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蒼天のアルターレ  作者: 日凪セツナ
断章 Ⅱ
58/60

賢人たちのバラッド

 魔法。

 それはかつて、天からもたらされた奇跡であった。人は知恵と言葉でそれを手に収め、世界の理すら書き換える万能の技術として利用し尽くした。

 大地を、大陸を焼き尽くした戦争から幾百年。

 一度は手放した奇跡は、形を変えて人の元へと舞い戻った。

 制御の難しかった『魔法』は体系化された『魔術』となり、研究と啓蒙を目的とした学院も建った。中でも、都市国家ザマルのシーラー国立魔術学院は、その規模から名門と名高い。王族、貴族から平民、果ては市民権すらない者まで、魔術の素質があれば拾い上げる。数百から千人規模の学生が日夜腕を磨く学び舎は、世間から隔絶された一つの国のようだった。

 ここでは生家の身分も育ちも関係ない。問われるのは魔術の実力と探求心のみだ。ほんの数年前までは文字すら読めなかった青年と、次期国王が肩を並べる場所である。


「だから、魔力炉さえ再現できれば、生得魔法のない人間でも安定して魔術を扱えるようになるんじゃないかと考えているんだ」


 広い図書館の片隅で、黒髪の青年は梯子の下を見やった。金髪の青年は、数秒の沈黙ののちに顔を上げる。


「何か言ったかい?」

「また聞いてなかったな、リオ。あんたの研究テーマの話だよ」


 黒髪の青年は、分厚い本を片手に梯子を下りる。


「ああ、うん。人間の魔力回路の話か。仮説は僕の方でも立てているんだけれど、結局のところデータが足りないんだよね。生得魔法のない人間に魔術を使わせるとなると、どうしたって危険が伴うから。君の研究の進捗は?」


 黒髪の青年はさっと視線を逸らす。金髪の青年、リオは控えめに笑った。


「お互い、あと二年で論文が形になればいいけれど」

「カリフィに予言でもねだりに行くか」

「またお説教されるよ」


 柱時計が正午を告げる。図書館をうろついていた学生たちが、ぞろぞろと移動を始めた。昼食時だ。二人の青年も例にもれず、それぞれ本を抱えて図書館を出る。

 中庭をぐるりと囲む廊下を歩いていると、向かいの廊下から一人の青年が飛び出してきた。芝生を大股で横切った赤髪の青年は、二人とまとめて肩を組む。


「飯! 一緒に行こう!」

「わあ驚いた。アストラって神出鬼没だねえ」


 リオはおっとりと笑う。一方で黒髪の青年は胸を押さえて目を丸くしていた。


「お前、今日は補習だって」

「終わった。俺優秀だもん」

「本当に優秀な人は、はじめから補習にならないけどね」


 黒髪の青年が半笑いでそれに同意する。リオに、アストラはむっとした顔を向けた。


「俺の研究が形になったら、魔術の歴史が変わるよ。その時歴史が動いた! って教科書に名前載せてやるもんね」


 アストラは腕をくるくると回す。


「その時、補習するような学生だったほうが親しみやすいだろう?」

「俺、そんな打算的な偉人やだわ」

「それに、優等生だったって逸話のほうが残りやすいと思うけれどね。ほら、イメージ的に」


 ぶーぶーと、子供のように口を尖らせ、アストラは不満を示す。三人を追い越す上級生たちが、またやっている、と笑っていた。

 まさか本当に、この駄々っ子が歴史に名を残すとは。その時、いったい何人が本気にしただろう。


「そうだ、午後暇だったら、データ採集に付き合ってほしいんだけど」


 アストラは黒髪の青年に向き直る。


「な、いいだろ? グレン」


 のちの【炎帝】アストラと、【人形師】グレン。

 これは彼らが伝説となる前、ただの悪童だったころの話である。




 魔術学院の卒業には、研究成果をまとめた論文が必要になる。たいていの学生は二年ほどの時間をかけるが、アストラはそれよりさらに一年早く着手していた。

 研究テーマは『魔術系統の分化とその傾向』。獲得魔術を種別に分けるという、魔術分析学ではメジャーなテーマだ。しかし地道で膨大な時間がかかるため、学生でこれを卒業論文にすることは少ない。


「今の元素と効果の分類がすっごく不満なんだよなあ~」


 運動場の片隅で、アストラは地面に枝で文字を書いていた。


「そうか? 俺みたいに学のないやつにも分かりやすくていいと思う」

「でも、同じ効果だけど使う元素が違うから違う種類っていうのが納得いかない」


 何を言っているんだ、と言いたげにグレンは眉間にしわを寄せる。


「あ~、先行論文がもうちょっとあればなあ」

「ここの図書館で満足しないんだったら、アークリヴァルティにお前が満足できる場所ないぞ」

「くっそぉ、魔法の時代のも全部焼いちゃったんだもんな。やっぱ戦争って最悪だわ」


 持っていた枝を放り投げ、アストラは地面に転がる。しゃがんで頬杖をつき、グレンはアストラを見下ろした。


「で、俺をわざわざご指名ってことは、俺の魔法が欲しいんだろ」

「さっすがグレン兄、話が分かるぅ」

「データ取りならリオとかイェルのほうが適任だからな。ああいう多属性使いの優等生のほうが」


 ぱっと起き上がり、アストラはローブの砂を払った。


「じゃあ今晩。図書館前で」

「……ははん、命知らずめ」


 たくらみ顔で笑い、二人はぐっと手を組んだ。




 学院の図書館は、講堂丸ごと一つと同じ大きさの独立した建物だ。一階は自習のために机と椅子があり、それを挟み込むように本棚がずらりと並んでいる。開架図書だけでも、一生かけても読み切れないと言われている蔵書量を誇る。

 しかし研究をする段階になると、学生は揃って『本がない』と言う。参考になる文献がない。論拠となる論文がない。手掛かりになりそうな書物がない。それは広大な砂漠から目当ての砂粒を探すようで、たいていの学生は途中で『もういいや』と切り上げてしまう。それでも学生の論文としてはそれなりの形になるからだ。

 だがアストラは、それでは我慢がならないようだった。司書に顔を覚えられるほど出入りし、目録を暗記するほど見返し、ない暇を作って図書館に入り浸る。それを繰り返すことはや一年、開架図書になければ閉架だと目を付けたわけである。


「この日のために課題をやる間も惜しんで司書さんの帰る時間の平均を割り出して、人目につかない最短距離と閉架図書室の錠前魔術の術式を手に入れて解析しておいた」

「お前、そんなんだから補習になるんだよ」


 柱の陰から、アストラは図書館の様子をうかがっている。すでに月が高く昇っていた。寮の門限である夜十時の少し前に、図書館は閉館となる。司書がいなくなった図書館に忍び込もうというわけだ。

 当然ながら、図書館の警備は学院随一の厳しさだ。古い本そのものが貴重なこの現代、古今東西の古書を集めた図書館は、金銀財宝の山より価値があると言われている。

 まして、今晩アストラが狙っているのは禁書の棚である。許可を得た研究生や教師にしか閲覧が許されない本ばかりだ。中には、手に取るだけで呪いが伝染するような危険な本もある。


「えぇ……俺、解呪苦手なんだけど。俺が呪われたらアスが解呪してくれよな」

「古代呪術解析学取ってるのに」

「理屈と実践は違うだろ。ほら入れ」


 グレンが黒い布を傘のように広げる。アストラは大きな体を縮め、布の下に潜り込んだ。

 すうっ、と二人の姿が闇に溶ける。黒い布が向こう側の景色を映し、地面に落ちる影すらなくなると、二人の実在を証明するものはわずかな息遣いのみとなった。

 大きな扉を開き、司書が姿を現す。司書が杖を振ると、図書館の明かりが落ち、窓に分厚い幕が下ろされた。鋭い朝日を遮る暗幕だ。

 夜風に身を震わせ、司書は扉を閉める。あとは錠前の魔法をかけてしまえば、明日の朝まで誰も入ることができない。


「よし」


 扉を杖先で軽く叩き、司書は踵を返した。

 人のいなくなった図書館は、耳鳴りがうるさいほどの静けさに満ちていた。小さな天窓から、月光がロビーへと落ちている。

 そのロビーの中心に、突然アストラが現れた。


「やったぜ」


 囁き声で勝利を祝い、アストラは満面の笑みでグレンを振り返る。


「禁書の棚は地下だ。すぐ行こう」


 魔術を学ぶ学生の中には、好奇心が人の皮を被っているような者も少なくない。そんな学生を迎え撃つのが、教師陣による結界術である。

 第一に、何気なく図書館を利用しているだけでは、地下への入り口はまず見つけられない。そもそも地下書庫があることすら気付かない学生もいるだろう。研究生や教師の紹介を受けてようやく、その存在を知らされるのが地下書庫だ。

 一階の入り口付近、壁にずらりと据付の本棚が並ぶ区画。机と椅子を棚が取り囲むこの空間に、秘密の入り口はある。


「ほら、この本棚に鍵穴があるだろ?」

「あるな。鍵は」

「ここに針金がある」


 二人の悪童は、ひそひそと言葉を交わす。


「魔術は?」

「ここはかかってない。ゆっくり押してくれ」


 鍵がかしゃりと開く。金属の音は、静かな図書館内に大きく響いた。グレンは身を縮める。幸い、蝶番は軋まなかった。

 本棚が奥へと開き、狭い空間が現れる。横も縦も、本棚が開くぎりぎりの幅だった。その奥にまた一つ、小さな格子戸がある。こちらは魔術で施錠されていた。アストラが指先で触れ、魔術錠を解錠する。

 案外あっさり開くじゃないか、とグレンが肩の力を抜いた、次の瞬間。

 空を切り裂く音が耳元を掠めた。一拍遅れ、鋭い痛みが頬を刺す。


「いっ!?」


 飛んできた何かは、被っていた布を突き破って床へと落ちた。


「伏せなきゃダメだよ」

「なっ……ナイフが飛んでくるなんて思わないだろ!」

「そりゃあ侵入者対策くらいするよ。大丈夫、人間の頭蓋は頑丈だから切り傷で済むって」

「そうか。人間の頭には目と口という柔らかい部分があると知っているか?」

「もう一回魔法かけて」

「話聞け」


 ため息をひとつ、グレンはもう一度布を広げる。

 魔術師にたったひとつ与えられる奇跡、それが生得魔法である。グレンの生得魔法は、発動すると影に身を潜めることができる。布で濃い影を作れば、他者も隠すことができる優れものだった。


「入口を無理に開けたから、罠が発動しちゃったっぽい」

「しちゃったっぽいじゃねえよ。解析してたんじゃないのか」

「理屈と実践は違うじゃん」

「……言われると腹が立つんだな。学びになった」


 流石に罪悪感があったのか、アストラはグレンの頬をさすって傷を塞いだ。

 姿を隠しながら、二人はゆっくりと階段を降りる。グレンの生得魔法はただ姿をくらませるだけではない。グレンの爪先は影と同化し、体重も風が吹けば飛ばされるほど軽くなっている。そんなグレンにしがみつく形で、アストラも移動していた。


「……アス」

「うん?」

「帰ったら質量希釈か浮遊の魔術覚えろ」

「重い? ごめん」

「熊よりは軽いからいい」

「重いんじゃないか」


 グレンが学園に来る前は狩人だったというのは聞いているが、アストラには熊の重さは想像もつかなかった。少なくとも、たまの喧嘩で飛ぶ机よりは重いだろう。熊の肉なら、珍味として食卓に出たことはあるが。実家のシェフが、困った顔で出してきた煮込みはなかなかに美味だった。

 寮に入って四年ほどになるが、なんだかんだと理由をつけて一度も実家に帰っていない。学院の食堂も悪くないが、たまに実家の食事が懐かしくなることもある。父の珍しい物好きには辟易していたが、デザートは必ず自分好みだった。


「ティラミス……パンナコッタ……フリッテッレ……スフォリアテッラ……ふふ……」


 後頭部をグレンに叩かれた。はっとして思考を振り払い、アストラはグレンから降りる。


「さては眠いな、健康優良児」

「そうだな、早く本探して出よう」


 地下書庫は、月光も入らないため恐ろしく暗かった。暗視魔術をかけていてなお、指先がようやく見えるか否かというほどだ。


「明かりつけちゃおうぜ」

「いや待っ……お前本当に怖いもの知らずだな」

「だってこの方が早く本見つかるだろー?」


 壁際の水晶灯を光らせ、アストラはずらりと並ぶ本棚の間に駆け込んでいく。閉架図書の本棚は間隔が狭く、体格のいい者はまっすぐ歩くことも難しそうだった。

 本を刺激しないよう、明かりは最低限。気温は低く、乾燥している。古い本独特の匂いが漂っていた。きちんとした革の装丁から、紐で綴じられた紙束、毛羽立った毛布のようなものまで、並んだ背表紙だけでも個性的である。


「お前の研究内容だと……」

「目録とかないぜ。本が喧嘩するから好きなところにいさせてるんだって」

「我儘な奴らだ」

「三階のフリンジおばさんほどじゃないと思うけどなあ」


 アストラは落ち着きなく本棚の間をうろうろとする。フリンジおばさんとは、学院の三階にある彫刻の名前だ。ずいぶん古いもので、いつからか口を利くようになったので、珍しい物好きの学生はよく話をしに行く。しかし彼女は物置小屋の扉に彫られており、気に入った学生相手にしか扉を開かないため、用務員とは反りが合わないそうだ。

 グレンは数少ない、フリンジおばさんに気に入られている一人である。そのため彼女の面倒くささはよく理解しているが、それにしてもどこかへ行ってしまわないだけ本よりましではなかろうか。


「さぁーて、俺に読まれたい本はおいで〜」


 溢れる笑みを抑えきれない様子で、アストラは両手を擦り合わせた。

 それで本の方が飛んでくれば世話はない、と思いつつ、グレンも書棚を見上げる。グレンの研究内容はただでさえ資料が少ない。せっかく危ない橋に付き合わされるのだから、そのくらいの恩恵はあってもいいだろう。


「……幻想種の……」


 棚へと伸ばしたグレンの手に、一冊の本が収まった。きょとん、とグレンは本の表紙を見る。表紙に、一匹の兎が踊っていた。お前が欲しいのは自分だろう、と、心なしか本は誇らしげに見える。

 唾を飲み、グレンは表紙に触れる。ざらりとした、古い紙の感触だ。


「……これ」

「グレン、隠して!」


 駆け寄ってきたアストラが、布を引っ掴んで身を縮めた。グレンはアストラを引き寄せ、影に身を溶かす。

 かっ、と靴音が響いた。影の中で二人は息を飲む。

 ランタンを掲げ、一人の少女が踏み込んできた。棚の影に身を潜め、グレンは様子を伺う。


「いるんでしょバカども。出てきなさーい」


 あ、とグレンが声を漏らし、アストラの手がその口を塞ぐ。

 少女はわざとらしく靴を鳴らしながら、本棚の間に踏み込んできた。さっ、と心なしか本たちが整列する。

 少女は一つの棚の端で足を止めた。棚と壁の隙間に、濃い影が落ちている。ランタンをかざし、じっ、と影を見つめる。

 その大きな瞳の目と鼻の先に、アストラの背があった。


「……ふーん、そう」


 少女は薄く笑い、踵を返した。


「じゃあ鍵、閉めちゃおっかなー。内側からは開けられるかなー? 今すぐ出てきたら、先生たちに口利きしてあげるのになー」

「ごめんなさい!」


 勢いよく、グレンは布とアストラを投げだした。


「反省文なら書くから口添えお願いします!」

「グレンの裏切り者ーっ!」


 二人の頭に、分厚い本の背表紙が叩きつけられた。




 見回りに来ていたのは、研究生のカリフィだった。リオと馬が合うらしく、頻繁に昼食を共にしている。おそらく、リオから二人の悪だくみについて聞いたのだろう。


「このカリフィ様の千里眼から逃れようなんて、千年早いね」


 教官室の冷たい床で、グレンとアストラは正座させられていた。カリフィの隣には、宿直の教師が立っている。大きなこぶを作った二人に、教師は笑いをこらえていた。


「で、主犯は?」


 さっとグレンが顔を逸らす。その反応で、カリフィはアストラを睨みつけた。


「ひいっ」

「規則も守れないのに、大口ばっかり叩くんじゃない」

「で、でもぉ……俺の研究のために……」

「言い訳結構! 何のために規則があると思ってるの。あんたみたいなバカがうっかり死なないためよ」


 カリフィはぴしゃりと叱りつけ、グレンへと顔を向ける。


「あんたも、悪いと分かってやったんなら同じバカだ」

「……はい……」


 まあまあ、と教師がカリフィをなだめて下がらせた。アストラは恐る恐る教師を見上げる。三年目までの学生が受ける、魔術の基礎を担当している教師だ。


「おほん。まあ言いたいことは彼女が言ってくれた。私からは一つだけ」


 にっこりと、教師は笑って二人を見下ろす。


「運がよかったね、二人とも。たった三つほどで済むなんて」


 瞼の奥、笑っていない瞳にアストラは身を縮めた。


「……三つ?」


 グレンは青白い顔で問い返す。教師は表情を変えずに頷いた。


「リーデバルド君。君は古代呪術解析学を取っていたね」

「は、はい」

「では君は反省文代わりに、君たちに今かかっている三つの呪いを解析し、解呪し、レポートにして提出しなさい。七日以内に済ませないと、足の先から塩になるよ」

「塩っ!?」


 腐る、ならまだアテもあったが。塩は聞いたことがない。解析魔術を片っ端から試すしかないだろうか。


「次、君」


 ぶつぶつとグレンが考察を始めると、教師はアストラに向き直った。


「君は反省文五枚」

「ええっ。俺も解析……」

「君にそれはご褒美だろう。だからダメ。彼を巻き込んだことについてもきちんと反省しなさい」

「……はぁーい……」


 教師はあとをカリフィに任せた。説教から解放された二人は、カリフィに連れられて寮へと向かう。

 談話室は暗く、暖炉の中で控えめに残り火が燻っていた。カリフィは二人をソファに座らせる。


「……口利きしてくれるって言ったのに」

「あら。お説教しないとは言ってないわ。悪いことをしたら叱られるのは当然でしょう?」


 不満げなアストラは、両手で紙束を持っている。何だかんだと負けず嫌いなこの青年は、五枚書いてこいと言われたら十枚書いてやろうと思っているらしい。


「それに、口利きしてあげるのはほんと。はい、これ」

「?」


 二人の前に、それぞれ紙が浮かぶ。同じ文言の下に、カリフィのサインがあった。


「……閉架図書の、特別閲覧許可申請書……」

「名前は貸してあげる。あとは、サインしてくれる先生三人くらいは、自分で見つけなさい。グレンはすぐに見つかるでしょうけど」

「いや、別に俺は……」


 そう言いかけて、懐の本を思い出す。カリフィに連行される前に棚に戻したはずが、いつの間にか戻ってきていた。これを返すために、少なくとも一度はあの書庫に出入りする必要がある。まっとうな手段でそれがかなうなら有難いことだ。


「えー、グレンいいなあ。俺見つかるかなあ」

「日頃の行いってやつね。あんた先生たち怒らせてばっかりなんだから」


 早く寝なさい、と言い残し、カリフィは女子寮へと戻っていった。申請書を片手に、グレンは暖炉の火の始末をする。

 時刻はすでに夜中に差し掛かっている。明日の授業を考えれば、そろそろベッドに潜り込みたいところだ。だがグレンが振り向くと、アストラは目をらんらんと輝かせて申請書を見ていた。


「俺、明日から優等生になる」

「……あ、そう」

「そしたら先生たちもサインしてくれるだろ? 何日くらいかかるかなあ」

「いや、何か月だろ。お前、今の自分の信用のなさご存じか?」

「でも俺、成績はいいし」

「素行が悪すぎるんだよ」


 例えば今日侵入したのがリオであれば、罰の前に教師は心配をしただろう。遠い異国の貴族であるリオは、育ちの良さが全身から滲み出している。規則を破ったこともなければ成績も優秀、そんな彼が無茶をするなら、理由があるはずだと教師は考える。

 しかし、アストラは誰もが認める問題児だ。グレンも決して優等生とは言い難いが、アストラほどではない。レポートをすっぽかし、授業を抜け出してばかりのアストラに対して、補習をするのは教師たちの慈悲だろう。やればできるのになぜやらないのか、と頭を抱えている教師が目に浮かぶ。


「まあせいぜい頑張れよ。未来の後輩も、賢者は優等生でしたって言われたほうが勉学に励むだろうぜ」

「俺そんな逸話残るのやだ……」


 逸話を残すのは確定らしい。大した自信だとグレンは呆れた。




 四年後、アストラの提唱した魔術系統分化論は学会で認められ、魔術の分類は、主流だった五元素分類から六色分類へと変化する。『無いものを生み出す』赤魔術、『在るものを変化させる』青魔術、『元に戻す』白魔術、そして、三種の特化(エキスパート)魔術。研究に付き合わされた学友たちは、アストラと合わせて後に七賢人と呼ばれることになる。

 残念なことに現在、彼らの悪童ぶりを知っているのは、学院の三階にある物置小屋の彫刻のみである。

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