過去の落とし前
ひたすら迷ったすえ出した結論は、事態を静観するという選択だった。
実際どうしようもないのだ。力で黒騎士に勝つことはできない。援軍に行ったところで、なにができるだろうか。
ラバマの街は陥落するだろう。駐屯地にいる全兵力を投入したところで、やつらに対抗できるとは思えない。明け方には、目的を達成したサキの高笑いがラバマに響くはずだ。
それは同時に、サキの命運が尽きることを意味する。
ラバマのような大都市へのテロ行為を働いたなら、間違いなく王国軍が派遣されてくる。黒騎士たちがいくら強かろうと、国家を相手に勝つことはできない。なにせ命令を出しているサキ自身は生身なのだ。大部隊に囲まれでもすれば、いつか限界がくる。
サキはもう終わりだ。私がやつらと戦う必要性はない。今できるベストな選択は、安全な場所で事態の終息を見守ることだ。
心残りはラデルたちだ。無事に帰ってきてくれればそれに越したことはないのだけど、難しい気がする。彼らだけではない。宿屋で世話になったパメラや、リサさんを始めとしたギルドの人々。無事でいてほしい人はたくさんいる。
(所詮は夢の中のことじゃないのよ。指輪を使えばあちらとは完全に縁を切るのだから、気にする必要なんてないわ)
現実に戻ってきた私は、自分にそう言い聞かせながらベッドから出る。
ノートに記録を取ったのち、パジャマから制服に着替える。朝食をさっさとすませ、顔を洗い、バッグを持ったところでハタと気づく。
今までは早瀬に相談するために早く登校していたのだけど、彼との協力を解消した今、その必要はないのだ。
家の中でボーっとしているうち従来の登校時刻を回り、今までにない億劫さを抱えつつ学校へ向かう。
学校生活は気が重くて仕方がなかった。体は鉛のように重く、気分は泥沼のように黒く沈み切っていた。理由は単純で、早瀬と疎遠になってしまったからだ。
また軽蔑の視線を向けられるかと思うと、顔を合わせるのが怖くて仕方なかった。自然と必要以上に距離を置いてしまう。
彼の方から話しかけてくる素振りもなく、失望されてしまったのは間違いないだろう。
そんなわけで、私は今までの人生でもっとも落ち込んだ状態にあった。
友人たちへは夏バテということにしておいたけれど、美香だけは私の嘘を看破してきた。
「早瀬と喧嘩したんでしょ」
彼女にはすっかり見透かされていた。
「喧嘩じゃないわよ。ただ私が遠ざけたのよ……」
「はぁ? 自分で遠ざけて落ち込んでんの? ぜんぜん意味わかんないんだけど。説明してよ」
私はやむなく美香に事情を打ち明ける。
「そうね、イジメはよくないわね。早瀬が引くのもわかるってもんよ」
大方の予想どおり、美香の感想は芳しいものではなかった。当然だ。イジメの首謀者を快く思う人は極少数だろう。
「私のこと見損なった?」
「うん、見損なった」
美香は容赦なく言い切り、私を更にヘコませる。
「ただし見損なったのは、今の黒江でなく、中学時代の黒江よ。少なくとも今のあんたはそれを悔いているわけでしょ。なら救いはあるって」
そう言って美香は私の肩に手を置く。
「落とし前つければいいのよ。白河桐花に謝っちゃいなさい。そうすれば早瀬と合わせる顔くらいはできるでしょ」
白河桐花への謝罪。それは私にとって、かなり怖い行為だ。どうしても消極的にならざるおえない。
「早瀬のこと好きなんでしょ」
美香のその一言が、二の足を踏んでいた私の背を押した。
「白河桐花、私を許してくれるかな……?」
「そればっかりはさすがにわかんないわね。仮に許してくれなくても、それはそれでよしなんじゃない。これは許されるためじゃなく、あんたが前に進むためなんだから」
『前に進むため』。その言葉を胸に、私は放課後に白河桐花へと声をかけ、人気のない学校の裏へと一緒に赴く。
「こういうところ苦手なんだよね。……あんまいい思い出ないんだ」
彼女は笑いながら話すも、私には冷や汗ものだ。苦手になった原因を作ったのは私なのだから。彼女は中学時代、ずっと今の私のような気持ちでいたのだろうか。そう考えるとズキズキと良心が痛んだ。
「でっ、話しというのはなに?」
彼女は無邪気に尋ねてくる。
「あなたに謝らなきゃいけないことがあるの……」
「えっ?」と首を傾げる白河桐花に、私は中学時代の悪行を打ち明けた。
見る見る彼女の表情に険が差すのがわかった。お人好しそうだった瞳が細まり、奥歯を噛み、腰の脇で両手の拳を握る。
「私がどんな気持ちだったかわかる! 毎日が地獄だったのよ!」
それは初めて目にする彼女の怒りだった。
「反省してる。このとおりよ!」
私はその場に跪き、地面に額がつくくらい深々と頭を下げた。
「土下座したって許せないわ」
甘かった。彼女なら二つ返事で許してくれる。そんな淡い期待をどこかで抱いていた。
「返してよ。私の中学での二年間……」
白河桐花はボロボロ涙を零し始める。
返すことなどできるわけがなく、私はただ頭を下げ続けるしかなかった。
思いつく限りの謝罪の言葉を並べ、ただひたすら彼女の許しを請うた。
「どんなに謝っても、あなたを許すことはできません。あなたはそれだけのことをした……」
覚悟していたものの、辛いものがある。とはいえそれが彼女の意向なら、結果を真摯に受け止めなくてはならない。
全てを飲み込むように、私はコクリと頷いた。
「私はあなたのしたことを許す気はありません。中学時代のことについては一生恨み続けます。ですが、私が恨むのはあくまで過去のあなたです。今のあなたではありません。謝罪したということは、自分の行為を悔いているということでしょう。それなら過去は別として、新たに良好な関係を築くことはできると思います」
私は、ハッと白河桐花を見上げる。
「ただ一つだけ約束してください。もし当時の私と同じ境遇にある人、理不尽な暴力に遭っている人を見かけたら、必ず手を差し伸べてください。そしてできる限りの力で助けてあげてください。それがあなたと信頼を築く条件です」
そう言って彼女は、頬を濡らしていた涙を拭う。
「ありがとう」
私もポロポロと涙を零しながら、もう一度深く頭を下げた。




