恋する少女の奏鳴曲
獣人。人の肉体と獣の器官を併せ持つ、異種人類の一種である。
広く異種人類と言っても様々であるが、最も数の多い、そして最も特徴のない源人類を軸に、容姿で区別されることが多い。現代の異種人類は、獣の器官があれば獣人、三日月型の痣が体のいずれかにあれば亜人種の二種に分けられる。
魔法が発見されて以降、異種人類はその数を減らし続けてきた。ある地質学者は、本来魔法を持たなかった源人類による魔法の乱用が、魔法とともに生きた異種人類の減少の原因になったと仮説を立てている。
しかし、そんな中でも獣人は現代まで生き残ってきた。
二千年以上、絶え間ない差別と排斥を受けながら。
トートは赤毛の山猫の獣人だ。出身はエストラニウスの北西、大陸一とも言われる歓楽街ラタリ。王都に次ぐ人口を誇る大都市、その片隅にある貧民街である。
掃き溜めと呼ばれるその地区は、獣人のコミュニティが牛耳っていた。
仲間意識が強いと自負する獣人だが、閉じたコミュニティには明確な序列がある。トートの父は、その序列でも下位、ろくに仕事も回してもらえないような爪弾き者であった。
そんな父が冒険者を名乗ったのは、現実逃避か、一攫千金を夢見てか。まだ十にもならないトートには伺い知れなかった。
三度目に冒険に出かけた父は、そのまま戻らなかった。
ギルドも形ばかり、法整備も制度も確立されていない黎明期のことである。登録料すら満足に払えない獣人の遺体など、返ってくるはずもなかった。
夢見がちな貧民が一人、無謀な賭けに負けた。
その程度のことだった。
「あたし、偉そうなやつ嫌いなの」
父が帰ってこないまま、十一年。
今日もトートは、冒険者ギルドにいる。
「ふうん。まあ君、気が強いものね」
向かいに座るのは、黒い長衣と仮面で顔を隠した双剣士だ。【八重塔遺跡】の攻略から一夜、ほかのパーティメンバーはすっかり朝寝坊をしている。
「他人事みたいに」
「ボクのこと?」
「あんたのこと」
「ボクが知る限り、君ほど偉そうな女の子もいないけどね」
両手を広げ、ロアルは首を横に振る。
「そう威嚇しなくてもいいじゃない。ボクこれでも、まだ君のリーダーなんだよ?」
「手を組んでるだけでしょ。あたしのリーダーはアルだけだから」
「はいはい、お姫様。忠誠心のあるタイプのネコちゃんなんだね」
唇を曲げ、トートは露骨に舌を鳴らした。
「さっさと報酬の話に行きましょ」
「うん。君の相場はいくら?」
「っていうか、あんた払えるの?」
パーティに所属する冒険者は、リーダーから給与という形で報酬を受け取る。少人数であれば報酬を頭数で割ったのち、経費としてリーダーの取り分を増やすのが一般的だ。
今回、【八重塔遺跡】の攻略で得た報酬はほぼゼロに等しい。まだ最下層の探索が残っているが、それ以外で手に入れた――と言えるかは分からないが――のは、あの鋼鉄の翼竜くらいだ。そのワイバーンも、現在は【鋼鴉の嘴】が管理を引き受けている。
「鴉のリーダーさんから多少もらえる約束になっていてね。今日も午後から最下層の探索に加わるよ」
「じゃ、千でいいわ。大した仕事してないし。アルたち助けてもらった分差し引けばこんなもんじゃない?」
「高いのか安いのか分かんないなぁ。千ね、りょーかい」
報酬を受け取り、トートは手早くそれを数えて懐に入れる。
「……ちなみに」
テーブルに両肘をつき、トートはロアルに顔を寄せた。
「助士の一回当たりの相場は五百からだから。次からはちゃんと値切りなさいね」
「安くない? 命かけるのに」
ギルドでの紅茶一杯はおよそ五ユル、ギルドでの一泊が平均五十ユルである。現在、トートの前に置かれた朝食セットがちょうど三十ユルだった。
「長く同じパーティにいれば、道具の手入れとか食費は雇い主持ちになるし。もちろん、あたしはまだ若手だから、本当ならもっと安くなるけどね」
「じゃ君、今思いっきりぼったくったんだね」
「ご愁傷さま、世間知らずちゃん」
二倍程度に抑えたのは、トートの理性が勝ったと言っていい。相場も何も知らず、言い値で報酬を出すとなれば、二千、三千とふっかけてから交渉を始める冒険者がほとんどだろう。
魔術師はもちろん、他の冒険者にも役割ごとに練度というものがある。几帳面、あるいは自己顕示欲の高い冒険者は手帳などを持ち歩き、ギルドで受注した任務をいちいち記録しているそうだ。
「若手って、君、冒険者になって何年?」
「一年ちょっと。冒険者登録できるのは満十六歳からだもん。ちゃんと助士として登録したのは、アルのパーティに入ってから……」
トートの視線が泳ぐ。尻すぼみになった言葉に、ロアルは首を傾げた。トートの顔を追って振り向くが、そこに見知った姿はない。
「誰か来たかい?」
「いーえ。そろそろアルたち起こしてくるわ。ついでにクリフォードのやつも。鍵貸して?」
立ち上がろうとしたトートの肩に、無遠慮な手が乗った。
「元気そうじゃないか、仔猫ちゃん」
色黒の、線の細い青年が立っていた。浮かぶ笑みは穏やかで、一つに束ねた髪は灰色。片腕のみ金属製の籠手を帯びている。くたびれた服も土の匂いも、どこにでもいる冒険者の風体だ。
手を払い、トートは露骨に顔をしかめる。ロアルには目もくれず、青年はぐっとトートに顔を近づけた。
「うちから逃げ出して、いい飼い主さん見つけたようで何よりだよ」
「うるさい。あんたはもうあたしの雇い主じゃないでしょ」
「恩知らずなのは相変わらずか」
青年はやれやれと首を横に振る。
「その刺青を入れさせてやったのは誰だと思っているんだか」
「あっ……んたね!」
尾を膨らませ、トートは椅子を蹴って立ち上がる。手袋に包まれた左手が、ぎりぎりと握りしめられていた。青年のにやけ面に、トートが手を伸ばす。
ロアルが腰を浮かせた。
「あたしは」
「君さあ!」
ロアルの声と蹴りが、トートの言葉を遮った。突然蹴り飛ばされ、青年はつんのめって床に倒れこむ。
「……おっ、え?」
「あんまり安い挑発に乗るんじゃないよ。お里が知れちゃうぜ」
突然の暴力に加えての無視に、青年は虚を突かれ、言葉を失っていた。
「知れて困るお里じゃないわ。もう十年帰ってないもん」
「うん、そういう意味じゃない。行こうか」
トートの腕をつかみ、ロアルは席を離れた。尻もちをついたまま、青年は蹴られた脇腹をさする。すわ乱闘かと色めき立っていたカフェの客たちは、落胆したように自分の席に戻っていった。
トートを外へと引っ張り出してから、ロアルはぱっと手を離した。不満をありありと顔に浮かべながら、トートは唇を曲げ、言葉を飲み込む。
「ご飯置いてきちゃったねえ。一杯くらいなら奢るけど」
「いいわよ。もう食べ終わってたし、先払いだし」
「ふうん? ならいいけど」
嘘だ。実際のところ、サンドイッチはあと一切れ、オムレツは三分の一、紅茶はほとんどすべて残っていた。だがたとえ三日の断食の後でも、今は何も喉を通らないだろう。
「ああムカムカする。嫌な顔見ちゃった」
「勇者君たち起こしてこようか」
「顔色伺わないでよ。見えてないくせに」
足を止める気分でもなく、トートは市場へと歩を進めた。二歩離れて、ロアルもそれについていく。
冒険者ギルドを中心にした街は、当然冒険者向けの店ばかりだ。ここは【八重塔遺跡】の近くであり、上物から廉価な粗悪品まで、需要のないものはない。コーヴィスによる【八重塔遺跡】攻略を受け、すでに近隣から学者や商人が出張ってきていた。
先ほどの青年も、そんな学者たちの護衛の一人だろう。トートがあの青年の元にいた際、彼はもっぱら町から町への護衛依頼を引き受けていた。
「ねえ」
手を引かれ、名を呼ばれていたことに気付く。トートよりやや背の高いロアルは、すぐ隣に立つとそれなりに威圧感があった。
「ヤマネコ娘って呼ばないほうがいいかい?」
「気を遣わないでってば、気持ち悪い。そんな狭量じゃないわ」
「そんな君を怒らせるんだから、彼よっぽどだね」
ロアルの手を払い、トートは雑貨の露店に近づく。
「聞きたいなら聞かせてやるけど。面白くもない過去話よ」
トートは、並んだ道具の一つを手に取った。助士が使用する鍵開け(ピッキング)ツールだ。本当ならば専門店で一そろいのものを買うべきなのだが、あいにくトートにそんな資金力はない。専門の道具というのはそれだけでも高いというのに、こと金属製となると値段が跳ね上がる。報酬からこつこつと資金を貯めて、ようやく三本目だ。
「言いたくないなら聞かないさ。他人の人生をエンタメにする趣味はないね」
ロアルはふいっと顔を背け、「あんまり」と付け足す。
魔術師ほどではないが、助士の仕事も幅広い。アルグレッドのパーティはいつも少人数なので、一人一人の役割がおのずと増える。トートはダンジョンの罠探知と地図の作成、炊事を主に引き受けていた。
そもそも、トートは助士になるために冒険者となったわけではない。やはり魔術師ほどではないが、助士というのは特殊技能の持ち主だ。大抵ベテランの助士に弟子入りをして技能を身に着ける。十六歳から冒険者の登録はできるが、十代で一人前の助士を名乗れる冒険者は少ない。
「それに、君と勇者君の関係は何となく察してるし」
「へえ?」
「手袋。お優しいんだね、勇者君って」
トートはきゅっと左手を握る。サイズの合っていない男物の黒手袋は、助士の刺青をすっぽりと覆い隠している。
耳を寝かせ、トートは唇を尖らせた。照れているらしい。
「アルには言わないで」
「一方的なら、言わないけれど。どうして?」
「あたし獣人だから」
トートが道具の一つを掲げ、持ち手の刻印を検める。椅子の上であくびをしていた店主が、のそのそと起き上がった。
「不釣り合いでしょ?」
代金を支払い、トートは道具をポーチにしまう。こぼれる笑みは、諦めたような爽やかさすら滲んでいた。
「どうして?」
素朴に聞こえる問いに、トートは目を泳がせる。
「あんたほんと常識ないんだね」
「あはは! 人種も身分も立場も、障害となりうるかも知れないけれど、不可能の理由にはならないぜ」
恋慕の情というのは難しいものである。おとぎ話の世界では、昨日出会った姫に一生の愛を捧げる王子も、反対に命の恩人をあっさり裏切る盗賊も現れる。
冒険者ギルドの下働きとして育ったトートにとっては、冒険者同士の恋愛など最も忌避すべきものだった。
まして、自分は獣人だ。奴隷制が禁止されてずいぶんになるが、それでも現在も、実質的な奴隷として働かされるのは獣人がほとんどである。生まれが貧しければ、そこから這い上がるのは容易なことではない。むしろ、物乞いでないだけましというものだった。
「可能か不可能かの話じゃない。許されるかどうかの話」
トートは幸運だった。冒険者ギルドができていなければ、自分も今頃は土の下か、歓楽街の片隅で病気の肌を化粧で隠していただろう。身分もない。家族もいない。文字の読み書きといった教養もない。明日飢えなければ万歳の、先の見えない日々。そうなっていた可能性のほうが高かったのだ。
そんな自分が、偶然。本当に偶然、アルグレッドに出会ったというだけのこと。自分やフォレイルを拾い上げて、そのまま仲間にしてしまうようなお人よし。さぞ愛されて育ってきたのだろうなと、時々嫌になるほど実感する。
だから、この気持ちはしまっておかなくては。そんな立派で奇特な彼の、瑕になってしまわないように。
「……女の子ってさあ」
隣を歩くロアルが、空を仰ぐ。
「恋をすると、お姫様になるんだよ」
「は?」
「君はまだ、彼を自分の王子様にする勇気がないんだね」
ロアルはトートの背を軽く叩いたかと思うと、さっと身を翻した。
「ちょっと!」
振り向いたトートの視界に、黒髪の青年が映る。
朝食を終えた冒険者で、市場は込み合い始めていた。赤毛と猫の耳があっても、トートは人ごみに埋もれてしまう。ロアルがかき分けた先で、アルグレッドはトートを見つけた。
「おはよう勇者君。君のお姫様がお待ちかねだぜ!」
気安くアルグレッドの背を押して、ロアルはギルドへと戻っていく。軽くよろめいて、アルグレッドは腹部の傷を押さえた。
きゅっ、と唇を結び、トートはアルグレッドに駆け寄る。
「起きたんだ」
「ああ。何の話してたんだ?」
「なんでもない」
「……そっか。まあ気が向いたら話してくれ」
アルグレッドを見上げると、灰色の瞳と目が合った。穏やかだが鋭い、銀灰色の目。それに見透かされているようで、トートは目を逸らす。
「買い物なら、ちょっと付き合ってもらってもいいか」
「うん。あたしもまだ買いたいものあるし」
少し大股で、隣を歩く。わざとらしく背中を押してきたロアルに、心の中で文句を言いながら。素性の知れないあの双剣士は、恋をしたことがあったのだろうか。
「……ねえ、アル」
雑踏の中、隣を見上げる。アルグレッドは金物屋で、金属製の籠手を吟味していた。胴を覆う鎧はとても買えないが、手首から肘までの装備ならぎりぎり手が届きそうな値段である。
「何だ?」
「アルがあたしを拾ったのって、同情?」
「……なんだよ藪から棒に」
籠手を置き、アルグレッドはトートに向き直った。
「大事な話なら、部屋で聞くが」
「ううん。別に、雑談でいいの」
トートはアルグレッドを見ないままだ。アルグレッドは思案するように視線を巡らせ、息を一つ吐いた。
「同情だよ。仕方ねえだろ、ほっとけなかったんだから」
「……そ」
頑なだった唇がゆるみ、トートは目じりを下げた。
「で。お前の欲しいもん、助士の仕事道具なら俺が買うが?」
「や。あたしは自立したいの」
ぷいとわざとらしく顔を背けてから、トートは片目で様子をうかがう。若干不満そうなアルグレッドの顔に、笑ってしまった。
父が死んで十一年。明日もトートは、冒険者でいるだろう。
ようやく、『父を探している』以外の言い訳を得たのだから。




