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匣庭高校オルタナティ部  作者: 水本グミ
007 保健室
35/50

第35話

 オルタナティ部の部室にある、転移者避けのがらくたと同じようなものなのか。しかし、なぜそれが管理者に対して有効なのか不思議だ。


「難しいことはわからない。だが、お互いに情報交換をするのは大切だ。姉の仕事のこともあるが、もの、お前にも役に立つだろう」


 ——俺にはまだ、沙綾さんに話していないことがある。それはチーさんの存在だ。


 イルカのぬいぐるみに宿るあの不思議な存在は、厳密には「転移」したわけではない。ひとの左腕に乗り、独特な言葉遣いで話し掛けてくるチーさんは、この世界の法則に収まらない例外的な存在なのだ。

 転移者でもなく、管理者でもない。かと言って一般人でもない。チーさんのことを話せば、沙綾さんはきっと興味を示すだろう。


 だが、それはひとのプライバシーに関わることでもある。ひとに断りもなく、チーさんの情報を他人に伝えるべきではないだろう。どんなに親しい姉だとしても、その秘密は守るべきだ。

 チーさんの存在は、基本的にひと、るる、俺……それと、てみだけが知る秘密なのだから。


     ☆★☆★☆


 ——翌朝、俺はひととるるにグループチャットのメッセージを送り、遅れて学校に行く旨を伝えた。

 匣庭高校の校門をくぐると、そのまま教室へは向かわず、まっすぐ保健室へと足を運んだ。


 予想通り、保健室には曽我井先生が待っていて、俺の姿を見るなり穏やかな微笑(ほほえ)みを向けてくれた。

 俺は無言のままベッドに向かい、そのまま体を預けた。かつての自分なら、こんな保健室登校などまったく考えられなかっただろう。


「先生、姉と同級生だったんですね」


 横になったまま、ベッドから曽我井先生に声を掛けた。


「そうやで。沙綾ちゃん、全然変わってへんかったなあ」

「姉が……先生はキラキラした一軍グループにいたって言ってました」

「あははは。派手やったかもしれんね。昔の私は」


 曽我井先生と特に話すべきことがあったわけではない。管理者(オペレーター)・ヨスミ——喜多垣校長のことを聞きたい気持ちはあったが、保健室でそんな話を切り出すのはふさわしくないだろう。


新田(しんでん)……お前も、お前らもしんどいな。頼れる大人がほとんどおらんで」


 曽我井先生が静かに(つぶや)いた。沙綾さんは「転移者で大人だから」管理者の調査に携わっていると言っていたが、そう考えると数少ない大人の転移者たちは、それぞれが何か特別な責務を負わされているのかもしれない。


 ベッドで横になっているうちに、自然と(まぶた)が重くなってきた。転移、沙綾さん、管理者、てみ——様々な思考が頭を巡り続けて、知らず知らずのうちに疲労が蓄積していたのかもしれない。


 すとん——と眠りに落ち、目覚めるとベッドの横にひととるるが立っていた。彼女たちはそれぞれ、折り鶴を一羽ずつ手にして(たたず)んでいる。


「病人じゃねえぞ。なんだよその鶴は」


 照れ隠しに憎まれ口を(たた)く。ひとは赤い折り紙で折られた鶴、るるは——なんと金色だ。二つの鶴が俺の額の上に並べられると、俺は頭を振って払いのけた。


「小六の時さ。ものが入院して、あたしたちお見舞いに通ったよね」

「あの時も、物朗くんに折り鶴を折ったんだぞ。感謝しろよ」


 小学六年生の急性盲腸炎の入院。たった数日間だったが、ひととるるは毎日欠かさず病室へ訪れてくれた。

 二人は病室に来るたびに折り紙の鶴を持参し、俺の顔の上に山盛りに置いては、俺が嫌がる姿を見て笑い合っていたのだった。


「まったく君たちは成長がないな。高校生にもなって、子供っぽいことはやめたまえよ」


 と、俺はふざけて言い返す。本音を言えば——こうして何も変わらない関係が続いていることが、何よりも大切に思えてならなかった。


 てみがいないから——


 ——ひとの左腕に視線を向けると、いつも抱えていた大きなぬいぐるみの姿がなく、俺がプレゼントした『くるっとイルカ』だけが手首に巻き付いていた。


「……チーさんは?」


 俺の声に反応するかのように、ひとの手首の『くるっとイルカ』が、突然小さな頭をぴょこんと持ち上げた。


「おう。無事、引っ越し完了だぜ」


 小さなイルカが腕輪からするりと抜け出し、上下にぴょこぴょこと跳ねた。


「これであたしもイルカ女子とか言われなくて済むよ。目立ちすぎてたもん」


 いや、イルカ女子には違いないだろうと思う。だってお前が持ってるグッズ、イルカだらけじゃん。

 でもこれで、チーさんの不調も解消されるといいな。チーさんには話しておきたいことがたくさんある。

 なんせ、数少ない()()なのだから。


 精神的に年長者であるチーさんは、転移の混乱の中でも冷静さを保ち続けてきた。

 管理者の話、沙綾さんの話、てみの居場所——チーさんならば独自の視点から何か示唆してくれるかもしれない。

 曽我井先生の言う通り頼れる大人が限られている今、チーさんの存在がこれまで以上に重要になってくるはずだ。


 ——二人が保健室から去り、俺はもう一眠りすることにした。そして次に目が覚めたら、教室に顔を出してみよう。

 教室に戻れば、ひととるるが待っている。チーさんもいる。そしてオルタナティ部だってある。


 この代替えの世界も、案外居心地が良いものかもしれない。白いカーテンに囲まれたベッドの中で、俺は静かに目を閉じた。


(了)


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