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王子 2
最終話となります
R15は保険です
王子からの呼び出しと聞いて、嫌な予感がした。経験則からして、こうした勘はほぼ当たる。
気がすすまぬながらも一刻後に王子の執務室を訪ねると、果たしてアウレリア嬢との婚約を解消するため魔石の記録を差し出すよう迫られた。そんなものがなくとも、王子が一言辞めると告げれば済む話だ。小賢しい女狐を妾に据えることだとて造作もない。
「確かに10年前に殿下の命を受け、アウレリア様には影を付けておりますから、その時分より記録はございます。
しかし、今回の件については事実が必要でしょうか?
アウレリア様を退け、愛しいと思われているインディウィア様をお迎えになるなら、正式な手順さえ踏めば問題はないでしょう」
「勿論そうするつもりだが、インディウィアの名誉を回復し、彼女のみならず領民や学友を傷つけたアウレリアを罰したい。
罪を詳らかにせねば裁けないだろう。だからその証拠たる真実が必要なのだ」
諌めても、王子は退かなかった。それらしい理屈を捏ねて、頑なに食い下がる。学園でアウレリア嬢に向けていた眼差しといい、心の奥底では変わってはいないのかと苦く思う。
「…殿下の求められる真実がどのようなものかは私にはわかりかねますが、私ども影は意図や主観を交えることは許されておりません。ただ、王家の下す命に従い、魔石に事実を記録し、それをお見せするだけにございます」
焦れた王子から叱責が飛ぶ。
「その事実こそが真実ではないか。くどい、早く見せろ」
「...承知いたしました」
彼は認めることが出来るだろうか。望みが薄いと気づきながら、私は繰り返された命令に首肯せざるを得なかった。
「こ、れは、どういう、こと、だ?」
記録を見終えた王子は、血の気が失せた顔色をして、呂律もまわっていなかった。インディウィア嬢が演技上手だったか、それともアウレリア嬢がために目が曇ったか。おそらく後者であろう。
「殿下がお求めになられました、ここ三年間のアウレリア様の周囲で起きた事実でございます」
全てを映し終えた魔石を持ち上げ、保管箱に仕舞う。プレートに記載された年月と人物の名に間違いがないことを、私は今一度確かめた。
「話が違うではないか!」
従妹であるインディウィア嬢へのアウレリア嬢の陰湿な振る舞い、学園や社交界で噂されていた居丈高なアウレリア嬢による領民への残忍で非道な振る舞い。それらの種と思しき記録は確かにあった。ただ、行っていたのはインディウィア嬢であったが。
王子の叫びには謀った者への怒りと、見抜けなかった自身の不明さへの憤りが滲んでいる。苛立ちは私へも向けられた。
「なぜ、私に報告しなかった」
「命はアウレリア様の側にあり、守れとのことでしたので」
公爵位継承の一件以来、アウレリア嬢に関する情報は意図的に王子へは伏せられていた。長による判断だが、王の意向も透けて見える。
王子は私を叱責しかけたが、先ほどの魔石には収められていないアウレリア嬢の過去を知ることのほうが彼には重要なのだろう。唇を湿し、王子は訊ねてきた。
「…危険があったのか」
「前公爵家夫妻亡き後、公爵代理が領主館に居を移されてから、アウレリア様が学園寮に入られるまでの二年間は半年に数度、命を狙われておいででした」
「その周期はなんだ」
「冬から春にかけて、公爵代理は家族を連れて領地に滞在されます。
ご自分たちが遠方にいる間に王都に留め置かれたアウレリア様が亡き者となれば、疑いがかからないと考えられたようでございますね」
女を篭絡して爵位を掠めとることを繰り返していた小者の顔が思い浮かぶ。あの男は王命の重さを考えることもなく、代理という言葉の意味を知ろうともしない愚か者だ。土俵にすら立てないのに、アウレリア嬢を亡き者にすれば、自分に公爵位がころがりこむなど、どうすればそんな妄想を抱けるのか。しかも雇うのは場末の破落戸ばかりで、退けるのは易いが、使い捨てだから雇主の情報をもたず、尻尾が掴めないことに苛立たされた。
「当初は毒の手段も取られましたが、半年ほどで用いられなくなりました。
第三王子殿下の婚約者である侯爵令嬢が毒殺されかけた際の処分の苛烈さに恐れをなしたのでしょう」
四年程前に起きたその事件は、いまだ貴族達に恐怖の影を落としている。
力を持ちすぎた一公爵家とその派閥を王家は常々注視しており、相手方の一員である伯爵家の令嬢が件の令嬢を弑そうとしたのをこれ幸いと一気に畳みかけたのだ。首謀した伯爵家は断絶、主筋である公爵家は子爵へと大幅に爵位を下げた。
第三王子の婚約者が隣国の王家の血を引いていたことから、二国の王家の威信を回復するためには処分は苛烈でなければならないとされたが、何のことはない勢力図の書き換えが狙いだ。
婚約者の生家である侯爵家も危機管理が甘いとして叱責を受け、領地の一部返納と閑職への追放の処分が降ったが、ほとぼりが冷めたころに財務大臣を拝命していた。切れ者と呼ばれているのは、地位と引き換えに娘の命を売った男に過ぎない。身の程を弁えずに増長すれば、彼もまた潰されるだろう。
私が過去を振り返っていた僅かばかりの間に、王子の中では今後の筋書きを組み替え終えたらしい。
眉間を揉みながら、彼は新たな命を発した。
「公爵代理一家の関わった全ての犯罪を書面として提出せよ」
瞑目し、私は自分に問う。
守れるだろうか?
勝算は全く見えなかったが、それでもここで留めるしかないと胎を括った。様子を訝しんだ王子と、自分の目を合わせる。
「承りましてございますが、殿下はどうなさりたいのでしょうか。意図によって書くべきことが異なると存じます」
「決まっている。公爵代理一家と、そして使用人を断罪せねばならない」
またかと、舌打ちしたくなる。
王子は彼らを粛清するという。アウレリア嬢自身が公爵令嬢として彼らを処罰するならともかく、一貴族の家内の、一領内の出来事を王家が直接裁くなどありえない。
今は爵位も領地も王家が預かっているとはいえ、国土の一部を与え、自治を認めている者に対しての侮りであり、王家と臣下の間に亀裂を生じさせる行為に他ならない。
自省を促しても、王子は己が道理を捻じ曲げようとしていることに思い至らない。
「インディウィア様を愛しく思われているのでしょう?」
王子妃教育をうけてはいてもアウレリア嬢はただの婚約者にすぎない。小者の放った刺客は、その繋がりの証拠が掴めていない。折檻でつけられた鞭の傷も王妃に露見するのを危ぶんで、治癒術師によって消されてしまっている。
使用人たちにしても積極的に害したわけではなく、せいぜい働きが悪いというくらいでしかない。
露わにされるのはアウレリア公爵令嬢の身分を騙って領民を虐げ、王族に虚偽を申し立てていたインディウィア嬢の悪業だけだ。
あまり公にしては、妾として迎えるにしても障りがあると私が止めれば、王子は激高し、椅子を蹴って立ち上がった。
「馬鹿な!インディウィアは毒婦ではないか!」
思いを寄せかけていたはずの相手でも、罪人として切り捨てることを瞬時もためらわない。インディウィア嬢相手であれば、為政者として王子は正しく振舞えるのだ。
証拠だなんだと愚図愚図と思いきれずにいた王子がやっと重い腰をあげて、アウレリア嬢に対しても同じくするはずだったというのに。
「魔石をご覧になるまではその事実はご存知なかったではございませんか」
ままならない恨めしさが言葉にでてしまった。私の直戴な非難に王子は絶句していた。
「もう一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「…何だ」
「アウレリア様をどうなさるおつもりでしょうか?」
「もちろん、彼女を保護する。謂われなき悪評は正し、非のない彼女の尊厳を回復させる。婚約者として当然だ」
アウレリア嬢のこととなると、たちまち目の曇る王子に私はため息を吐いた。
記録されていた通り、彼女には謂われも、非もあったではないか。
彼女は、しようとはしなかった。自分の名を騙り、領民に無体を働くインディウィア嬢を罰することも。力及ばなかったことを詫び、再び同じ目に遭わせぬよう犠牲者達に約束することも。領地を統べる公爵家の令嬢でありながら、身内の非を正し、そこに暮らす民を守ろうとしなかったのだ。
「いずれ正妃としてお迎えになるおつもりでしょうか?」
公爵令嬢としての責務も果たせないアウレリア嬢を、やがて国を統べる王子の傍らに据えるというのか。屋敷で使用人達を従えられもせず、茶会一つ満足に開くこともできず、学園で派閥を作ることもできない、あの令嬢を。
非難を込めて私が見やれば、何事かを言いかけた王子の口が閉じた。そろそろと窺う目つきで、王子が見返してくる。
「…迎えるべきではないと言うのか」
私はあの令嬢の正体に気づいていた。
公爵夫妻の庇護下で、彼女が過ぎるほどの愛を受けていた頃から。窮状に陥っても、彼女が逃げ出そうとする素振りすら見せなかったその理由を。
あれは木偶だ。
教えられたとおりに寸分違わず振舞いはするが、自らの意思を持たない。愛玩する手を待つばかりの、氷細工の美神と誉めそやされる見目麗しいだけの人形だ。
公爵夫妻が生存していればまた違ったかもしれないが、あれの正体が王子に露見しなかったのは不幸でしかなかった。いくら恋慕おうと、心を持たぬ相手に情が通じるはずもない。
「怖れながら、お迎えになられたとして、殿下がアウレリア様と心通わせることは非常に困難ではないかと」
「どういう意味だ。はっきり言え」
アウレリア嬢の正体を私が告げたとして耳を貸すまい。王子自身が気付き、それを認めなければ意味がないのだ。
しかし、記録を見ても、都合よく事実を捻じ曲げてしまう王子を、今この場でそこまで持っていくのは難しいだろう。
とにかく、王子に諦めさせてしまえばいい、と割り切る。青臭くも抱えているであろう罪悪感を引きずり出して、抉る。
「アウレリア様は、全てに絶望しておいでです。忌憚なく申せば、インディウィア様と睦まじくなられた殿下に、アウレリア様が再び心寄せられるのは不可能かと推察いたします」
「それは、私が真実を知らず、毒婦に謀られたからで…」
真実を隠したのはインディウィア嬢だけではない、あの人形もだ。
公爵代理が公爵位の乗っ取りを企んでいることも。領地で従妹に名を騙られていることも。
当事者が何も語らぬままであったから、誰も真実を知りえなかったのだと、どうして王子は気づかないのか。
「アウレリア様はご自身の傍らに影があることをご存知でした。
そしてアウレリア様は殿下の心が離れていった事実を目の当たりにされております。
三年の間、事態は悪化の一途を辿っていたのに、掌を返したようにインディウィア様への気持ちはなく、アウレリア様を妃に迎えると言われて果たして信じられますでしょうか」
教えられたことをなぞることしかできないあの人形は、周囲にも、自分自身にも何一つ関心を持っていないのだ。向けられるものが溺愛であれ、憎悪であれ、アウレリア嬢は変わりなく、ただそこに在った。王宮にあがろうと、恐らくそれは変わらない。
「万が一、アウレリア様が殿下に心を寄せられたとしても、実はアウレリア様は自分を謀ってはいないかと殿下は疑いをお持ちになるのでは。やはりお二方が心を通わすのは茨の道と存じます」
短くはない沈黙の後、王子はようよう言葉を絞り出した。
「…どうすればいい」
諦めてほしい、あの人形を。
幼いころから努力を重ねてきたのは何のためであったのか、王子に思い出してほしい。
「殿下はどうなさりたいのですか?」
逡巡の後、王子は望みを口にした。
「あるべきものをあるべき姿に。正しきものは報われ、罪あるものは裁かれるべきだ」
理念を隠れ蓑にして、問題から目を逸らす王子に再びため息が漏れる。
正しかろうと、罪があろうと、関係がない。
あの人形が関わると、王子は容易に箍を外す。
賢君たろうと努力する顔は霧消して、真実から目を塞ぎ、諫言に耳を貸さず、態度を硬化させ、道理を捻じ曲げ、暴君の素質を顕す。
王子がそうした道を歩まぬようにするのが正妃の役目だが、人形には望むべくもない。屋敷や学園と同じように侮られ、孤立し、もしくは何者かの欲に襲われ、陥れられ、まさしく傀儡として操られれば重大な過失を犯す可能性は高い。いずれにせよ、王家の威信は失墜するだろう。
更に悪いことに、王子はあの人形を切り捨てられない。庇い、歪と知りながらも望む状況にするためには、法を曲げることすら王子はやってのけるだろう。
理不尽な執政を行う王から臣民は距離を置き、優秀なものは宮廷を去り、国に斜陽の影が差すことは想像に難くない。
あの人形は王子にとって毒でしかないのだ。
「それでも、殿下とアウレリア様の間の事実は覆りません」
「…やり直したい、アウレリアと」
これだけ言ってもまだ諦めぬ、あまりに強い王子の執着に眩暈がする。
「アウレリア様を憎んでいらっしゃるのでしょうに」
「…裏切られたと思ったのだ。
慕わしく懐いていて、幼い日に一生一緒にいようと約束した彼女が、気づいたら人のうわさに上るほどの悪女になっていて、そんなはずはないと信じようとする端から周りに覆されて。
だから、私の期待を裏切る彼女がだんだんと憎くなって。
でも、それはすべて嘘と謀略で、そして彼女は誰にも何も言えない状況に置かれていて…。
言おうとしても、言わせないような態度を自分はとっていて…。
いや、そうか、それでもアウレリアではなくインディウィアや周囲の言を私が取り上げた事実は覆らないのだな…」
語られる懺悔の大半は自身の咎ではないことはわかっているだろうに、あの人形を庇って王子はまたも事実を捻じ曲げていく。
呪いじみた執着から王子を解き放てないもどかしさが、私を急き立てる。
「アウレリア様が殿下に真心を返すことは、一生ないかもしれません。
あったとしても、気が遠くなるぐらいの時間を要するでしょう。
心が通いあっても、その絆は盤石にはならず、脆いままかもしれません。
お心に疑いが生まれる事態も、再び起こるかもしれません。
疲れ果てたときに、愛らしく優しいご令嬢が殿下をお慰めし、殿下の心が傾くかもしれません。
…ただ、一度手を差し伸べて、再び手を離せば、アウレリア様の心は今度こそ完膚無きまでに壊れるでしょう。
そんな危険を冒してまで、殿下はアウレリア様とやり直されたいですか。
傷つけた償いをされたいのであれば、他の形でもできるのではありませんか」
「…そなたが言う懸念は尤もだろう。
だが、それはすべて憶測に過ぎない。
真実は彼女に聞いてみなければわかるまい。
いや、信をほぼ失いかけている今、聞いたところで明かしてくれるはずもないだろうがな」
尚も言い募ろうとした私の口を、王子の眼差しが縫い留める。
「私は彼女を諦め切れない」
告げたその表情に、最早王子の決意は覆らぬのだと私は悟った。
あの人形をとり、彼は捨てたのだ。
幼いころから目指してきた、臣民を導き、国を支えるという夢を。
彼の努力を支えてきた臣下達を。
「大層身勝手な台詞でございますね」
無力感に打ちひしがれながら、やはり外れなかったかと己の勘の良さを嗤う。こんなことにばかり年の功があっても、何の意味もない。
主観を交えるという影の禁忌を侵しても、私は王子を救えなかった。
賢君になり得ただろう彼を戴き、変わらず歩みつづけられたであろう国の未来を守れなかった。
「…そうだな。ただ、あの頃と同じようにアウレリアの目をもう一度見て、声を聴きたい」
投げ打ったものの大きさに対して、王子の願いはささやかだ。
あの人形が、せめてそれを叶えるといい。
私は頭を垂れ、愚者となる道を選んだ青年の前を辞した。
おわり
終わりとなります。
ご覧いただき、ありがとうございました