一節ブレイル・ホワイトスター9
男が目に映った刹那。
ブレイルは考えるよりも前に手を動かす。
聖剣を鞘ごと背から抜いて、力いっぱい握りしめ。振り上げる。
そして。
最初に目に入った男へと容赦なく、聖剣を振り下ろした――。
「――」
「――!!」
がきん――!
金属同士がぶつかる音。
ひどく驚き、愕然としたのは、ブレイル自身。
当たり前だ。
刀身は使わず、気絶する程度に、力を抑えてはいたが。
彼なりの渾身の一撃を、それも重量のある聖剣の一撃を
――……ただのナイフ一本で、受け止められたのだから。
思わず自身より大柄な、その男を見上げる。
此方を見下ろすのは、鋭く、冷たい黒い目。
辺りに冷たい風が吹く。背筋がゾクりとするほどの冷たい空気。
その殺気に、ブレイルは顔を青ざめさせ、後ろへの道へ飛びのく。
「………お前、なんだ?」
飛びのいた瞬間に、低く静かな声が響いた。
まだ、殺気は収まらない。
額に冷や汗が流れるのが分かる。油断は絶対に出来ない。
ブレイルは恐る恐ると、その人物を見上げる。
1mほど先。
其処に立っていたのは、一人の見知らぬ男だ。
よくよく見れば、先ほど見かけた男達の中に、彼は居なかった。別の男だ。
黒い髪。鋭い眼光で、何処までも黒い瞳。
黒いコートに黒いシャツとジーンズ。頭から足先まで黒染まり。
歳の程は、30程か。年相応の、男らしく整った顔立ち。
背丈は、2mはあるんじゃないかと言う高身長で。
身体はバランスよく鍛えられているのが服の上からでも良く分かる。
思わず、羨ましいと思えてしまう程の、体格を持った美丈夫。
ブレイルは、息を詰まらせる。
この男に自分の一撃が止められたのか?
ただのナイフ一本で。しかも、ほぼ不意を突いた形だと言うのに。
この男は、誰だ?さっきの男たちは?
嫌、よくよくとあたりを見渡せば、男の足元には数人の男たちが倒れている。
紛れもなく、”少女”を追いかけていった先ほどの男たちだ。
死んでいるのか?この男がやったのか?
――ちがう。それよりも………。
目の前のこの男、その雰囲気から全てが、あの“少女”に――。
「………」
「!」
――ひょこり。
そんな効果音が似合う程。
頭からローブを深くかぶった、“彼女”が男の陰から出て来たのは、その瞬間だった。
昨日と変わらない。顔は見えないが、黒い髪と白い肌が僅かに見える。背の高いあの“純粋な少女”。
少しの驚きの後、ブレイルは思わず安堵の笑みを浮かべた。
「よかった…」
思わず声が漏れる。しかし直ぐに我に返る。
理解したのだ、この男。どうやら“彼女”を助けたのだと。
良く見れば、男たちは生きている様だし。つまり、ブレイルの早とちり。
慌てたように“少女”から目を逸らすと。
目険しい顔で冷たい視線を送る、目の前の男を見上げ、慌てて頭を下げる。
「わ、悪い!!あんたを攻撃しようとしたつもりは無かったんだ!たださっき、その子を追って、そこの男たちが路地に入っていくのが見えて!」
「………知り合いか?」
ブレイルの必死な言い訳を前に、男はチラリと後ろの“少女”を見た。
顔も見えないローブの奥、”少女”は小さく頷く。
「……昨日、来た人……です」
彼女の言葉に少し安堵する。彼女もどうやら、自分の事を覚えていてくれたらしい。
“彼女”の言葉に黒い男は、小さく息をついてナイフを収めた。漸く殺気が消える。
その様子に、ブレイルも釣られる様に聖剣を差し直す。
「……お前、容赦なく殴りかかって来たな。この男たちが、このガキの知り合いだとか思いもしなかったのか?」
そんなブレイルに、男から冷たい声が駆けられたのだが。
思わず、ブレイルは息を呑む。「確かに」と――。
男達に追いかけられる彼女を見かけて。
思わず助けなければと、ただその思いだけで追いかけて来たが。男の言った事までは考えていなかった。
ただ、見知った“少女”が、一人の女の子が危険だと思い、何も考えずに行動しただけ。
「なるほど、考えなしの直情型か。ただ、思い付いたままに周りを巻き込み行動し、結果良ければ良い、実に迷惑だ。――『他世界』にはこんなバカがいるのか。……まあ、いいか」
更にぐさりと、男の一言。
反対に男の方は、途端にブレイルから興味が無くなったらしい。
男は後ろの少女へ視線を向けると、何事も無かったように歩き出した。ブレイルの隣を男が過ぎ去っていき、“少女”も静かにそれに続く。
「え?あ、まて!!
ああ、そこでだ。ブレイルは何かに気づいたように、我に返ったように男に声を掛けたのは。
だって、今この男は、あまりに重要な言葉を口にしたから。
男は立ち止まる。相変わらず、何の感情も無い眼がブレイルを映す。まるで、用が有るなら、さっさと言えと言わんばかりに。
「あ…お、おまえさ、今『他世界』って言ったよな!もしかして、お前も此処とは違う世界からやって来たのか!」
男の威圧に黙り込んでしまいそうになるものの、ブレイル問いかける。
ブレイルの問いに、少しして男は口を開いた。
「……お前、名前は?」
「!ぶ、ブレイルだ!ブレイル・ホワイトスター!」
名を問われて思わず、名乗る。
男はブレイルを静かに見つめ
「やはり知らんな」
と一言。しかし、その後に男は続ける。
「――俺も此処ではお前と同じ『異世界人』とやらだ。どうやら、元住んで居た世界は違うようだが。……同じ立場だ。これぐらいは教えてやる」
「!!」
ブレイルは驚くしかなかった。
まさか、ここで別の『異世界人』と会おうとは。
しかも自分達とは更に『別の世界』の住人だと、この男は言ったのだ。
いや、エルシューは色んな『世界』から、人間を連れてきていたと断言済みだから。あり得ない話ではない。ならばと、ブレイルは男の隣の“少女”をみる。
「じゃあ、その子はお前の仲間か?」
「……違う。こいつは“此処の世界”の住人だ。借りがあるし、見ての通りガキなんで俺が面倒を見ている」
「そ、そうなんだ…」
意外と言うと失礼だが、男は素直に答えてくれた。
結果的にブレイルの先ほどの行動は、完全に男からも“少女”からも迷惑な行動であった可能性が高まったが。
思わず二人から目をそらすブレイルに、男は静かに口を開いた。
「答えてやった代りに“生命の神”とやらに伝えておけ、俺はお前に手を貸す気はない。むしろ勝手に巻き込まれた。腹が立って仕方がない。お前の全てに興味も何もない………とな」
「は?」
逸らしていた視線を男に向ける。
男の方はもうブレイルを見ていなかった。
嫌でもわかる。この男はかなり強い。
そして、自身と同じように“世界”を救って欲しいと、エルシューに連れて来られたのだろう。
だと言うのに、目の前の男は「手を貸す気はない」と、そう言った。
それは世界を救う気はない、この世界の住人を助ける気はないと言う事だ。
この世界の人が困っているのに、何て奴だ。
そう思ったが、しかし言い返すことは出来ない。
その判断を否定できる立場では無い事を、ブレイルも自信で理解している。少なくとも今はまだ。
ブレイルは、悪の元凶に会って対処を決めると決断したが、中途半端な答えでしかない。
だから、ブレイルはまだ何も言い返せない。
「……分かった。言っておく。あんたの名前は?」
本当に言いたい言葉をぐっと堪えて、承諾と共に最後にブレイルは男に問いかける。
男はブレイルに視線を向けないままに静かに答えた。
「………アドニス」
ただ、その一言。
それだけを口にして、アドニス。そう名乗った男は。再び歩みを進める。
その後ろを“少女”が着いていく。彼女もチラリとも此方を見ることも無かった。
ブレイルからも、もう何も問いかける事も、止める事も出来ず、その様子を見送るだけ。
二人が路地から消えて、ブレイルは息を付く。
正直、衝撃が大きすぎた。
別の『異世界人』に出会ったからじゃない。
あのアドニスと名乗った男。正体不明のあの男
その底知れない強さに、あの目の奥に感じる、不穏などす黒さに、油断が出来なかったのだ。
いや、これでも旅をつづけた勇者だ。あの正体は嫌でも察しがついた。
あの眼、あの殺気が籠った何処までも黒い闇の様な眼。
……アレは「暗殺者」の眼だ。
おそらくかなり手練れ。ブレイルからすれば苦手な人種。
それどころか、ブレイルの世界で対峙してきた、暗殺者とあまりに格が違う。
悔しいが、率直に言う。――あの男は自分より強い。
『異世界』には、あんな存在がいるのかとゾッとしたのだ。
そして、もう一つ。こちらは僅かな不安。
そんな男の側にいる、あの純粋な“少女”
あんな男の側に、何故あの“少女”はいるのか。
アドニスは「借りがあるので面倒を見ている」と言っていたが、あの男の側にいると言うだけで、不安が押し寄せてくる。
ただ彼が、“彼女”を守っているのは確かなのだろう。
周りの倒れている男が証拠。
もやもやした気持ちはありつつも、そうやって納得するしかできなかった。
取り敢えず、一人になった路地裏で、今やるべきことを考える。
嫌でも目に入るのは倒れる男たち。
婦女暴行……未遂の連中達だが、だからこそと言うべきか、ここで放っておく訳にもいかない。
「――仕方がねぇな……。ここ、警備とかいるのか?」
そうポツリと呟いて。
ブレイルは3人の男たちに手を伸ばし、見事軽々と持ち上げると、路地から去って行くのであった。
『――勇者は出会った!』