7)旅立ちの朝に
ベッドに地図を広げ、ロアルは胡坐をかいて何やら思案していた。夕食から戻ってきたクリフとソルードが、隣のベッドに腰かける。
「何か悩み事か?」
「かー?」
そろって首を傾げた二人を手招きし、ロアルは地図を指差した。
「目的地がここで」
「おう」
「ここから、街道をこ~う進むのは乗合馬車があるんだけど、雪が降ると止まっちゃうんだって」
乗合馬車が使えないとなると、徒歩で進むことになる。だが【幻惑の森】方面は、数日歩かなければまともな宿がない。
「君、ベッドで寝たいだろう?」
「そりゃ快適な寝床は万物に勝るからな」
「ソルもいるしねえ。出立早めていい?」
予定ならばあと七日ほど逗留する予定だったが、旅の準備はほぼ終わっている。倉庫の代金は前払いなので戻ってこないだろうが、寒空の下を何日も歩いたうえで野宿することと天秤にかけるのならば考えるまでもない。
「んじゃ、明日先生に相談する。できるならもう明日にはアレ移動させよう」
「ありがとう。じゃあ明日はソル、ボクと歩行訓練だね」
「ねー!」
嬉しい、と言うようにソルードは両手を挙げた。控えめな引きつった笑みが浮かぶ。
「……しかしお前さ」
「うん?」
ロアルの膝に乗り、ソルードは仰向けになる。
「ガキがついてくるのとか、いいんだな」
「んー、先に面倒見るって言ったのボクだから。気を遣ってくれたのかもね、先生も。子供の面倒を見るのは好きだよ。もちろん子供そのものも。でもソルじゃなかったら、流石に連れて行かないさ」
もぞもぞとロアルの外套に潜り込み、ソルードはそこで丸くなった。地図を折り畳み、ロアルは旅荷物を引き寄せる。可能な限り減らしたつもりだが、それでも三人分となるとそれなりの大きさになる。ロアルにとって重さはさしたる問題ではないが、身軽ではなくなるのは困りものだった。
ロアルは向かいのクリフに顔を向ける。クリフはポーチから木箱を取り出し、薬種の瓶を点検していた。欠けたコルクはゴミになる前に取り外し、生得魔法で蓋をする。
「ねえクリフ」
「ん?」
「……いや。なんでもない。相変わらず便利な魔法だなって」
む、と不機嫌な顔になるが、クリフは何も言わなかった。
運び込まれた遊撃機を前に、アンキュウは言葉を失っていた。噂を聞き付けた考古学者が二名、目をらんらんと輝かせて到着を待っていた。クリフは遊撃機を浮遊馬車から下ろし、布を取る。低い倉庫の天井を、布の端が擦った。
「これは……乗り物、なのか」
「はあ、はい。詳しくは俺も知らないですけど。ロアルだったら詳しいんじゃねえかな」
何度見ても、乗り物というには奇妙な形をしている。車輪は小さなものが三つついているだけで、人が乗れる部分も小さく、荷物を載せる場所はない。
「信じられないっすけど、この金属の塊が、空を飛ぶらしいです」
「……こんな小型なのに飛行技術が」
考古学者の一人が呟く。アンキュウは「爆撃機」と言い、口をつぐんだ。
「近づいても?」
「ああ、はい」
二人の考古学者が、遊撃機の周りをうろつく。アンキュウはクリフの隣に立ったまま、難しい顔で腕を組んでいた。クリフは布を小さく折りたたむ。
「素晴らしい保存状態だ。【天帝の怒り】以降、この大陸での飛行技術は断絶してしまったと思っていたが……」
「おそらく潤沢な魔力に満たされた空間にあったのだろう。オドとマナの混合気体は時間を拒絶する」
「なるほど、しかし定説では……」
「条件がそろえば現代においても……」
ぶつぶつと、独り言か議論か分からないことを、二人の学者が呟いている。
「先生は入らないんすか」
「ん? ああ。歴史学と考古学デは畑が違う。……ソル君は元気かな」
「はい。ここ数日は寝汚くなってきました」
今日も朝には起きず、結局ロアルに預けて出てきた。安心していると考えれば、いいことだろう。
「ちょっとずつですけど、声も出すようになって。……冒険に連れて行くのも、嫌じゃないみたいで、よかったです」
「本人の意志があるナら、それが一番だ。ロアルさんは、彼をザマルに閉じ込めておくのはよくなイと感じ取ったのかもしれなイね」
「そこまで繊細なこと、あいつ考えてますかね……」
(いや、考えてるかも知れねえな)
自分で言った言葉を心うちで否定して、クリフは視線を落とす。少なくとも子供を一人引き取るというのに、全くの考えなしという訳ではないだろう。そうだと信じたい。
「ときに、魔術師殿」
考古学者が一人、クリフに擦り寄る。
「よろしければ、事細かに解析を行いたいのですが」
「最終的に元に戻すなら許可しますけど、そうじゃないならお断りします」
よほど機械に強くなければ、元に戻すのは難しいだろう。歯痒そうに考古学者は呻く。
「……学院と協力するなら、搭載されている魔術の解析は、是非」
「おや、ソレは嬉しい。早速報告しなくてはね」
アンキュウはパッと笑顔を見せた。
「考古学なら、【八重塔遺跡】の方が色々出てくると思いますよ。コーヴィスが攻略したんですし、そちらに掛け合っては?」
「……スカーレット殿は気難しいんだ」
そうだろうか。クリフは全てが終わった後でスカーレットに会っているので、実際任務にあたっているスカーレットがどんな人物かはよく知らないのだが、話の分からない人間ではなかったような。
「……まあ、ともかく。これでアータートン君への報酬となった。引き取りはいつでもいいよ」
クリフの肩を叩き、アンキュウは眼鏡の奥で目を細めた。
「また遊びにおいで」
「……どうも」
照れたようにぶっきらぼうに返事をして、クリフはそっぽを向いた。
* * *
ザマルから南西へ七日歩いた場所に、ヘルガという宿場町がある。周囲を山に囲まれた小さい窪地には宿がひしめき合い、南北、東西を結ぶ交通の要所として、一年を通して忙しく人が出入りしていた。
その町の片隅に、冒険者ギルドの小さな出張所があった。二階建ての一階部分に、外に張り出したカウンターがあり、そこに受付嬢が座っている。一階は小ぢんまりとした食堂で、二階に部屋が二つある。それぞれの個室は、小さめの四人部屋だった。
「ちょっと、アル! 靴脱いで上がるの。その床で寝るんだから」
ブーツを掲げて見せ、トートはアルグレッドの背に声を投げた。個室のドアを開くと室内は一段高くなっており、部屋の隅に布団が積んであった。
「ベッドじゃねえのか」
「場所取るじゃない。小さい宿だとこういうのも多いの」
三人分の布団を敷くと、部屋はほぼ一杯だった。旅荷物を壁に寄せ、アルグレッドは日誌を開く。
「南の内海までここから、歩いて十日か。出立は三の月のはじめにするとして、三ヶ月くらいここに逗留することになるな」
「うん。冬だし、あんまり旅するのはあたしも賛成しない」
「フォル、今の財政状況は?」
フォレイルは、細々と文字が書かれた巻紙を差し出す。
「宿が、三人、一ヶ月で二千七百ユル。ギルドの宿だし、破格だと、思うけど」
大きな手で小さな算盤を弾き、フォレイルは難しい顔になった。
「今の、パーティで使える金が、三千二百七十ユル。三ヶ月の支払いをするには、毎日五十ユル稼ぐ必要がある。アルグレッドと俺で護衛とかに出ればまとまった金にはなるが、護衛は往復で十日とか使うし……」
「お前は宿で会計士やればいいと思うんだよな……」
無理だ、とフォレイルは勢いよく首を横に振った。
「人前だと喋れないんだから、護衛の方がいいわ。あたしは適当に下女仕事探してくる。これからお客が増えるだろうし、慣れてるし」
「アルグレッドは、ギルドの仕事がいい、と思う。冒険者として顔を売れる」
「ああ、それもそうね。それでいい?」
提案に、アルグレッドも頷いた。
ヘルガの町一番の食堂は、冬を越す冒険者や旅人で賑わっていた。等間隔に並んだ丸テーブルの間を、トートは両手に盆を掲げてすり抜ける。
トートの鋭敏な耳が、ドアの開閉音をとらえた。愛想のいい笑顔で振り返り、息を吸う。
「いらっしゃいま……あれ?」
戸惑ったような顔で入ってきた青年は、目を見張るような見事な金髪だった。肩口で一つに束ねたそれは、よく手入れされていると遠目でも分かる。蜂蜜色の目をきょろきょろとさせてから、青年は窓際の空席に向かった。白い外套を椅子の背にかけ、ちょこんと行儀よく足を揃えている。
トートは配膳を終えると、窓際の青年のもとへと向かった。青年は窓の外へ顔を向けている。
「あんた、もうちょっとザマルにいるとか言ってなかった?」
トートが声をかけると、青年の肩が跳ねた。腰帯からメニューを取り、トートは呆れ顔になる。
「先に注文しないと、水も出てこないわよ。あの仮面とおチビちゃんは?」
「え……と」
青年は視線を泳がせ、袖を握って身を縮める。そこでようやく、トートは違和感に気が付いた。
「……もしかして、クリフォードじゃ……ない?」
金髪で、蜂蜜色の目で、さらに顔立ちまでよく似ている。髪の長さを除けば、その青年はクリフに瓜二つと言っても過言ではなかった。
だが、髪留めや服の襟には金の装飾があり、ややくすんだエメラルドグリーンの服の中には、眩しいほどに白いシャツを着ている。椅子にかけた外套の柄は、よく見ると金糸で織り込まれていた。冒険者というには、少々派手ないで立ちだ。
「ごめんなさい! あんまりにも似てたもんだから」
「……いえ。あの」
恥ずかしさに顔を真っ赤にして、トートはその場を離れようとする。その手を青年がつかみ、引き留めた。
「あの! 聞き間違いでないのでしたら、クリフォードとおっしゃいましたか」
声まで、どことなくクリフに似ている。
混乱するトートに構わず、青年は握った手を引き寄せる。
「兄の居場所を、ご存じなんですか?」
真剣な表情で、青年は問うた。
* * *
小さな鞄を背負い、ソルードは誇らしげに胸を張った。門の傍にいる番兵が、微笑ましいものを見るような顔をしている。ソルードの首から膝下までをすっぽりと覆う黄色い外套は、雨合羽のようでもあった。
「挨拶回りも終わったし、ちびも元気そうだし、出立日和だな」
「うい!」
「ロアルが乗合馬車見つけてきたら、半日くらいずっと馬車の中だからな。退屈になっても暴れない。寝る時は俺の膝。できるな?」
「んう」
こくこくと頷き、ソルードは自分の胸に手を当てた。肘を張って顎を持ち上げ、ふふん、と鼻を鳴らす。
「ソル、いいこいいこだからできるもんね」
「…………」
「……にいしゃ?」
首を傾げたソルードの頬を、両手でつかむ。驚いたソルードの尾が、垂直に立ち上がった。
「お前喋れんのかよ!」
「んふへへへ」
賢い、と散々アンキュウとロアルが言っていたが、それをようやくクリフも実感する。ソルードは眉根を寄せた笑顔のまま、クリフに顔を揉まれていた。戻ってきたロアルが、三人分の切符を持って首を傾げる。
「仲良しこよしだね」
「こいつ喋ったんだよ!」
両腕でソルードを持ち上げ、クリフは勢いよくロアルを振り返る。
「そりゃ口と喉が無事なら、喋るだろう? はい、切符」
「理屈ではそうだけどな……どーも」
「出発だよ。おてて繋いでいこうね」
ロアルが差し出した手を握り、ソルードは二人に挟まれる。小さな手が、きゅっと精いっぱい二人の手を握った。
開かれた城門の外側で、幾つもの馬車が待機していた。御者は行き先の札を幌馬車に貼り付け、煙草をふかしている。朝一番の便が出た後で、客の姿はまばらだった。
門をくぐったところで、ソルードの足が止まる。オーロラ色の大きな瞳に、朝日に照らされる丘陵が映った。
堀を超える石橋が真っ直ぐに太陽へと伸び、その先の道は淡い橙色の石畳で舗装されていた。道沿いに用水路があり、収穫を終えた畑の茶色い地面を、枯れ草色の道が横切っている。丘の向こうから吹いてきた風が、ソルードのフードを揺らした。その冷たさにぶるりと身を震わせて、唇に力を込める。
生まれて初めての、遮るものがない景色。土の匂いと、少しの肌寒さ。繋いだ両手はジワリと温かく、見上げた蒼天に、目の奥が痛む。
ゆるく手を引っ張られて、左右の二人が、自分のために足を止めていたことに気付く。ソルードは小走りになり、両腕を縮めた。
この感情を表す言葉を、自分はまだ知らない。本当は少し重い荷物も、まだ硬くて歩きにくいブーツも、その全てが、あの日食べた金平糖のようで。
振り返ったクリフが、一瞬驚いたような顔をして、それから笑う。口元が緩み、目尻と眉の下がった、優しい顔だ。蜂蜜色の瞳が、嬉しそうに細められた。
それを見上げる自分も笑っているのだと、ソルードはまだ気付いていなかった。
(つづく)




