冒険者たちの浮世語り (6)
「それボクの前で語るの意地悪じゃない?」
話が終わるなり、ロアルが不満げにアルグレッドを指差した。アルグレッドはしらばっくれるように「何が」と返す。
「分かってるくせにさ。……まあ、残念ながら、ボクもその幽霊騎士君の気持ちは分かってしまうけどね。人間だもの、いくら謙虚ぶっても欲は出るさ」
アルグレッドの目がクリフに向く。クリフは隣からの視線に気づいた様子もなく、他人事のように聞いていた。
「……まあいい。そら、次、お前」
「はーい」
ロアルが三番の籤を掲げた。
『暁の花束』
古い、古い時代のお話。
たいそう人好きの神がいた。神とは呼ばれていたが、つまりは幻想種である。人に化けることを好み、人の集落を転々と旅していた。ユマという名前を好んで使っていた。一つの集落に五年ほど滞在し、惜しまれながら去っていく。麦の育て方も、家の建て方も、病気に効く薬草のことも、遠い国の物語も知っているユマは、不思議な旅人として人々に語られていた。
とある村に、そんな神と同じ名を持つ青年がいた。ふらりとやってきた余所者であることも同じだが、物語の中のユマとは異なり、こちらは何一つ、自分の名すら知らなかった。親切な村人に助けられ、旅人、というのも味気ないだろうと、ユマと呼ばれるようになった。
ユマは麦の育て方どころか、麦が何なのかすら知らなかった。気付けば身一つで、荒野に放り出されていたという。よほどひどい目に遭ったのか、それとも神の怒りでも買ったのか。村人たちの同情をよそに、ユマは平気な顔だった。自分が何も覚えていないのも、きっと神の思し召しだ、と笑っていた。
村の雑用をしているうちに、ユマは一人の少女と親密になった。ユマと同じ年頃で、運よくまだ結婚相手が決まっていなかった。ユマを正式に村に迎え入れるためにも、と、婚姻の話はとんとん拍子で決まった。恋愛結婚なんてめったになかった時代だ。ユマも少女も、不思議な縁を喜んだ。
平穏な、しかし幸福な日々は瞬く間に過ぎていった。十年経ち、二十年経って、ユマは村の一員としてすっかり受け入れられていた。思い出せない過去よりも、愛する妻と子がいる現在のほうが、ユマにとっては価値があるものだった。
ある冬、一人の旅人が村を訪れた。長耳妖精だった。当時はまだ背丈が源人類に近く、薄緑の肌と長い耳を持つ、森の民として知られていた。エルフの若者は、一宿一飯の礼にと、寝物語をひとつ聞かせた。エルフは、遠い昔に出会った、一人の神を探しているそうだ。
神は病で動けなかったエルフを、見事癒したという。礼を言う前に、神はその村を去ってしまっていた。その後、長命のエルフが長いと思う程度の時間をかけても、その神を見つけることはできなかった。
旅をするうちに、いくつかのうわさを聞いた。何でもその神はたいそう人好きで、方々の村に、人の姿で紛れ込んでいただとか。源人類には人にしか見えなかったろう。しかし、エルフの目には神に見えていた。
エルフは、壮年のユマを見て言った。あなたが二十ほど若ければ、その神にそっくりだったろう。
ユマは黙って、困ったように笑った。
エルフは村に十日滞在した。世話になった礼にと、村の畑には祝福を、ユマには一粒の種を渡した。家の裏に種を蒔くと、半年後に橙色の花が咲いた。
一年ごとに花は増え、いつしかユマの家の裏庭は花畑になった。年老いた妻はその花を眺め、嬉しそうに細めていた。
ユマの妻は、夫と、子供たちと、孫と、たくさんの花に見守られ、静かに逝った。
その夜、弔問客が訪れる中、ユマの息子は、不思議なものを見た。母に寄り添っていたはずの父が、いつの間にか姿を消している。代わりに、白い光が、足跡のように床に残っていた。足跡を辿ってゆくと、裏庭から空へ、光の粒がきらきらと川のように流れていた。
もしかしたら本当に、ユマは神様だったのかも。村の誰かがそう言った。消えてしまった父のために、ユマの息子は小さな墓標を一つ作った。
さらにしばらくの時間が経って、いつかのエルフが村を訪れた。ユマの息子に話を聞くと、エルフは笑って、そうか、やっぱり、と言った。
ユマの息子にねだられ、エルフは、一杯の茶と交換で話をした。
遠い昔――数千年を生きるエルフが言うのだから、本当に万年の昔のこと――幻想種と呼ばれている種族が、世界中にいた。寿命はなく、肉体も可変、それこそ、魔法が仮に姿を取っているような存在だった。魔法を持つエルフすら遠く及ばない。あるいは小さな世界そのものであるかのような存在、それが幻想種だった。
そんな幻想種は、時折、人に成ることがあるという。
理由は分からない。想像のしようもない。ただ、エルフに伝わる話では、人に成った幻想種は、幻想種であったことを忘れてしまうという。姿を似せるだけの変化ではない。まるで人として生を受けたかのように、食事をして、眠り、歳をとる。幻想種として持ちえた魔法もすべて失う。そのすべてを代償に、人としての寿命が尽きるまでの間、人として生きることができる。
永遠を生きる幻想種が、どうしてそんなことをするのか。エルフにも理解しがたいことだった。どれほど心を砕こうと、いずれ別れはやってくる。必ず終わりが来ると知って、全てを投げ出してまで、人に成るのはなぜなのか。その答えはきっと、本人たちだけが知っている。
エルフが話し終えると、ユマの息子はしばらく黙って、それから泣いた。
父は優しい人間だった。誰よりも母のことを愛していた。自分にも、孫にも惜しみなく愛を注いでくれた。
そんな父に、自分は何を返せるだろう。永遠を生きる間、父は、寂しい思いをしないだろうか。
エルフはしばし考え込み、それから裏庭の花畑にしゃがみ込んだ。いつかユマが植えた花は、今年も見事に咲き誇っていた。風が花弁を揺らす。小さな花々の囁きを聞き、エルフは優しく笑った。
ユマは、お前に笑っていろと言っている。
エルフはペトラと名乗った。ユマの息子に、また来年も来ると告げ、村を発った。ペトラにとって、ユマは今も恩人であった。その恩人がどこかへ去ってしまったのなら、新しい旅の宛てが欲しかった。
ペトラは約束を守った。年に一度、橙色の花が盛りになるころに村を訪れる。ユマの息子が年を取り、孫が成人しても変わらずに。村を訪れた回数が三十を超えたころ、村はペトラの訪れる日に祭りをするようになっていた。
ペトラが村を訪ねるようになって、百度目の春が来た。
村人たちが、そろって移住する話が出た。山向こうに新たな町を作り、街道を通すことになったそうだ。村で細々と暮らすよりも仕事が多く、住む家も保証されている。村人たちにとっての気がかりは、ペトラと花畑だった。
ペトラは、気が向いたら町にも行くと言って、花畑を引き受けた。ちょうど、旅にも飽きたころだった。
村人の空き家を一つもらい、ペトラは無人となった村に住み着いた。十度目の春が訪れるころには、村人が帰ってくることもなくなった。橙色の花はますます増え、懐かしき日々の思い出を語っていた。
ペトラが村に住み着き、百度目の春が訪れた。橙色の花はすっかり、村の畑を覆っていた。その花に埋もれるように横たわって、ペトラは空を眺めていた。
花がペトラに囁く。ユマの息子と言葉を交わした日々のことを。ああ、懐かしいなと目を細め、ペトラは薄く笑った。
ユマの息子とペトラは、親友と言っても差し支えなかった。けれどペトラは、そんな親友に一つだけ、嘘をついていた。
本当は、知っていた。幻想種がどうして、人に成るのかを。
「人に、恋をしたんだよ」
きっとユマは、たった一度の恋を成就させるために、何もかもを投げ捨てたのだ。幻想種としての力も、記憶も。持っていたはずの全てを。ああ、なんといじらしい!
だからこそ、どうしても。ペトラはユマに、もう一度会わなければならなかった。
足音がして、ペトラは起き上がる。振り向くと、見覚えのある青年が立っていた。青年は驚いたような顔をして、それからばつが悪そうに頬を掻く。
もしかして、あの時の。青年が――ユマがそう言って、ペトラは頷いた。
ペトラは問う。あなたは今でも、妻を愛しているか、と。
ユマは春の日差しのように微笑んで答える。もちろん、永遠に、と。
ペトラはその答えに満足し、恭しく礼をした。ようやく会えた恩人に、最大限の敬意をこめて、告げる。
「ならば私は貴方に、この花束を贈ろう。あなたの愛した人々の笑顔を、この花たちも覚えている。千年先も、万年先も」
風に踊る橙色の花は、まるで暁に染まる水面のようだった。




