第十四話
―――王宮を出て二時間弱、少しずつ夕暮れに近づきそろそろ陽が落ち始めてもおかしくない時間に、私達は目的の場所に辿り着いた。
『王の試練』はセイクリッド王家が建国当時から所有し管轄している原生林で行われるようだった。小高い丘の上に広がるその森林は、まるでそこだけ別世界のように鬱蒼と木々が生えており、外側から見てもその深さ暗さは窺い知れた。その入り口は、まるで外界から隔離するかのような高い門によって閉ざされている。
しかし、現在封印を解かれているその門はわずかに開いており、つい最近この門を潜った存在がいることを知らしめている。
門の側で、アレクス殿下とエリック、そしてマティアス殿下のものと思われる馬が繋がれていた。3人がこの森に入って行ったのは間違いないようだ。
複雑に木々が生え入り組んでいる森の様相を見て、入るのは危険だということはさすがの私達でも理解出来た。アレクス殿下達が戻って来るのを待つ?どれくらい待つかは分からなくても―――。
そんな風に私が考え込んでいた時―――、
「エメセシル!」
森の奥から焦ったような表情で、駆けながら出て来た人物がいた。
「アレクス様!」
エメセシル様が弾かれたように表情を明るくさせた。アレクス殿下はエメセシル様の姿を認めて、走る速度を上げた。
「ルーシア!」
「エリック!」
走って来るアレクス様の後方に姿を見せた、夫の無事を確認して私もホッと胸を撫でおろす。エリックは門の見える場所まで来て安心したのか、息を整えるように歩く速度を落とした。
小走りに門に向かって駆けるエメセシル様よりもよほど速く外側に走って来たアレクス殿下が、その勢いのままエメセシル様を抱きしめた。
―――が、加減を知らないのか、小柄な姫様の背中が隠れて見えなくなるくらい覆いかぶさって抱きすくめている。エメセシル様がアレクス殿下の腕の中で苦しそうに身じろぎをした。
「エメセシル、何故こんなところまで追って来たんだ!危ないことをするんじゃない」
「……ア、アレクス様、放して下さい、ルーシア達が見ています!」
「それがどうした、俺は気にしない」
「私は気にします!」
いつもの様子で人の話など聞きはしないアレクス殿下はやりたい放題で、姫様をぎゅうと抱きしめたままだ。もがきながら、くぐもった声で姫様が必死に抗議する。異性に抱きしめられたことなどない姫様は、アレクス殿下の唐突な行動にすっかり出鼻を挫かれ、小さな悲鳴を何度も上げながらバタバタもがいている。
……えっと、これはどういう展開なの?
私はあまりの光景に、目を点にしてあっけに取られていた。私の視線の先で、エリックも同じような表情をして口をぽかんと開けている。
「……もう!!!いい加減にして下さい、アレクス様!!!」
ついに、大声をあげて耳まで真っ赤になったエメセシル様が力一杯アレクス殿下の胸を押して、その拘束から逃れた。
「アレクス様、私は怒っているのです!!昨日のことも、今日私に内緒で危険な場所に行っていることも!!あなたは私の婚約者だと言う自覚はあるのですか!?」
すっかり取り乱し、冷静さを失ったエメセシル様は涙目で怒りを爆発させた。しかし、エメセシル様の言われることはごもっともである。さしものアレクス殿下も、エメセシル様の剣幕に体を仰け反らせ、目を瞬かせた。
「す、すまない」
「そもそもアレクス様は自分勝手すぎるんです!いつもアレクス様はご自分の頭の中で物事を解決してしまって私には一つも教えて下さらないから、私が今回のことでどれだけヤキモキしたか、分かっていらっしゃいます!?」
「め、面目ない」
「その上マティアス様が試練を受けていらっしゃるのに、それに水を差すなんて何を考えていらっしゃるんですの!?試練というのは、厳正に行われるべきものですわ!!」
「……エ、エメセシル、それには俺なりの考えが……」
「言い訳は認めませんわ!!そもそもご自分もセイクリッドの王位継承者第二位だという自覚はありますの!?もしマティアス様に万一のことがあれば、あなたがセイクリッド王位を継がないといけないのに、どうして同じタイミングで危険な場所に行かれますの!?ご自分がセイクリッドの情勢を不安定にさせていることに気付いていらっしゃいます!?」
一気にまくし立てるエメセシル様の勢いに、アレクス殿下は完全に呑まれていた。……すごい、姫様がここまで声を荒げるところなんて、初めて見たわ。
今や姫様がアレクス殿下の胸倉を掴んで、引っ張り込んだ殿下の顔面すれすれという距離で叱り飛ばしていた。アレクス殿下は目を白黒させて姫様にされるがままになっている。
「今回のことで、よぅく分かりましたわ!アレクス様は統治者に向いていません!!やることが破天荒すぎますもの、あなたの気まぐれに巻き込まれる国民の方が可哀そうだわ!!」
「……!エメセシル……!ま、まさか……!!」
エメセシル様の一際はっきりと響いた声に、アレクス殿下の顔が傍目にも分かるくらい一気に血の気が引いた。エメセシル様の目が細められ、すっと真顔になる。
ま、まさかエメセシル様、アレクス殿下にとうとう三行半を突きつけるおつもりじゃ……!緊迫した空気に、私が戦慄した瞬間―――。
「―――だから、セイクリッドの王位は放棄して、アルカディアに婿に来て下さい。私が、アレクス様をきちんと監督して差し上げますわ」
そう告げたエメセシル様が、アレクス殿下の服の前を掴んでいた手を離し、両手を伸ばしてその首に抱きついた。
「…………エメセシル」
呆然とした声で、アレクス殿下が小さく呟いた。硬直したまま、立ち尽くし、そして―――
―――爆笑した。
「……っ……っふはははははっ……エメセシル!やはりお前は良い女だな!!さすがは俺が惚れた女だ!!俺を叱り飛ばせる人間はこの世にお前だけだ!!俺は喜んでお前に管理されよう!!」
そう言うと、アレクス殿下はエメセシル様の体が地面から浮き上がるくらい強く姫様を抱きすくめた。姫様からまた小さな悲鳴が上がる。あの表情の少ないアレクス殿下とは思えないくらい、嬉しそうな満面の笑みだった。今にも姫様を抱かかえたままクルクル回りだしそうなほど、喜びを爆発させている。
その過剰な反応に、エメセシル様はまた顔を赤らめばたばたと体を動かして抗議するが、今度はアレクス様も大人しく一度力を緩め、また大事そうに姫様を抱きしめた。
エメセシル様の肩に自分の額を押し付けるように身を屈めたアレクス殿下に、エメセシル様はそっとその頭を撫でた。
「……エメセシル、俺の一生をお前に捧げると誓う。だから、俺にもお前の愛情をくれ」
「……アレクス様、私の心はとっくにあなたに持って行かれてしまっていますわ。お兄様を看取ったあの日からずっと……」
アレクス殿下の真剣な誓いの言葉に、今にも泣きそうな切なげな口調で、エメセシル様は囁き返した。
一気に甘くなったその場の空気に、私とエリックは居たたまれない気持ちになった。こそこそと門の外に出て来たエリックが、私の方に忍び足で歩み寄って来た。
私はエリックの無事な姿を確認して安心し、その腕に自分の腕を絡ませた。エリックも私に応えるように微笑んで、私の腕を強く引き寄せてくれる。
良かった、エメセシル様とアレクス殿下の気持が通じ合って、丸く収まった。私とエリックはそのことに、言葉にせずに微笑み合う。さあ、これで一件落着、と思った時―――。
アレクス殿下がエメセシル様を抱きしめていた手の一方を、姫様の顎にかけ、くいとその顔を傾けた。見てはいけないものを見てしまう、と私とエリックが慌てて目を背けようとすると
―――パシッという小気味良い音が響いた。かと思うと、エメセシル様の小さな手の平がすんでのところでアレクス殿下の口を塞いで、口づけを防いでいるのが見えた。
「アレクス様……?まだ私達は婚姻前ですから、清く正しい関係でいましょうね?」
見る者の心を溶かしてしまいそうに、可憐で愛らしい微笑みを浮かべながら、しかしエメセシル様は確固とした口ぶりで告げた。
口を塞がれたままのアレクス殿下の顔に、何とも酸っぱい表情が広がった。……ちょっとだけ、胸がすく思いだった。
―――あの後、すぐに日が暮れたため、今日中にセイクリッド王都に戻ることを私達は断念し、王家の森の入り口近くで天幕を張り野営することになった。
アレクス殿下とエリックが前もって持参していた、携帯食料で夕食を済ませ、私とエリックで全員分の寝床の準備をする。
エメセシル様とアレクス殿下は、焚火の側で寄り添い合っていた。
屋外での寝泊まりに、エメセシル様は子供のようにはしゃぎ、すっかりご機嫌だった。そんなエメセシル様をアレクス殿下がさも愛おしそうに、優しいまなざしで見つめている。
小高い丘に位置するこの場所は、前方にある王家の森を除けば、周囲を見渡せる大絶景だ。どこまでも伸びた緑地を晴れ渡る満天の星空が覆っていた。
「アレクス様、あの星がお見えになる?」
「……あれか?」
エメセシル様の明るい声が、澄んだ空気に良く響いた。アレクス殿下は、エメセシル様の小さな手が指さした方向を目を凝らして見つめているようだ。
「あれは、道しるべ星と言うのですよ。あの星は、常にあの場所にあって、旅人が迷わないように道を指し示してくれているのです」
「……俺にとってのお前のようだな」
「……アレクス様!……それは私が今、言おうとしていたことです。どうして先に言っておしまいになるの?」
……ああ、駄目だ。甘すぎる空気に、私達の方が照れてしまう。
私とエリックは何とも気まずい心境で、お互いに目くばせをし合った後、こっそりと毛布を片手にその場を離れた。
「ほら、ルーシア」
「……ありがとう」
私はエリックが淹れてくれたお茶を両手で受け取りながら、近くに転がっていた丸太に腰を掛けた。エリックも同じように私の隣に腰掛け、一つの毛布に二人で包まる。私はエリックの肩に頭を預け、しばらくその心地を確かめるように目を瞑った。
しばらくしてから受け取ったお茶を一口啜り、ほぅっと息を吐きながら遠くの景色を眺める。空気は澄み渡り、くっきりと無数の星を見渡せる。
「空の星が綺麗ね」
私が何気なく呟いた言葉に、エリックが頷いた。空を仰いだ彼が、次に繰り出した返事に、私は衝撃を受けた。
「ああ……まるで流星群が降った日のようだな」
「……!!!エ、エリック、知ってたの……!?」
ぎょっとした私に振り返ったエリックが、呆れを含んだいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「……お前達は全然気付いていなかったようだけど、お前とエメセシル様がお忍びに出掛けられる度に俺達の誰かが後ろで警護していたんだぞ」
「………き、気付かなかった……」
私は絶句した。本当に、エリックには何でもお見通しらしい。
驚きすぎて固まっている私に、エリックは苦笑しながら自分のお茶を軽く啜った。そしてまた、ぽつりと呟いた。
「……良かったよな。お二人の気持ちが通じ合って」
「……本当ね。あんなに嬉しそうにはしゃぐ姫様を久しぶりに見たわ」
「俺達もこれで安心出来るな」
「でもこれから、お二人に見せつけられることになりそうね」
私が苦笑いをしながら呟くと、エリックが澄ました顔をしてふいに私の耳にかかっていた髪を掻き上げた。
「……俺達も見せつけてやればいい」
低いかすれた声が耳朶を甘くくすぐり、全身をぞくっと何とも言えない感覚が走った。
「ちょっ……エリック!こ、ここは外よ……!!」
私は驚いて、身を仰け反らせるもエリックの手が私の頬に添えられて、逃げられない。
間近に寄って来た青灰の瞳に、ドキドキしながら目を瞑った瞬間―――。
「―――ルーシア!!どこにいるの!?!?」
というエメセシル様の大声に、私はびくっと背筋を伸ばし、ほぼ同時にエリックの体を突き飛ばした。私に押し飛ばされたエリックは、大きな音を立てて丸太からずり落ちた。地面に落ちた二人のカップが盛大な音を立てる。
「ひ、姫様!?どうされました!?!?」
「やっぱりアレクス様は私の手には負えない勝手な人だわ!!」
慌ててエメセシル様のところに戻ると、肩を怒らせたエメセシル様の背後に、お茶をかけられて額に前髪を張りつかせ憮然とした表情をしたアレクス殿下が尻もちをついていた。
どうやら、手の早い王子様がさっきの言いつけを早速破ろうとして、返り討ちにあったようだ。こんな短時間ですぐに悪さをしようとするなんて……まったく油断も隙もありはしない。
純粋培養のエメセシル様に気軽に手を出してもらっては困る。しっかりアレクス殿下の魔の手からお守りしなければ、と私は心に誓った。




