おくりもの
幻の空飛ぶ動物は、甲高い鳴き声をあげたかと思うと、勢いよく白い地面を蹴り、空へと飛び立ちました。ベルばあさんとリプさんをその背中に乗せて。
ベルばあさんは、幻の空飛ぶ動物に乗るのも初めてなら、空を飛ぶことも初めてですが、不思議と恐いとは思いませんでした。
大好きなリプさんと一緒だから、恐いはずなんてないのです。
リプさんが昔、空から落ちてしまったという悲しい事故なんて、もうそのときのベルばあさんは忘れてしまっていました。
自分の家がだんだん遠くなるのを空から見下ろして、ベルばあさんは、なんだか心がぽかぽかしてきました。
「ねぇ見てよリプ!あたし、こんなに空高く飛んでる!」
そう言ったベルばあさんは、見た目だけではなく、心まで若返ったような気がします。リプさんと二人で暮らしていたあのころのように。
「そうだね、ベル」
ベルばあさんのはじける笑顔を見て、リプさんも優しく微笑み返しました。
「ベルは、ホワイトタウンの外の世界を見たことがあるかい?」
リプさんがベルばあさんにそう訊ねると、ベルばあさんは首を横に振りました。ベルばあさんは、リプさんとの思い出の街であるホワイトタウンから、一度も出ようとは思わなかったのです。
「そうかい。じゃあきっと楽しいよ。僕が見てきた世界を、きみにも見せてあげる」
そう言ってリプさんは、幻の空飛ぶ動物の背中をそっと撫でました。すると幻の空飛ぶ動物は、白く光り輝く翼を大きく開いて、たちまち猛スピードで空を駆けました。
幻の空飛ぶ動物が飛んだあとには、翼からこぼれた白く光り輝く結晶が降り注ぎます。それは雪と混ざってたいへん幻想的な景色を生み出します。
ベルばあさんは、幻の空飛ぶ動物の背中から、それらが降り注ぐのを見下ろしました。すっかり見えなくなったホワイトタウンにも、それらは降り注ぎ、街の人々に感動を与えます。
ベルばあさんは、目をきらきら輝かせながらリプさんに言いました。
「あたし、こんなの見たことない!すごいよ!ありがとう!リプ!」
「まだまだ。きみに見てほしいものは、ほかにもたくさんあるんだから」
リプさんはそう言って、よりいっそう張り切りました。それに応えるように、幻の空飛ぶ動物も力いっぱい大空を駆け回りました。
空を猛スピードで飛んでいると、冷たい風や雪が体を打ちつけますが、幻の空飛ぶ動物の背中に乗っていると、不思議と寒さは感じません。むしろベルばあさんはわくわくする気持ちで、体も心もあたたかいです。
しばらく空を飛んでいると、いつの間にか雪が止んでいました。それどころか、少し暑ささえ感じるほどです。
ベルばあさんが不思議そうにあたりを見渡していると、リプさんがそっと教えてあげました。
「今の時期はね、ホワイトタウンは冬でも、ほかの場所では夏だったりするんだよ。不思議だろう」
ベルばあさんがびっくりしていると、リプさんが下を指差して言いました。
「見てごらん。あれは海って言うんだ。冷たくて、夏の暑い季節に入ると気持ちいいんだ。でも飲んじゃダメだよ。しょっぱいんだ」
ベルばあさんは、ホワイトタウンの外に出たことがなかったので、海を見たことがありませんでした。きらきらと青く輝く広い海原を見て、ベルばあさんは海に負けないくらい瞳をきらきらさせました。
リプさんは、幻の空飛ぶ動物をゆっくり下に降ろして、海面へと近づけました。そしてベルばあさんに「触ってごらん」と声をかけました。
ベルばあさんは、そっと指先で海に触れると「冷たい!」と少女のように大はしゃぎ。そして思い切り両手で海の水をすくいあげて、口に含みました。
「わっ、しょっぱい!」
「だから言ったじゃないか」とリプさんは大笑いしました。
ベルばあさんも、大笑いしました。
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二人を乗せた幻の空飛ぶ動物は、それからも世界を飛び回りました。
桃色の花を咲かせる木や、濃い赤に染まった花を咲かせる木、ほかにもベルばあさんが見たことないものを、リプさんはたくさん見せてくれました。ベルばあさんはそのたび、目を輝かせていました。ホワイトタウンで、街行く幸せそうな人々を見ては増やしていた顔のシワなんて、もう見るかげもありません。
そして、景色だけではなくリプさんがいろいろな場所でプレゼントを配った子どもたちも見せてくれました。子どもたちは、リプさんにもらったプレゼントを大事に大事にしていました。それを見て、リプさんはとても誇らしく、嬉しそうでした。ベルばあさんも、自分のことのように嬉しく思いました。
気がつくと、また空には雪が降っていました。二人を乗せた幻の空飛ぶ動物は、戻ってきたのです。寒い冬のホワイトタウンに。
幻の空飛ぶ動物は、ゆっくりと空から降り始めました。そして雪の積もった柔らかい地面に、四本の脚をボフッと沈めると、静かに低い鳴き声をあげました。
幻の空飛ぶ動物から降りると、不思議と感じなくなっていた寒さが再び感じられるようになり、ベルばあさんとリプさんは急いでベルばあさんの家に駆け込みました。
家に帰ってくるとすぐ、ベルばあさんはミルクをあたため始めました。リプさんはカップを一つ用意しました。そうして間もなく、あたたかいココアができあがりました。
ベルばあさんは、そのココアのカップを持って、いつもの暖炉の前にあるイスではなく、幅の広いソファに腰掛けました。隣にはリプさんが座りました。いつもベルばあさんが一人で使っていた、ぶ厚くて大きな毛布に、二人で包まって。
こうしていると、なんだか昔に戻ったみたいで、ベルばあさんはくすくすと笑い始めました。リプさんも同じことを考えたのか、楽しそうに微笑みました。
「あたたかいねぇ」
ベルばあさんは、カップに一口つけてそう言いました。
「うん。あたたかい」
ベルばあさんが少し飲んだココアのカップを受け取り一口飲んで、リプさんもそう言いました。
二人で隣に並んで、毛布に丸まってーーさっきまで大空を飛び回っていたのとは全然違うような、そんなゆったりとした時間を二人は過ごしました。
しばらくすると、ベルばあさんは毛布に顔を少し埋めて、もじもじしながら言いました。
「リプ。ありがとう。あたしの見たことのないものをたくさん見せてくれて。最高のおくりものだったよ」
リプさんは、静かに微笑みました。
「うん。ずいぶんと時間が経ってしまったけれど」
「ううん。こうしてリプが帰ってきてくれたんだもの。それだけであたしは十分だよ」
二人はぽつりぽつりと会話を続けていました。それはとても静かでゆったりとしたものでしたが、こそばゆくなるような幸せな時間でした。
ずっとこうしていられたらいいのに。ずっとこうしてリプといられたらいいのに。
ベルばあさんはそう思いました。
顔をぼうっとさせるベルばあさんを見て、リプさんは少し眉を落としました。
そしてリプさんは、突然こう言いました。
「……ごめんよ、ベル。僕はもう行かなくちゃいけない」
明日も18時に投稿します。明日は最終回です。