留守番はしなくていい。私の代わりに――」
傭兵は言いかけて、外に通じる扉に意識を向けた。扉を三回叩く音。
席を立ち、扉の方へ向かう。後ろから少女も着いてきて、窓の外を慎重に覗いてから、扉に手をかけようとした傭兵に近づき、服の袖をつかんだ。
「だれもいないよ」
「そこからは見えないだろうな」
「どうして?」
少女が首をかしげる。傭兵がどう答えたらよいか考えていると、もう一度、今度は荒っぽく扉が叩かれた。傭兵はため息をつく。
「見たら分かる」
傭兵はそう言って扉を開けると、冷たい空気が足下に流れ込む。酒場の外とは違う石畳の地面に立つ者――顎の辺りでまっすぐ短く切りそろえられた艶やかな黒髪を見下ろした。扉が開いたことに気づいた黒髪が動き、黒にほど近い紺色の瞳に日の光が差す。




