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1-01 襲撃と帰国した美青年

 母親は二人の娘を庇うように男に背を向け床にしゃがんでいた。


 傷を受けた少女は痛みに耐えながらも、自分の役目に集中しようとしている。

 もう一人、十七歳の妹は男の異常さにやっと気づいたのか、母の腕の中から勢いよく飛び出すと襲撃者の前に立ちはだかった。


 床では今しがた妹のほうに倒された男が起きあがろうとしている。異国の装飾がついた袖からは、護身用の短剣を探る手が見えた。


「ララ駄目! もう始まってる!」


 母に叫ばれるが、訓練服を着たララの右足はもう動き始めていた。尋常でない速さで男の右手にある剣を一瞬で蹴り飛ばす。手に当たらないようにしたが衝撃は強かったみたいだ。


「ぐっ」


 男は低いうなり声を出しながら、短剣の離れた手を動かしたり、身体を不自然に捻って力を入れている。


「ぐう⋯⋯」


 この人から出ている異質な感じは何?──ララは知っているようで、何も思い出せない。


 襲撃者は手元を震わせながら服のポケットから小さな包みを出し、さっき母が口につけようとしたグラスに中身を入れる。


 この男からは(あらが)う気持ちが強く発せられている。

 だが残念なことに、それを上回る強い何かが彼の心身を支配していた。


 ララは男の胴を正面から強く抱きしめる。どうしたら止められるのだろう、何と戦っているのだろう、表情を確認しようと見上げようとしたその時──、


 ララは頭から水を掛けられた。


 頭がひりっとし、水は顔のほうにも垂れてくる。刺激のある液体が目の近くを流れたが、ただの水ではないことに初めから気づいていたララは、目だけつぶった。


「⋯⋯な⋯⋯れろ⋯⋯」


 男が左手に持っていたグラスを落とし、別の動きを始める。もぞもぞする彼の右手からカチッと音が聞こえた。

 シュッと小さな音と微かな火薬の匂いがした瞬間、


 ドンッ。


 大きな鈍い音が部屋中に鳴り響く。


「お⋯⋯」


 低い呻き声を発したララのお腹には、小さくて硬いものが勢いよく入ってきたと同時に外へ突き抜けていったのがわかった。


 受け止めるように抱きついていたララは、小さな声を出しながら二本の腕の力を抜く。


「⋯⋯大丈夫⋯⋯大⋯⋯丈夫だから⋯⋯」


 ララは少し体を(かが)めたが、襲ってきた男の目を見ながら優しい声で伝える。

 自分の中の何かと戦っている男は身体に力を入れ、まるで耐えているようにみえた。


 それを感じ取った彼女は力が抜けていく左手で、すかさずテーブルにあった花瓶を握り、花が入ったままぶんっと投げる。ほんの少し開いている部屋の扉がもっと開くように、正確な位置を狙った。


 バリンッ!

 廊下に音が響く。花瓶も目印になるはずだ。


 ララはそのまま仰向けに横たわった。

 銃で撃たれた激痛に対し、身体から脳内麻薬や鎮静物質が大量分泌されている。すぐに痛みの感覚が無くなったと同時に、母の声が遠くから聞こえる。


『ララ⋯⋯生きて⋯⋯』


 すぐそばにいたはずの母と姉の気配は、すでに感じない。



 さっきまで一緒にいたトーレが廊下から勢いよく部屋に駆け込んできた。


「ララ様!? コーレイ⋯⋯何してる!」


 想像だにしない光景が目の前に広がり、その驚きを、そばにある椅子を握る力に変える。トーレは兄を強制的に止めようと、背中に向かって叩きつけた。


 ララは薄く目を開けながらお腹に手を当て、貫通射創を分析する。身体の中に鉛の破片は無い。大人の男性が倒れる振動が背中の床から伝わってきた。トーレは動かなくなるまで自分の兄を蹴っている。


「トーレ、大丈夫よ⋯⋯ありがとう」


 小さくお礼を言った後、ララは目を閉じた。



 ◇ ◇ ◇



「人生終わった⋯⋯」


 絶望に打ちひしがれた貴族の子息は、出入り口から一番遠い椅子に座らされていた。銀色の幅広なリストバンドを両手首に付けられ、上下十字に固定されている。

 テーブルに隠れた腰から下の姿は、ズボンが太ももの付け根まで下ろされていた。ある程度はシャツで覆われ、歩くには問題ないが羞恥心は隠せない。


 窓のない小さな部屋だった。

 小さなテーブルと飾り気のない椅子二脚だけの空間に男が三人。今はなにかを待つ時間なのか誰も言葉を発しない。


 うなだれて乱れた髪の根元は深い紺から始まり、肩にかかった毛先に向けてだんだんと輝く青色をしている。子息の苦悩に満ちた眉目秀麗な顔立ちは、年頃の女の子が見たらきゅんとなってしまいそうだ──まあ脱げかかったズボンが見えなければ。


「本当にトーレがララを助けたようです。トーレに助けを求めた従者と、ララ本人から話が聞けました」


 新たに部屋に入ってきたのは護衛隊長のノルベルトだった。左目近くの三つ編みをアクセントにした長めの髪は、オールバックにして後頭部と首の後ろの二か所で結んでいる。


 トーレの正面に座った宰相の横でノルベルトは止まる。扉のそばに立っている見張りと目を合わせ、お互い確認するように頷いた。

 宰相は息を深く吐き、気持ちを切り替えるように目を一度下におろし、まっすぐトーレに顔を向けなおす。


「恥ずかしい思いをさせたな。申し訳なかった、立ってズボンをはいてくれ」


 自分の知っている麻の縄ではない──銀色のリストバンドを外す護衛隊長の顔をトーレは覗く。ララ姫を医療班の所まで運び、現場にもう一度寄ってから戻ってきたノルベルトの表情は、すでに穏やかだった。



 あの騒ぎが起きた時、トーレは某小部屋からズボンを最後まではかずに現場へ駆けつけた。

 ララを撃った実の兄を倒したのに、後から駆けつけた護衛隊に勘違いされてしまった。


 がっしりとした男性と姫は倒れ、足元には銃。一人立っている青年はズボンが太ももまで脱げている。

 誰が見てもわかりやすい重要参考人だった。



 美青年は自由になった両手でようやく肌着を隠す。シャツが長く腰回りはほぼ隠れていたが、貴族の子息がズボンを下ろしたままは屈辱だった。

 外国にはあまり出回っていないはずの珍しいデザインのズボンに、部屋の扉にいる見張りは注視していた。なかなか手に入らないであろう伸縮性の高い素材が使われている。


「聞いていると思うがアイスタニアで敬語はなしだ。王の前でもな」


 疑いは晴れたが、まだ自然な呼吸が戻っただけのトーレは、護衛隊長のノリスタンに向かって生まれたばかりの疑問を口に出す。


「ありがとうございます。え⋯⋯ララ様は話せるのですか?」


「もちろんだ。平気だぞ」


「平気って⋯⋯普通なら命を落とす腹部を撃たれていましたが」


「意識はあるし、傷も心配ない。今はただ寝ている」


 何を言ってるんだこいつは⋯⋯の表情(かお)になる直前、トーレは扉の見張りの男と目が合う。眼鏡のようなものをつけた、トーレと同じくらいの歳の男は、困惑の元容疑者を見て小さな笑顔で頷いた。頷かれたほうは何が『うん』かさっぱり解らなかった。


 身だしなみを整え再び椅子に座ると、宰相のサルヴァドールに当時の状況を話すように促される。自分のことは後だ、まずは姫のこと──トーレは仕事の顔になる。


「十五年ぶりにハクラスカ帝国より帰国しました。持ち帰った酒を兄と飲みながら今後の予定を話している時、リリアーナ様よりハクラスカでの土産話を聞かせてほしいとの伝言がございました。兄と私は帝国へ向かう前、リリアーナ様よりハクラスカ語をご教授いただいておりましたので⋯⋯」


 トーレは一旦区切り、こほんと喉を鳴らした。


「⋯⋯部屋へは、外の訓練場に遊びにいかれたララ様をお連れすることになりました」


「ああ、ララは我々護衛隊の訓練場にいたし、貴公がリリアーナの元に連れていったのもわかっている」


 護衛隊長は見てくれていた。そして敬語は急には直せない、自然にまざる。


「はい、まさかララ様が隊員の訓練に混じって長時間走っていたとは知らず、訓練がひと段落するまでお待ちしました。リリアーナ様の部屋へお連れするのに少し時間がかかってしまったのと、外が少し寒かったのもあり、それまでにたくさん飲んでいた私は我慢しきれなくなり⋯⋯」


「帰国したばかりで、まだ仕事始めでもなかったはずだ。トーレよ、気にするな」


 理解の深い宰相の言葉にトーレは安堵する。


「ララ様を部屋にお連れした時、すでにリリアーナ様とルナ様、兄のコーレイでハクラスカ帝国の話が始まっていました。話の内容は、代替わりしてまだ日が浅い皇帝の人柄のことだったと思います、時折ハクラスカ語をまぜながらの会話でした。自分はほんの少し、休憩を取りたいと伝えました」


「ああ、我慢はよくない」

 宰相は話の邪魔にならない相槌を打つ。


「急いで一番近い部屋を案内してもらい、その⋯⋯あの⋯⋯用を足している途中で⋯⋯銃声とわずかに花瓶の割れる音が聞こえました」


「貴族の気品は捨て、なりふり構わず現場へ向かったという訳か」


 トーレは頷いた。少しでも早く現場に着かなければと思ったのは確かだ。走りやすい高さまでズボンを上げ、手間のかかる、結ばないといけない部位はそのままにした。走ったり動いたりすれば落ちてくるのは明らかだったが。


「銃を持った兄の前で、ララ様が血を出して倒れていたため、椅子で兄の動きを止め足首も砕きました。それでも兄の殺意が続いていれば、私は兄にとどめをさすつもりでした」


「我が国では殺人未遂の容疑者でも、制圧する際に致命傷を負わせることはない。コーレイが生きていてよかった。この国に死刑はないからな」


 護衛隊長のノリスタンは立っている身体の重心を少しずらし、腕を組んだ。


「実兄は姫君に武器を向け、私は護衛も満足に務められぬ一兵卒にございます⋯⋯」


 もう明るい未来が見えないとでもいうような顔をしている青年に、サルヴァドールは穏やかな声色で尋ねる。


「リリアーナ様とルナ様の姿は見たか?」


「私の休憩前に部屋で拝見したのが最後でございます。戻った際にはお姿がございませんでした」


 宰相は扉のほうに振り向き、頷いている男と目を合わせる。

 扉のそばに立っていた若い見張りが話に混じってくる。


「あなたは襲撃者ではない。リリアーナ様の子を助けたのだ、誇るがいい」


 この国は上下関係や職種縛りがないと聞いていたが本当らしい。

 拘束されていた時のトーレは絶望からのうつむき加減だったが、よくみると見張りの男はトーレと同い年くらいの若い男だった。話しかたには芯を感じる。霞色で白っぽい灰色にもみえる髪と、全身グレーの服には金のペンダント、目元には細長い透けた板のような、見たことのない形の眼鏡を装着している。


 宰相や護衛隊長が時々見張りのほうを見て頷いているのをみると、信頼されている男なのだろうか。もしかすると若いがそれなりの地位にいる者かもしれない。そうトーレが考えていると、ノリスタンも安心させるような言葉を掛けてくる。


「コーレイは治療が始まっている。当面の間は部屋に拘束することになるがここはアイスタニアだ、不当な扱いはない」


「家族やハクラスカ帝国の話は明日聞かせてくれ。そして改めて、拘束をして悪かった。ララを助けてくれてありがとう」


 椅子から立ちあがった宰相サルヴァドールは、続いてさっと立ったトーレに寄り、がっしりと抱きしめた。

 これが話に聞いていたアイスタニアの抱擁といわれるものか──トーレが人生のほとんどを過ごしてきた帝国とは大違いだった。あの国ならばその場で殺されていたかもしれない。


 大使をしていた父が常々誇っていた『平和と安定の王国アイスタニア』に戻ってきたことを実感した。

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