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乱声・三拍──一切法自性清浄(肆)

 それは、もう十五、六年も前のことになるか。


 時めく人・四辻内大臣殿が突然、帝や当時の東宮を呪詛したという事件が起きた。その一族から、高僧、院司達までをも含め、多数の者の連座が疑われた。


 それ等の不満分子どもを、帝は烏丸左大臣殿の献策に従い、一掃した。四辻殿とその近親者を遠流に、院司達を除籍、解官に処したのである。


 ところが、流人達が次々に謎の死を遂げた。


 さらに、その一族の生き残りの幼い人達までもが、残らず謎の死を遂げていた。それは、烏丸殿が四辻狩りと称して、密かにその一族の幼い人達を殺していたからだ。


 理由は、


「流人どもが死んだので、それを麿と帝のせいだと思い込み、この幼き者どもが成長後に逆恨んで、復讐しようとするに違いない。芽のうちに刈り取らむ」


というものであったが、世の人々は、流人達は何れも烏丸殿に暗殺されたのだと思っていたようである。


 流人達に烏丸殿が手を下したか否かは別にしても、幼い人々を殺して、一族根絶やしにするという四辻狩りなるものが、烏丸殿の悪行であると世間に信じられ、憎まれたことは事実である。


 その世の中の代表として、山門の帝の弟宮が兄帝に対して苦言を奏上したことがあった。けれど帝は、弟宮の意見を無視したばかりか、怒って弟宮の坊官の三昧坊聖海を殺し、その首を山門に送りつけた。弟宮は驚き恐れ、以後、何も言わなくなった。だが、聖海への哀れは抑えようもなく、首を丁寧に荼毘にふし、回向を催した後、都の実姉のもとに届けたのだった。


 その聖海の実姉というのが讃岐である。


 讃岐は弟の首を故郷に埋めてやろうとて、首を抱いて帰国した。


 讃岐には亡夫との間に一子・菖蒲王丸があった。菖蒲王丸は夫の死後、故郷の父のもとに預けていた。久々に帰国した彼女は、六歳になった我が子と数年振りに再会した。


 暫く郷里に滞在した後で、再び上洛する折、讃岐は菖蒲王丸を伴った。そして、伯母の五条の刀自邸に母子で暮らしていた。


 帰洛して暫く。出仕もせずに刀自邸で過ごしていたある日。嵐の晩だった。


 早めに菖蒲王丸を寝かしつけ、一人居間で念仏を唱えていた時、突然、一人の賊が押し入ってきた。実は、それは隣の家の判官時憲(ときのり)であったが、彼は罪人だった。


 時憲も呪詛に連座したとして解官され、投獄されていたのだ。だが、この実直な熱血漢は、四辻事件はでっち上げだ、四辻殿一族は不当な処分を受けたのだと信じ、その汚名を晴らすべく、西国に下向していつか必ず反乱の兵を挙げるのだと誓い、厳しい監視網を破って逃亡中であった。


 隣人で幼なじみでもある時憲の身を讃岐は案じていた。だから、時憲の来訪には驚きつつも、嬉しかったのである。


 時憲は主家の名誉回復のために、力に訴える決意をしたことを讃岐に伝えた。だが、讃岐は多くの無用の血が流れることを恐れて、挙兵するならば協力しないと答えた。


 そこで時憲が提案した。時憲は主家を滅ぼされ、讃岐は弟を殺され、共に帝と烏丸殿を恨み、利害は一致している。


 しかし、その提案というのが、余りにも……。


 いくら忠義者とはいえ、時憲がそこまでの行動に至るという、その心理はいささか腑に落ちないことではある。時憲は実に恐ろしいことを話してくれた。


 四辻狩りでは、どんなに幼い人でも容赦なく殺された。韶徳三位殿の若君・青海波の君とて、例外ではなかった。


 若君は隠れていたが、遂に見つけ出され、盗賊の子ということにされて、五条河原で処刑されてしまった。


 だが、実はそれは時憲の策略であったのだ。


 本当は、烏丸殿が放った信時に見つけ出される前に、時憲は青海波の君を然るべき場所に移しておいたのだった。故に、青海波の君として殺された童子は、替え玉だったのである。


 信時がそれと気付いていたのか否かは、時憲にも判らない。青海波の君と信じきって捕まえたのか。それとも、時憲の策略と見破りながらも、わざと気付かぬふりをしたのか。


 ともかくも、青海波の君は替え玉にすり替えられた。すると、身代わりとなって処刑された子は何者だったというのか。


 実はそれこそは、青海波の君の乳母子(めのとご)毘沙王丸(びしゃおうまる)だったのである。つまり、時憲の実の子だ。


 時憲の異母弟たる信時が、烏丸殿の命に従って捕らえた青海波の君の正体は、彼の甥だったのである。


 信時はともかくも、この毘沙王丸は烏丸殿を容易に欺くことができた。若君と同年で、背格好も似ていたから。


 それにしても。幼君を守るために、我が子を犠牲にするとは。この手の発想は、時憲の如き忠臣にはままあることではある。


 しかし、それによって彼の妻が自害しようとは、流石にそれは時憲にも予想外だった。


 五条河原での処刑の日。若君の乳母・(べん)の君は、若君の死を嘆き、その場で相果てた。


 それを見ていた信時は、嫂の自害に暗澹となって、あんなに望郷した都から逃げ出した。それくらい、信時にとっても、また、時憲にとっても当然衝撃的な出来事であった。


「毘沙王丸が若君の身代わりになって殺されればよいのだと、信じていたのです。だが、妻にまで死なれてしまったのは、時憲の不覚。妻は反対していたのです。いくら忠義のためとはいえ、我が子を殺すなぞあんまりだ、非道だ残忍だ冷酷だと、責め立てられました。なのに!身共はその時どうかしていたのです。妻の手を振り払い、強行してしまいました。妻は夫に我が子を殺され、恨んで子の後を追ったのです」


 力なく、時憲は差し俯いた。


 讃岐は慰めた。


「如何なることであれ、我が子を失えば生きてはいられぬというのが、親の心情。弁の君は御身を恨んで死んだのではのうて、我が子の死が辛くて死んだのでしょう」


 忠義のためとはいえ、我が子を殺し、妻は自害した。そうなると、自らの判断でそんな愚かなことをしたとはいえ、辛く、悲憤遣る方なく、帝への反逆心が増してきたのだという。思えば、彼がこんなことをしたのは、そもそも帝と烏丸殿が四辻狩りなぞをしたからだ。毘沙王丸を犠牲にしなければならなかったのも、弁の乳母が自害したのも、全ては帝と烏丸殿のせいなのだ。


 時憲は怨んだ。帝を。烏丸殿を。必ず復讐してやると誓って西国に下向し、挙兵を決意した。


 讃岐も弟を殺され、同じように帝を恨んでいる。しかし、挙兵には協力できない。


 そこで、時憲が申し出た提案。


 それは、人助けをすることによって、弟の復讐を果たせるというものだった。で、時憲の提案というか、願いを聞き入れたのだ。


 その願いとは。時憲との間で交わされた密約とは。


 時憲が密に隠した青海波の若君と、韶徳三位殿の琴・龍舌とを、その隠し場所まで取りに行って、どちらも清花の姫君のもとに参らせることであった。


 時憲は当初、若君と共に西国へ赴き、若君を総大将に頂いて挙兵することを考えていた。だが、泉下の韶徳三位殿は、そんなことは望みはしないだろう。音楽の才ある若君を琴士とすることこそが、三位殿の望みなのではあるまいか。そう思い直して時憲は、清花の姫君に縋るしかないと考えた。


 讃岐は了承した。


 時憲がどこぞへ逃亡した後、彼に言われた通り、鞍馬の山裾に若君を迎えに行った。その山の中のうつほの中に、青海波の君は隠れていた。時憲の侍童に守られて。


 讃岐は考えた。この侍童が万が一密告する可能性を。で、これを迷わず斬り捨て、若君の手を引いて連れ帰った。


 讃岐にとっての復讐は、この若君を立派に育てることである。そのためには何でも犠牲にする。


 彼女は一案を巡らせた。


 則ち、同輩の兵衛に我が子の菖蒲王丸を預けたのである。


「これは兄の隠し子で、松寿と言うのです。先頃帰国した折、兄に泣きつかれて、仕方なく連れて来たのですが、困ってしまって。兵衛の君は一人娘にて、父上は男子が欲しいと養子を求めておらるるとか。もし、宜しければ」


 讃岐の偽りを真に受けた兵衛は、父の有時にその旨伝えた。有時は喜んで養子にした。つまり、菖蒲王丸は兵衛の弟・松寿となったのだった。


 一方、青海波の君を菖蒲王丸ということにして、我が子として育てる決意をした讃岐は、清花の姫君にだけ全てを告白した。龍舌の琴を献じた晩に。


 青海波の君は実は死んでいないこと。毘沙王丸が身代わりであったこと。その父・時憲の逃亡のこと。彼が挙兵を計画していること。讃岐の子・菖蒲王丸は兵衛の義弟の松寿となったこと。そして、今、菖蒲王丸となっているのが青海波の君であることを。


 全ては時憲の願い。その忠義に免じて、菖蒲王丸──実は青海波の君を手元に置き、琴の弟子にして欲しいと懇願した。


 だが、姫君はそれは謀反に加担することだと言って怒った。


 それでも讃岐は強行して、菖蒲王丸となった若君を主家に呼び寄せ、男童として仕えさせたのである。


 若君は讃岐にすっかり我が子だと信じ込まされていた。当初は疑問だらけだったようだが、次第に若君であった頃の記憶は薄れ、自分は菖蒲王丸だと信じるようになっていた。どこかで琴の音を聴いたような気がしていたのも、讃岐の亡夫・房雄が琴数寄者であったから、その記憶が残っているのだろうと思うようになっていた。


 ある時、何故か口ずさむことのできた碣石調『幽蘭』を、鼻歌のように歌っていると、それが姫君の耳に留まった。


 姫君はやはりこの子には才能があると思った。やはり三位殿の子なのだと。


 謀反に関わりたくなかったから、少年を弟子にしたくなかったのだが、宿命を思った。この子を琴人にしなければならない、天命だと。


 もし、この子が琴をやりたいと言ったら、やらせるしかないと決意した。


 少年は琴がやりたかった。やりたいか問われて、満面の笑みで、はいと答えた。


 それで姫君は、三位殿の才能受け継ぐこの少年を弟子とし、その後継者と定めたのである。


 こうして、今日まで敏平は讃岐の子として、清花の姫君の琴の後継者として、生きてきたわけであった。





──


 讃岐の長い告白に、敏平は言葉もない。


「そういうこと故、御身のお命は毘沙王丸という幼い命の犠牲の上にあるのです。御身の身代わりになって死んだ毘沙王丸、その母で御身の乳母の弁の君。この二人の死を、無意味なものにしてはなりません。これで、御身が死ぬことを許されぬ身であるという理由が、おわかり頂けたかと存じます」


「……はい……」


「お辛いでしょう。尼公とのこと、また、尼公へのおん思い。死にたくなるのはよくわかります。でも、どんなことがあっても、御身は死んではいけない。六歳で死ぬ筈だった御身は生き長らえ、今日まで生きる筈だった毘沙王丸が死んだのですから。毘沙王丸の分も生きなくては、毘沙王丸に悪いでしょう?毘沙王丸のために生きて下さい」


 くどい程に讃岐は念を押す。


 讃岐の上にも、犠牲は生じていた。実の子のことだ。敏平を育てるため、腹を痛めた我が子を兄の隠し子と偽り、同輩であった兵衛に預けた。兵衛の義弟となった我が子と、母子の名乗りもできぬままに今日まで……今、師経とて太政大臣家に仕える彼と、対面も果たせず。


「……松寿も哀れです」


「よいのです。あの子のことは」


「よくありませんよ。今、太政大臣家に仕えていますが、どういう経緯でそうなったのですか?」


 讃岐は再び話し始めた。その話を聞いて、敏平は友に会わせる顔がないと思った。


 師経──松寿は、讃岐の実の子・菖蒲王丸である。それを、兄の隠し子の松寿として、兵衛に預けた。


 兵衛の父・政所有時は、子は娘一人しかなかった。男子を欲し、方々に養子を探していた時。松寿の話が舞い込んできたのだ。有時は喜んで松寿を養子にした。


 松寿が有時に貰われて、一安心していた讃岐だったが、ある時、ひょんなことから松寿と菖蒲王丸(青海波の君)が出会ってしまった。運命なのだろう。二人の童子は、互いに惹かれ合うものがあった。すぐに意気投合し、無二の友となってしまった。


 二人が頻繁に会うと、ふとした会話の端々などから、真実がわかってしまうかもしれない。焦った讃岐は清花の姫君に相談した。


 だが、もう姫君一人では抱えきれない問題だった。


 姫君は全てを兄君の右大将殿に告白した。


 その直後、讃岐は右大将殿に、松寿の身の処し方を相談した。


 右大将殿は彼女の憂いを理解した。すぐに兵衛に命じて、松寿を山門に入れさせた。


 兵衛は驚いた。何故、弟を寺に入れなければならないのか。しかも、ただ稚児とするだけではなくて、将来は僧にするのが目的である。


 兵衛は悲しんだが、主命には逆らえないので、松寿は山門に入ったのだった。


 右大将殿は心ではこの義姉弟を哀れに思っていたのである。いつしか兵衛を寵愛するようになり、家女房でありながら、やがて彼女は右大将殿の若君を産むのである。


 右大将殿はそうやって罪滅ぼししたが、清花の姫君の方はとても苦しんだ。姫君は、このまま松寿が僧侶になってしまうのでは可哀想だと思った。


 そこで、姫君は母君の二位殿へ遺言した。


「どうか松寿を俗世に戻してあげて下さい。兄君には内緒で。得度はさせず、理髪させて、どこか当家よりもよき家で働けるようにしてあげて下さい」


 二位殿はその遺言を守った。


 やがて松寿が十五歳になった時、元服させ、名を師経と改めさせた。そして、師経を太政大臣俊久公家の家司に推挙したのである。


「そうでしたか」


 敏平は友の身を思った。


 いや、毘沙王丸を。時憲を。そして、亡き清花の姫君を。


 敏平の命は、何と沢山の人の手により支えられていることか。


 毘沙王丸は──!


 時憲は。今、どこでどうしているのだろう。


 そして、亡き姫君。


 敏平を勅勘の人の子と知りながら、琴を教えてくれた。いつも優しく、美しい微笑みで敏平を包んでくれた。


 亡くなる間際の灌頂伝業の儀の執念も、思えば敏平が三位殿の子であったからなのだ。


 姫君は命をかけて敏平を一人前にしてくれた。


 毘沙王丸も命をかけて、いや、命そのものを敏平にくれた。


 讃岐は本当の母親の愛で育ててくれた。紛れもなく、彼女こそ彼の母。


 だが、それで犠牲となった母の実子の師経が、敏平の親友とは。


 度々彼とは顔を合わせるが、今後どんな顔して友に相対したらよいのか。


 そして、可哀想な毘沙王丸。


 申し訳ないと、何度も合掌した。これからは、彼の供養のためにも、精一杯生きよう。

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