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冒険者たちの浮世語り (3)

 雨樋から溢れた水が、バシャバシャと地面をたたく音がする。舗装のない地面は、こうした天気が続くとあっという間に道がなくなってしまう。にわか景気の町はダンジョンが攻略し尽くされるまでの仮宿でもあるため、わざわざ地面を舗装することはめったにない。雨水でできた水路が、道の表面をさらっていくのを掃除がわりと言うほどだ。


「……アルバリルスタルか。聞いたことがあるような、ないような」

「後年、ドワーフの鍛冶の功績は弟子によって人間たちに伝えられた。そこで人間の技術者たちが再現に成功したんだよ」

「最後の材料は何だったんだ?」


 仮面の双剣士は顔を上げ、意味深に黙った。


「……さてね。じゃあ君の番だ、魔法使い君」

「なんだよ」


 不満げながらも、それ以上は追及せずにジョッキを傾ける。


「じゃあ、少しばかり怖い話をしてやろう。こんな雨の日にはちょうどいい」


 興味深げに、双剣士は前のめりになった。




『朱に交われば』


 ダンジョン探索において、食糧の確保は重要な課題の一つである。

 冒険者向けの露店で買える食料は、日持ちがするが味がよくない。口の中が痛むほど乾燥した食料を、少ない水で飲み下す必要がある。こういった圧縮食糧が出回り始めたのは今から四年ほど前だ。

 ではそれ以前はどうしていたかといえば、もの担ぎという雑用係がパーティにいたのである。文字通り、その仕事は荷物を背負ってパーティに同行することであり、その荷物の大半は食料で占められていた。

 歩荷(ぼっか)よりも一回の仕事当たりの給金が高く、熟練の冒険者に従っていれば身の安全も保障される。もの担ぎは、働き口に困る人々にとってはちょうどいい受け皿となっていた。

 パーティの最少人数は四人だが、最大人数に原則制限はない。十人以上、下手をすれば一個小隊ほどの人間が行動を共にすることもあった。そんな大規模なパーティには、もの担ぎも五、六人ついて、寝食の世話を請け負っていた。


 リグの谷に、クグパという熟練のもの担ぎがいた。冒険者が出始める前は歩荷として生計を立てていた。齢三十六、未婚の母である。学のない彼女だったが、健脚と金勘定への細かさだけで娘一人を育て、無事嫁入りをさせたばかりだった。娘の義両親は多少の生活の援助を申し出たが、施しをよしとしないクグパはこれを頑として受け取らなかった。

 クグパは働き者だった。彼女が背負う木箱には、五人分の食料と浄水装置、寝袋、そして調理道具までもが整然と詰め込まれていた。限られた材料と道具で美味な食事を用意する彼女は、若い冒険者たちから『かあさん』と呼び慕われていた。

 孫が生まれる前、クグパは長い仕事を一つ入れた。二か月ほど留守にした彼女は、孫の出産祝いを箱いっぱいに詰めて帰ってきた。彼女を雇ったパーティの探索は大成功で、彼女にもねぎらいとして金が渡されたそうだ。無事に戻った四人の冒険者は、雑用である彼女を実の母のように慕い、その働きを褒めたたえた。

 リーダーはじめ、四人の若者はすっかりクグパを頼りにしていた。特にリーダーである青年は、周りからマザコンとからかわれるほどの傾倒ぶりだったという。十八から二十四までの若い男女だったが、()()()()関係ではないかと周囲が勘ぐっていたのは、このリーダーとクグパだった。


 雇われ始めて半年が経つころには、四人パーティの誰か一人は必ずクグパの近くにいた。躍進を続ける彼ら四人からクグパが盗まれないようにと威嚇しているようだった。

 知り合いのもの担ぎがクグパに、そんなに信用されるにはどうすればいいのかと問うた。たいていのもの担ぎは、必要とされても信用も信頼もされない。冒険者たちにとっては、丁度いい道具のような存在だった。その扱いに嫌気がさし、多少過酷でも、人間扱いされるほうがいいと歩荷に戻る者もいた。クグパは確かに、そんなもの担ぎたちの中では特殊な存在となっていた。

 クグパは友人に笑いかけ、辛抱強く話すことが肝要だと言った。


 一年ほどが経過し、四人の冒険者とクグパは隣国までの旅に出た。もう帰ってこないかもしれないからと、クグパは三日間娘と過ごし、孫を抱きしめ、別れを告げた。クグパの背が丘向こうに見えなくなるまで、娘は一行を見送った。

 四人と一人のパーティは国境を越え、北へ北へと歩いて行った。どこが目的の場所なのか、誰にも告げていなかったという。


 そのまま半年が経った。


 ボロ雑巾のような男が、リグの谷に帰ってきた。冒険者ギルドに転がり込んだ男は、水を一杯欲して、そのまま倒れた。大急ぎで医者が呼ばれ、介抱されて、その日の夜に男は目を覚ました。クグパが同行したパーティの盾士だった。

 三日後、ようやく歩けるようになった男は、身なりを整え、クグパの娘を訪ねた。そしてクグパがいつも使っていた髪留めを、ぶるぶる震える手で差し出した。全滅に瀕したのだと、付き添いのギルド職員は察し、胸を痛めた。しかし、盾士一人だけが生き延びるとは。

 娘は髪留めをしげしげと眺めていたが、それをつかむと、地面に叩きつけた。


「あの悪魔が死んでよかった!」


 盾士の男は娘を見て、しばらく呆然としていた。娘はそんな様子に気が付き、気遣うように声をかけた。だが盾士は膝を折り、その場にうずくまったかと思うと、わっと子供のように泣き出した。オロオロするのはギルドの職員ばかりだった。

 しばらく、娘は盾士を見下ろしていた。盾士が落ち着くのを待って、娘は二人を招き入れた。夫は働きに出ており、三歳になる一人息子も義両親と遊びに行っているという。客人に茶を淹れ、娘はぽつぽつ、母親の思い出を語った。

 クグパは()()()母親だった。少なくとも、リグの谷の人々はそう言っただろう。歩荷ももの担ぎも、生半可な気持ちでできるものではない。姿を消した男を責めるでもなく、女手一つで娘を学校に通わせ、無事いい相手と結婚させた。全く立派なものである。

 娘から見れば、ずっと勝手なだけの女だった。


 生まれた隊商を抜け出し、街角でオレンジを売って、両手では足りない数の恋をしてきたくせに、娘には男の友人一人許さなかった。学校に通わせているのを恩着せがましく繰り返し、試験でミスをすればその数叩かれる。挙句娘が反抗心で怒鳴り返せば、誰にそんな言葉を吹き込まれたのかと狼狽する。娘が心の底から叫んでも、クグパは、そんなことを言わせた自分が悪いと伏せて泣くのだった。

 クグパという女にとって、娘とは、自分を立派に飾り立てるための装飾(アクセサリー)だった、と、その娘は吐き捨てた。娘の結婚相手を決めたのもクグパだった。そのくせ出産には立ち会わず、孫が生まれた後になって祝いをたっぷり持ってきた。その見栄っ張りさも、娘は嫌っていた。


 一方でクグパは、人を籠絡することにかけては天才的だった。

 盾士たちのパーティがいい例であるが、クグパは従順でありながら愛情深く、冒険者たちが欲しがる『ぬくもり』を与えることに長けていた。うっかり悩みの一つでも話してしまえば最後、クグパの存在が生きる意味の一つになってしまう。

 クグパがなぜ、北への旅に同行したのか。盾士が問うと、娘は嫌々ながら、自分を捨てたかったんだろうと言った。娘も結婚し、孫も生まれ、ギルドで顔が知られた。自由でなくなったので、『仕切り直し(リセット)』するつもりだったのだろうと。


 娘の身の上話が終わると、次は盾士が話す番だった。

 北への旅の道中、はじめに違和感を訴えたのは魔術師の女だった。彼女もクグパを母親のように慕っていたが、リーダーとクグパの様子は異様である、と盾士に相談してきた。リーダーというのは文字通りパーティを引っ張っていかなければいけないというのに、谷を出てからしばらくすると、リーダーはいちいち、クグパに伺いを立てるようになっていた。ビシッと言ってやると決意した翌日、魔術師の女もクグパにベッタリになっていた。野営の時、リーダーと魔術師を左右に侍らせたクグパが、助士の男と何やら言葉を交わしていた。焚き火に照らされるその横顔に、ようやく盾士も恐怖を覚えたという。


 次第に、パーティで不平不満が飛び交うことが多くなった。これまで誰も口にしなかったような、幼稚な物言いばかりだった。喉が渇いた、足が疲れた、荷物が重い。しかし言えばクグパが必ず構ってくれる。不満を言わない盾士にすら、頑張っていて偉いとクグパは目を配っていた。


 どこへ向かっているのかも定かではないまま、一行は街道から外れ、人の踏み入らない岩山を登り始めていた。ここを登り切ったら、何かが手遅れになる。盾士はそう直感し、麓での野営を提案した。三人の仲間はクグパに意見を求め、クグパは仕方がないからと盾士の提案を受け入れた。

 野営の準備を終えると、クグパとリーダーがキャンプを離れた。小川まで水をくみに行ったらしい。まだ日も高い時間だったので、久しぶりに手の込んだ料理を作るそうだ。

 戻ってきたクグパは、助士の男に料理の仕込みを任せ、盾士を呼び出した。まだ呼ばれていない二人が、羨ましそうにこちらを見ていた。

 四人と順番に話し、クグパは料理の仕上げに取り掛かった。時刻は夕暮れになっていた。盾士以外の全員が上機嫌だった。クグパが何かの葉を焚き火に放り込んで、白い煙がもくもくと上がった。甘ったるい香りがして、強い酒を飲んだような気分になった。

 料理がすっかり煮えた頃、クグパは鍋に蓋をして、四人を見た。


「私は、()()()()()いればいい」


 煙に負けないほど甘ったるく、可愛らしく、優しい声だった。

 はじめに立ち上がったのは、リーダーだった。いの一番に剣を振り上げ、助士の男に振り下ろした。

 そこから先は惨劇だった。身を守るためではなく、クグパの『あなた』になるために、背中を預けてきた仲間が、邪魔で仕方なくなった。

 そして正気に戻ったときには、盾士はクグパと二人、岩山の尾根に立っていた。乱れた髪を指先に巻き付けて、クグパが見上げてきたので、盾士はその背を突き飛ばして逃げ出した。


 以来、リグの谷でクグパを見た者はいない。盾士は冒険者を廃業し、クグパの娘とは今も時折会っているそうだ。冒険者ギルドでは相変わらず、帰らないクグパを懐かしむ声が聞こえている。




「……おしまい」

「趣味わるぅい」


 双剣士の感想に、魔術師は眉間にしわを寄せた。


「よくある話だよ。お前が冒険者に詳しくないようだから、教えてやろうかと」

「ああそう。それはどうも」


 すっかり冷めたコーヒーに、魔術師が砂糖とミルクを注ぐ。

 雨を逃れてか、冒険者がカフェに増えてきた。


「そろそろ部屋に戻ろうか」

「そうだな。じゃあ話の続きはまた今度……」


 二人の冒険者は席を立った。

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