表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
31/63

天翔ける仔のトッカータ

 真っ暗な地の底で目を覚ました。

 眩しくてうるさい世界に引っ張り出されて、また冷たくて暗い場所に閉じ込められた。

 本当の名前も、家族も覚えていない。十年以上、どこで生きてきたのかも正直分からない。ただ気づけば、自分はお腹をすかせて、この世界に存在していた。

 まるで取り替え子(チェンジリング)だと、口さがない冒険者が怯えていたのが、始まりの記憶だ。

 けれど、多分。自分は、真っ暗な地の底で、誰かと一緒に生きていたはずなのだ。それが誰かすら思い出せなくとも。

 そうでなければ、自分は――――。




 古い記憶がうずいて、少年は目を覚ます。目を開くと、窓から月明かりが差し込んでいた。両手が毛布を握りしめて、冷たくなっている。

 布団の中は温かかった。柔らかいシーツとマットレス。つい数日前まで、冷たい床と薄っぺらい毛布が自分の寝床だった。快適には違いない今の寝床に、まだ慣れない。

 毛布の下で身をよじり、体を起こす。冷えた空気が、首筋をなでた。


「………………」


 鱗のある肌に、毛布が引っかかる。たしか寝間着をもらったのだが、暑くて脱いでしまったらしい。手探りでそれらしいものをつかむ。

 きゅう、と腹が鳴った。


「……ソル?」


 隣のベッドから声がする。びくりと身を縮めて、ソルードは両手で頭をかばった。縮こまった尾が足に触れる。逆立った鱗が皮膚をこすった。


「起きちゃったんだね。お腹すいた?」


 寝間着を引き寄せ、ソルードはぶんぶんと首を横に振る。そんな仕草とは裏腹に、腹の虫はぐるると派手に鳴く。


「あはは。内臓が健康になってきた証拠だ。おいで」


 暗闇から、ぬうっとロアルが現れた。月明かりの中でも、ソルードの目にははっきりと見える。真っ黒な服と、黒っぽい仮面。広げられた両腕に、のそのそとソルードは近づく。触れても体温はなく、まだ冷たい毛布にくるまっているような気分になるが、そっと背中をなでる感触が、なんだかとても落ち着いた。

 足が浮いて、ソルードはきゅっと目を閉じる。ロアルは外套でソルードをくるみ、足音を立てずに部屋を出た。

 宿の廊下は薄暗いが、ぽつぽつと水晶灯が点いていた。青白い光は月光にも似ている。軋む床を踏みながら進み、突き当りの階段から下へ。冒険者ギルド併設の宿は、大抵二階に渡り廊下がある。路地をまたぐ廊下では、疲れた顔の男が煙草をふかしていた。窓から外へと、煙が吐き出されている。

 ザマルの冒険者ギルドは大きい。都市国家とはいえ、国を出入りする多くの冒険者を管理する場所だ。昼夜問わず人がおり、食堂も当然二十四時間営業である。一方でザマルの城門は夜間閉じるため、ギルドのカフェは近隣住民の駆け込み場のようになっていた。そのほとんどが、夜泣きがひどい赤子を抱えている。控えめな夜間灯に浮かび上がる顔は皆、冒険者に引けを取らないほど疲れ切っていた。

 ロアルはカウンターに座り、メニューを見上げる。ソルードはするりとその手を抜け出した。


「サンドイッチでいい?」

「?」

「ピーナッツクリームなら、間違いなくおいしいと思うよ」


 隣の椅子に座り、ソルードは足をぶらぶらとさせる。

 ぐずる赤子をようやく寝かしつけ、一人の女がふらふらと席に着いた。注文を済ませ、ロアルは自分の膝を叩く。ソルードは周りを見て、首を横に振った。

 数人の冒険者が、どやどやとカフェに入ってくる。ついさっきザマルに着いたようで、手にはまだ城門の通行証があった。入国手続きに時間がかかったのだろうか。子供を抱いた青年が、入れ違いにカフェを出る。

 サンドイッチとホットミルクが、ソルードの前に置かれた。即座にホットミルクに手を出して、その熱さにソルードは飛び上がる。


「あちちだった?」

「あち、だった」


 ソルードは手に息を吹きかけた。カウンター奥の店員が、冷たいおしぼりを持ってくる。


「ふーふーして、ゆっくりそーっと飲むんだよ」

「ふーう?」


 ロアルを見ても、ロアルの顔は仮面なのでよく分からない。クリフがいれば、やって見せてくれるのだが。あの金髪のお兄さんは、今頃ぐっすり寝ているだろう。

 ホットミルクを諦め、ソルードはサンドイッチに手を伸ばした。パンとピーナッツクリームは聞いたことがある。たまに、檻の外から差し込まれていたあれだろう。

 口にパンを押し込んで、咀嚼する。初めは冷たくなくて柔らかいとしか思わなかったサンドも、甘いとかしょっぱいとかが分かるようになってきた。今日のは特別甘い。


「んふー」


 口いっぱいの甘味に、自然と声が漏れる。サンドを食べ終わるころには、ホットミルクもほどよく冷めていた。


「腹ごなしに夜のお散歩して、歯を磨いて寝ようね」

「ん、い!」


 上機嫌に体を揺らし、ソルードは軽くなったカップを置いた。




 懐かしい夢を見た。

 目を開くと、昼下がりの空が広がっていた。隣にはクリフとグレンがいる。少し休憩にしようと言って、そのまま眠ってしまったらしい。いくら炎の精霊の縄張りだからと言って、今は真冬だというのに。

 風は穏やかで、弱い日差しに反して気温は高かった。春とはこんな気候だろうか。ソルードが冒険者に連れ出されたのは初夏、少し歩くだけで汗ばむような季節だった。

 二人の魔術師の間に寝転がって、ソルードはまた空を見る。魔術のことはよく分からない。だが二人が、たくさん頑張って疲れているのは知っていた。なので、遊んで、という言葉も今は飲み込むことにする。


「……んふふ」


 クリフの腕を持ち上げ、その下に潜り込む。腕の重さで、抱きしめられているような気分になる。

 時々、今こそが夢なのではと思う。

 真っ暗な地の底で目を覚まして、右も左も分からないまま、時間だけが過ぎていた。観察だけは得意だったので、ずっと人間を見て、言葉はいくらか覚えた。それでも、自分が置かれた状況に、理解も納得もできていなかった。

 自分はまだ、あの冷たい檻の中にいるのではないだろうか。雪の降るような季節で、起きている元気もなくなってしまった、刹那の夢の中にいるのでは。そうでなければ、都合がよすぎる。助け出され、世話を焼かれ、広い世界に連れ出されるなど。


「…………」


 クリフの手が、ソルードを引き寄せる。額をクリフの胸元にこすりつけ、ソルードは目を閉じた。

 空は快晴、風は微風。土と青草の匂いが、今は心地いい。ぽっかりと浮かんだ雲が、東から西へと空を流れていく。

 ロアルは今日は、どこにいるだろう。夕食には間に合わせるといつも言っていて、確かに夕暮れ時になると帰ってくる。クリフもそうだ。しかしザマルを出てからというもの、四六時中一緒にいるのが当たり前だったので、少し寂しい気持ちもある。


(……慣れなきゃなあ)


 クリフもロアルも冒険者。自分は違う。二人とも仕事に行ってしまって、自分一人で待つこともあるだろう。ユゥロの時のように。

 そのとき自分は、追いかけることを我慢できるだろうか。いつもいつも、グレンのような頼もしい助っ人がいるとは限らない。自分にできることは、走ることと、跳ぶことくらい。それで役に立つからと連れて行ってくれるほど、クリフもロアルも優しくはない。

 遊びたい。話したい。一緒にいたい。そんな我儘ばかり膨れ上がっているような気がする。『寂しい』は贅沢だ。空腹でもなく、寒くもない、毛布にくるまっていられるだけでも十分――――


「……にいしゃ?」


 寝ていると思ったクリフの手が、頭を撫でてくる。ソルードは身をよじり、さらにクリフにくっついた。


「……あせくさい」

「お前自分でひっついといて」

「にいしゃ、起きてた?」

「まあな」


 体を起こし、クリフは伸びをする。ソルードもそれを真似て、両腕を空へと伸ばした。


「グレンさん起きないし、遊ぶか。何する?」


 ぱっと顔を明るくして、ソルードは飛び跳ねる。


「おれ、ぶんぶんごまやりたい!」

「うえぇ、あれあぶねぇんだけど」

「やーりーたーいー!」


 しょうがない、と肩を回し、クリフは外套を脱いだ。


「まあ受身も練習ってことで……俺の力ならそんなすっ飛ばないし……」


 軽くストレッチをして、クリフは両腕を広げる。


「よぉし来い!」

「ぁい!」


 陰った気持ちを振り払うように、ソルードは腕の中に飛び込んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ