第27話
「あちきの記憶違いじゃないわ。二人のことは関わり合いのない人間として知っていたもの。ただ、接点なんてなかった。あっちは華やかに脚光を浴びる存在、こちらは遠くからそれを観察して愉しむだけの存在」
「観察? 発言が不穏だな……」
「ぐひ……もとい、美男美女のカップルなんて、娯楽の対象でしかなかったもの。最初はノートに二人を模したイラストを描くようになって、やがてモブキャラとして二人を慈しむだけの夢小説を投稿サイトに。ペンネームは『KK推し』」
いや、迷惑行為だろ。実在の一般人にやっていいことじゃないだろ。
「あちきにとって、あの二人は推しカップルだったの。話した記憶もないわ」
推しカップルのことを詐欺グループ扱いするなよ。柏尾くんと、蒲江さんが可哀想になってくる。
「それで、あちきは違う世界に来てしまったんだ、って気づいた」
さて。市島部長の見解が気になる。
先輩はいつもなら思いつきで乱入してくるタイプなのに、今回に限って静かに耳を傾けている。
奇天烈さでは誰にも負けないはずの市島先輩ですら、比延さんのキャラクターに圧倒され押されているのだろうか。
少しの間があって、意を決したように市島先輩が口を開いた。
「うん。比延さんの視点では、パラレルワールドに来てしまった感じだね。違う世界線の人間関係の違いに悩んでるって感じかな」
「ええ。あちきとしては、元の世界に戻りたいと思ってるんだけど」
「残念ながら。わたしたちが前にいた世界はすべて同一、つまり比延さんだけ別の世界から来たわけじゃないの」
その言葉に、俺は考え込んだ。となると、箸荷さんが語っていた捕殺師や刺殺師の話も、俺たちと同じ前の世界の話ということか。てっきり彼女だけが魑魅魍魎が闊歩する、別の世界から現れたのだと思っていた。
「つまり、わたしたちが前にいた世界は、もう崩壊して存在していないの。だから戻ることはできないんだ」
「ぐへっ。ま、まじでござるか。じゃ、じゃああちきの書いた『恋するKKを愛で尽くす』全三十万文字の原稿は永遠に復旧しないってことでござるか。オロロン、オロローン!」
泣き姿も癖が強い。
市島先輩の様子を見ると、明らかに比延さんに対応しきれていない。表情が凍りついたまま、地蔵のように硬直している。かつての通り名「ツインテール地蔵」が蘇ったかのようだ。
「……ま、創作者は過去を振り向かないって言うから。気にしないけどね」
「キャラの振れ幅が激しいな! 誰のセリフだよ、それ?」
「あちきが今考えた」
「適当だな!」
などと。比延さんとの会話のキャッチボールは、漸く安定してきたようだった。
「前の世界は崩壊したっていうけど、一体どうして崩壊したの?」
その質問の答えは、実は俺も知らない。市島先輩の話からも、いくつかの不運とミスが重なったとしか聞かされていないのだ。
「根本の原因は明確にはわからないんだ……そういう風に聞いてる。調査はしているみたいだよ。それが偶発的に起こったことなのか、人為的なものなのか」
世界崩壊が意図的に引き起こされた可能性がある……という可能性に、背筋が寒くなる。それは箸荷さんが語るような、妖魔や怪異が跋扈する世界の話ではないのか。
残念ながら、その手の専門家である彼女は今日は部室にいない。
「ぐふふ、ぐふふふ……」
比延さんの不気味な笑い声が、静まり返った部室に響き渡る。その異様な声色に、一同が思わず彼女に視線を向けた。
「ぐふふ。永遠の中学二年生、このあちき、比延叶実にとってこんな好物は他にないでござるよ。世界崩壊の謎、その裏に蠢く何者かの存在……創作欲が湧くでござるぅぅぅ。ぐひひひひひひ」
しみじみと思う。箸荷さんがこの場にいなくて本当に幸運だったと。もし彼女がこれを聞いていたら、比延さんは確実に鉄拳制裁を喰らっていただろう。軽い殴打では済まされず、病院送りになっていた可能性すらある。
いやしかし。箸荷さんと比延さんの化学反応——見てみたい気もするんだよな。
「ただ、これは現実だからね。さっきの幼馴染みの話だけど、やっぱり比延さんの記憶が欠落してるのは確かだと思うよ。前の世界で二人を観察していた比延さんと、この世界で友達としての関係性を築いていた比延さん。二つの記憶の融合がうまくいかなかったんだろうね。普通は、偏りはあっても両方の記憶が残るはずなんだよ。比延さんの場合、二つの世界での立ち位置が違いすぎて、より自我が強い方の記憶が優先された。転移によるバグだろうね」
市島先輩の説明は、驚くほど明瞭だった。前の世界と今の世界での記憶の融合過程、その中での不具合について、わかりやすく解説してくれている。部長はこういう時、妙に頼りになるし説得力がある。
思い返せば、俺も記憶の問題で混乱していた頃、市島先輩は同じように明快な説明で俺を安心させてくれた。
「おおすげえな。部長みたいだな、お前」
それまで黙っていた日吉先輩が、ここぞとばかりに市島先輩を茶化す。
「わたしは部長だよ! なんだよなんだよ、わたしのことバカにして!」
拗ねて地団駄を踏む市島先輩を見た瞬間、比延さんの目が獲物を発見した捕食者のように光った。「ぐひひ……かわゆい」と呟きながら、スケッチブックを広げ、部長の姿を描き始めた。




