騎士と狩人の序曲
山間の村において、狩人はある種の特権階級だ。
狩人の仕事は、獣を狩ること。それはつまり、貴重な食料の確保ができるということであり、同時に人里を守る手段を持っているということである。アルグレッドの育った村でも、狩人の家族は見廻番や工事の人足を免除されていた。
ヘルガの町も山間にあるため、狩人は重宝される。山に気安く入った冒険者が、無惨な姿で発見されるというのも少ない話ではない。
「狩りの依頼?」
それでも一定数、そんな依頼が舞い込んでくるのが冒険者ギルドである。
「そう。結構報酬がいいんだけど受ける? 熊だって」
トートが差し出した紙を見て、アルグレッドはコーヒーのカップをおいた。ヘルガにはギルドのカフェがないため、トートが働いている食堂が冒険者の溜まり場になっている。アルグレッドも例に漏れず、ヘルガに逗留を始めて三日目で既に馴染んでいた。
「パス」
「そう? アル、山の中とか得意って言ってなかったっけ」
「そりゃ山ん中で死なない程度には動けるけどな。狩人がいるってことはそこは狩人の縄張りだ。下手に踏み込んで獣の足跡消したり人間の匂いばら撒くだけでも怒られそうだし、それ以上に狩人の罠で俺が動けなくなったら笑えねえ」
今一つピンと来ていない様子で、トートは「ふうん」と相槌を打った。
「ですって」
トートの視線が、アルグレッドの背後に向く。大きな手が、アルグレッドの両肩に乗った。
「合格」
野太い声に、ぎぎぎ、とアルグレッドは振り返る。髭と垢で真っ黒な顔が、にんまりと見下ろしてきていた。
黒い男はウッドと名乗った。ヘルガには時折買い出しと皮の取引に来るそうで、ついでに風呂にも入るらしい。汚れと垢を落とし、髭を剃ったウッドは、アルグレッドとさして変わらない年にも見えた。
「助手を探してたんだ。この辺りは不案内でね。だが熊が出てるとあっちゃあ俺たちの出番だろ? しかし、あてもなく雪山を一人で歩いていたら、先にこっちがおっちんじまうわな」
間借りしている宿の部屋で、ウッドはせっせと何かを練っていた。大きな体に不似合いな乳鉢では、緑と紫が混ざったようなペーストがニッチャニッチャと音を立てている。つん、と鼻を刺すような臭いが漂っていた。
「それは分かったが、なんで冒険者に」
「この辺りは狩人がいなくてなあ」
「……で。何をすればいい?」
「これ丸めてくれ」
ウッドが足で、木製の器を突き出してくる。今練っているものに似た色の何かが入っていた。
「大きさは?」
「あんたが一口でいけるくらい」
「こんなもんか」
ウッドの隣に座り、アルグレッドは団子を作って見せる。黒に近い緑色のそれは粘着質で、指先にねっとりと絡みついてきた。アルグレッドの手のひらに乗った団子を見て、ウッドは満足そうに頷く。
「いいじゃないか。そっちの窓際に油紙があるから、乾燥させといてくれ」
「これ、何なんだ」
「毒」
臭いを嗅いでいたアルグレッドは、思わずぱっと顔を遠ざける。ウッドが練っていたものも黒く変色し、こちらは乾いたパン生地のようになっていた。
「しかしなんだ、冒険者どのにしては、ずいぶんと狩人のことを知っていたな」
「ああ、育った村の友達が狩人で」
へえ、とウッドは興味を示す。
「……それだけだよ。別に面白い話なんかない」
「近頃は冒険者ばかり増えて、狩人が減ってるからなあ。仲間は大事にしたいんだ。どこの村?」
「エンデ」
「おっと、知らない」
「だろうさ」
広いアークリヴァルティの、北半分を領地とするエストラニウス。その東と北の端にあるのがエンデの村だ。独立領、精霊の森よりさらに北、万年雪を被る山脈の間にぽつんと、取り残されたように存在している。隣町まで馬で一日、人口は五十人にも満たない閉ざされた農村だった。全員が顔見知りで、全員が家族のようなその村で、狩人は時に英雄だった。
「狩人を大事にするのはいい村だ」
「……まあ、いい村ではあったよ」
不幸も不運も、悪いことの半分は旅人が運んでくる。
そう言い伝えられる村に、余所者の自分達が訪れたのは、冬の終わり頃だった。
突然現れた、男一人、男児二人。村長と交渉して、村はずれの廃屋に居を構えた。雨風を凌げるだけでありがたいと、父は笑っていた。
そんな自分たちにいの一番に突っかかってきたのが、狩人の一人息子だった。
* * *
十四年前。
「お前らオロシ様じゃねーだろうな!」
エンデの村に滞在を始めて三日目に、その少年はやってきた。長旅の疲れもようやく抜けて、家の改装に取り掛かった頃である。
「おや、お隣さんの」
「げっ」
ぬうっと現れた父を見上げ、少年は露骨に怯んだ。父は膝を折って、少年と視線を合わせる。
「あの時は挨拶ができなかったね。カーヴという。そっちは息子のアルグレッドと、クリフォード。ジジ君だったかな? よろしく」
「う、お、おう」
アルグレッドたちの父、カーヴは上背もあり、体格もいい。ごつごつとした手には豆がいくつもあり、家の中だというのにその腰には剣を帯びていた。浅黒い肌とボサボサの黒髪、整えられていない髭のせいで、熊のようになっている。
「何か用かい?」
「うっ……か、母ちゃんが、晩飯に呼べって。昨日の礼」
「おやおやそうかあ。嬉しいなあ」
「言ったから! じゃあな!」
「ああ、ジジ君」
カーヴは、走り出そうとしたジジを呼び止め、二人の息子を手招きした。大きな手が、小さな二人の頭をわしわしと撫でる。
「こいつらなあ。ちょーっと人見知りで、心配なんだ。仲良くやってもらえると嬉しい」
きょとんとして、クリフォードはカーヴを見上げる。アルグレッドは一人、不満げに唇を尖らせた。
「……ふ、う〜……ん」
ジロジロと二人を上から下まで見てから、ジジはニヤリと意地悪く笑う。
「仲良くしてやってもいいけど。お前ら、俺の子分な!」
父からは、余所者の子供は八つと四つだと聞いている。年明けに九つになったジジより都合よく年下だ。
「こぶん」「こぶん?」
世間知らずそうな二人の少年は、揃って首を傾げた。
小さな村では、いつでも人手が足りていない。子守ができる年齢になると、よその子供の手を引いて歩いているなど珍しくなくなる。
「親分、あの木の実は食べられるのか?」
「おやぶん、これなーに?」
「親分、なんであの人の家には鶏がたくさんいるんだ?」
「おやぶん、おみせがないなら、どこでごはんを買うんだ?」
アルグレッドとクリフォードの二人は、とにかくものを知らなかった。よほど大きな町の生まれなのか、田舎暮らしのすべてが目新しかったらしい。
できたばかりの子分は、ジジの自慢になった。なにしろアルグレッドもクリフォードも垢抜けていた。長旅で日には焼けたというものの、絹の服と立派なゴム底の靴を持っている。そんな二人がちょこちょこと後ろをついてくるのだから、ジジはあっという間に羨望の眼差しを集めるようになった。
カーヴは腕っぷしが立つようで、町への護衛やら力仕事やらにしょっちゅう駆り出されていた。その間、まさか子供二人をボロ屋に置いていく訳にもいかず、必然的に二人はジジの家に来ることが多くなった。
木の枝と石で暇をつぶすことを覚え、花の蜜の味を知り、絹の服がすっかり擦り切れて麻布のお下がりをもらう頃。二人の余所者は、仲間の一人としていっぱしの口をきくようになっていた。
「なあ親分」
木の枝に腰掛け、アルグレッドが呼びかける。一つ上の枝に座って、ジジは「なんだよ」と返事をした。
「オロシ様ってなんだ?」
「……なんで覚えてんだよ」
苦々しくジジは返す。十歳になったばかりの子供にも、思い出したくない過去というものはある。ジジにとっては、余所者へと投げたあの言葉がそうだった。
「よくない言葉。忘れろ」
「別に怒ったりしねえよ。俺もクリフも余所者だったし。まだ親分たちの言葉もわからないところあるし」
「せっかく垢抜けてんのに染まるこたぁねえ」
「知りたいって言ってるんだ」
なあ、とアルグレッドが地上に呼びかける。まだ木を登れないクリフは、両手を挙げてぴょんぴょんと飛び跳ねていた。
「ほら親分。教えてもらうまで俺降りないし、俺が降りないとクリフが癇癪起こすぜ」
「クソ兄貴じゃねえか」
「くそあにきー!」
「真似するんじゃないそんな言葉! めっ!」
「ぁめっ!」
ひとしきり笑ってから、ジジは長々と息を吐く。木の枝の上で頬杖をつき、村を囲む山へと視線を向けた。
「狩人の話。山にはオロシ様っていう、神様の成り損ないが住んでいて、たまに獣の皮を被って人里を見にくるんだとさ。そんで成り変わる相手を探してる」
「……皮を被って?」
「だから狩人は、オロシ様が来そうな天気の日は、狩った獣の皮を山の木に引っ掛けておくんだ。オロシ様がそれを取ろうとしてる間に、山から降りられるようにってな」
ジジにしてみれば、迷信のようなものだ。都会育ちの二人にも、さぞくだらなく聞こえるだろう。
アルグレッドは枝から降りる。木の根元では、クリフが今にも泣き出しそうになっていた。片手でクリフをあやしながら、アルグレッドはジジを見上げた
「ああ、オロシ様って、フキフサのことかあ」
「へえ、似たような話あるんだな」
「あれ怖いから好きじゃないな」
うんうん、とクリフがうなずく。
「にいに、ラルの話して」
「いいぜ。親分も聞くか? 俺らの故郷の有名なやつ」
木の根元に腰を下ろし、アルグレッドは膝の上にクリフを座らせた。
「らる?」
「ラルとカリの大冒険って絵本があるんだ。昔からよく読んでてなあ」
体を揺らしながら、アルグレッドは懐かしむように遠くを見た。
「ラルとカリは双子のねずみ。町のパン屋の倉庫に住んでいる……」
ジジは枝から飛び降り、二人の隣にしゃがんだ。村に伝わるものに比べれば、ずいぶん平和な話だった。
都会には、パンだけを売る店があるらしい。この村で一番パンを焼くのが上手いのは村長の娘だ。ジジの母も負けてはいないが、並べられればジジは村長の娘のパンを選ぶ。
ふかふかのパンのベッドで眠るねずみを思い浮かべると、ジジも腹が減ってきた。太陽を見るが、昼食まではまだ時間がありそうだ。
隣を見ると、クリフはアルグレッドの膝でうつらうつらとしていた。自分でねだっておきながら、物語を最後まで聞けそうにない。
いつもこうなんだ、とアルグレッドは笑って、クリフの頭をなでていた。
「……なあアル」
「ん?」
「秋になったらさ。毎年一人、町の学校に行くんだ。お前行けよ」
今年はジジが推薦される予定だった。だがジジは狩人の仕事を覚え始める時期である。
「字、読めるんだろ? 俺は別に読めなくてもいいけどさ」
「勉強できる奴がしたほうがいいって?」
ジジが勉強したくないだけではなかろうか。確かにこの村で一生を過ごすなら、文字の読み書きは無用な能力だ。
実際村の大人たちのうち、字が書けるのはほんの一人二人だ。それ以外は自分の名前が書ければ十分といった様子だった。子供を一人送り出すのは、今の村長になってから始まった慣習だという。
「親分が行ったほうがいいよ」
見上げると、ジジは露骨に嫌そうな顔をしていた。
* * *
ウッドは周到な狩人だった。ヘルガの町からそりを引いて、足跡の少ない森に入るとそこはもう彼の縄張りになっていた。針金で作られたくくり罠から小鳥とねずみを回収し、ずんずんと森の奥へ進んでいく。
不案内とは何だったのか。アルグレッドは、随所に仕掛けられた罠を見る。小型で単純な罠だが、日銭を稼ぐならこれでも十分そうだ。特に鳥は、傷のない羽が重宝される。
人が踏み入らない森は、進むごとに雪が深くなっていった。かんじきを作っておけばよかったな、と後悔しつつ、アルグレッドはそりを押す。ウッドの武器は小ぶりな弓だった。
「アルグレッド、あれ見ろ」
ウッドが指さし、アルグレッドは顔を上げる。
「……え」
木の枝に、鹿の皮が吊り下げられていた。
ずいぶん昔の与太話が、にわかに鮮明に思い出される。結局、エンデの近くで皮が吊るされているのを見たことはなかった。
「ん?」
「その、それ」
「ああ、俺が仕掛けておいた」
ウッドはそりを近場の木にくくり付け、皮を取る。一晩吊るしていたのだろうか、枝に掛かった形そのままに凍っていた。
「うーん、釣れなかったか」
「……狩るのって熊だよな」
「ああそういう話だったな。ところで」
ウッドは、伸び放題の自分の頭髪を指差す。
「会った時の俺、熊に似てなかったか?」
「…………」
口をいの字にして、アルグレッドは眉根を寄せた。
「だから冒険者ギルドに依頼かよ……」
「狩人は殺し方しか知らないからな」
凍った鹿皮をそりに乗せ、ウッドはロープを引いた。
「さあて、もうしばらく先に罠を仕掛けてこよう。狐が出て困っている人がいるそうだ」
「はいはい」
二人分の足跡が、森のさらに奥へと続いていく。
十数メートル後方から、三つ目の足音が近づいてきていた。
基本的に、狩人が獲物を生け捕りにすることはない。罠を仕掛け、毒餌を設置し、獲物をじっくりと追い込んでから一撃で仕留める。野生動物を相手に、人間が何本も矢を撃ち込むいとまはない。
だが一方で、ウッドが仕掛ける罠のほとんどは非致死性である。アルグレッドが作らされた毒団子も、熊であれば半日も経てば動き出す。くくり罠は、設置した木に必ず赤い布で印が付けられていた。これは、方々を巡るウッドなりの矜持である。
小型のくくり罠ならいざ知らず、大型のくくり罠は、時に人間すら易々と吊り上げる。
「……さて」
その黒々とした男は、見事に逆さ吊りになっていた。
「綺麗に引っかかってくれたな」
「こいつが『熊』なのか?」
背中を丸め、ぼろ布を何枚も着込んだ男だった。手には狐の毛皮を握っている。つい先刻、ウッドが枝から吊るしておいたものだ。
「罠かよ卑怯者ども!」
逆さづりのまま男がもがく。ばさばさと、木の枝から雪が降ってきた。
「余罪がいーっぱいありそうだ。とりあえず、狩人の獲ったもの盗っていくのはご法度な。そりゃあ毛皮は高く売れるし、人目もないからやりやすかろうが」
ウッドは、鉄の鏃を男の目へと突きつけた。
「人の皮だって、そりゃあ高く売れるんだぜ」
「あァ!? 安い脅ししてんじゃねえ!」
頭に血が上っているのか、男の顔色が悪くなってきていた。仕方ないな、とアルグレッドは剣を抜く。鏃よりも明確な武器に、流石に男が声を詰まらせた。
「そういう依頼ってことだよな?」
「ああ」
一拍置いて、男の呼吸が荒くなる。
「人の血抜きって、頸動脈でいいんだよな」
「肉は売れないけど、まあやってくれるなら」
半笑いで、ウッドが男の首に手を当てる。
「ここがいい」
冬の寒さで冷えた指が、熱い首筋をなぞった。かち、と奥歯が鳴って、男は自分の震えを自覚する。
「えーそれでは。窃盗、侵入、その他もろもろ迷惑行為をする『熊』の解体ということで」
わざとらしい薄ら笑いで、アルグレッドは剣を振り上げる。
その勢いのまま振り下ろされた柄が、男のみぞおちにめり込んだ。
獲物をそりに乗せ、盗人は簀巻きにして、二人は森を出た。手足を縛った男は、このまま自警団に引き渡す予定だ。
「こんなに足手まといにならない助手は久しぶりだ」
「そりゃどうも」
「冒険者なんて惜しいな。このまま狩人にならないか」
惜しい。その言葉に、アルグレッドは足を止める。数歩進んだ先で、ウッドが振り返った。
「気に障ったか」
「いいや。前にも同じことを言われた」
アルグレッドは眉根を寄せる。
『冒険者ぁ!? もったいねえよ、俺と一緒に狩人やろうぜ!』
そう言っていた親分は、元気だろうか。あいにく自分がふらふらとしているせいで、手紙が届いているかも分からない。
「あいにく、やりたいことがあるんでね」
灰色の目をぎらつかせ、アルグレッドは歯を見せて笑った。
ヘルガの町に入ると、向こうからトートが走ってくるところだった。




