アストラ
突如として空から舞い降りたのは、短くも二人を救ってくれる言葉だった。
深紅の軍服にスカート、襟章を始めとした金の粉飾。そして銀の大きな両翼。顔は翼で見えないが、痩躯なのは見て取れた。
声は女性のものだったが風音で声音まではわからない。
軍服の少女はカエルムの左腕に手を通し、引き上げる。背丈はテラより少し大きい程度だが、その力は凄まじいものだった。カエルムの脇をぐんと持ち上げる。
「っ!」
テラも宙を蹴って救出に参加する。カエルムの右脇に手を通し、引っ張り上げた。テラはその最中で上空を見るが、ハヤブサの姿はもうなかった。
次第に重力が軽くなり始め、余裕が出始める。そこでテラはようやく助けてくれた恩人の顔を見ることが叶った。
どこか眠気を感じさせる半眼と深い灰色の双眸。顔立ちは端正だが表情が読めない。強いて言うなら無表情だ。
髪の毛は翼と同じ銀のロングヘアで、風に任せてたなびかせている。軍服と同じ色の軍帽を被っていた。腰には黒塗鞘の軍刀を下げていた。
「あっ、ありがとうございます!」
「……このエリアは『竜の鼻息』と呼ばれる、悪風が吹く危険地帯」
銀翼の少女は感情を感じさせない声でそう言った。
「何故この空域を選んだの? 知らなかった?」
「ごめんなさい。知ってたんですが、ハヤブサに追われていつの間にか洋上に出てて……」
「ハヤブサ? 見当たらなかったけど?」
「えっ?」
テラの頼りない答弁に、軍服の少女は深くため息をついた。それから真紅の軍帽を直して名乗った。
「……ボクは帝国軍翼人隊第一連隊所属のアストラ。貴女は?」
「私はテラです! こっちは妹のカエルムです!」「妹、じゃ、ねぇ……」
「貴女達は本当に姉妹? いや……ふむ」
アストラは一瞬釈然としない顔をしたが、一旦そこで言葉を止めた。
「……そこの岩陰で休もう。妹の方が疲労困憊してる」
「わかりました! カエルムちゃん、大丈夫?」
「……あ、ああ。何とか」
「よかったぁ」
「やっぱり、空を飛ぶのは、怖ぇよ……」
カエルムは両脇を抱えられながら呻く。さすがに事件が連続して怖気づいたようだった。
三人は岩陰に降り立ち、カエルムは前のめりに倒れ、彼女は肺の空気を吐き出そうと思い切り咳き込んだ。テラも荒い息を整える。
そんな二人の様子をアストラは無表情で立ちながら眺めていた。彼女は至って涼しそうだった。
彼女の翼は美麗だった。羽根先に至るまで綺麗で細い線を描き、絹のように光輝いていた。
一方のテラはここまでの旅で羽根の多くを失い、残ったものも逆立ったり抜けたり、汚れたりと散々な有様だった。
おまけに制服も比較すると惨憺たるものだった。テラのものは所々穴が穿たれ、破れた箇所も多い。よれよれで血痕もついていた。対しアストラの軍服は先の先までピシッとしており、いかにも優れた軍人といった風貌だ。
「あ、あの……本当にありがとうございました! えっと、アストラさん」
「……偶然。『竜の鼻息』に入る影が見えたから、遠くから偵察してた。そしたら思い切り失速して危なそうだったから。無謀、だね」
「うぅ、面目ないです……」
「げほっ、げほっ! し、死ぬかと思ったぜ!」
「カエルムちゃん、大丈夫!?」
「ああ、お陰様でな……」
「……これ食べて。蜂蜜とかラム酒を使った、疲労回復用の飴」
アストラは肩にかけた革製の鞄から琥珀色の飴を取り出し、カエルムとテラに渡す。
口に入れると蜂蜜の甘味と、仄かに香るラム酒の香りが口に広がった。確かに滋養強壮に効きそうだ。
それを口の中で転がしたテラは襟元を正し、スカートから覗いた膝小僧をパンパンと叩いた。
「……ところで、貴女達は王国から来たんだよね?」
「あ、そうです! 新米配達員でして」
「目的地は帝都イモータリス? それなら案内するけど」
「あ、凄く助かります!」
「……」
アストラは何も言わずにテラの翼に触れた。
テラは初対面の人から翼を触られて一瞬ドキッとする。彼女は口を閉じたままテラの逆立った羽根を撫でた。
「……旅で相当酷使したんだね」
「竜に蹴られたり、竜巻に巻き込まれたり、色々ありまして……」
「ボクに敬語は不要だよ。テラは凄いね。大陸を飛び回って」
「あ、じゃあアストラちゃんて呼ぶね? 何か、自分でも信じられないんだ」
「……何が?」
「自分の翼で、大陸中を飛んでることが!」
テラは顔を上げた。道中を追想して、思わず涙を零しそうになった。
思い返すと色々なことがあった。両親とアヴィスを思い出して思わず感極まる。ウルドを立ったのが遥か昔のように感じた。
「……でも、飛び方はまだまだだね。無駄な動きが多すぎる」
「ふえぇ!?」
「羽ばたくときに翼のつけ根を捻る癖がある。それを直すだけでだいぶ飛ぶのが上手くなるはず」
「あっ、あう……『バサバサ音を立てる』ってそういうことなのかな……?」
非常に深い歎声をついてから、うずくまっていたカエルムが立ち上がった。くすんだ茶色の前髪は額に貼りつき、肌を滝のような脂汗が流れていった。
「待たせて悪かった。もう大丈夫だ」
「……ん。じゃ、遅くなる前に出立しようか」
アストラの言葉を号令に、三人は立ち上がってゆっくりと飛ぶ――はずだった。
だがアストラは数度羽ばたいただけで、彼女の背中はあっという間に遠くへと過ぎていく。
「ちょっと速いかなアストラちゃん! 体力がもう……」
「速ぇよ! ついていけねぇ!」
「……姉妹は揃ってまだまだだね」
そこで、アストラは初めて小さく微笑んだ。
それからは気をつかってくれてるらしく、動作をゆっくりこなしてくれる。
彼女の飛び方はテラのそれより滑空が多く、滑らかに大気を切り裂くように飛んでいく。丁度先ほど遭遇したハヤブサのような飛び方だ。
テラはその飛行方法を見て、先ほど指摘された問題点に配慮して飛ぶ。すると少し飛ぶのが楽になった気がした。
しばらく飛行していると、整然と並んだ麦畑を突っ切る石畳の街道が見え始めた。その脇に並ぶ青い穂先がさわさわと風に揺れている。さっき見た海面のように波打っている。
――すると大海を背にした、六芒星の形をした都市が浮かび上がる。
城壁は王都のそれより遥かに高く、巨大な鉄の門扉では人々が入国手続きをしており、鎧を着た兵士がひたすらに並んで往来を監視している。
古代の宮殿や街並みには無骨な鉄骨が刺さり、大通りを形成している。灰褐色の切妻屋根が所狭しと並び、所々背の高い塔や教会がそびえ立っている。全体的に重い雰囲気で荘厳さを感じられる。
広さは王都の倍はあろうか。都市の中心部を頂点として、緩やかに末広がりになっている。霞んだ沢山の翼人たちの影が上空を行き交っている。
「ようこそ、帝都へ」
「うわぁあっ!」
テラはもはやアストラの言葉が聞こえないほど、帝都にのめり込んでいた。紫水晶の瞳を輝かせ、栄華を極めた都に心を奪われた。
帝都は王都とは比べものにならないほど群衆に溢れている。煌びやかな店が軒を連ね、王都とは違う石造りの家屋が並んでいる。どの建物も威厳のある佇まいだった。
「うっは、すげぇ!」
カエルムが興奮した声で叫ぶ。
――こここそ、この旅の折り返し地点、帝都イモータリスだった。




