ディーデリヒの罪、あるいはクラウディアの愛
「死が僕達の愛を赦してくれる。君に誓おう、クラウディア。肉の器と血の呪縛から解放された時、僕達は永遠の愛を手に入れると」
「死はわたくし達にとって福音となるでしょう。貴方に誓うわ、ディーデリヒ。穢れた一族が破滅を迎えた今、わたくし達は魂の楽園に赴く最初の恋人になることを」
食堂に転がる屍には目もくれず、クラウディアとディーデリヒは静かに見つめ合う。使用人は全員帰しているから、無粋な第三者に邪魔される心配はない。
婚礼の衣装を纏った二人は誓約のキスを交わした。くすくすとクラウディアが笑う。
「夢みたい。ディーと結ばれる日が来るなんて。こんな幸せなことがあっていいのかしら」
「この程度で満足しないでくれよ。言ったよね、世界で一番幸福な花嫁さんにしてあげるって」
華奢な体躯を抱きしめる。クラウディアは無防備にもディーデリヒに身体を預けた。
自分は、紛れもなくエーデルロートの人間だ。愛しい人に半分でも同じ血が流れていることを喜んでいるし、先祖と同様に身内の中から最愛を見出してしまったのだから。
それが罪だとはわかっている。けれどディーデリヒは、クラウディアを愛すると決めた。クラウディアがディーデリヒを許し、求め、愛してくれるというのなら、ディーデリヒもその覚悟に応えなければ何もかもが嘘になるからだ。
「踊りましょう、ディーデリヒ。本当は、わたくしもずっと踊ってみたかったの。今日ぐらいはいいでしょう?」
「わかったよ。転ばないよう、僕がエスコートしてあげる」
手を取ると、クラウディアは嬉しそうに鼻歌を口ずさむ。今この瞬間の二人がいるのは、苦悶を浮かべた死体が並ぶ食堂ではない。優美な旋律に包まれた、きらびやかなダンスホールだ。
体の弱い彼女は、これまでろくに社交もできなかった。舞踏会に出席できても、すぐに体調を崩してしまう。体調に問題がない日でも、体力が足りずろくに踊ることができなかった。
けれど、もうそんな心配はない。これから自分達は、肉体を超越した死後の世界へ向かうのだから。
クラウディアのペースに合わせ、ゆっくりとリードしたかいがあった。クラウディアは初めて一曲踊り切ることができたのだ。
表情が喜色に満ちたのも束の間、クラウディアが咳き込みはじめる。最初は抑えたように小さなものだったそれは、だんだん大きく激しくなっていった。
「クラウディア!」
「……大丈夫よ、ディーデリヒ。不自由すぎるこの身体にも、もう悩まされることがないのだから。最後の別れと思えば、この程度どうということもないわ」
繰り返されるクラウディアの呼吸は荒く、手はわずかに震えている。それでもクラウディアは気丈に微笑んだ。
静まり返った屋敷に、一発の銃声が響いた。アドルフが自害したのだろう。
次は自分達の番だ。ディーデリヒは、用意していたワイングラスに手を伸ばした。
「さあ、口を開けて。僕もすぐにいくからね」
クラウディアを支え、その口元にワイングラスを寄せる。ディーデリヒの助けを借りて、クラウディアはゆっくりとグラスの中身を飲み干していく。
空のワイングラスを置き、ディーデリヒも自分のグラスを取った。これは招待客達の食事に混ぜたものに似ているが、それより強くて効きも早い毒だ。確実に、かつ迅速に死ねるだろう。
「愛しているわ、ディーデリヒ」
「僕もだよ、クラウディア」
毒は、弱ったクラウディアの身体にすぐ回るだろう。勿忘草色の瞳の焦点はすでに定まっていない。それでもクラウディアは、ディーデリヒに向けて手を伸ばした。
「わたくしを……花嫁さんに、選んでくれて……あり……が……」
熱を失ったクラウディアを強く抱きしめ、ワインを呷る。
ディーデリヒの手を離れたグラスは床に落ちて割れ、そのすぐ後にディーデリヒとクラウディアは崩れ落ちた。二人の表情は、この場にいる誰よりも安らかなものだった。
この夜の惨劇はエーデルロート一族虐殺事件と呼ばれ、後の世にも語り継がれていく。
現場に残された遺書から、事件は当代の当主アドルフ・フォン・エーデルロートの復讐劇と断定された。虎視眈々と復讐の機会をうかがっていた彼は、娘の誕生日にかこつけてこのおぞましい大量殺人を実行したのだ。
事件の前にアドルフが身辺整理を行っていたこともあり、遺書を疑う余地もない。捜査はすぐに終了した。使用人も何も知らされていなかったとして、疑われることはなかった。
検視官は、現場に残されたエーデルロート家の人間の多くに似通った身体的特徴が見られたことに疑問を抱いた。だが、犯された禁忌を察した宮廷の重鎮によってその事実は揉み消された。
犠牲者の死体はそのまま埋葬されたが、そのほとんどが後世の戦乱で損なわれたり紛失したりしたため、科学の発展を経ても再度の調査などは行われなかった。
――――罪と知りながらも望んで破滅の道を歩んだ彼らの愛は、嘘で守られたまま誰にも踏み荒らされることはない。