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蒼天のアルターレ  作者: 日凪セツナ
第二章 箱庭と仔犬
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5)ちいさな野獣

 城壁前広場では、日替わりで劇を上演している。数か月前までは、サビーナもよく観に行っていた。息子のリュカは魔法使いの話が好きで、内容を覚えるほど通いつめたものだ。馴染みの憲兵に連れられて来たものの、サビーナは演劇を楽しめるような心持ではなかった。


 いつも通り売れ残ったパンを持って出て行ったリュカは、三か月前から帰っていない。


 聡明な子だった。夜になると危ないから、と決めた早めの門限を破ったことはなかった。暮れの鐘が鳴る前には必ず、空の籠を持って帰ってきて、全部売れたと笑っていた。好き嫌いも少なく、手間のかからない良い子だった。たまには我儘くらい言っていいのにと、こちらが心配するほどだった。

 帰ってこなかったその日は、空が白むまで眠れなかった。気を失うように眠りに落ちて、テーブルに突っ伏したまま朝を迎えた。三か月が経った今でも、ふと振り向けば、玄関にリュカが立っているのではと思ってしまう。

 何度も相談するうちに、憲兵の一人と仲良くなった。同じ年頃の母親同士というのもあったかも知れない。休日に、気晴らしにと食事に誘われることもあった。


「見てほしいものがあるんだ」


 憲兵の制服を着ていたということは、彼女も休みではないはずだ。なのに無理に連れ出して、何だと言うのだろう。

 到着した城壁前広場には、すでに人だかりができていた。手を引かれて前列に出ると、劇役者たちがそろって幕の裏に控え、映写機だけが稼働していた。映写機の隣には、憲兵と、黒マントの誰かが立っている。黒マントの誰かは憲兵に橙色のブレスレットを渡すと、身をひるがえして階段を登って行った。

 ほどなくして、壁に映像が投影された。ちまちまと調整していた憲兵が場所を開け、幕の内側で、薄暗い映像は徐々に鮮明になる。


『いい子だ。みんなで分けな』


 若い男の声がした。普段の劇の背景ではない。揺れる映像の中で、一人の子供が、不安げにこちらを見上げている。


「……リュカ」


 見間違えるはずがない。金平糖を受け取っているのは、サビーナの息子だった。




 子供を抱えた憲兵が、一軒家からゾロゾロと出てくる。拘束され、猿轡まで咬まされたトマソンは、三人の憲兵に押さえられて引っ張られていた。住宅地の路地に、野次馬が集まっている。その中から、一人のやつれた女が飛び出した。


「リュカ!」


 一人、自分の足で歩いていた少年が、その声に顔を上げた。凍ったようだった顔に日が当たり、垢だらけの頬が僅かに綻ぶ。


「かあ、さ」


 憲兵の手を離し、リュカはふらつきながら走り出す。両腕を広げた母親は、倒れ込むリュカを全身で受け止めた。

 馬車を回す間、トマソンは憲兵に左右を固められて座らされていた。ロアルの肩を借り、クリフがその前に立つ。


「いいツラだぜクソ野郎」

「…………」

「ペラペラ喋ってくれて助かった。それに、こんな写真一枚であんなに顔色を変えてくれるのも」


 写真を振ってみせると、トマソンの顔が赤黒くなる。言葉にならない唸り声が、威嚇するように漏れた。


「そうカッカしなさんな。あんたの息子に手は出さねえよ。あんたじゃねえんだ」

「ボクは攫うくらいって思ったけどね。一晩くらい。そうすれば親の心境が分かるだろうさ。当然泣いても叫んでも、ボクは悠々、それを無視するけど」

「お前はもうちっと手を汚すことを躊躇え」


 はいはい、とロアルはクリフから手を離す。用意されていた椅子に座らされ、クリフは傷の痛みに顔をしかめた。鎮痛魔術は、麻酔ほどの効力はない。


「あの子連れ出してくるよ。先生の依頼だろ? 動いたら怒るからね」


 ロアルは速足で、家の中へと戻る。家から連れ出された子供は七人。まだ一人、あの檻の子供が残っているはずだ。


「つ……」


 怪我とはまた違う気分の悪さに、クリフの呼吸が浅くなる。あらかじめ仕込まれた橙魔術、通信魔術に、魔道具との接続。鎮痛魔術も含めれば、襟の飾り程度の魔導鉱石では起動できているだけで奇跡だ。既に刺繍糸が通された針の穴に、さらに糸を二本通しているようなものである。

 魔導鉱石によって線引きされない魔術は、魔術師と世界の境界をあいまいにする。優れた魔力回路を持つクリフには、相応の大きさの魔導鉱石が必要だ。だが今回、大規模な橙魔術をザマル中に張り巡らせるため、杖はマティアスに貸し出していた。

 頭痛と眩暈、傷の痛みも手伝って、クリフは朦朧としていた。椅子に座っているというのに、体がぐらぐらと揺れているような気がする。


「医者呼んであるぜ。【緊急治療(アージェンキュア)】かけるか?」


 肩を揺すられ、意識がわずかに冴える。顔を上げると、マティアスが眉根を寄せて見下ろしてきていた。その手には、大ぶりのクリフの杖と、手帳型のマティアスの杖があった。表紙に埋め込まれた水晶に、白い光が浮かんでいる。


「あれ、痛えからいい……」

「じゃあ【治癒(キュア)】と【麻酔(アナスセティク)】な」

「お前医術師の資格あったっけ……」


 黙ってろ、と小声で言って、マティアスはクリフの前にしゃがむ。手帳型の杖の表紙で、水晶がじわりと白く光った。


「弱いくせに無茶しやがって。こんなんで冒険者やってけんのか」

「御覧の通りやっていけてる。いいだろ、結果として誰もケガしてねえんだから」

「お前な、」


 息を吸ったマティアスは、クリフと目が合って言葉に詰まる。化粧でも隠せないほど青白い顔で、しかし、クリフは満足げに目を細めていた。

 ぱたぱたと、軽い足音が二人に近付く。母親の腕を引っ張って、リュカが駆け寄ってきていた。


「あ、あの!」

「おう、どうした」

「う、ん、はい。えっと、ディーデリヒ、さん?」


 頬を掻き、クリフは視線を逸らす。


「おにーさんでいい」

「おにいさん……、あ、ありがとうございましたっ、魔法使いさん!」


 勢いよく頭を下げると、リュカは母親の後ろに隠れてしまう。母親は繰り返し何度も、クリフに頭を下げた。涙ながらの感謝の言葉に、クリフは照れくさそうな顔になる。

 憲兵に付き添われ、母子は用意された荷車に向かう。トマソンに皿を投げつけた少女は、両親に抱きしめられて泣いていた。まだぼんやりとしている少年のそばでは、姉だろうか、まだ年若い女が崩れた化粧で顔を汚している。リュカの母親が乗り込むと、野次馬を押しのけ、荷車は静かにその場を離れた。


「……子供、七人しかいなくねえか?」

「もう一人はロアルが迎えに行ってる」

「親なしか……」


 ほかの憲兵に呼ばれ、マティアスは玄関口へ向かう。その背に手を振って、クリフは固い背もたれに体を預けた。

 抵抗していたらしいエドゥアが、後ろ手に縄を打たれて地面に転がされていた。

 憲兵が忙しくなるのはここからだ。サデュラ支援会の関係者を洗い出し、顧客リストから売られた子供の足跡を追い、捜索願と照らし合わせていかなければならない。全員が無事、などというのは理想に過ぎないが、それでも、一人でも多く親元に返せるのであればそれ以上のことはない。貴族や議員、商人などの金も身分もある人間が顧客にいた場合は、さらに面倒くさくなる。

 魔術師でもあるマティアスは、また何かと駆り出されるだろう。

 そんなことを考えながら、玄関扉に手をかけると、


「マティアス、そいつ止めろ!」

「えっ?」


 焦った声に続いて、扉の死角から黒い影が飛び出してきた。マティアスの横を抜け、クリフのいる方向へ走っていく。長い尾が、ざりざりと地面を擦った。

 犬か。一瞬そう思って、いや、と首を振る。だが、黒い毛玉のようなそれは、小さな獣にしか見えなかった。


「こら、待ちなさい!」


 続いて、ロアルが玄関から現れる。土煙を舞い上げながら勢いを殺し、ロアルはその毛玉を追った。マティアスが動けないでいる数秒の間に、二つの影はあっという間に通り過ぎて行った。ロアルは両手に、薄汚れた毛布を持っている。

 呆気にとられる憲兵たちの間をすり抜けて、その毛玉はまっすぐに、トマソンへと向かっていた。いざ連行しようとトマソンを立ち上がらせた憲兵が、ぎょっとして身を引く。


「ガウ! グアゥルルルルルッ!」


 叫び声と共に、毛玉はトマソンに飛びつく。折れそうに細い足だというのに、驚くほどの跳躍力だった。腕が伸ばされ、その毛玉が人間の子供だと、ようやく察せられる。


「ウウウッ、ガアアアアアッ!」


 子供はトマソンの袖をつかむと、そのまま胸ぐらまでよじ登った。短い牙が、トマソンの首に突き立てられる。振り払おうにもトマソンは両腕を拘束されており、ぶぅん、と振り回された長い尾が周囲の憲兵を遠ざけた。獣人の尾ではあるようだが、根元が太く、てらてらと光っている。子供の首に吊るされた鈴が、場違いに可愛らしい音を立てた。


「待ちなさいってば!」


 追いついたロアルが、子供に毛布をかぶせ、両腕で抱え込む。トマソンを蹴り飛ばして引きはがすと、子供は両腕をじたばたと暴れさせた。


「ウウーッ! アウ、ギャアッ!」

「分かったわかった、うんうん分かるよ大丈夫みんなあいつのことは嫌いだからね!」


 辛辣なことを言いながら、ロアルは片手で胴を押さえ、もう片手で目を覆う。


「ねえ、ねー憲兵のマー君! 悪いけど先に失礼するね!」

「え、お、おう!」

「クリフは頼むよ、また後で!」


 緊張の糸が切れたのか、クリフは椅子の上で器用に眠っていた。




 ロアルに抱きかかえられた子供は結局、トマソンが見えなくなるまで暴れていた。

 伸び放題の髪、ひどく痩せた手足。爪は削れ、服は汚れた肌着のみ。両足首には、枷の傷跡が痛々しく残っている。


「うう……」


 大人しくなると、ロアルは一度子供を下ろし、反対向きに抱え直す。ロアルの肩に手を乗せ、子供は目を閉じた。

 アンキュウの下宿に戻ると、報せを受け取っていたらしいアンキュウは重湯を用意して待っていた。ロアルは両腕で子供をアンキュウに見せる。子供はアンキュウを見上げると、大きな目を瞬かせ、「せんせぇ」と呟いた。


「さっきまでひどく暴れていたけど。今は大人しいよ」

「ああ。生きていてよかった」


 ロアルが床に降ろすと、子供は身を伏せ、背中を丸める。長い尾が、髪を巻き込みながら足に沿う。


「身寄りがないようデネ。気になっていたんだ」

獣人(レイジー)……? 哺乳類以外は初めて見るかもしれない。男の子?」

「恐らくね。爬虫類は確かに珍しい。男の子だよ」


 少年はアンキュウの靴に顔を寄せ、匂いを嗅ぐ。


「冒険者ギルドから引き取られてきたんだ。半年と少シ前かな? やタらと大きな落雷があったとかで見に行ったら、ダンジョンが見つかって。そこから引き上げた冒険者が連れていて。ギルドで引き取るにも、言葉も分からなイから、サデュラ支援会で引き取ったとか」


 少年の尾が、ゆっくりと床の上に伸びた。黒々とした、髪と同じ色の鱗が生えている。根元は太く、先に行くほど細くなり、先端は鋭く尖っていた。


「大人しい子なんだよ、本当に。でモ私の授業は難しくて、椅子に座っていられなかった。それが見つかって、ひどい折檻を受けたようでね」


 アンキュウの匂いをひとしきり確かめると、少年はのそのそとデスクの陰に移動し、体を丸くした。だがロアルがその前にしゃがむと、びくりと肩を震わせて顔を上げる。


「なるほど。それで、先生はこの子をお世話するの?」

「ああ。そうしたい。……懸念が?」

「んー……」


 ロアルは、少年の頬にゆっくりと手を当てる。身を縮めたまま、少年はぎゅっと目を閉じた。浅黒い肌は、ロアルの手袋が触れたところから、ぽろぽろと垢が落ちる。


「先生、子供の世話の経験は?」

「ないが、善処したい」

「善処じゃ足りない。この子は生まれてから今日までの分、埋めなきゃいけないんだから」


 ロアルは立ち上がり、アンキュウを見上げる。


「それに、今回ボクはほとんど働いていないし。それで倉庫を借りるのは気が引ける。いやまあ、置くのはクリフの持ち物だけど、ボクたちはパルで、一応ボクがリーダーだし」

「つまり?」

「ボクが面倒を見る。少なくとも、ここにいる間は」


 二人の視線が自分から外れると、少年はソファに近づき、匂いを嗅いでいた。


「了承していただけるなら、名前を教えて?」

「そう、そうか……それは……」


 言い淀み、アンキュウはロアルを見返した。黒い石の瞳には、アンキュウだけが映っている。

 教師と冒険者。どちらが親役に向いているかなど考えるまでもない。かといって、ロアルが引き下がるようにも見えなかった。いろいろと言い訳を並べていたが、アンキュウに任せたくない、というのが本音だろう。実際のところ、アンキュウも子育ての心得があるとは言えない。ロアルにその経験があるのならば、託すのも一つの手ではある。

 しばらく、アンキュウは試すように口をつぐんだ。アンキュウの思案をすべて見通しているように、ロアルは黙っている。


「……ベル。子供たちにそう呼ばれていた。首輪に鈴があったから」


 なにも、冒険者として連れていくと言っているわけではない。仕事があるアンキュウではなく、時間を自由に使えるロアルとクリフに預けたほうが、安心といえばそうだ。

 譲歩と少々の打算を込めて、アンキュウは提案を受け入れた。


「そう。じゃ、新しい名前を考えるところから始めないとね」


 クリフは何と言うだろうか。ソファの下で丸くなる少年に、ロアルが駆け寄る。その様子を見ながら、アンキュウは苦笑した。




 クリフが下宿を訪ねたのは、日暮れ時だった。骨折した部分に治療魔術を重ねがけされたらしく、怪我は減ったというのにげっそりとした顔をしていた。


「松葉杖いらないの? よかったじゃん」

「ズレた骨を正しい位置に戻される感触知ってるか?」

「あんまり知りたくないよねあれ」


 慣れた服に着替え、ようやく人心地ついたようなクリフにさっそく、ロアルは話を持ち掛ける。部屋の隅にいたベルは、クリフを見るとのそのそと近付いてきた。手が届かない距離を保ったまま、髪の間から二人を見上げている。


「……というわけなんだけど」

「……ふー……」


 たっぷり二十秒ほど、クリフは額を押さえて黙っていた。


「もう一回」

「だからね、ボクたちでこの子のお世話するから。リーダー権限」

「こういう時ばっかり強権使うんじゃねーよ!」


 クリフの怒鳴り声に、ベルはきゅっと首を縮めた。ベルの着替えを持ってきたアンキュウは、当然の反応だな、と頷いている。


「こら、びっくりしてる」

「ああ悪い……ああもう、分かった分かった、分かったよ。面倒くさい(わっぜぇ)な。どーせお前は強情なんだから」

「ふふ、ありがとう。それで、この子の名前なんだけどね」


 手を振って、クリフはそれを遮る。


「その前にやることあるだろ」

「?」


 びしり、とクリフはベルを指差した。


「風呂だよ!」


 水浴びすらしていなかったのだろう。ベルの伸び放題の髪は油とフケで固まっており、細い腕も足も顔も真っ黒だ。気にしていないのか気付いていないのか、ベルを抱えていたロアルにも、汚れがこびりついている。床を見れば、ベルが通ったであろう場所が分かるほどだ。


「というわけでお前も丸ごと洗う」

「え、やだよこれボクの一張羅!」

「うるせぇ、汚えんだよ!」


 クリフが杖を振ると、ロアルとベルが同時に空中に浮きあがった。


「先生、それじゃ、明日もまた来ます!」


 挨拶もそこそこに、クリフは荷物と二人を引き連れて階段を降りて行った。アンキュウは玄関まで三人を見送りに出る。三人の姿が夕日の中に小さくなっていくのを見ると、気が抜けたのか、アンキュウも強烈な眠気に襲われた。戸口に寄りかかり、長い息を吐く。


「……少しくらい、養生してくれてもいいのに」


 片付けも掃除も残っている。重たい体を壁から引きはがして、アンキュウは階段を昇って行った。




 ギルドの裏手にある厩の隣には、木の衝立で区切られた洗い場がある。馬や牛を洗っている横の区画で、クリフは桶いっぱいの水を沸かす。観念したらしいロアルは地面に座り、その隣でベルがそれを真似して正座した。


「お前、丸洗いしていいのか」

「やめて欲しいな。特に外套留(これ)は傷付けたくない。ボクの本体なんだよ」

「じゃあ自分で洗えるか。乾かすのはやってやるから」


 平たい桶に湯を半分移し、杖を壁に立てかける。湯気のたつ桶に手を突っ込んで温度を確かめ、クリフは桶をベルの隣まで引っ張っていった。


「……どっからいくか」

「手からお湯に慣らしたら?」


 全身をお湯に浸し、ロアルは両手袋で石鹸を泡立てる。かろうじて人の形は保っているが、水を吸った黒衣がぐったりとして、普段のロアルの輪郭が崩れていた。


「よし……じゃあいくぞ」

「?」


 きょとん、と見上げてきたベルの細い手を、お湯に浸ける。驚いたように腰を引いたが、暴れはしなかった。


「ずっと防寒魔術も使ってられねえし、俺が体洗うから、お前頭頼む」

「はーい。まさかスポンジになる日が来るとはね」


 自分の服を泡だらけにしてから、ロアルはベルの隣にしゃがむ。湯の中で手を揉んでやると、ベルは強張っていた肩から力を抜いた。


「……大丈夫そうだな。よし」


 ロアルの両手に頬を揉まれ、ベルはきゅっと目を閉じる。クリフは杖を取ると、くるりと先端を回した。

 桶から、球になった湯が浮かび上がる。それは温かい膜となってベルを包んだ。


「……きっ」


 ベルの喉から、声が漏れる。これまでぼうっとしていた顔が、ようやく状況に気付いたように引き攣った。


「やべっ」


 両腕を縮め、ベルは体を丸くする。耐えるように目を閉じたまま、ベルは全身を硬くした。尾の鱗が逆立ち、歯の間から荒々しい息が漏れる。


「……よし、その調子で我慢だ。いい子だ、いい子だぞ!」


 タオルの中で石鹸を泡立て、背中から洗っていく。服を剥がすと、背中の皮膚にも尾と同じ色の鱗がちらほらと生えていた。鱗を逆なでしないようにしながら、泡で小さな体を覆っていくと、滴る水はあっという間に真っ黒になった。

 暴れはしないが丸くなったままのベルに、頭からシャワーをかける。固まっていた髪はややしんなりとした。水を払おうとベルが首を振り、クリフの顔面を髪の毛が襲う。


「……お前も俺と一緒に髪切ろうか」


 変装のため、と伸ばした髪も、冒険者に戻るのならば邪魔だ。


「ええ、せっかくサマになってるのに」

「お前見えねえだろ」


 三度目のすすぎの後、ようやくベルの手足から力が抜ける。諦めたような、されるがままのベルの顔は、ぼんやりと虚空を見上げていた。


「ドライヤー、どうするの?」

「お前も洗い終わったら一緒に乾かすから、ちょっと待ってろ」


 汚れがすっかり落ちると、ベルの皮膚は青い血管が見えるほど白かった。髪は光が当たると漆黒、うなじ回りの内側は紫がかっている。オーロラ色の虹彩の中で、縦長の瞳孔が揺れていた。


「……なかなか綺麗だな」

「どんな色?」

「夜の空と、目は……翡翠? いや、蒼も混ざってるな。紫もなくはないような……」


 大きなタオルでベルの髪を拭き、体を包む。空にはもう星が瞬き始めている。防寒魔術を使っているとはいえ、さっさと暖かい食事をしてベッドにもぐりこみたい時間だ。


「……ん?」


 妙な感触に、クリフは手を止める。髪の中に、妙に硬い感触があったような。


「……角?」


 両耳の上、獣人であれば獣の耳があるあたりに、後ろ向きの角が生えている。髪に隠れる程度の長さだが、ゆるく湾曲したそれは確かに、人間にはない器官だった。


「…………」


 獣人とはいえ、こんなものがあるのだろうか。大抵の獣人は獣の耳と尾を持つが、それ以外は人間と同じ体を持つ場合が多い。耳は確かに尖っているが、人間のそれに近い。この角が、他の獣人の耳に当たるのだろうか。


「……まあいっか。よし、こんなもんだろう。乾かすぞ」

「はーい!」


 ベルの両手をつかんでバンザイをさせ、ロアルは立ち上がる。クリフは両手を軽く拭き、杖を振った。

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