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乱声・七拍──因果(陸)

 解官、補任がどうのこうのと騒いでいた時、上野より能時が京に送りつけられてきた。


 能時は無事だが、罪人の体である。


 上野での変事は、刑部卿上野殿も知っている。どうにか馬鹿息子どもを収めなくてはと、上野への帰国を願っていたのだが、戦の最中と直後であったので、未だ許されていなかったのだった。


 上野殿は当然能時を怒っている。死んだとはいえ親時にも怒っていたし、能時も許すつもりはなかった。


 息子達の諍いを、東国のもう一方の覇者である法化党が収めてくれたことには、上野殿でも感謝するべきであるとはわかっている。しかし……


「時高が死んで、残るはこの能時のみ。罪ありとはいえ、ただ一人の我が子であるに。我が後継として、この子がいるに……。いや、仮に能時に継がせないとしても、私はまだ生きている。上野の主はこの時有ぞ。上野は我が所領。それを法化党が……」


 上野殿には感謝の心などない。


 これは法化党の裏切りだ。法化党が乗っ取ったのだ。


 上野殿が留守なのをよいことに。息子達が諍いを起こしたのを利用して、戦に参加し、収めると見せて、どさくさに乗っ取ったのだ。


「諍いを収めると見せかけて、乗っ取りよった。まさか倅どもの諍いも、裏では経実めが糸を引いているのではあるまいな?奴が策略で戦するよう仕向けたのか?かくなる上は、法化党より奪い返さなくてはなるまい。すぐにも帰国して、戦だ!おのれ経実!信時と貴姫君が死んだ途端に、もうこれだ。確かに、あの二人亡き今、同盟はないに等しい!縁戚薄れた今、何を遠慮の要るものか。法化党を討つ!」


 すぐに刑部卿を辞職して、東国へ帰ろうとした。時憲との戦のために連れて来た兵とともに。


 この大軍で上野に押し寄せれば、法化党とて敵うまい。今こそ五分五分だ。


 上野殿が勝つか。法化党が勝つか。どちらが勝つか分からない。今こそ雌雄を決する時。勝った方が東国全域の覇王となる。


 上野殿が都より撤兵し、東国へ戻ろうとしているとの噂に、前太政大臣俊久公が飛んできた。


 彼は、あろうことか上野殿の入道した父を伴っていた。父の入道、最近、俊久公に仕え始めたらしい。


「せっかく都に帰って来られたのに、わざわざ上野に行くこともあるまい。これからは朝臣として、都に住まいせよ。都の人々にはこなたが必要なのよ。こなたの兵も。都を守護してくれ」


 俊久公はそう言って、上野殿を引き止めた。


「ですが、大殿(おとど)!敵に我が所領、民を奪われたのですぞ。長年、信時と苦労して築き上げた我が所領を!今、都にいる兵どもの故郷です!彼等はこのままでは帰る所がない。我等自ら、侵入者に占領された故郷を取り返しに行くのです。いえ、帰るのです!」


「兵どもは帰しても、こなたは都に留まれ。こなたは本来都にいるべき人ではないか。亡き我が父の命で下向したが、本当はあのままずっと今日まで都で過ごす筈だった。やっと本来の、こなたのいるべき場所に帰ってきたのではないか。上野は法化党を継いだ信時の子に任せよ。法化党の養子とはいえ、信時の子であることには違いない。こなたの甥だ。能時は厳しく罰っせよ。能時には上野殿となる資格はないぞ。時実に任せるのだ。土地も兵どもも。時実に譲れ。もう戦などやめよ。時実が継げば、法化党の所領さえ手に入り、戦せずに東国を統一できるのだぞ」


「……」


 俊久公の説得にも、なかなか納得できない上野殿である。


 すると、入道が言った。


「のう。虚しくないか、悲しくないか?兄弟争って。兄に弟殺され、兄を殺して……。息子どもも、兄が弟を殺し、弟が兄を殺した。因果よの。こんな因果はもうたくさんよ、のう?出家せぬか?おことも能時も。信時や時憲の菩提を弔い、来世でこそは、信時や時憲と兄弟仲睦まじく過ごせるよう……後生を共に祈って生きて行こうよ。のう?時有?」


 父にだけは言われたくはあるまい。突っぱねると思われた。


 しかし、それから暫くして、上野殿は出家するのである。


 どうしてなのか。彼は。


 ほとほと嫌になったのかもしれない。この因果が。この浮き世が。






 流罪が決定しても、出発の日まで、敏平はなお六条太政大臣家にとどまることを許されていた。讃岐の洛外追放も数日の猶予はあった。だから、解官された太政大臣殿らとの名残を惜しみ、互いを思いやりながら静かに過ごすことができた。


 大殿・前太政大臣棟成公は、一夕、敏平と二人きりで酒を酌み交わしていた。


「結局、こなたを守りきれなかった。遠国に追いやる結果となってしまった。許しておくれ。守りきれなかった力のないわしを、どうか」


 杯を置いて、床に手をつき、大殿は詫びる。


 慌てて敏平は、


「とんでもないことでございます!」


と、大殿よりもさらに辞を低くして額づいた。


「私の命乞いまでして下さって、おんことご自身は解官されて……。私のために罪に落ちてしまわれましたこと、まことに心が痛く、苦しゅうございます。私のために、おんことを巻き込んでしまって、申し訳なくて……」


「そうではない。そうではないのだ。わしは昔、間違いを犯した。あの時に正義を貫かなければならなかったのに、それをしなかった。そうすれば、今になってこなたも罪に問われることはなかった。全ての元凶はわしにある」


「大殿……」


 大殿、なお手をついたまま、顔だけ上げて敏平を見つめる。


「わしは先年の呪詛は陰謀だったと思っている。あの当時からそう確信していた。あれは烏丸殿の陰謀だ。それなのに、わしは烏丸殿の横暴だと院に申し上げなかった。四辻殿の処分に対して異を唱えなかった。もし言えば、当家に災いが及ぶと思って。わしは我が身可愛さの余り、無実の人々を見捨てたのだ。その後、四辻殿の血統は根絶やしになったのに、あろうことかわしは、その事件のおかげで昇進した。養女の女院の御子が東宮となり、その後見としてわしは……。四辻殿を見捨てておきながら、わしは今の地位を築いてきたのだ。だから……」


 言葉につまる。


 敏平、首を強く横に振り続ける。


「大殿はお悪くありません。誰だってそうします。私だって!それに、大殿は私がその四辻殿の血縁と知りながら、ずっと匿って下さったではございませぬか」


「罪の意識に苛まれて……」


 大殿はいつの間にか涙を流していた。


「わしは初めこなたの身の上を知らなかった。後から亡き姫君と讃岐から聞いて……わしは迷った。迷ったが、己の罪深さに悩んだ。わしが勇気がなかったが故に、四辻殿のことも風香殿のことも、そして三位殿のことも死なせてしまった。こなたが風香殿の御孫と知り、贖罪の気持ちから、匿うことを決めたのだ。我が北ノ方は風香殿の姪であるから、こなたの身の上を知って喜び。我が子の頼周は三位殿の友であった故、賛成してくれた。それで、見殺しにしてしまった四辻殿の身内のこなたを大事に守り、育て、三位殿と同門だった姫君をこなたの琴の師としたのだ。だが、いくら今まで守ってきても、肝心な時に守りきれないのでは、何にもならぬ。こなたを助けられない己の不甲斐なさに腹が立つ。これでは、四辻殿を見殺しにした過去と何一つ変わっておらぬ。わしは何をやっておるのだ?結局こなたを流罪にしてしまったではないか」


 滂沱。滂沱。ただ幾度も許してくれという言葉を涙とともに零しては、額を床に擦りつける。


「そんな、大殿……。私は大殿から多大な御恩と温もり、真心を頂きました。私の一生をかけてもお返ししきれない程の多くの御恩を。おんことは、罷免されても私の命をお救い下さいました。ただひたすら感謝申し上げるばかりでございます。どうぞ、おん手をお上げ下さいませ」


 敏平は大殿の両手をとって、


「大殿……」


と、その膝に身を投げた。


 大殿は彼の身をあたたかく包んで、その背を、


「すまぬ。すまぬ」


と何度も繰り返しながら、いつまでもさすり続けた。


 敏平の伊豆進発の日までには、幾人もの友が彼を訪ねてきていた。


 まず、ひそかに本院の内意を受けた東の御方。敏平は彼女に深草の姫君のことを頼んだのだが、彼女は師との別れに泣いてばかりいた。


 同じ日の夕刻には、民部卿局からの別離の和歌が届き、それに返事をし、その宵には皇太后宮大夫家名卿の若君・しも八が来た。しも八には、そこで最後の稽古を行った。


 翌日には、女御棟子の御使いとて、琵琶の師・粟田口尼が訪ねてきた。相変わらず人目をひく美貌の尼だが、話をしようとしてもできない程の尼の嘆き方で、ちょっと閉口するくらいだった。


 互いに楽を奏で合った。尼はやはり彼女自身が作ったという艶やかな小曲を聴かせた。敏平はこの尼から『万秋楽』まで伝授されていたから、記念にそれを演奏した。


 その翌日には、本院の御所の女房・中将殿が来た。中将殿とは幾度も仙洞内で対面し、親しく語った仲でもある。だが、己の身の上はこの老女に伝えていなかった。中将殿は今初めて敏平の秘密を知り、改めて対面して、何か感慨深げな様子である。中将殿は処刑された時憲の継母、敏平の実父・韶徳三位殿の叔母である。


 その日の夜には、前太政大臣俊久公に仕えていた師経が来た。師経はまだ、己が讃岐の実子であることを知らない。


 敏平はなお後ろめたいような気持ちになったが、彼の口から言ってよいものかわからなかった。養父の有時や義姉の兵衛の君、或いは前権大納言殿の許可もないうちに、敏平の一存で真実を教えてやるわけにもゆかぬ。それに、このことは、讃岐の口から言ってやるのが一番よいように敏平には思えた。


 結局、この友へ何も言わぬままに別れてしまった。


 そしてその次の日。いよいよ都を発つ前日となった。


 昼間、改めて大殿や前権大納言殿にお世話になった礼を述べ、次いで北ノ対へ行き、二位殿へも別離を告げた。そして、訪ねてきた師道朝臣とも名残を惜しみ、さて。


 夜に入って、彼は西ノ対の姫君のもとへ向かった。


「二人にして給れ」


 姫君は女房どもを下がらせてしまい、親しく御簾内に敏平を招き入れた。


 几帳一つを隔てた向こうに姫君が身を潜めている。敏平は、明日落ち行く身であることも暫し忘れてときめいた。


「明日、出発致します。いつ戻れるかはわかりません。けれど、いつか必ず許されて帰ってくるでしょう。どうか、信じてお待ち下さいませ」


「敏平の君」


「はい?」


「もしも、私も共にお連れ下さいと申したら、どうなさいます?」


「え」


「言わぬ。それは。御身を困らせてしまうだけだから。でも、私の思いはご理解下さい」


 姫君はもうすっかり気を許して、そんなことをつい言った。明日で別れる。二度とこの人とは会えぬかもしれぬ。その思いから、平生ではない非常時だからこそ、出た言葉なのかもしれない。


 敏平にとっても愛別離苦。思いは同じだ。


 彼は夢中だった。


「今は流人の身ですが、それとて永久にそのままではありますまい。いつかきっとお許しがある筈です。いや、私は必ず帰ってきます。そうしたら、名誉を回復して、そして。その時は……」


 ごくりと、几帳の向こう側の姫君が息を飲むのが伝わった。


「その時は……」


 彼は一瞬言い澱んだ後、一息に言った。


「私をあなたのつまに、夫にして下さいますか?」


 嗚呼と姫君は思った。その感情でいっぱいにして、


「お約束します」


と、返答していた。


「本当に、本当に?」


 敏平、歓喜のあまり理性を消失した。気がつくと、几帳を押しのけて、姫君の目の前に押し入っていた。


 姫君、驚きも怯えもせず、涙で輝く瞳を真っ直ぐに向けている。


「約束ですよ。必ず戻っていらして、そして、必ず私を妻にして下さい」


「はい。必ず」


 かたく契りを交わし、遂にい見た。

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