7)意地っ張りの憂鬱
コーヴィスのはからいか、宿の部屋は先日よりランクが上がっていた。二つ並んだベッドの他に、クローゼットとテーブルがあり、ベッドに向かい合って座っても膝がぶつからない。
クリフをベッドに座らせ、アルグレッドは窓際で腕を組む。隣のベッドの上で、ロアルは剣の手入れを始めた。
杖と外套を置き、クリフは腕を伸ばす。指先にはまだ傷跡が残り、手の甲の刻印は消えていない。だが顔色は戻り、生意気そうなへの字口も健在だ。
「じゃあボク、あんまり口出さないでいるから」
スカーレットによれば、過剰な魔力を身体に流した場合、とにかく魔術を使わずに静養すること、特に、日光や光、熱の近くにいることが大事だということだった。魔術回路は使われるたびに毒素が溜まり、それが術者の体力を奪う。平気そうな顔をしていても、クリフはまだ本調子ではないはずだ。
「……なあクリフ」
「冒険者はやめねぇぞ」
「まず聞けっつーの」
丸椅子に腰掛け、アルグレッドは手を組む。クリフは眉根を寄せながらもそちらを見た。
「お前が冒険者になるって言ったの、十年前だよな」
「……おう」
「気が気じゃなかったよ。鈍臭いお前が、なんで自分から命を投げ捨てに行くかなって」
「俺の人生だ。俺の勝手だろ」
椅子が軋む。組んだ足先を上下させて、アルグレッドは目を伏せた。
「……確かに何に命かけようが、お前の自由かもな。だったら気にするのも俺の自由だろ」
「ロアルみたいなこと言いやがる」
「…………」
心底嫌そうに顔を歪め、アルグレッドは片目でロアルを見た。ロアルは二人に背を向けたまま、黙々と剣を分解している。
「別に反抗期は構わねえ。けど兄貴の忠告は聞けってんだよ」
「俺を役立たずって罵ったあんたの忠告を?」
せせら笑うような言い方に、アルグレッドはしかめっ面になる。
「あんたからしたら俺はまだガキに見えるかも知れねえが、俺だって、血が滲むような努力をして魔術師になったんだ」
「あのな、」
と、くるりとロアルが反転し、二人の間に剣を差し出した。
「素晴らしい提案。決闘しよう」
「は?」
クリフは、奇妙なものを見るような顔をロアルに向ける。
「聞いているこっちがむず痒いね。クリフは聞く耳がないみたいだし。それじゃあ平行線。だったら殴って決めたほうがいい」
「蛮族みたいな提案じゃねえか」
アルグレッドは噛みつくように返す。
「第三者からの意見だよ。勇者君もクリフも、別にお互いが嫌いってわけじゃないけど、譲れないモノがあるんだろう? クリフは知らないけど、勇者君はクリフの安全。実に身内らしい意見」
剣を突き出したまま、ロアルは二人に順番に顔を向ける。
「だったら証明すればいい。クリフの実力を。和解はとりあえず、殴り合ってからでもいいじゃない」
「乗った」
「乗るなバカ!」
「あんたを一回思いっきりぶん殴ってみたかったんだ」
杖を片手に、クリフは部屋から出ていく。アルグレッドは額に手を当てて首を振った。
「クソ仮面てめぇ」
「ボクだって普段はこんな提案しないさ」
「あいつの次はお前を叩き潰すからな」
「やってごらんよ」
アルグレッドの手刀が、音を立てて空を切る。ロアルの頭があった場所だ。寸前で身をかがめたロアルは、挑発するように顔の横で手を振った。
「ほんっ……といい性格してやがるな」
「さっさと行けよ。クリフが待ちくたびれる」
鋭い舌打ちを一つ、アルグレッドは剣を取った。
宿から出たところでクリフは待っていた。野外食堂になっていた広場を、冒険者たちがそそくさと片付けている。ギルドの小間使いが、地面に線を引いていた。
「思いっきり見世物じゃねえか」
「町の外まで行くのは遠いだろ。用意してくれるってんだから甘えようぜ」
話を聞き付けたのか、心配そうなトートとフォレイルもいた。屋外用の椅子を並べただけの観客席から、酔った冒険者たちが早くしろとヤジを飛ばす。
「一本勝負。コートから出たら負けだ。あんたは剣、俺は杖。得物を奪うのも可」
「上等だ」
急ごしらえの闘技場に入り、二人は十歩離れたところで向かい合う。アルグレッドは剣帯に鞘を通すと、「いつでもいいぜ」と片手を広げた。
観客席のトートとフォレイルに、ロアルが並ぶ。口を挟もうとしたトートを、フォレイルが引き留めた。
杖を肩に当て、クリフは首を傾げてアルグレッドを見る。品定めするような、凍てつく視線。黙っていれば美丈夫とも言える顔が、獣のように鋭い目でアルグレッドを見据えていた。対してアルグレッドは、左手を剣の柄に乗せ、まっすぐ立っている。
「……さーん」
「に」
「いーち」
カウントダウンは突然だった。クリフの声で、観客席が静まり返っていたことが分かる。
「「ゼロ!」」
声が重なった瞬間、アルグレッドは地面を蹴り、クリフは杖の先をアルグレッドへと向けた。
いつから、と言われれば、ずっとそうだったような気がする。
お前の居場所はここではない。家にいようと寮にいようと、漠然とした疎外感が拭えなかった。誰かの優しさが、自分の存在を許しているような、そんな感覚。誰かに打ち明ければ鼻で笑われるだろう。これほど恵まれて、何が不満なのかと。
冒険者として役立たずと罵っても、この義兄は自分を案じていると知っている。冒険者でなくとも、魔術師でなくとも、自分の居場所になってくれる。義兄も、義父も。生きていればそれでいいと言ってくれるだろう。羊飼いとして一生、穏やかに過ごすのならばそれでいいのだと。
それが嫌だった。
「【磔】!」
発された緋色の光が、アルグレッドの眉間へと向かう。アルグレッドは身をひねり、悠々とそれを躱した。一瞬で間を詰めてきたアルグレッドの足が、クリフの左手を蹴り飛ばす。
「いっ……」
やすやすと、杖がクリフの手から弾かれた。初撃を外したクリフは、反射的に後方へと退く。その襟首へ、アルグレッドの手が伸びていた。
「【重】!」
吹っ飛んだ杖から、二発目の鞭が発射された。だがそれはアルグレッドの右腕を止めたのみで、ほんの一秒の時間稼ぎにしかならない。
そもそもクリフとアルグレッドでは、体格が違いすぎる。クリフが全力で蹴ってもアルグレッドはびくともしないだろうが、その逆となれば軽々吹き飛ばされるのは目に見えて明らかだ。加えてクリフは魔術師。詠唱という絶対の予備動作がある限り、近接戦闘が得意な相手には、相応の対策を練らなければいけない。たとえ詠唱を破棄できる魔術でも、発動にはわずかな時間差がある。
(一秒)
クリフは身をかがめ、アルグレッドの視界から消える。
(その一秒を十秒にするのが、魔術だよ!)
右手が地面に触れた瞬間、二人の足元から、白煙が巻き上がった。二人の姿は一瞬で、白くかすんで見えなくなる。
煙幕だ。
「ちっ」
視界を奪われたアルグレッドは、即座に動きを止める。足音が、自分の前から左、後ろへと移動するのが分かった。振り返りざま、爪先で砂を蹴り上げる。
「うわっ!」
白煙の向こうからの声。そこに向かって走ると同時に、身を低くした。
クリフはまだ杖を拾えていないはずだ。であれば、攻撃の射程範囲はゼロに等しい。眼前から消えてしまえば、攻撃される瞬間まで気付かないに違いない。
「【縛】」
はずだった。
クリフがいると確信して踏み込んだ先の地面には、肘から先ほどの直径の円があった。クリフの声に従い、円はトラバサミへと姿を変える。その直上には、アルグレッドの右足。
「来い!」
クリフの右手に、杖が舞い戻る。と同時に、突風が煙幕を吹き飛ばした。
観客の目の前には、杖を担いだクリフと、右足を地面に縫いつけられたアルグレッドが現れた。
「【精霊たちよ】!」
戻った杖を掲げ、クリフは声高に唱える。
「【聴け、我が叫びを】【万象、さざめき】【神変、森羅し】【生命、恐懼し】【魔の王を騙る我が罪悪を嗤いたまえ】!」
クリフを中心に、ほの赤い風が渦巻く。アルグレッドは右足を押さえ、剣を抜いた。
「【無間の棺】、飲み込め!」
出現したのは、黒い風船のような影の怪物だった。大きく口を開くと、その内側は深紅に彩られている。アルグレッドを頭から飲み込もうと、それは飛び掛かってきた。
「アル!」
今にも飛び出しそうなトートは、ロアルとフォレイルに両腕をつかまれている。
「――、」
息を吸って、アルグレッドは剣を振り上げた。
一閃。右下から左上へと、アバドンに線が刻まれる。ぱん、と、弾けるような音がして、アバドンは空中で破裂した。
「……は?」
魔術を斬った。そうクリフが理解するのと、割れるような歓声が上がるのは同時だった。クリフは舌打ちを一つ、再び杖を構える。剣先をトラバサミに突き刺し、アルグレッドは拘束から抜け出した。
「【炸裂弾】!」
横一列に並んだ火球。剣の一振りで両断される。ぞわ、とクリフの背が粟立った。
どうやら遠距離の魔術は通用しない。魔術を斬れる剣士など見たことはなかったが、今、目の前にいるのだからしょうがない。
横へと走って距離を保ちながら、クリフは苦々しく顔を歪める。
「ええくそ、作戦変更!」
観客席のロアルへと杖を投げ、クリフは両手をにぎった。青い光が拳を覆う。
(これで決めるしかねえ!)
拳闘士がそうするように腰を落とし、見よう見まねの構えを取る。ナックルダスターを模した不可視の武器を握り、クリフは正面からアルグレッドに突っ込んだ。
灰色の瞳がクリフを追う。振り抜かれた拳を両腕で受け、アルグレッドは身をひねった。突っ込んだ勢いのまま、クリフはアルグレッドの脚に蹴り飛ばされる。クリフはつんのめり、顔面から地面に倒れこんだ。
「ぐっ……いぎ、あああっ!」
両手で地面をつかみ、体を反転させる。その眼前に、剣先が突き付けられた。
銀色の刀身。見上げた先に、アルグレッドがいる。息一つ切らさずに、悠然と。対してクリフは地面で砂だらけになり、杖も持っていない。
観客の誰もが、アルグレッドの勝ちを確信しただろう。魔術師であるクリフが近接戦に持ち込んだ時点で、勝敗は決まっていたようなものだ。剣士は、近接戦の玄人なのだから。
「勝負を焦ったな」
その、ほんのわずかな油断。
「あんたがな!」
剣を右手で弾き、アルグレッドの顔に手を伸ばす。夜の暗がりの中で、赤い光が尾を引いた。手のひらに集積した魔力。拳の中に握りこんでいた魔術が、解放される。
「【爆炎】【偽】!」
強烈な閃光と轟音。魔術は、アルグレッドの顔から目と鼻の先ほどの距離で炸裂した。アルグレッドは、まともにその攻撃を受ける。クリフの体当たりが、アルグレッドを地面に倒した。白くなった視界の端で、ちかちかと光が瞬く。
「【牽引】!」
クリフが手を振り、ぐんっ、とアルグレッドの体が後方へ吹っ飛ぶ。腕で顔を覆ったまま、アルグレッドは線の外まで放り投げられた。
フォレイルとロアルが手をつなぎ、飛んできたアルグレッドを受け止める。舞い上がった剣が一回転し、地面に突き刺さった。
一瞬の沈黙。
「……勝った」
拳を掲げ、クリフは立ち上がる。
「勝った……!」
噛み締めるような宣言。擦り傷だらけの顔は、笑うとあちこちが傷んだ。
土壇場からの逆転劇に、観客席にはどよめきが広がっていた。クリフがその場を離れてようやく、勝者を称える拍手が聞こえてくる。それを意に介さず、クリフはロアルから杖を受け取った。
アルグレッドに歩み寄る。地面に座り、アルグレッドは額に手を当てていた。
「どぉだクソ兄貴。いいだろ? これでも俺は役立たずか?」
「……お前、……」
「七年もほとんど会わなかったんだ。俺はいつまでも、あんたの背中追いかけてるチビじゃねえんだよ」
「うるせェな」
勝気に、しかし心底嬉しそうに笑う。その笑顔を見上げ、アルグレッドはひとつ息を吐いた。本人としては大人になった宣言なのだろうが、その言葉も笑顔も、態度も、どうしようもなく子供っぽい。幼い頃から見てきたクリフの態度そのままだ。
「あー分かった分かった。もういい、勝手に冒険者でもなんでもしてろ。負けは負けだ」
クリフの胸を指さし、ただし、とアルグレッドは付け加える。
「たまには親父に顔見せろ。……仕事とか打算とか、そういう下らねえ使命感だって決めつけるな。失敬だぜ」
「へいへい。子離れしなさいって言っといてくれ」
「分ぁかったから、さっさと顔洗って寝ろ、お前」
しっしっ、とクリフを追い払う動作をする。むっとしながらも、クリフは反論しなかった。実際、安静にしろと釘を刺されている状態で魔術を使ったのだ。医者が観客の向こうにいたら、すっ飛んできて殴られてもおかしくはない。
「あんたもな」
顔の砂を払い落とし、クリフは小走りで宿の階段を上がっていく。その後を追おうとしたロアルを、アルグレッドは引き留めた。
「何さ」
不快そうな声で手を払い、ロアルは腕を組んだ。
「仕事の引き継ぎ」
首を傾げる。アルグレッドが視線をやると、トートとフォレイルは頷いて二人から離れた。
「月が高く登ったら、町外れに来い」
「クリフの安全に関わること?」
「そうだ」
「承知。なら断る理由はないね」
群衆へと顔をむけ、ロアルは腰の剣に手を乗せた。アルグレッドを見上げると、どことなく、その顔から力が抜けている。
「……もしかしなくても、ボクに貧乏くじ押し付けた気でいる?」
「ちょっと」
「素直でよろしい。大丈夫。護衛は得意だよ」
胸に手を当て、ロアルは「ふふん」と胸を張った。
「こう見えて、さる王国の護衛騎士だからね」




