5)襲来
スカーレットの母の話では、【周遊する異界】は毎年、太陽の下端が水平線を離れると同時に現れるそうだ。
転写魔術で景色を切り取り、木の板に焼き付ける。老いて目が弱くなった母も、これなら景色に触れられるだろう。仮面を軽く押さえ、スカーレットは朝日を見る。
見下ろした海辺の広場には、金髪の双子の姿があった。どんな話をしているのだろうか。育ちが違う、価値観が違うと言いながら、あの二人は鏡合わせのようによく似ている。クリフは魔術の話に、レオナルドは魔術機工学の話に顔を輝かせ、議論を好み、自尊心は十分に持ちながら、自己評価が低い。
少し微笑ましいものを見る気分で、豆粒大の二人を見下ろしていると、にわかに水面が波打った。寄せて引く潮の動きとは違う、大きくゆったりとした動きだ。
「……来たか」
杖を腰に差し、地面を蹴る。同時に浮遊魔術が略式で起動した。緩やかな弧を描き、一段下の家の屋根に着地する。盾を持ったフォレイルが、大慌てで天幕から飛び出してきた。
広場への道を、レオナルドが駆け戻ってくる。視線を海に向けると、影が一つ。
「……!」
目を離したのはほんの数秒だ。レオナルドの前に飛び降りる。青白い顔で、レオナルドはスカーレットに縋りついた。
「兄上が、」
「【盾壁】【魔封じ】」
光の球が迫ってくる。スカーレットの杖が地面を差した。半透明の壁が即座に出現し、球を跳ね返す。
「ソルードのところまで走れ」
「あのっ、兄上が!」
「分かっている」
口元が笑う。獰猛な表情だと自覚して、スカーレットは咳払いをした。
「現れたな」
「……え」
「見えないか?」
跳ね返された光の球は、青年の手前で停止した。銀色の光輪を背負い、青年は一同の目線の高さに浮いている。
その背後の景色が、蜃気楼のように揺らいだ。
アルグレッドとトートが駆けつけ、ゼオルドがレオナルドを連れて退く。家から顔を出した子供たちは、青年を見て顔色を変えた。
太陽が水平線を離れる。水面の金色の線が途切れ、朝日の輝きが和らいだ。
瞬間、カササギ村全体を影が覆う。
スカーレットの千里眼は、すでにその正体を捉えていた。
崖に挟まれた入り江の、その中心。不自然に揺らぐ水面に、足が乗っている。
数歩進めば、視界をすべて埋める大きさ。朝日の逆光で灰色に見えるが、色は白。縁は金色、広げた翼は白銀だ。丸い腹部と長い尾、ぎゅっと縮めた首、そして嘴。翼が上下するごとにぎらりと走る青い光は、村の名の通り、カササギにも見えた。
そう、それは確かに鳥だった。その大きさにさえ、目をつぶれるのならば。
「【周遊する異界】だ」
確認するまでもなく、魔力計の針は振りきれている。そして、クリフとの間に繋いだ通信回路は、まっすぐに水鳥の胸へと続いていた。
「クリフォードはあの向こうだ。私は行く」
自らの攻撃を防いだスカーレットを、青年は憮然として見下ろしていた。
「じゃあボクも行こう。魔法使い君を返せこのクソ犬!」
一同の頭上を飛び越え、ロアルが駆け出した。すでに双剣を抜いている。青年が指を下へ向けると、球が急速落下した。ロアルが蹴った地面が、球の形に抉られる。
「消えっ……!?」
レオナルドが息を飲む。クリフの時と同じだ。ロアルがそこにいた、という痕跡ごと、あの球に飲み込まれて消えている。
(なるほど)
レオナルドを退かせながら、スカーレットは青年を見上げた。
転移魔術、ではあるのだろう。だが、高度である以上のことはスカーレットにも分からない。少なくとも、門を自在に動かせる転移魔術は現代に存在しない。【秘密箱】とて、鍵という形が必要なのだ。
「面白い」
それを操るあの青年は、しかし、幻想種ではない。幻想種と繋がっていることは確かだが。スカーレットの眼はそれを見抜いている。
突入すら一筋縄ではいかないと思っていたが、これは渡りに船というものだ。
「…………」
青年の指が、スカーレットの後方へと向いた。
「え」
一瞬。声を漏らしたのはレオナルドだった。
地面には、抉られた跡が四つ。左手で顔を庇い、レオナルドは恐る恐る目を開く。
「何が面白い?」
指を差した青年は、不機嫌そうにスカーレットを見下ろした。
「お前たちの行く末はすべて俺が決める。お前たちの命の使い道は俺の手のひらにある。お前たちは命が終わる最後の最後まで、俺を見上げて救いをねだるんだ。俺という神に」
若い声は滔々と語る。
「女。男。お前たちで最後だ。すべて連れていく」
「そうか」
指先でくるりと杖を回し、スカーレットは首を振る。
「お前、可哀想なんだな」
「スカーレットさん!?」
仮面の目玉に青年を映し、スカーレットは薄く笑った。
「……お前、変だな」
青年が手を振る。
地面の感触が消え、めまいがする。浮遊魔術を起動し、スカーレットはレオナルドの襟首をつかんだ。
ぐにゃりと視界が歪み、レオナルドは目を閉じる。浮遊感に総毛立ち、何とか目を開くのに二秒かかった。
まばゆい青空が、足元に見えた。
巨大な幻想種は、ゆっくりと着水した。波打ち際が白く揺れ、広場の床を裏から叩く。
水平線を離れた太陽は、金色から白へ変化しながら登り始めた。日光を浴びたカササギ村もまた、刻一刻とその姿を変える。
幻想種は首をかしげる。村はしんと静まり返り、道にはいくつか抉られた跡が残るのみだ。
きぃ、と一つの家の戸が開く。錆びた蝶番を鳴らしながら顔を出したのは、黒と紫の髪の少年、ソルードだった。オーロラ色の目をそこかしこへ向けてから、ソルードはきゅっと唇を噛む。
家からは、ぞろぞろと十人の子供たちが出てきた。誰もいない道を、冷たい海風が吹き抜ける。
星の鍵を握りしめ、ソルードは俯いた。
「言うとおりに、できた」
隠れているように言われた。何があっても、静かになるまでは【秘密箱】から出てこないようにと。自分はそれを守れた。大丈夫。兄たちは、何も言わずにいなくなる人間ではない。大丈夫。
「……ふぐ」
頭を振って、鼻の下をこする。今ここにいる十一人の中では、自分が一番年上だ。多分。
(おれが『リュカ』にならないと)
かつてソルードは、人身売買を目的としたサデュラ支援会で監禁されていた。同じ地下室に監禁されていた子供たちの年長者であり、家に帰りたいと泣く子供を宥め、慰め、支えていたのが、リュカという少年である。
あれから約四ヶ月。今ではソルードも、一人でパンを焼けるまでになった。
「ごはん、食べよ!」
精一杯顔を笑わせ、両手をにぎる。
腹が減っているのは良くない。ロアルの教えだ。自分が泣いていたら、子供たちはますます不安になる。自分にできることはと走り出すのは、腹がいっぱいになってからでいい。
「ね、小麦、ある? パン作る。おれつくれるから!」
不安げに翳っていた子供たちは、ソルードを見上げ、顔を見合わせる。ソルードは両手で頬をつまみ、歯を見せた。
「だいじょぉぶ。兄さんも、ろぉも、アルにいも、にゃーねえもフォルさんも、えと、スカーレットさんも、レオにいもゼオにいも、みんな強い。だから、大丈夫。なっ! だから、ごはん、食べよう? げんきで、待ってるために」
そう信じている。信じていたい。
子供が一人、こくりと頷いて歩み出た。
落下している。そう確信した瞬間、スカーレットは浮遊魔術を解除する。
空の只中に、自分とレオナルド、そして光輪の青年がいた。見上げた先に、水面のような揺らぎがある。
(転移の中継地点か)
「レオナルド!」
「はいっ!?」
「低速落下の魔術だ。教えたな」
「できないですってば!」
手足を縮め、レオナルドは悲鳴を上げる。
確かに、カササギ村までの道中でいくつか、基本的な護身魔術を教わった。クリフと双子ならば、素質はあるはずだと。だが結局今日に至るまで、きちんと魔術が発動した試しはない。
「やれ」
「できません!」
「できる!」
三人は空中を、揺らぎへ向かって落ちていく。まるで強烈な水流に揉まれているようだ。
「無理です、できません! できないんです本当に!」
「なら回路だけ貸せ。死にたくないだろう」
「正気ですか!? 僕に命預けるなんて!」
有無を言わさず、スカーレットはレオナルドの右手首をつかんだ。青年は二人と同じ方向へ流されながら、怪訝な表情になる。
体が水面を通過する。
「まだ正気な方の賭けだ」
スカーレットとレオナルドに続いて、青年も水面を通過してきた。
転移術は移動直後、意識と肉体に必ずズレが生じる。肉体が存在する空間と魂が認知する空間の違いだ。どれほど転移に慣れていても、その瞬間、必ず隙ができる。
その時間、たった一秒。
「【天稟の優越】!」
スカーレットには十分すぎる。
強化魔術を起動。感覚を拡大し、触れた皮膚越しにレオナルドの魔力回路を探り当てる。自身の手のひらからレオナルドの手首へ、回路が繋がっていると錯覚させ、魔力の許容量を約三倍に増幅。続けて使用する術に備え、周囲から一気に魔力を体に流し込む。
(やはり良い回路を持っている)
心臓裏の魔力炉と、四肢へ伸びる回路。現代においてその優劣は、先天的なものだ。そしてほとんどの場合、親から子へ遺伝することも明らかにされている。
クリフとレオナルドは双子。ならば、魔術を使う素養は十分ある。魔力への慣らしが済んでいないレオナルドには少々酷だが。
白んでいた周囲が、景色として像を結び始める。眩い蒼天から一転、薄暗い岩肌が周囲を覆っていた。スカーレットは低速落下の魔術を起動し、青年を見上げる。仮面越しでも、その威圧感は分かる。
(年は二十代半ば、髪の紫はおそらく後天……過度な魔力に侵された色)
思考を巡らせ、同時に魔術を複数組み立てる。
(敵意はなくとも、こいつは敵だ)
クリフをはじめ、一同を攫った時点で喧嘩は売られている。
だが、この男に敵意はない。世界の全てが自分の思うままになることが当然だと思っている。それに逆らったものを折檻することもまた、この男にとっては悪ではない。
(……理由)
人間と同じ姿をして、人間と同じ言葉を使う。だからと言って話せば分かり合えるとは思わない。それは傲慢というものだ。
それでも、行動には理由があるはずだ。少なくとも、スカーレットはそれを信じている。
こちらを見下ろしてくるあの青年にだって、相応の理由が、きっとある。
「生意気な顔だ」
青年の光輪が、ひときわ強い銀色を放つ。風穴の開いた両手が、ゆっくりと空中を撫でた。
「躾が必要そうだ」
手のひらの軌跡に、円形の陣が現れる。二重の同心円と正方形だけの簡素な陣。その中心部から、純白の剣先が突き出している。
「舌を噛むなよ」
「へぁ、はい!」
できるならば布でも噛んでおきたいところだ。何も頼りのない空中で、レオナルドは歯を食いしばる。右手首から、何かが流れ込んでくる。皮膚の内側を炎が舐めているような感触だった。
「【全起動】」
スカーレットの宣言と同時に、レオナルドは強烈な眩暈に襲われた。
仕込んだ魔術が同時に起動した。炎、水、風の基礎魔術だ。空中に描き出された魔法陣が、そのまま砲口となる。
青年が手を振り下ろす。発射された白い剣のうち三本は、迫りくる魔術と相殺した。残りの五本を、スカーレットは身を捻って躱す。
次に飛んできたのは、同じく漂白された矢であった。剣より一回り小さな円陣が、剣の倍の数出現している。
さらにその背後、青年の頭上に浮かぶ武器は――
(銃)
血の気が引くのが、スカーレット自身も分かった。
細長い筒と木製の持ち手。鈍器とも弩とも違う形状。金属製の弾丸を火薬の爆風で飛ばす、旧時代の火器だ。スカーレットも、現物は博物館でしか見たことがない。それが今、現実の脅威として自分達に向いている。
青年の手が銃を取る。弾丸の速度は知っていた。
「【防御壁】!」
知っていたところで、避けられるわけではないが。
魔術の鎧でこぶしを覆う。矢を払う程度ならばこれで十分だ。銃弾は、
(高圧縮の魔力製なら問題ないが)
最悪の場合、レオナルドにさえ当たらなければいい。
空中でぶつかり合いながらも、三人はゆっくりと落下している。
そこは巨大な、あまりにも巨大な洞窟だった。膨れた蜂の巣のような空間の底に、木製クレーンが設置された大穴がある。その大穴と岩壁の間に所狭しと、土壁の家が建ち並んでいた。
鉱山の街。岩肌に閉ざされてさえなければそうだろう。
スカーレットに振り回されながら、レオナルドは街並みをその目に映していた。
人ひとり二人で落ちるには広すぎるが、あの家の数だけ人がいるならば少し狭すぎる。
兄は、ゼオルドは、冒険者たちは、もうあそこに落ちたのだろうか。無事だろうか。きっと無事だと、信じているが。
地面が近付いてくる。水の中を揺蕩うようにゆっくりと、しかし着実に高度は落ちている。スカーレットは容赦なくレオナルドを振り回し、レオナルドの右手首は痛みを通り越して冷たくなってきていた。
依然、青年は攻撃の手を緩めない。スカーレットはそれを全ていなしているが、降り注ぐ剣や矢の間から飛んでくる弾丸だけは、毎回左の手のひらで受け止めていた。魔力の弾丸は、スカーレットの手のひらで解呪され霧散する。
並の人間ならばすでに穴だらけであろう猛攻。それを凌ぎ切ったスカーレットに、青年は心動かされたようだった。無感動だった目が見開かれ、唇がわなわなと震えている。
攻防は五分ほどだっただろうか。吊り下げられたレオナルドの足先が、竪穴の底に触れた。
「……ひ」
青年の口の端が引きつった。
「きひっ、ひひひ、ひははははははははは!」
首を逸らし、青年は笑う。スカーレットはレオナルドの手を放した。行け、と顎で示し、スカーレット自身も地面に降り立つ。
大穴の縁に、野次馬が集まってきていた。その中から、見知った金髪の魔術師がいの一番に飛び出してくる。
「兄上」
「離れろ!」
怒鳴り声とともに、クリフがレオナルドに手を伸ばす。直後、スカーレットは両腕を広げた。
「【無間の棺】」
青年の背後に、深紅の口が現れていた。風船型の使い魔を一時召喚する現代魔術。その口に齧り取られた物質は、術者の意志によってのみ解放される。
(でっ……けえ!)
クリフが喚べるのはせいぜい、背丈の半分程度の大きさが限度だ。だがスカーレットのそれは、ひと二人程度なら悠々と飲み込みそうだった。
レオナルドが巻き添えをくわないように、クリフはレオナルドと二人の間に結界の線を引く。襟首をつかまれたレオナルドは、転ぶ寸前でクリフにしがみついた。
「治療はあとだ。今は離れ」
乾いた破裂音が、クリフの頬を打った。
顔を上げると、限界まで膨れた【無間の棺】が、内側から張り裂けていた。青年の手が、スカーレットの首に届いている。
「いっ……持ってろ!」
「えっ、あ、兄上っ!?」
杖をレオナルドに押し付け、クリフは走り出した。
片手で首を、片手で口を押さえ込み、青年は勝利の笑みをこぼす。緑色の目は歓喜に輝き、生白い頬にも血の気がさしていた。
「壊れなかったな、お前」
その表情はさながら、新しいおもちゃを与えられた子供のようで。
「あそこまで遊べたのは久しぶりだ! ああ、ああ本当に。だからお前」
スカーレットの仮面が落ちる。琥珀色の瞳に、無邪気な青年の顔が映った。
「俺の嫁になれ」
拒否権などないと、締め上げる両手が言っていた。両手で青年の手首をつかみ、スカーレットはかろうじて呼吸を確保する。
無詠唱でも使える魔術はある。だが得策ではない。
青年の頭上に、また一つ円陣が現れる。青年の左手に落ちたのは、一輪の花だった。細くしなやかな茎の先に、ラッパのような花がついている。三対の花弁と、その内側の花冠。掲げられた一輪は、水仙によく似ていた。その花弁から茎から葉までのすべてが、ガラスのように透き通ってさえいなければ。
「名は?」
「…………」
解放された口で、ゆっくりと息を吸う。鋭い茎の下端が、スカーレットの顔へと向けられていた。
レオナルドが、自分をスカーレットと呼ぶのは聞いていたはずだ。完全に偽るのは危険だろう。だが、名を知られることにもリスクがある。
この青年の魔術はでたらめだった。どれほど準備に時間をかけたとしても、無詠唱で空間転移を引き起こし、武器を形成し、雨あられと攻撃を仕掛けるなど不可能だ。少なくとも、スカーレットが知る範囲の魔術では。
「スカーレット・グレスチャーだ」
千里眼で青年を探りながら、嘘と誠を半分ずつにして答える。
「…………」
青年の瞳から、ふっと興味の色が消えた。
「明日の朝迎えに来る」
ぶっきらぼうに言って、青年は花を振り下ろした。茎としては細く、しかし針というにはあまりに太いその先端が、スカーレットの頬へ迫る。
クリフの手のひらが、間一髪で間に合った。
ガラスの茎は、クリフの左手のひらを貫通する。皮膚を貫いた先端が、そのままスカーレットの右頬に突き刺さった。顔をしかめながら、クリフは右手で青年を突き飛ばす。
「ぎっ……、ああっ、クソッ!」
右手でスカーレットの頬をつかみ、鎮痛魔術を発動させる。浮遊したままだった青年は、片手で軽々と吹っ飛ばされた。
「出遅れたぁ!」
青年と二人の魔術師の間に、ロアルとフォレイルが割り込んだ。青年の緑の瞳が、きろきろとあたりを見回す。逆さの姿勢で腕を組み、青年は唇を曲げる。
「なんだ」
心底楽しんでいた絵本の終わりが、教訓で締め括られたかのような。青年の顔に浮かぶのは、そんな落胆だった。
対して、クリフとスカーレットの顔は険しい。花の突き刺さった傷口には、乳白色の結晶が根を張っていた。スカーレットの頬は切り傷で済んだが、クリフの左手は貫通している分侵食が速い。すでに手のひらは脱色され、指の中ほどまで硬直が始まっていた。
(麻痺、硬質化、痛みはそこそこ、侵食する、呪い)
傷口に手を当て、クリフは思考を巡らせる。横目でスカーレットを見ると、スカーレットは頬を押さえ、青年を睨み上げていた。
青年は数秒間、駆け寄ってくる人々を眺めていた。それからふいと顔を背け、上へと飛んでいく。光る姿が、上空で何かの間に紛れた。
あたりが薄暗くなる。これまでの明るさは青年の光輪にもたらされていたのだと、今更スカーレットは理解した。
地面がぐるりと回る。スカーレットは足を踏ん張った。まだ倒れるわけにはいかない。自分と、クリフの治療をしなくては。間違いなく、クリフのほうが重傷だ。
「クリフォード、腕を……」
耳鳴りか、駆け寄ってくる足音か。そこから先は、言葉にできたか分からなかった。
八人の新入りは、生暖かい歓迎を受けた。光輪の青年が去り、薄暗くなった穴の底で火が焚かれる。大穴の斜面を登ると、ぞろぞろと家々の後ろから住人が出てきた。年齢は二十代から五十代まで様々で、痩せたものもそうでないのもいる。先頭で松明を掲げるのは、取り巻きより一回り若い男だった。スカーレットを背負い、ロアルが男に頭を下げる。
「お邪魔するよ。床を貸してくれないか」
「俺の家に。……皆さんどうぞ」
男はヨナーシュと名乗った。
大穴周辺の家々は、ほとんど隙間なく建てられている。生乾きの土の匂いが、狭い通路に充満していた。
ヨナーシュの家は、穴から最も離れた場所にあった。土埃だらけだが、木製の床がある。隅に積み上げられた布団の数からして、ここで十数人が寝泊まりしていることがうかがえた。
「茶も出せなくてわりぃな」
床の中心に、箱が埋められていた。箱には灰と炭が詰まっており、三脚から薬缶が釣り下がっている。ヨナーシュは薬缶の中身を覗き、難しい顔をした。
「白湯ならなんとか」
「それより布団が欲しいな。うちの魔術師が二人ほどご覧の通りだから」
「ああ、悪い悪い」
薄い布団に、スカーレットとクリフが寝かされる。スカーレットは右頬が、クリフは左腕のほぼ全てが乳白色の石になっていた。その石に重なるように、薄水色の模様が刻み込まれていた。樹枝六花――雪の結晶だ。その紋様を境に、結晶の浸食は止まっている。
「大丈夫でしょうか……」
クリフの杖を握り、レオナルドは不安げに二人を覗き込む。先刻までは苦しんでいた二人だが、今は、気を失ってこそいるものの、呼吸は安定していた。
「エヴに目をつけられて、命あるだけえらい。さあお客さん、聞きたいことはいくらでもあるだろ?」
ヨナーシュが席を勧める。ゼオルドだけが、見張りをすると言って出て行った。
レオナルドはアルグレッドの隣に正座する。アルグレッドはロアルと顔を見合わせ、頷いた。
「ここはどこだ?」
「【どこにもない国】だ。だがここに住んでいるのは、俺たちカササギ村の人間と、あとは冒険者が少し」
順を追って話そう、とヨナーシュは薬缶を差し出した。
ヨナーシュは、カササギ村の村長の息子だった。幼いころから、年に一度訪れる幻想種を見上げて育った。言葉を交わすこともなく、ただ七日間入り江で休み、またどこかへ消えていく幻想種。その内側に広大な世界があることも、信じていたわけではなかった。
光輪の青年――エヴと名乗った――が現れたのは、五年前のことだ。エヴは巨大な鉱石片を村長の前に落とし、それで若い男と女を五人ずつ買うと言った。村長が反論しようとした瞬間に、ヨナーシュは気付くとこの穴の底にいた。その後、友人たち十人が相次いで落ちてきた。自分が見せしめか、あるいは人質にされたのだと理解した。
エヴは何をしろとも言わず、時折必要そうなものを置いていくだけで、ほとんどの時間は木の上にいる。ただ年に一度、カササギ村に持っていく鉱石片を掘り出す手伝いはさせられた。そのたびに人が増え、手狭になった穴を木の枝と石で広げてきた。無計画に建てられた家々は、その増えた人々のためのものだ。
エヴが支払う鉱石片は、たいそうな高値で売れたらしい。その噂を聞きつけてきた冒険者もまた、今はここの住人になっている。
広い洞窟の上部には、小さな穴が開いている。あの先が地上なのだとは分かっているが、登る手段がない。
「その……エヴ? ってやつは、何のためにこんなことを」
「それが分かったら苦労しない」
「あの上の穴から脱出とかは? 魔術師なら飛んでいけそうだけれどね」
ヨナーシュはやはり首を横に振った。
「冒険者っても、一攫千金のダンジョンが、みたいな噂に飛びついた奴らばっかりで。魔術師って食いっぱぐれないんだろ?」
つまりこの洞窟を出るには、反りかえる壁をよじ登るしか方法がなかったということだ。
「一応、出入りできる奴はいるけど……っと」
出入り口に立っていたゼオルドが、乱暴に押しのけられる。ヨナーシュが腰を浮かせた。
入ってきたのは、ソルードと似た背丈の男だった。薄茶色のケープの下に見える肌は、緑色をしている。
「ヨナ。新入りに魔術師がいると聞いた」
「え、ええはい。でも二人ともやられちまって」
鋭く舌打ちを一つ、男はどっかりとフォレイルの隣に腰を下ろした。
「彼が、出入りできる奴?」
「そうだ。ここの先住民のジャックさん」
「よろしくしなくてもいいぜ、新入り」
小さい体躯から渋い声を出して、男はフードを下ろす。
「頼りにならねえもんだな、魔術師ってのも」
フードの下から、丸みを帯びた頬と大きな目が露になった。緑色の肌に、鮮やかな朱色の文身がある。髪はくすんだ銀色、瞳は土色。
何よりも目を引くのは、短い髪から飛び出した、長く尖った耳だった。
長耳妖精の特徴である。




