第23話
「ひと……」
「ふあ? もの、どうしたの? 真剣な顔して」
「ひと、俺はな。ひとには似合うものしか身につけて欲しくない……そう思うから、『くるっとイルカ』を選んだんだ」
「ふあっ?」
「ひとの可憐さに対抗できるような物なんて、そう簡単には見つからない。俺が思いを込めて見つけた『くるっとイルカ』を大事にしてくれるか? もし、チーさんが移動できなかったとしても、俺の分身だと思って持ってくれるか?」
「ふああ……。大事にするよ……あたし、大事にする……」
大事なことだから二度言ってくれたひとは、顔を真っ赤に染め上げ、もじもじと落ち着きなく体を揺らしている。
ひとの奇妙な反応の意味はわからないが、『くるっとイルカ』を気に入ってもらえたようでよかった。
「物朗くんは、いつか刺されると思うぞ……」
るるが物騒なことを言う。まったく意味がわからない。
チーさんの引っ越しが実際に行われるか、行えるかはまだわからない。ひとはしばらく『くるっとイルカ』を身につけつつ、今のぬいぐるみのチーさんも併用して持ちながら様子を見ることになった。
機が熟したら、チーさん自身が引っ越しを試みるそうだ。
ひととチーさんと別れ、るるから約束していた漫画の単行本を借り——思ってた以上に巻数があり、ぱんぱんに詰め込まれた紙袋を渡された——家に着いた。
いろいろあったが、総じて平穏な一日だった。明日もこんな日常が続いてくれたらいいな、と思う。
☆★☆★☆
——翌日の学校。
廊下の掲示板には、オルタナティ部のポスターが新たに貼られていた。『新しい世界へようこそ』という大見出しと、後から付け加えた『転移の困り事はオルタナティ部まで』という言葉が、他の部活ポスターの中で不思議な存在感を放っている。
ウケ狙いに見えなくもないが、部の活動内容が一切理解不能だ。そりゃそうだ、俺もよくわかっていない。
そんなオルタナティ部のポスターを、先ほどからずっと見ている女子生徒がいた。
龍の刺繍の入ったスカジャンに鋭い目つき、クラスを代表する不良——という立ち位置を自然と与えられた——えっと、名前なんだったか。
「箸荷さん、うちの部のポスターが気になるの?」
流石クラス委員長のひとは違う。ほとんど交流のない生徒にも自然と声を掛ける。クラス全員の名前を完璧に覚えているのが当然であるかのように。
「このオルタナティ部っての、委員長が入ってるクラブなのか?」
「うん。あたしと新田くん、童子山さんの三人で入ったとこだよ」
名前を出されたので、箸荷さんに軽く会釈をする。
——しかし、眼力というか、威圧感を凄く感じる。立ち姿に無駄がなく、何かの武術を極めているようなオーラがある。
本当に強い不良か——できれば深く関わりたくはないが、理不尽に絡んでくるような輩よりはましかもしれない。
「『転移の困り事』って、お前らが解決してくれるのか?」
「解決できるかは後の話で、とりあえず相談には乗るよ」
「ね」と、ひとが俺とるるに同意を求めたので、俺たちは頷く。実際のところ、先輩に相談してみてからだ。いざとなれば顧問の曽我井先生の力を借りることもあるだろう。
ポスターを貼り出してこんなに早く反応があるとは思わなかった。それも意外な人物からの反応。
とはいえ、ポスターの文言に反応があっただけでは、まだ当人が転移者であるという確証は得られない。人目につく廊下で、これ以上踏み込んだ会話をするのは賢明ではないだろう。
「放課後に部室まで来てくれるかな。場所はね」
ひとが箸荷さんに、旧校舎内にあるオルタナティ部の部室までの行き方を説明している。複雑な場所ではないが、不思議なことに転移者でない者は見つけられないという性質を持つ。なるほど、自力で来させることで転移者かどうか篩に掛けるって腹か。
俺はひとの耳元で「賢いな、委員長」と小声で称えたが、ひとは何を言われているのかまるで理解していない様子で首を傾げている。この鈍感さ、アンバランスさが、瀬加一図そのものなんだよな。
☆★☆★☆
そして放課後。
オルタナティ部の全メンバー——つまり部長の市島先輩を筆頭に、八木先輩、日吉先輩の二年生三人と、俺、ひと、るるの一年生三人——が部室に集合し、箸荷さんが訪れるのを待っていた。
部としての初めての活動になるため、部員たちの間に静かな緊張感が広がっている。
だが、俺たちは油断していた。
特に、市島部長が油断しまくっていた。
あろうことか市島先輩は、部室の扉が開いた瞬間、前に飛び出し、両手を広げ、片足を上げながら、満面の笑みを浮かべ、こう言ったのだ。
「ようこそ! オルタナティブフォォウウウッ……」
瞬間、箸荷さんの拳が市島先輩の腹部に突き刺さり、先輩は胃液を撒き散らしながら宙を舞い、首を捻ったまま大の字になって床に叩きつけられた。
「が、がはぁっはぁっ……」
先輩は床に横たわったまま、まるで壊れた人形のように小刻みに痙攣し、顔面蒼白、目からは涙、口からは泡が溢れている。
そんな市島先輩を見て、八木先輩は笑い転げていた。いや、怖い怖い怖い。