冒険者たちの浮世語り (2)
降りしきる雨は勢いを増し、風に乗って雨戸を叩く。
「それで、結局スカムはどうなったのさ?」
コーヒーから立ち上がる湯気が、隙間風に揺れた。
「さてな。ただ一つ確かなことは、そのダンジョンが後年攻略されたとき、スカムの痕跡は全くなかったってことだけだ」
泡の減ったエールをまた一口あおり、語り手は疲れた喉を潤す。
「さ、あんたの番だぜ」
「ボク? そうだなあ……」
『アルバリルスタル』
人間――いわゆる源人類が隆盛を誇るまでの時代、アークリヴァルティにはあらゆる種族があふれていた。鍛冶妖精、長耳妖精、土妖精、火炎妖精など、有名なものだけでもその数は十近い。
その中でも今回は、鍛冶妖精の話をしよう。
アークリヴァルティという広大な土地は、鉱物資源にも恵まれていた。
現代では考えられないことであろうが、金属製の球を金属の粉を焼いて飛ばすような兵器が量産されていた時期もある。
そんなアークリヴァルティの鉱山は、二千年ほど昔、ドワーフに牛耳られていた。
鍛冶妖精というのは人間がつけた呼称であり、彼らは自らのことを鉄の民と呼んでいた。その名の通り鉱山を縄張りとして、鉱脈を見つけ、運び出し、加工することを生業としていた。背丈は人より低く、しかし男女問わず筋骨隆々として、大人五人で担ぐような鉄塊を一人で軽々持ち上げていた。日の差さない坑道に潜ったまま何年も働き、それを苦としない者ばかりだった。
そしてドワーフの多くは現実主義で、当時広く信仰されていた宗教も、金集めの手段だとばかりに唾を吐いていた。魔法を扱う長耳妖精と時折衝突し、大地をありのままにと歌う土妖精に石を投げられる。そんな歴史を持つドワーフにとって、金と武器を交換できる源人類は数少ない友好的にいられる相手であった。
つるはしを担いで生まれると言われているドワーフにも、変わり者というのはいた。トロビ坑のタンタルは、十五で成人するまで、ついに一度も坑道に入ることなく育った特異なドワーフであった。
しかしタンタルは鍛冶に秀で、こと、合金の開発に関しては天才的だった。そのために、タンタルを無理に坑道に引きずり込む者はいなかった。
なにしろ合金は高く売れた。貨幣経済が発展する中、無加工の鉱石は二束三文で買い叩かれる。金や銀が溢れるほど採れればまだ違うが、そんな鉱脈を探り当てられる者ばかりではない。
タンタルの傑作に、リミスリルがある。その名の通り、伝説の金属ミスリルを目指した超硬合金である。タンタル、わずか十七歳の時の作品だ。リミスリルは、同じ重さの鉄の十倍で売れた。
ある春、一人の男がタンタルを訪ねてきた。百二十五歳の火炎妖精の若者である。名をフィラムといった。刹那主義のサルマンドには珍しく、歴史と研鑽を愛し、架空の物語を楽しみ、そこに肉薄したタンタルのリミスリルに魅了されていた。
サルマンドは不老である。ある日炎の中からほいと生まれ、またある日ふいと灰になる。のちの時代、その灰は不老長寿の薬になると信じられ、故に数を減らし、妖精の名を冠したものたちでは最も早くに地上から消えた。
フィラムはそんな自分の生まれを憂いていた。いずれ灰になるこの身であれば、一つ、変わらない形を残したい。ヒューマンが奏でる歌のように。エルフが育む森のように。ドワーフが鍛える金属のように。ノームが作る渓谷と山脈のように。なるほど、サルマンドらしからぬ憧憬である。
では何を望むかと、タンタルは問うた。フィラムはタンタルの炉を指差し、そこに自分の炎を加えるので、世界で一番硬い金属を作ってくれと言った。
サルマンドの火に溶かせない金属はない。あの恐ろしい銀重石すらも。さらに魔力を帯びているので、賢者石やヒイロなどの特殊な鉱石の加工もできるようになる。
タンタルは二つ返事でこれを請け負った。天才と持て囃された二十五歳の若者である。世界に自分以上の合金を作れるものはいないと信じて疑わなかった。
そして、そんな粋がった若者の噂を聞きつけて、方々からドワーフの鍛治職人が自信作を持ってやってきた。タンタルが鍛えた盾と、ドワーフの名工が鍛えた武具が、連日ぶつかり合った。タンタルの盾に傷が入ると歓声が上がり、タンタルは頭を掻きむしりながらその名工に教えを乞う。三日かけて聞き出した秘密のほんの一端を手掛かりに調合を変え、火の温度を変え、また新しい盾を鍛える。すると新しい盾は決まって、名工の刃を打ち砕いた。
変わり者のサルマンドの一言から始まった力比べは、いつしかドワーフたちの一番の娯楽になっていた。世界一の盾が生まれる瞬間を見ようと、ドワーフのみならずあらゆる種族の好事家がトロビ坑を訪れた。文字通り火付け役のフィラムはというと、そんなドワーフたちの様子を、少し離れたタンタルの炉の上から、にこにこと眺めているのだった。
そんな日々が二十年ばかり続いた。
四十五歳になったタンタルは、職人としては一人前でも、ドワーフとしてはまだまだ青二才の扱いだった。しかし二十年鍛えられたタンタルの盾は、ついにドワーフの作る武器では傷ひとつつけられなくなっていた。
いくつもの金属を微妙な割合で混ぜ、溶かし、冷やし、叩いて伸ばし、また熱する。全ての工程をタンタルしか知らない、唯一特別な金属が出来上がった。タンタルはその金属で五本のインゴットを作り、二本をフィラムに、一本を部族の長に、一本は記念にしまい込んで、最後の一本を売りに出した。
無名の合金は少しも待たずに売れた。リミスリルよりさらに十倍の値がついた。どんな刃でも切れなかったので、溶かして分けて分配された。誰もがその出所を知りたがり、ドワーフたちはついにタンタルがやったかとしたり顔だった。名工たちはこぞって、その奇跡の合金を作った男は、自分が鍛えたのだとうそぶいた。
世界一硬い金属を作った男となり、タンタルには弟子入り志願者が殺到した。その技術の秘密を盗もうとする輩が山向こうまで列をなしていた。タンタルは生真面目にその全員と顔を合わせたが、誰もが尻に火をつけて、タンタルの工房から逃げ出してきた。炉の上には相変わらず、物好きなサルマンドが居座っていた。
タンタルは奇跡の合金で、ぴかぴかの盾を一枚鍛え上げた。剣や斧にすればよかっただろうと言われたが、タンタルは盾を作ると譲らなかった。もしこれを溶かして武器にするのなら、それは自分が鉄に還ってからにしてくれと強く言っていた。
さて、名の知れる名工となったタンタルであるが、奇跡の合金を生み出してからも、絶えず何かを作っていた。唯一工房の手伝いを許された弟子にすら、それが何かは言わなかった。タンタルが真実を話すのは、夜半過ぎ、炉の火を守るフィラム相手にだけであった。
タンタルには夢があった。
現実主義のドワーフらしからぬ、ロマンに満ちた夢だった。フィラムだけはそれを笑わない。唯一すべてを話す親友がフィラムであった。依頼主と職人ではあるが、二十年もともにいればそうなるのも自然というものだった。
タンタルの工房を覗こうとして、フィラムに目を焼かれた男がいた。百年ほど前から北の炭鉱を仕切る、老ドワーフの一人息子であった。このどら息子は煮えたぎる右目を抱えて、自分の山まで大急ぎで戻り、父親に泣きついた。
噂は山から山へ。奇跡の合金で栄えたトロビ坑への妬みも相まって、あっという間に広がった。しつこくタンタルを付け回していたどら息子は、急にサルマンドに喧嘩を売られた被害者となり、フィラムはタンタルを支配する傲慢な余所者となった。
頭を抱えたのはトロビ坑のドワーフたちである。老人衆は金のなる木のタンタルを手放したくはなかったし、タンタルはフィラムを追い出すなら自分も出ていくといって聞かなかった。奇跡の合金の作り方はタンタルしか知らない。まったく困ってしまった。
坑道に入ったことがないことが、今になってタンタルに不利に働いた。仲間たちは土にまみれ、砂で目を洗いながら働いているというのに、タンタルは掘り出された鉱石をひょいと持っていき、いかにも自分の手柄であるように合金に仕立てる。それがドワーフたちは気に入らなかった。まったく、あいつも苦労というものを――ほとんどのドワーフは、合金づくりを楽な仕事だと思っていた――知ればいいのだ。日がな一日、火を焚き、槌をふるうだけで、斧の一つも作らない。今までは金が入るから見逃していたが、他山の跡継ぎの目をつぶすとは。
タンタルが人間の鍛冶屋を見に行くと告げたとき、トロビ坑の不満は爆発した。非力で短命な人間に、奇跡の合金の秘密を教えるつもりかと。
タンタルの足を片方、落としてしまえと誰かが言った。どうせ坑道には入らないのだから、槌を握る手と、ふいごを踏む片足があればこと足りる。いい義足くらいは買ってやろう。ガラス製でいいだろう。タンタルを取り押さえたドワーフたちは、せせら笑いながら斧を振り上げた。
フィラムはその日、外出していた。余所者と指さされていた時代からずっと、トロビ坑のある山のふもとに家を持ち、そこで薬草を育てていた。サルマンドが如雨露で水を撒くさまが面白いのか、ドワーフの子供たちがよく様子を見に来ていた。フィラムを呼びに行ったのは、その子供たちの一人だ。大人たちが怒鳴り合っていたらフィラムを呼ぶ。そうすれば何となく丸く収まっていた。これまでは。
駆けつけたフィラムが見たものは、泣き叫ぶタンタルと、それを指さして怒鳴るドワーフたちの背中だった。一人のドワーフの腕に、丸太のようなものが握られていて、それからぼたぼたと赤黒い液体が滴っていた。フィラムを見ると、ドワーフの一人が、憎々しげに唾を吐いてきた。
愛想よく、冷静で、堅実なものが好きなフィラムは、ドワーフの良き友人だった。刹那主義のサルマンドへの悪口も、半笑いで受け流していた。その瞬間の快不快よりも、明日、十日後、五年後、十年後の安寧を選べる男だった。
その瞬間フィラムは初めて、己の感情に従った。ドワーフたちは、この良き友人が火炎妖精であることを忘れていた――否、理解していなかった。
サルマンドは炎とともに生まれ、炎となって消える。すべての炎はサルマンドにのみ従う。すべての金属を溶かし、蒸発させるほどの熱を、どうしてドワーフたちが止められるだろう? へらへらと笑うフィラムがその気にさえなれば、獲物はそこに影しか残らない。
無知なドワーフたちは、沸騰する目玉を押さえ、這う這うの体で坑道へ逃げ込んだ。自分たちを育んだあなぐら。フィラムとて、坑道に入れば迷ってしまうに違いない。あの暗く涼しい穴の中なら安心だと転がり込んだ。そしてそのまま全員、蒸し焼きにされた。
雨が降り始めた。爽やかな朝は、煤けた風と曇天であっという間に灰色に塗りつぶされた。雨で体の熱を冷まし、フィラムはタンタルを助け起こした。片足のタンタルに肩を貸し、そのまま二人はどこかへと行ってしまった。
トロビ坑の惨劇はその後、ドワーフたちの間では禁句となる。わずかな生き残りの子供たちは、方々の山に引き取られていった。残ったのはただ一人、タンタルの弟子だけだった。残火の燻る工房で、弟子はじっと雨が止むのを待っていた。そしてタンタルもフィラムも帰らないと悟ると、タンタルの手記を漁り、奇跡の合金の秘密を探した。
結論から言えば、奇跡の合金の秘密は見つからなかった。ただ、タンタルが夢を抱いていたということは知れた。とても現実的とは言えない夢だ。まるで、それを追っている瞬間こそが楽しいのだというような。
タンタルが鍛えた奇跡の合金は、ほの赤く、日に当てると太陽のように淡い金色の光をまとった。しかしタンタルの夢の合金は反対に、青く、冷たい光を宿すという。この金属でもって作られた刃は、あらゆる因果すら断ち切るだろうと、興奮した筆致で記されていた。まだ存在しない金属に、タンタルとフィラムは『蒼燐珀鋼』と名をつけていた。
しかしどうしても、その合金の最後の材料が手に入らないという。タンタルはすでに、その合金に何が必要なのか分かっていた。しかしそれが手に入らないであろうこともまた、知っていた。
弟子はふたたび、タンタルとフィラムの帰りを待った。この弟子はトロビ坑から遠く、東と南の間の廃坑出身だった。何もかも掘り尽くして死んだ鉱山から来た、帰る場所のない流れ者である。一人火と向き合い、廃墟となったトロビ坑とフィラムの家を行き来して留守を守った。
あっというまに二年の月日が経った。炉の灰かきをしていた弟子に、旅のドワーフが声をかけた。髪も髭も伸び放題で、片足に義足代わりに杖が括り付けられていた。一人だった。
弟子は大泣きに泣いて、そのドワーフの前で膝をついた。旅のドワーフはそれをやめさせ、小さな袋を弟子に差し出した。弟子がそれを受け取ると、ドワーフはいくつかの金属の名前を告げた。それが合金の材料だと知り、弟子は大慌てでそれを書き留めた。
旅のドワーフは、ゆっくりと頷いた。油で固まった前髪の奥に、黒々とした目があった。彼の目は、長年眩い火を見つめ続けたためにほとんど見えなくなっていた。それを補うように、身の丈ほどの杖を持っていた。
その晩、旅のドワーフは弟子が用意した風呂に入り、長旅の疲れをゆっくりと癒した。話は尽きなかった。月が空を渡るのが速すぎるほど、二人は静かに、しかし熱を持って言葉を交わし、空白の月日を語り合った。次の日丸一日眠ってから、旅のドワーフは工房をあとにした。引き留めることもできず、弟子はただ、その無事を祈って護符を彫った。
弟子が受け取った袋には、灰と、小さな金属のインゴットが入っていた。蒼銀の合金。世界に一つしかないその金属の名前を、弟子は知っていた。
師は夢を叶えたのだ。




