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第39話

 喜多垣夜澄が一般的な校長であれば間違いなく抵抗したはずの命令も、管理者(オペレーター)・ヨスミという特別な存在の前では、不思議と従ってしまう自分がいることに玻璃は気づいていた。


 玻璃が単なる保健室の先生ではなく、クラス担任という重責まで任されているのはヨスミの強い推薦があってのことだ。


 相応の給与が保証されているとはいえ、今回の案件は単なる職務の範囲を明らかに超えており、安易に承諾できるような性質のものではない。


「みのり園側にボディガードを頼んであるから、身の危険はないわよ」

「ボディガードが必要なほど危険ってことやん……」


 玻璃が露骨な不満を表情に浮かべながら返した。ヨスミはそんな彼女の反応を意に介さず、まるで聞こえていないかのように話を進めていく。


「あちらの管理者(オペレーター)から、『曽我井先生の安全を保証します』って言ってきてるんだから信用なさいよ。管理者(オペレーター)・Z、聞いたことあるでしょう。二年の市島(いちじま)姫姫(きき)の姉よ」


 Z——その名を聞いた瞬間、玻璃の脳裏に情報が整理されていく。世界が崩壊する前からこの世界に侵入し、学校の一角に無許可で()()()()()()()と呼ばれる空間を作り上げた人物——

 管理者の遊び場は、今は玻璃が顧問を務めるオルタナティ部の部室になっている。


 表面上は明るく振る舞う市島だが、姉との連絡が取れなくなっていることに、彼女が心の奥底で不安を募らせていることを玻璃は理解していた。

 これまでにも数え切れないほど、その心配事を打ち明けられ、玻璃は彼女の心の支えとなってきた。


 みのり園を軸に生じている人間関係の分断について思いを巡らせ、玻璃は思わず「うーん」と(うな)った。


「そういや、盛谷先生はどうなったん?」


 玻璃が気になっていた疑問を口にした。盛谷の体が小さな立方体に分割され、消失していく場面が何度も頭の中で再生されていた。


「盛谷先生の体はすでに回収されたわ。しかるべき場所に転送されるの」


 ヨスミは一瞬言葉を切り、玻璃の表情を(うかが)うように見つめた。


「だけど、再生されて元通りになるかどうかは、不明」

「再生されたら、またここに戻ってくんの?」


 玻璃がおそるおそる尋ねる。


「それはさせない。玻璃さんを危ない目に遭わせたんだから、ここには戻さない」

「ヨスミさん、黙って見てたん? ひど」


 玻璃は複雑な表情を浮かべながら、少し突き放すような調子で返した。

 保健室での危険な状況をヨスミが監視していたことに対する戸惑いと、助けに入らなかったことへの軽い(あき)れが、彼女の言葉に(にじ)んでいた。


「とにかく、視察の話ですけど、せめて家族に相談するまで回答を待ってください」

「玻璃さんのご家族には、さっきもう伝えておいたから。だから、よろしくね」

「いや、めちゃくちゃやん! だから、ちゃうわ!」


 玻璃は我慢の限界に達したように、思わず声を張り上げて抗議した。


     ☆★☆★☆


 玻璃は疲れを隠せない表情で、学校の裏手にある門へと歩を進めた。こちらから出れば、確かに自宅までの距離が短くなるはずだ。

 だが、その帰路は曖昧で、進む道筋も定かではない。いつもタバコを買っているコンビニの名前さえ知らないことに思い至る。


 しかし、玻璃はすぐにそんな不安を頭から追い出した。深く考え込まない性格だからこそ、この状況を受け入れられているのだ。

 もしすべてを深く掘り下げようとすれば、この世界での日常はさぞかしストレスフルなものになるだろう。盛谷のように——


 玻璃の帰路は、おぼろげな輪郭の商店街を抜け、おぼろげな色彩の集合住宅へと続く。


 曖昧な風景の中で、玻璃の家のドアだけが妙に現実味を帯びている。鍵を回す音と共に、中から元気な声が漏れ聞こえてきた。


 扉を開けた途端、四歳の娘と三歳の息子が一斉に顔を出した。玻璃が「ただいま」という間もなく、二人は彼女を見るや否や、騒ぎ立てながらリビングに走り去ってしまった。


「お帰りなさいぐらい言いやー」


 玻璃は姿の見えなくなった子どもたちに向かって、軽く叱るような口調で声をかける。


 いつもの習慣通り、リビング脇の椅子の背に(かばん)をかける。その動作には、家に帰ってきた安心感が(にじ)み出ている。


 キッチンに目をやると、エプロン姿の夫が背を向けて立っている。


「お帰り。もう少しで完成だから、少しだけ待ってて」


 玻璃は返事をする代わりに、テーブルに目を向けた。そして、思わず息を()んだ。


「大柳くん、これ……なんなん?」


 リビングテーブルの上には、まるで宴会場のような豪華な料理が並べられている。普段は戸棚の奥にしまってある高級食器も総動員され、ワイングラスまで用意されていた。

 テーブルの上はもはや置く場所すらないほどの豪勢さだった。


 大柳はエプロンの裾で手の水気を拭いながら、誇らしげな表情で微笑(ほほえ)んだ。


「特別な仕事に選ばれたんでしょ。おめでとう。お祝い」


 玻璃は言葉に詰まり、苦笑いを浮かべながら肩を落として、そして小さくため息をついた。


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