8)夢の跡
大穴を前に、クリフは腕を組んでいた。【八重塔遺跡】の底は日光に照らされ、あの禍々しい気配はすっかり消えている。クリフの隣に腰掛け、ロアルは足を空中に投げ出して図面を広げていた。
「何か分かったか?」
コーヴィスの一人が、ロアルの隣にしゃがむ。ロアルは「うーん」と図面を逆さにした。
「本当に、この下にもっと空間があるの? 図面にないじゃない」
「スカーレットさんの遠見術で分かったんだ。それを信頼してる」
「うーん。確かに変な遺跡ではあるんだけど……」
ロアルは図面を置くと、空中で何かをつかむように手を動かした。
「こう、内廊下が筒で、その周りがぐるっと動くとして、それで通路隠されているにしても、少尉は全部開いたって言ってたしなあ……ねー、クリフ?」
「ん? あ、ああ」
「聞いてなかったろ。パルで受けた仕事なんだぜ」
「悪い。でも橙魔術で見つかったってんならあるだろ。床をぶち抜いたらだめなのか?」
「君も発想が蛮族のそれじゃないか」
クリフは杖を振り、空中に【八重塔遺跡】の模型を作る。円盤の上に六つの輪が乗っているような形だった。
「この輪がこう回る……ああそれでトートが、方角がどうとか言ってたのか」
「君たちはナイトメアと接触している。場合によっては、我々の調査でも知りえない情報を持っているのではと」
「つってもなぁ……今、この輪は止まってんのか?」
「止まっているはずだよ。基地のシステムは少尉殿が掌握していてね。全部を正常な位置に戻して停止させた」
「……ちょっと待ってくれ、記憶が飛び飛びなんだ」
半透明の模型をいじくりながら、クリフはしゃがんで眉間に皺を寄せた。コーヴィスの男は、困ったようにロアルを見る。ロアルはフードの端をつかんだまま、クリフを待った。
「魔力結晶壊して……そのあと俺どうなった?」
「ナイトメアに飲み込まれた」
「ああそう……それで、一人だけまともだった奴がいて……それが少尉か?」
「そうだろうね。ガレッド・フォールマン少尉。八百年くらい前の軍人だ」
「じゃそいつに聞けばいいんじゃねえかな」
「あのなあ」
コーヴィスの男が二人の間に割り込んだ。
「第六階層の中央制御室を含め、コーヴィスは第六、第七階層を全て探索した。細かい鑑定はまだだが、あの遺体も含めてだ。生存者もナイトメアももう残っていない。誰に聞くっていうんだ」
「そうだな……」
ぽふ、と両手を合わせ、ロアルは勢い良く立ち上がった。
「分かった!」
ロアルはクリフの両手首をつかみ、模型を引き寄せる。宙に浮いた模型は、ロアルの顔の前で制止した。ゆるやかに上下する模型を横倒しにすると、ロアルはクリフを見上げる。
「これ、ダイヤル錠だよ!」
「お、おう?」
「円筒金庫なんだ。直行通路があるんだよ!」
クリフとコーヴィスの青年は顔を見合わせる。青年は首を傾げ、クリフはやれやれと首を振った。
「つまり?」
「探すべきは、第六階層でも第七階層でもなくて、第一階層。行こうクリフ! 自信あるから!」
「何でだよ!」
ロアルはクリフを引きずって走り出す。置いて行かれた青年は、図面と二人の背中を見て、思い出したように二人を追いかけた。
第一階層の入口は大きく開かれ、日光がさんさんと差し込んでいた。短い階段を降りると、すぐ横に内廊下への扉がある。
「お前、もうちょっと説明しろよな」
「ダイヤル錠はご存知?」
クリフが頷くと、「話が早い」とロアルは嬉しそうに言う。
「【八重塔遺跡】は、七つの円盤が重なっている形。その円盤の内側四方に、昇降機の穴がある。四本の針が刺さっているような形だね。この状態で、円盤を回転させると?」
「針の穴がズレるな」
「そう! だけどそれが分かりづらかった。昇降機は四分の一回転していれば動かせるからね。シャッターもおそらくそう。それらは囮なんだ! ボクも失念していたよ。ここがかの帝国の軍事格納庫だってことをさ」
第一階層は部屋が少なく、仕切りのない空間にギルドの拠点が築かれていた。ロアルは外壁に駆け寄る。
「この外側。全ての階層が正しい位置にあるときだけ繋がる通路が、ここにあるんだ。それはこの階層からじゃないと辿り着けない。そうじゃなければ意味はない。ねえクリフ、その位置を探る魔術ってないの? あるだろ?」
「……橙魔術はエキスパートだから、俺は使えない」
早口で捲し立てるロアルに、若干引いた顔でクリフは答えた。ようやく後ろに追いついたコーヴィスの青年を振り返ると、青年はブンブンと首を横に振る。
「うちで魔術師はスカーレットさんだけだ。俺は拳闘士のジェイ。見りゃわかるだろ」
「そっかあ……」
露骨に項垂れたロアルに、クリフは額を掻いて杖を持ち直した。
「……方法、なくはねーぞ。ナタリーとあの魔術師を探しにいった時のやつ。八百年ってのが少々重いが、まあ不可能じゃねえだろ」
「最高! じゃ……また倒れたりしないよね?」
「普通の魔術では倒れねーよ。どいてろ」
壁に片足を押し当て、クリフはゆっくりと息を吸う。
「【術式起動】【追加詠唱】……【魔力集積】【フルル・フル・シャロロ・シェル】……」
額を杖の水晶に当て、クリフは目を閉じた。
「【霊視】」
歯車型の単眼鏡が、クリフの目の前に浮かぶ。レンズ越しに映し出されるのは、その場所の記憶――すなわち、過去だ。
右目で過去を、左目で現在を見据え、クリフは第一階層を振り返った。
同じ服を着た人間たちが、広い空間を歩き回っている。声は聞こえないものの、皆表情が穏やかで、談笑している様子もあった。クリフは歯車に指を当て、時間を調整する。あたりが暗くなり、歩いている人影がなくなった。代わりに、丸椅子の天板のようなものが、床を走っている。あのワイバーンと同じような、機械の生き物だろうか。
「いた」
暗闇の中を、灯りを一つ持って歩いてくるのは、ガレッド・フォールマンだった。白い光を放つ筒を持ち、クリフの横をすり抜ける。
走り出したクリフは、そのままの勢いでギルドの職員と激突した。派手に転んだクリフを小脇に抱え、ロアルが代わりに謝罪をする。ギルド職員は苦笑して、気にするなと手を振った。
「ぶつかった方が当たり負けするんじゃないよ」
「うっせえな、右!」
「はーい」
フォールマンの残影は、小さな部屋に入って消える。第一階層と地上との階段からちょうど反対側、外壁に沿って並んだ部屋の一つだった。現在は全ての扉が外されており、代わりに布が張られ、仮眠室となっている。
「邪魔するぜ!」
クリフとロアルが入っていくと、二段ベッドの上で青年が飛び上がった。クリフは構わず、過去のガレッドの行動を追う。ジェイが青年に事情を説明する間に、クリフは壁を探り、指先ほどの不自然な傷を発見した。過去のガレッドは鍵を壁に差し込んでから、指先で何かを押している。不自然な傷に爪を引っ掛けると、壁の一部が長方形に剥がれ落ちた。
現れたのは、鍵穴が二つと、数字の並んだ板だった。
「……?」
クリフはガレッドにならい、その板の数字を押す。七つ数字を押したところで、板の縁が赤く光った。
「何だこれ」
「……あー、セキュリティキーと暗証番号か。そりゃそうだよね。じゃ選手交代」
クリフの横から覗き込み、ロアルは剣を抜いた。
切っ先を板の縁に突っ込み、こじ開ける。剥き出しになった機械の中身に、クリフは慄いたように一歩引いた。ポケットから細い金属の棒を取り出すと、ロアルはその中身をいじり始める。
「回路生きてるねえ、さすが魔術混ざり。うんうん、そうだよね、いきなり暴かれてびっくりしているね。でも少しだけ大人しく……そう、いい子。じゃあちょっと弄っちゃおうね」
「……そいつ、喋んのか?」
「え? やだなあクリフってば。喋るわけないじゃない、ただの鍵が。はい、開いたよ」
壁に切り込みが入り、空気が抜ける音がする。壁が下へと吸い込まれ、円筒状の空間が現れた。
白い、つるりとした空間だった。中央制御室の天井のような、光る板で内側が照らされている。
「じゃあ、コーヴィスの君。あと報告よろしく」
「へっ?」
ロアルがクリフを引っ張り、二人が乗り込むと同時に円筒は動き出す。色ガラスのようなドアが現れたかと思うと、筒はそのまま下へと滑り降りた。
鼻歌まじりで上機嫌に、ロアルは遠ざかる第一階層を見上げる。目の前を高速で通過していく石壁に、クリフは身を引いていた。
「ご覧よ、もう上があんなに遠い」
円筒の上部は透明になっており、そこから第一階層の明かりが見えた。クリフがそれを見上げると同時に、円筒は緩やかに停止する。
「昇降機もそうだったが……なんの支えもなしに動く、こんな凄いもんが当たり前みたいにあったんだな」
「まあねえ。速く移動したいっていうのは人類共通の夢みたいなものさ。そのために空に、ない道を作ったりね」
円筒が開き、白い灯りが点々と、その先の通路を照らす。鉄錆と油のような臭いが漂ってきた。「わはっ」と声を漏らし、ロアルは暗闇の中へと駆けていく。
「お、おい!」
「壁の辺りにスイッチあるはずだよ。電源、生きてるし!」
黒衣はあっという間に見えなくなった。暗闇の向こうから、布がはためく音が聞こえてきた。転んだのだろうか。
「んなテキトーな……」
杖で壁を照らす。と、それらしきレバーがあった。それに手を伸ばし、ふと、壁に刻まれた線に気がつく。
「……魔術の……式?」
壁の色は僅かに青みがかっており、石壁だった第七階層までとは触れた感触も違っていた。ヒヤリとした、金属のような触感。薄く刻まれた線は不可思議な紋様のようで、引いて見れば、魔術言語から作られた式だと分かる。
「……まさか」
クリフは杖を掲げ、壁から離れる。魔術文字は、線で区切られた壁にびっしりと刻まれていた。クリフの目線ほどの高さに横一本、縦には一定間隔で入った線ごとに、文字が意味を成している。
「……【死】の魔術……こっちは肉体操作……魔力回帰と集積……付与……磔……」
杖を降ろし、そうか、とクリフは呟いた。
「お前ら、ここにいたんだな」
声は反響せず、暗闇に吸い込まれる。
目を閉じると、流星のように消えていった魂たちが思い出された。
魔術というものの効果を高める方法の一つに、空間の密閉、遮断がある。魔法陣はその最たる例で、『この内側は自分の領域』と定義づけることで、理に反する不自然を実現可能にしている。
魂の集合体である【大喰らいの幻影】も、元を辿れば人造の魔族、魔術の産物だ。数百人の魂を魔族に変えた悍ましい魔術の根源が、この階層だったのだ。
壁のレバーを持ち上げると、白い光が降ってくる。壁の線を辿ると、床にも直線が続いていた。魔力回路だろう。現代の魔術師は自らの肉体に刻むが、魔術機工学では肉体の代わりに合金を使用したと言われている。刻まれた線は、円形の部屋の中心に集約されていた。中心にはクリフの背丈ほどの杖が刺さっている。金属製の杖だ。上部には大きな水晶が浮かび、天球儀のように輪がそれを取り巻いていた。
「どれくらい理解できそう?」
戻ってきたロアルが、クリフの顔を覗き込む。クリフは口元を撫でると、ぐうっと目を細めた。
「七割ってところか。一つ一つの魔術式は分かる。だが魔術機工学も混ざってるとなったら、専門の研究者に投げた方が速い」
「そっか。ボクが分かるのは、この魔力集積機を引っこ抜いたら、この遺跡が死ぬってことくらいかな」
「だろうな」
ロアルは爪先で杖を突く。水晶の内側では、青白い光が不規則に弾けていた。
「ところで」
クリフは、ロアルの背後へと顔を向ける。
「それ、何だ?」
部屋の半分を埋めているのは、尖った円筒に三角形の板が繋がった物体だった。「これ?」とロアルはその物体を叩く。床には、大きな布が落ちていた。先ほどの音は、ロアルがその布を剥ぎ取っていた音らしい。
知識があれば、それがかつて、音よりも速く空を駆けた乗り物だと分かるだろう。クリフにはまるで馴染みがなく、ただ、旧時代の遺産であることは分かった。
「遊撃機。君たち風に言うと……『空を征く船』、だね」
『その通り』
突然割り込んだ声に、びくりとクリフは肩を上下させた。振り向くと、半透明のガレッドがそこに立っている。
「……何? あんた、死んだはずじゃ」
『私はガレッドではない。長年の間に演算機内に作られた記憶のコピーから再現して投影された残影。お前達に伝言がある』
ガレッドの幻影は、船に近付いて手を広げた。クリフはそれを指さしてロアルを見る。ロアルは「あとでね」とだけ返した。
『クリフォード。お前に、この船を譲ろう』
「……はっ!?」
翼を折りたたんだ戦闘機は、大人数用のテントよりもまだ大きい。流石にあのワイバーンよりは小さいだろうか。
『名前はライトニングバレット。私の私物だ』
「……ちょっと待」
『高機動型二人乗り。滑走路からはもちろん射出後に翼を展開しての飛行も可能だ。マニュアルも中に残っているので安心して欲しい。…………燃料は必要だが、魔術機工学に基づいているため魔力充填でも十分に』
「待てって言ってるだろうが!」
「多分録画だね、それ。ボクが覚えておくよ」
つらつらと語るガレッドの幻影に手を突っ込み、境界線で揺れる映像にロアルは感心したような声を漏らす。一通りの説明を終えると、映像は両腕を背後に回して静止する。
「……まあ、貰えるもんは貰うけど」
クリフは手を挙げ、眉根を寄せた。
「これ、どうやって外に出すんだよ?」
『…………』
にっこりと微笑んで、ガレッドの映像は消える。
「おいコラァ!」
「想定してなかった質問なのかな」
「どうしろってんだよこんなバカデケェやつ! ひと二人でギッチギチだったじゃねえか昇降機が」
「そもそもどうやって入れたんだろう」
折り畳まれた翼によじ登り、ロアルは天井に手を当てる。これまでの階層と異なり、天井は継ぎ目がない。一通り悪態をついてから、クリフは辺りを探り始めた。
「スカーレットさんたちが来たら、知恵でも貸してくれるかね」
「んー、ボクとしてはボクたちだけでどうにかしたい。君のものって言っても、君、お願いされたらあげちゃいそうだもん」
「……ああ、お前、空を征く船が欲しいんだったな」
壁の魔術文字をなぞる。ざらりとした感触が、まだ傷跡の残る指には痛かった。現代の魔術師が肉体に式を刻むように、金属に式と回路を刻み、水晶を砕いた塗料を流し込んでいる。ざらついているのは、水晶の間を埋めていた塗料が落ちているからか。
「隠し通路とかなら幻影の魔術で……」
「あ!」
不意に降ってきた明るい声が、思考を遮った。
「そうだそうだ、ボク知ってるよ、出る方法!」
「はっ!?」
「一度ここに来たんだ。その時侵入者として成層圏まで吹っ飛ばされたんだよ」
「何、いや、えっと……何だって?」
飛び降りたロアルは、そのままクリフに駆け寄る。
「今理解したんだ、あれって転移魔術だったんだ! ここに魔術がいっぱいあるんだろう? だったらその中にあるはずさ。物質の座標を変えられる大魔術が!」
「……あー……」
視線をぐるりと回し、クリフは合点がいったように頷いた。
「だからお前、空から降ってきたのか」
「使える?」
「だけどなぁ。転移魔術を安全に使うには十分な魔力が必要なんだ。ここはただでさえ地下だから使える元素も魔力も限られてるし。うっかり空にスッ飛んだらそいつが飛べなきゃやっぱり死ぬぜ?」
「ボク操縦できるよ」
胸元に手を当て、ふふん、とロアルは胸を張る。
「エネルギー源は?」
「魔力でも動くって!」
「だから、バカみたいな量のその魔力をどうかき……集める……」
二人の顔が、同時に部屋の中央を振り返った。
迅雷の弾丸。その名の通り、音を置き去りにする稲光の如く空を駆けた遊撃機だ。無人機や飛行型ゴーレムが増えた戦争中期に開発され、敵の空中要塞を破壊すべく運用された。旧式の液化燃料と魔力充填のハイブリッド機。搭載された武装は航空機関砲が二挺。両翼の下部に収納されており、追加武装で誘導弾が用意されていた。
ガレッド・フォールマンがのちに【八重塔遺跡】となる軍事基地に配属されたのは、終戦まであと半年の時期だった。終わりの見えない戦いに誰もが疲弊していた。元パイロットだったガレッドは魔術も魔術機工学も素人だったが、この基地で進められている研究が倫理から外れている、それだけは理解できた。
召集された兵士の魂を強制的に【亡霊】化し、肉体の死を克服させる。そんなおぞましい計画を黙認したガレッドを待っていたのは、ついぞ乗ることの叶わなかった専用機が一つと、八百年の孤独を得る席だった。
あの日。天から、全てを終わらせる炎が降った日。
命を守るために、空を捨てた。それからの日々は、ただ少しずつ死が近付いてくる中で、誰かが正気を失いやしないかと気を張り詰めていた。
『我々、肉体があるものだから』
初めに誰かがそう言った。
肉体があるから腹が減る。
肉体があるから病にかかる。
肉体があるから互いに疑い合う。
肉体があるから、死を恐れる。
同調しないものは敵だった。全員で同じ方向を向いていれば、行き着く先がどこであれ安堵があった。この空間で生き延びるには、仲間でいなければいけない。地上にいつ出られるとも分からない。誰もかれも、同じことを考えていればいい。仲良くしよう。
結果、摩耗するだけの暗闇の八百年が訪れた。
そんな、今更知られる由もない、遠い昔の物語。
『不死だろうと、生きているのなら、殺してあげる』
『じゃあ俺が! 与えてやるよ、お望み通りの、永遠の死ってやつを!』
それは、どれほど眩しかったことか。
焼き尽くして引導を渡すつもりだった。それがかなわなければ、日光でもいい。多少の苦痛には目を瞑ろう。過ちの果てなのだから、それがいい。
自分は、それすら完遂できなかったが。
『あんたらは、いたんだ』
――報いなければと、思った。
天球儀の中で、水晶が一際激しく煌めいた。瞬間、足を支えていた地面が消える。はっと吸った息が冷たく、チカチカと目の端に虹色の光が走った。クリフは杖を抱え、隣にいるはずのロアルを見る。
「上出来!」
ロアルは操縦席に立ち、クリフの手を引き寄せた。数秒もせず、重い音がする。遊撃機が着地した音だと気付くと同時に、体が翼に落下した。
「うぐえっ」
「誤差三メートルってところかな。やっぱり君は最高だ!」
「……はは……」
今更、冷や汗が吹き出す。転移魔術は場所を謝れば、肉体が分離して命が危うい術だ。自分もロアルも、この巨大な鉄の鳥も無事だったのは奇跡と言っていい。
「ああ、大騒ぎだ。ボク説明してくるよ」
ロアルの背に手を振ってから、クリフは翼の上で立ち上がる。
「……確かにもらったぜ、ガレッド」
目を細めると、草原を吹き抜ける風が、大穴の表面を撫でていた。無機質な人工の穴。これまで見てきたダンジョンのどれよりも新しく、故にこそ進んだ技術が残っている。考古学者のみならず、歴史学者をはじめとした各学問の研究者にとっても垂涎ものだろう。冒険者が駆り出されるのは、これからが本番だ。使いっ走りや護衛、荷物持ちも立派な冒険者の仕事である。
ワイバーン同様、この遊撃機もギルドに預けた方が、有効に活用されるだろう。本来ならば。
「……倉庫借りられっかな……」
翼に腰掛け、クリフは空を仰ぐ。憎らしいほどに澄んだ蒼天が、どこまでも広がっていた。
第八階層での顛末を話すと、スカーレットはたっぷり三十秒ほど笑っていた。
「ああ、ここまで無茶苦茶してくれるとは」
「……えっとぉ……情報提供、協力しようか?」
「結構。貴殿と話す方が疲れそうだ」
報酬だ、と白い瓶を二つ渡され、ロアルはクリフの元に戻ってきた。遊撃機の上に座ったまま、クリフはぼんやりと地平線を眺めている。
「クリフ、これの移動を考えたいんだけど」
声をかけると、クリフは黙ったまま自分の隣を指差した。ロアルが隣に座ると、クリフは前を向いたまま、頬杖をつく。
「魔術で動かせる?」
「あー、まあ」
「そっか。行き先だけど」
「なあロアル」
名前を呼ばれ、ロアルは言葉を切ってクリフへ顔を向ける。「何?」と返しても、クリフはロアルを見なかった。
「お前、【亡霊】だろ」
金色の髪は、昼下がりの陽光を眩しく反射していた。蜂蜜色の瞳が空を映し、ゆっくりと細められる。風に揺れる白い外套が眩しい。
ロアルはフードの端をつまみ、俯いた。静かな――呼吸音すらない数秒。その沈黙は、何よりも雄弁だった。
「いつから?」
問う声の力の無さに、クリフは小さく笑う。
「隠す気ねぇだろ、お前」
「そう?」
「飯を食わねえ、水も飲まねえ、挙句、白魔術に悲鳴をあげて、日光が嫌いときた。役満だよ」
そっか、と呟いて、ロアルは仮面に手を当てる。
「人間の感覚、忘れちゃってたんだなあ」
「……お前、いつの時代の人間なんだ」
「八百年と少し。とある王国の……王女様のお付きやってたんだ」
胡座をかき、ロアルは空を仰ぐ。石の目には、空の色は映らない。ゆったりと流れる雲だけが、石の上を滑っていた。
「なんでか、残っちゃったんだよねえ、この世界に」
寂しそうな、懐かしむような。何も見えない蒼天の向こうに、ロアルだけが知るものが見えているかのようだった。
唇を尖らせ、クリフは頬杖をついた。
「他の魔術師には言うなよ」
「うん?」
「自我のある【亡霊】なんて研究したいに決まってるだろ。ただでさえケッタイな見た目してんのに、中身がバレたらいよいよ冒険者じゃいられなくなる」
地面に降りると、クリフは杖を軽く回した。足首をつかみ、ロアルは首を傾げる。
「……で、なんだっけ、次の行き先?」
「えっ?」
「うん? ……何だよ、呆けやがって」
ロアルは首を振り、クリフの隣に飛び降りる。
「ここから少し北上したところに、ザマルっていう都市国家がある。エストラニウス……北半分のここら辺の国の庇護下で、学問都市なんだ」
「うん」
「コーヴィスも報告だとかに帰るって言うし、便乗しようぜ。こんなデカいモン、俺一人で運んでたら何日もかかっちまう」
軽い調子でクリフは言う。ロアルは生返事をしながら、クリフの袖を引いた。「何だよ」と見下ろすと、ロアルはずいっとクリフに顔を寄せる。
「解散しないのかい?」
「したいのかよ」
首を横に振る。ロアルにとっても、クリフは貴重な存在だ。ロアルの正体に勘づいたり、仮面の下を知ったりした人間は大抵、ロアルを恐れる。アルグレッドがそうであったように。
「変わらねえよ。これからも」
「でも」
「俺は冒険者を続けたい。あんたはあと花と竪琴を探して、【不夜の王国跡】に行きたい。だろ? 利害は一致してるはずだぜ」
クリフは親指で遊撃機を示した。
「アレ、俺のだからな」
「……うーん、正論。そこまで君が分かってるんなら、ボクはありがたく甘えさせてもらおうかな」
ロアルが握手の手を差し出し、クリフがそれを握り返す。体温の感じられない手袋は、少し力を込めるとその分沈み込んだ。
「……じゃ、図らずもボクの秘密を一つ話したわけだ。交換と言ってはなんだけど、一つ質問していい?」
「内容による」
「君、どうして冒険者にこだわるんだい?」
蜂蜜色の目が、ロアルから逃げる。一瞬眉間に皺を寄せると、クリフは目を伏せた。握手を解いた右手が外套を握る。
「色々、理由は……あるんだが」
見上げてくるロアルは、じっとクリフの言葉を待っていた。察しているところはあるだろうに、それをクリフの口から聞きたいと言うことだろうか。
「……うん」
息を吐くと、肩から力が抜けた。それで顔が引き攣っていたと気付く。頬が緩み、自然と口角が上がった。
「夢があるんだ」
首を撫でる風が髪を揺らす。不揃いな毛先がこそばゆかった。黙って聞いているロアルがまるで、真剣な眼差しを向けているようで、気恥ずかしい。
表情のないロアルが、少し、笑ったような気がした。
(つづく)




