第94話 Lethal その三
年寄ったつもりはなかったのだが、昔は我慢することが出来た小便をしたいという身体からの信号を、今はともすればそのまま垂れ流しそうになったなと、そんな自覚をした枢密院、ハロルド・カーギイカである。
儂の用心棒は今、向こうで王杖の第三席に怒られている。頭を下げてからも色々と言われてるようだから、ライムでの常識などを聞いておるのだろう。
そのピューが興味深げにサドンにしきりと話しかけている。王杖と話す機会などそうそうないから興奮するのはわかるが、お主は今、怒られているんじゃぞ。
ピューは時々怒られてるのにこの儂すら丸め込むことがあるからな。
油断できん。
さて、そのお目玉をいただいてるピューが星読みの塔の石床全体を見渡してはサドンに何事かを告げたようだ。するとサドンがおかしな挙動を見せた。何だその、ためになる話を聞かされてる感いっぱいの表情は。
お主はピューを叱っていたのではなかったか。
それともまたあやつか。
儂の用心棒、アーサー道場の練習生、ピュー・エイオリー。
あやつは儂にでも全く動じることなく賃金の改善を要求してくる肝の据わった男だから、まだ若いのに相当な根性というか、見所がある。これはもう、もう一人の用心棒であるサマースにも言えることなのじゃが、この用心棒二人は遠慮なく儂に意見する。その姿が時に頼もしくもあり、時に物を知らない厄介者でもあり、こちらで理を説く手間がかかる時もあるのじゃが、概ねうまいこといっておる。
この三人で国政会議に一石を投じられたのは望外の成果であった。おそらくあの場で儂は死に、その死をもってサーバという国が動き出すものと思っておったから、未だつづく命も、ここでこうして国難に当たれるのも、かの若者ふたりの力が大きいだろう。
サドンがそのような若者と語らって気持がよくなるのもわかる。
昔は儂もああいった感じでアートに意見したものじゃ。アートは煙たがっておったが…………、その代わり存分にアートのために働いてやったし、今もアートの王の代替わりの手伝いをしてるようなものじゃ。そういう点では儂の用心棒達は昔の儂にはいささか劣るかもしれないが、それでもピューとサマースも立派な働きをしておることは認めんことでもない。
そう――。
出荷できずに捨て去るキャベツの外側の葉っぱ一枚を追加で添えてやる程度には。
だが気がかりは王杖じゃ。王杖がそれでは少々マズイのではなかろうか。サドンはあっさりと怒った顔ではなくなっている。
魔法のことでも話してるのだろうか。結果的にその方がこの咒札の魔法陣からの解放がはやまるということは経験でわかるが、どうにも面白くない。
儂はこの場で同じ姿勢をずっと取り続けているというのに、ピューは雇い主の方を一顧だにせず、二人して向こうで話し込んでおる。このまま儂が腰痛にでもなったらどうするつもりじゃ。
「…………」
忌々しいが、ぎっくり腰なら光の回復魔法で治りそうな気もする。
話的にはそれで終わり。
肉体的にもそれで終わり、じゃろう。
じゃがこのもやもやは何じゃ。儂には納得いかんもやもやが残っておる。面白くないものは面白くない。どうにも面白くない。
しかしサドンは違うと思っておった。そもそもサドンは宗主国ライムの王の側近中の側近、王杖の第三席を任された股肱の臣であり、ライムの中枢にいる男じゃ。曲者揃いの王杖の中でも世事に長けた使い勝手のいい人物なので、ライムの王からの信頼も篤い。それだけにその王杖が初めて会った若者に、それも怒っていたはずのピューに対していつの間にか談笑しているその姿が儂には信じられん。
懐柔されたわけでもあるまい。
しかも二手に分かれて魔法陣を読み取りはじめおった。
なんというか、益々面白くない。
「サドンめ、儂の用心棒をこき使いだしおって」
その姿をジッと眺めやってると、そうじゃ、とピンと来た。
これで給金の一部をライムに肩代わりさせてやればいいのだ、と。
儂はそこに思い至った。
相談もなく雇い主の儂が無碍に扱われてもひと言も物申さず、こちらもそちらの好き勝手を見逃してるわけだし、後で内々に事務的な処理で済ませればよかろう。そう割と簡単に儂が肚を括れたのは、儂もそういう歳になったという事なのじゃろう。
すると儂の隣でじっとサドンを待ってるクレツキがつまらなそうにつぶやいた。
「敵対行為ですかね。怒られた程度で従順な振りをして最後には牙を剥くか」
フェンリル魔法士団の副団長は眼を鋭くして、何かを見極めようとしていた。
儂はクレツキの言のままにピューに目をやると、あやつ、何をとち狂ったか、指先に魔力ではなく魔法を灯しておった。この魔法が使えない状況となってる王都サーバで、魔法を排してる星読みの塔で、しかもよりにもよってサドンの最も得意な雷魔法で…………ある。
まあいい。あやつは色々とおかしい奴じゃ。
従者二人とも六属性持ちだし。
そういうこともあろう。
しかしそんな規模のものがサドンに通用するわけがなかろうが。逆にサドンの雷に一飲みされてお終いじゃ。
そう思ってる内に案の定サドンに一瞬で無効化されてしまっていた。
「最早これ以上は時間の無駄のようですな。ハロルド様、もう手を抜きましょう」
「いや、これはしかし」
「このままでは物事は動きません。その手を抜いたところで魔法陣も反応しませんよ」
確かに今は一切の魔力を流していない。というか止める動きをしていない。
だがそれは脈動した時から主導権がサドンとピューに移ったからではないかと思っている。儂の指先の下には今なお魔力が色濃く巡っており、魔法陣はしっかりと生きて流れておる。
「雇い主なら雇った者の責任は取るべきでしょう。王杖に殺意を向けたのですよ」
「あ」
それかと思った時にはクレツキによって儂の手は箱から抜かれていた。咒札の貼り付けてあった箱の底から、ねっとりしたハチミツが糸を引くような感触を伝えて来てた儂の指先だったが、その感触がどんどんか細くなり、やがて箱から完全に手を抜かれた時には伸びていたはずのねっとりした糸がぷつりと途切れた。儂が慌てて箱の中をのぞきこんだ時には、魔法陣に同化した咒札へとねばっこい魔力が落ちた。
ポトン。
着床すると同時だった。
青白い燐光が力強く溢れ出し、それは魔法陣全体へと連鎖的にひろがって行く。
◇
王杖の第三席が、オレの灯したプラズマのスパークに眼が釘付けになっている。
「試してもいいってことですよね」
「ええどうぞ。これで魔法陣の出力の最下限、陣組に魔力をただ通しただけの状態です」
陣を魂に刻んだわけではない再現召喚だが、位相をずらさず通常空間に出しているのでこれなら王杖でも当てられる。
「王子、感触としてはどうですか。風による雷とは違いますか」
「物質の第四形態ですから、雷でも固さがある気がするのは気のせいでしょうかね」
「触ってももいいですか」
「どうぞ。この規模ならどうとでも抑制は効かせられます」
「では失礼して」
サドンは左手に短杖を持ち替えてツンツンとプラズマをつつき、何の変化も起きずにスパークしつづけるプラズマに、うんと頷いた。
そして短杖を左手に持ったまま、逆の手で王杖がプラズマにじかに触った。その人差し指の指先には魔力を纏っているようだ。チリチリとした王杖のスパークとプラズマのスパークが互いに絡み合いだし、やがて王杖が指を離した。
「プラズマというのは思ったより存在がありますね。では消せるかどうか試してみます」
王杖がキッとオレの指先に鋭い眼を送ると、雷が来た。そしてプラズマはあっという間に王杖の雷に飲みこまれて露と消えた。
感触はない。
王杖が雷を消すと同時にオレのプラズマも消えていたので、事が終わってようやくオレはそう認識したわけだが、規模を上げればもっと何かの感触は残るのだろうか。
今は何とも言えない。
ただ成功したのだけは確かだ。
「さすが王杖ですな」
「何を言ってるんです。ヒュー王子の技倆があったから実験出来たのですよ。それ以前にプラズマの存在だってあなたに見識があったから解明もできたんです。私が普段使いしてる雷というものがどういう物質なのか、そんな概念すらなかった私に新たな可能性も示された」
「そんな大したもんじゃありませんよ」
確かにオレはリアとアンナさんと魔法陣の研究は進めている。そこは王杖の言う通りであろう。だがしかし、リアから四肢と目を奪ったオレたちの敵は、フォルテの召喚魔法陣の上を行ってみせたのだ。
これとて敵の明かした手の内を後追いで解明しているに過ぎない。解明というのも烏滸がましいかもな。王杖がいたからできた実験にすぎない。
「オレはまだまだ勉強不足ですよ」
「しかしそれでも私はもっと強くなれます。王子のおかげで」
「それ以上にですか? ははは、王杖の筆頭にでもなりますか」
「いや、そこは第三席で」
はははと笑い返すサドンの足がピクリと動いた。彼もオレとほぼ同時に気づいていた。
「魔力の流れが沈みましたね」
サドンがそう言い、オレも肯いた。
これまで石畳の床の上を流れていた魔法陣が深く沈みこもうとしている。
「触れませんね」
深紫の煙も最後のひと煙を残して中空に溶けこもうとしている。魔法の反応が既に始まっているのだ。
星読みの塔の床一面にひろがったこの魔法陣がその役目を果たさんと発動し、全てを消し飛ばそうと魔力と反応を始めているのだ。
向こうで枢密院殿のストッパーが外されている。
「クレツキぃ」
あいつの仕業か。
「今はこっちです王子」
「はい」
「ちなみに私の方も無理です。魔法を受け付けていなかった星読みの塔だからこそ他の魔素や魔気を取り込めないのでしょうが」
「オレの召喚魔法ではこの手の大規模対処は苦手です」
「では私がやります。陣そのものを消し飛ばします」
――連携を取ってしまったな。
そう思ったがもう遅い。
王杖と対等に話して、連携を取ろうとしてる姿はもう見られてしまってるだろう。
そもそも枢密院殿や魔法士団、従僕とメイド達がいる前で深度一での対処は執りづらいわけだが、召喚魔法の存在は、自分の正体が誰なのかを即座に追いかけることの出来る諸刃の剣であり、連携を取った際にオレは思わず召喚魔法のことを口に出してしまっていた。
聞こえないだろうが、王杖と当然のように連携した姿は完全に見られている。小太郎が教えてくれたあの時に即座に潜ってればよかったのだと、事ここに来て思ったがそれは今さらの話であった。
うっすらと名残雪のように残っていた深紫の煙がかんぜんに中空に消える。
時間がない。オレは王杖に問うた。
「その雷魔法、さっきのオレの指への雷と比べてその規模は?」
「数千倍かと」
言って王杖がそれでは駄目だと自分でわかって押し黙った。
「まずい」「やばい」
二人の意見が一致したと同時に魔法陣の内奥で再びドクンと脈動が始まった。王杖がここでその雷を解き放てば、確かにこの魔法陣を消し飛ばせるだろうが、同時に星読みの塔をも消し飛ばしてしまうだろう。いや、プラズマと一緒にこの城塞都市を、か――。
それは最終手段だ。
その前にオレにも出来ることがある。召喚魔法による大規模対処は苦手だが、オレには全てを断ち斬る忍者刀がある。深度一から一瞬で全てを断ち斬れば――。
オレは枢密院殿達に背を向けて外套をひろげて目隠しとすると、魔法陣そのものを一気に深度一に沈めた。
(おい、視ててもいいか)
(好きにしろ、だが妙なことはするなよ)
対処を始めてから小太郎に声をかけられて、オレは小太郎があえてこれまでオレのことを呼ばなかったのだと解した。
そういえば気を抜くんじゃねーぞと最初から云われていたではないか。
失態である。痛手ではないが。
「サドンさん、いいですか?」
床下だけを深度一に封じ込んだ魔法陣を、王杖が雷を放つと同時に浮き上がらせて当てる。そして余分な余波はふたたび位相をずらして全て深度一に散らす。
微妙な時間調整が必要だが、それが最善だとオレは判断した。
そんなオレからの要請に、素早く王杖が魔法陣に目を配る。そして頷いた。
「保ちますか」
「いくらでも」
「なら偽装します」
「じゃあオレからでいいですか。用心棒なので」
サドンが目礼をすると同時にオレはクレツキに語りかけた。
「副団長、何を勝手なことをしてくれてんだ」
「お前だって勝手なことをしてただろうが。なぜ怒られてるお前が許されて、オレの行動は制限されなければいけないんだ。しかもお前に」
「じゃぁ聞くが、お前は今、何をした」
「ハロルド様の手を箱から抜いただけだ」
「爆発すると警告したであろう、枢密院殿が」
「どうだろうな。何者かが城塞都市の中枢機能を乗っ取っているのだ。実際今現在も、魔法陣が爆発する素振りはないではないか。まさか、まさかとは思いますが、外の騒ぎはハロルド様の仕業ではないでしょうな」
ちっともそう思ってない顔である。大根め。
「ここは魔法陣のない塔、星読みの塔」
「だからなんだ」
「ここは外の騒ぎとは無縁ということだ。副団長ならそれぐらいわかるであろう。王都の魔法陣とつながっていないのだぞ」
「ふん」
「つまりはこの魔法陣単体で爆発するということだ。わかるか? 副団長殿はその爆発をみずから招いて枢密院殿の命を勝手に俎上に乗せたのだ」
「ハロルド様は怪我しても後でどうとでも出来る」
「それは万全の準備が確保されてから言うことであろう」
「ふざけたことを言う。俺たちは万全な準備など、貴様らから全く考慮されなかったぞ」
「なに?」
「ランプ・スホーン魔法士団統括部の部長、あの人は貴様のせいで今も獄につながれたままだ。おかげで魔法士団同士の連携はとれない。無駄な折衝は増える。そして緊急時には指揮を執る者がいない」
じろりとクレツキが憎しみを込めて来た。
「貴様はこの騒ぎに魔法士団がまとまって対処すべきだというようなことを言っていたが、どの口が言うんだかな。俺は聞いてて本気で腹が立ったぞ。このバラバラな事態を招いたのは誰だ。貴様がやったことではないか」
「おいおい」
「全部貴様のせいだ」
こいつ、宰相派か…………。
「これでわかったろう。テロリストが秘奥の間へ向かうというなら、こんな所でまごまごしてる暇はない」
「ならば枢密院殿はそのままにして貴公だけ行けばいいだろう」
「ここは最早必要ない。残して敵に利するぐらいなら、今この時点で魔法陣の回路を閉ざすべきだ」
「そうではないだろう」
オレは頭に来て、プラズマの魔法陣を深度一から浮上させることにした。
こいつには現実を見せた方がいい。
だがその前に――、魔法陣を断ち斬る。
オレは召喚の場にいる神の一柱に話しかけた。
(時量師神さま)
(なにか)
(オレにも時を止められますかね。貧乏神さまの印は教わって出来ます)
(…………忍者刀を媒介にしてみなさい。現世と亜空を切り離せば闇の中にしまっておけるでしょう)
失敗しても闇の中でプラズマを爆発させれば星読みの塔への被害は押さえ込めるという算段か。そして何気なくオレの立てた計画にも修正を施してくれていた。オレは深度一に散らすつもりでいたのだが、それでは後々研究するのに苦労するけれど、闇の中なら消した部分と余剰部分との区別は簡単につくと、そういう仕分けを示唆してくれていた。
さすがは神さま、ありがたい。
オレが深度一の中を覗きこむと、ほぼほぼ止まった時の中で、プラズマが一気に膨れ上がりかけていた。
そのプラズマに向けてオレは忍者刀を突き刺す。
時を止めるつもりで断ち斬りながら、闇魔法の闇を発動してかたっぱしからその中に放りこんで行く。
そして深度一の調整をしないで済む分、この方が楽であった。召喚魔法による魔法ならではの効率化なのだろう。
(全部はしまわない)
(はい、そうします。ありがとうございます、時量師神さま)
すると不思議なことが起きた。
「王家の秘事なら最後まで黙っているべきだったのに、所詮その程度の倫理観なんだよ、枢密院ってのは」
遠く、枢密院殿を腐している副団長クレツキの声が聞こえた。
位相のずれの狭間にオレは今、居るのだ。
忍者刀の時が止まった状態をそのまま拡張するように広げつつ、オレは闇魔法を織り交ぜて魔法陣の闇色に包みこんだ。
急いでやったので回収し損ねてる部分もある。改めて闇魔法を発動した。
――闇魔法、闇収納。
細々と断ち斬られた魔法陣の全体を覆うと、念押しで奥深いところから掬い上げるようにして闇の中に飲みこんで行く。
だが指先で纏っていた程度の最低限のプラズマは残すようにした。それは魔法陣のほんの表層であり、日の本でいうところの鰹節のひらひら程度の薄さであるが、人の目に触れた以上まったく痕跡を残さないというわけにもいかなかった。
この魔法陣がすでに発動したのは、星読みの塔にいる全員が目にしているのだ。
王杖が言っていたように、隠蔽ではないが工作は必要だ。
そしてオレが時量師神さまに礼を言い、ご苦労さまと云うお墨付きを半ばおねだりした形でいただいて通常空間にもどると、そこではクレツキが石畳の床に攻撃していた。
その攻撃に即座に咒札が反応する。
「光あれ」
オレは枢密院殿の防御をするために陣上に立つ枢密院殿を抱きかかえて光速移動し、外套で陣との間に世界を隔絶しようと試み広げると、碧い燐光をやり過ごす。
だが止まりかけた流れがドクンと脈動した。すでに断ち斬られ、うっすらとした表層しか残されていないのに脈動したのだ。この場に留まるのはマズイと判断し、最も安全であろうサドンさんのいる場へと舞い戻る。
王杖は杖を構えていつでも対処できるよう準備していた。
陣外だが燐光の動く先には立たない。この青白い燐光は最後のあがきとばかりに、まるで道連れにする対象を探しているようなので、細かに立ち位置を変えてやり過ごす。
だがどうする。
表層を残して後を王杖に託すのはいいが――。
枢密院殿を連れて大広間の外へ出るのはいいが、大広間の出口に至る途中にはクレツキがいて、まっすぐ逃げさせてはもらえなさそうだ。
いや、陣上を通過したらマズイか。
オレと枢密院殿を取り逃がし、動きを止めて死にかけてるようだが、それでもこれまで見たこともない第四の形態を宿らせた魔法陣だ。
リスク管理は多めに取るべきだ。
と、クレツキが魔法陣に自分の杖を突き刺した。石畳の床に食い込みこそしなかったが、勢いはそれほどにあった。
魔法陣が再びドクンと脈動した。最後の悪あがきも不発に終わり、ほとんど動きを止めていたはずの魔法陣が、クレツキのひと突きでふたたび水面に跳ね上がる魚のように生き生きと反応している。
オレはほぼほぼエネルギーは根こそぎ奪っていたはず。
なのに何だ、どうしてこうなる、こいつは何をした。
「おおおおおアアアア」
クレツキが唸りだした。
まるで狼の遠吠えだった。天高く顎をかかげ、クレツキの髪が流れて頭から獣の耳がピンと立っている。
狼人?
「アアアアオオーーーーーン」
それではまるで薄まってる魔法陣を鼓舞するようではないか。
クレツキがもしも本当に狼人ならば、狼人の伝説が本当かどうかを確かめることが出来る。曰く、狼人は戦力増強という固有能力があり、その遠吠えで味方の魔気の最大取り込み量を増やし、活性化させることができる、と。
だがその対象をこいつはオレたちにではなく、魔法陣に対して行っていないか?
「おい、やめろ」
魔力暴走。そう思った矢先に魔法陣がその役目を果たして、本当にはじけ飛んだ。対象を探してどうこうではない。見境なく巻きこまんとする純粋なプラズマの爆発であった。
深度一に入るのが遅れてたら、この波にオレたちは飲みこまれていたのだろう。
やめろと言ったわりに、オレはクレツキを信用していなかったらしい。
(二の矢、三の矢は当然だ)
オレは既にし終えていた。存在しなかったはずの余分な威力を再び圧縮させてこれ以上反応させず、忍者刀を突き刺して時を止め、闇のなかに改めて収納する。
召喚の場から小太郎の講評も届いた。どうやらうまくやったらしい。
そしてオレは改めて深度一に潜って額の汗を拭った。
ふう。
流れていたかどうかは知らないが、そうやってひと息吐くと、さっさと戻れと小太郎に急かされた。
(しかし他の人への残滓が)
(お前より早かったぞ)
このままではプラズマに巻きこまれる。わずかでもそれはまずいだろうと言うと、小太郎が顎をしゃくった。
(あ)
オレの隣で王杖が杖を魔法陣に触れさせていた。なるほど、オレは師匠に手放しで誉められたわけではないのだな。
(しかし俯瞰して観てるお前と一緒にされたら叶わん)
(うるさい。降霊召喚に応じてやってるのだ。それとも降霊召喚に応じない方が良かったか?)
ぐぬぬ。
いなければ一人で対処することになる。いや、ひとりで対処したのか。この場合はどうなるのだ。
ちっ、口では敵わぬ。
(口でも敵わぬ、だ)
オレは立つ瀬がなかったのでそのまま通常空間に戻った。
そして枢密院殿を守ったまま守護する体で構えていると、一瞬の雷光と共にプラズマは飲みこまれていた。消し飛ばされるものとばかり思っていたが、王杖の最終手段はオレの想像以上に奥が深いようだ。
周囲への影響が全くない。
オレのように時がない中で動いたくせに、オレ以上に手際よく、あっという間に全てを飲みこんでしまっていた。
王杖からの目礼が来たので、オレの方も頷いておいた。
もしかしてオレが手を加えたことをわかってるのだろうか。
わかってるのだろうな。
王杖を舐めたらいかん。オレより早かったそうだし。
そして最後の後始末は、何が起きたかもわかってない従僕とメイド達が、何も起きてないと思っているので王杖に礼を言うこともなく、大広間をじっと扉の向こうから覗きこんでいた。
改めてオレは周囲を見る。
プラズマは王杖がキッチリ雷で相殺して飲み込んで見せていた。残滓も何もない。王杖が雷を放って消したら一緒にプラズマが消えていた。圧倒的な力技であった。
――すごい。
事ここに至って考えてみると、オレは魔法でも召喚魔法に対抗できるという、その一端を初めて目にすることとなった気がする。
「しかし奴ら、こんな物をサーバに、いやライムに向けたのか」
サドンさんがそんなことを言った。
どうやら王杖はアルバスト達の置き土産にあらためて物騒な物を感じ取ったらしい。簡単に飲みこんでみせてたが、だからこそわずかばかりのプラズマでさえ、その威力が馬鹿にできないものだと感じ取ったようだ。
細工次第で威力が増すことも発覚したのだ。
王杖の立場なら考えることも多いだろう。
実際、星読みの塔にはこの魔法陣に内蔵された他に魔力はなかったし、オレがほぼほぼ魔法陣の回収もした状態である。しかしそんなわずかばかりの状態でも第四の物質はその威を示したのだ。威力の大半をうしなって尚このプラズマは王杖に対処させるほどの威力を見せたわけだ。
「連鎖が続けばどこまで行くか」
つまり単純な爆発ではなかったと見ているわけか。
しかも王杖は、このプラズマはどこまでも威力を伸ばせると感じた…………。
そして王杖も星読みの塔の大広間を見渡して、あらゆることを見逃さぬよう確認までしている。表情が真剣であった。
解し方としては、星読みの塔を消し飛ばせてもおかしくはない。
近在を枯れ野に変えてもおどろきもない。
プラズマはそういう物だというのがとりあえず肌でわかった。
そんなところだろうか。押し黙った王杖の表情が実に雄弁だった。
そして当然これだけの咒札を置き土産に残したアルバストのことも気にかかった。
あいつらはとうとう一線を越えて、サーバの人々を皆殺しにしようとしたのだ。サーバに住まう人々から魔力を奪って、その魔力でプラズマの爆発を起こして…………。
オレはこれまでアルバストは征服後も労働力の確保を念頭に置いており、サーバの民への殺意はないものと考えていたのだが、ここに来てその判断が間違いだった可能性が出て来た。それともこの星読みの塔において、そこまで選ばずにいられないほど追い込まれていたのだろうか。
あるいはアルバストと配下との意識の乖離の可能性もあるか。
バックドアはオレを勇者と呼び、アルバストはその見解に懐疑的でもあった。
いずれにしろ考え込んでる王杖の様子からしても、オレとしては王室外交の一助になるよう、ここに集められた魔力を根こそぎ意趣返しに利用して、奴らが機能を停止させた本来のサーバの魔法陣にこの魔力を注ぎ込もうと思う。
奴らの思惑を消し飛ばし、逆にこの国の本当の魔法陣を復活させることが、サーバにとってもいいし、宗主国のライムにとってもいいだろう。
それからもしかしたらではあるが、ライムのワッカイン王にとってもオレたち兄妹の覚えが少しはよくなるかもしれない。能無しと四肢無しと知ってライム本国から追い出され、自治領へと盥回しにされたオレたちだが、ここでの内情を知った王杖がいるので、我らに失望したワッカイン王の心象もこれで少しは改善する可能性がある。
そうなれば良いのだが。
「うぐう」
声がしたのでそちらを見た。
クレツキがオレを睨んでいた。背後にいる雇い主殿をその視界からオレはかばい、間に立った。
忘れていたわけではない。枢密院殿と王杖が動かないから後回しにしていただけだ。下らん男を相手にするより第四の物質の観察の方が大事だった、それだけのこと。
「魔法は使えない。ここで魔法は使えないんだ。貴様ごときが魔法を使えるわけがないんだ」
あー、そういえば魔法は使えないんだったな。サドンさんにもさっきはそれで窘められたんだ。
しかし魔法が使えないからといって――
それが何だというのだ。
オレは足を交差させてクロスステップを踏むと、右に向かってサイドステップを踏む。トントトンとひとつ変拍子を入れて真っ直ぐに加速しつつ三歩で間合いに入ると、
「な、速っ」
とクレツキが驚いてる間に、オレはクレツキを星読みの塔の石壁まで蹴り飛ばしていた。身体の内部にまでダメージが残るような強烈な感触が足に残っている。
クレツキは壁からずり落ち、床に頽れた。
ピンと立ってた狼人の耳が片方倒れる。
「おい、聞こえるか」
「きさま…………」
「もうわかったであろう。たった一つの命を捨てて、枢密院殿はこの魔法陣の爆発を抑え切ってみせてたのだ」
「捨ててない」
そんなのは結果論だ。オレが貴様の暴発から守ったから枢密院殿は命を捨てずに済んだだけだ。
「そんな自覚すらないのか、貴様という奴は」
「うる、さい」
クレツキが石畳の床に腰を落としたまま頭を振った。
「おい、副団長。お前に勇気はあるか。爆発するかどうかもわからない魔法陣の起爆回路にその腕を突っ込む勇気が」
「…………」
「枢密院殿はこのお年まで生きたのだ。天寿を全うさせてやりたいと、そうは思わないのか?」
「知るか」
「そうか。お前にはそういう相手がいなかったのか」
癇に障ったのか。
クレツキがオレに鋭い眼を向けた。
「だがそれがなんだ。枢密院殿は、見る限りお前の血筋を絶やさないよう気を配っているようだとオレは受け止めたんだがな」
「知ったことか」
「さっきからお前、オレのどの問いに答えてんだ? 言っておくが逃げることは許さんぞ。クレツキ、この闇に手を突っ込め。
枢密院殿が突っ込んでいた闇の中だ」
オレは闇魔法の闇をクレツキの眼前に展開した。フェンリル魔法士団の人たちや星読みの塔の従僕やメイド達は、魔法が展開されたことに驚いている。だが今はそんなとこに構っていられない。
彼ら自身も疑問よりオレの闇魔法に目が釘付けである。そしてもちろん、オレに名指しで指名されたクレツキも目を奪われ、ジッと闇の奥を懊悩気味に睨み据えていた。
闇魔法の奥で、プラズマが絶えず爆発を繰り返している。
やがて――。
クレツキは向こうに行ってしまった。尻尾があるのかどうかは知らんが、オレにその存在があるのかどうかも気取らせなかったので、オレにもわからん。ただ押さえていた腹を立ち上がった時には押さえず、坐りこんでた際には倒れていた狼人の耳もピンと立てなおし、歩み去る際にはひと言の声も発さず孤高を保って星読みの塔を後にしていた。
塔の入り口にいた人波が割れてクレツキを通し、その後もその隙間を埋めることもないようだから、追おうと思えばいつでも追える。
だがそこは雇い主次第。
オレは闇魔法を収納しなおすと枢密院殿に目をやって伺いを立てた。
「おいピュー。クレツキはフェンリル魔法士団の副団長じゃぞ、いいのか」
「あー、そっちですか。オレは枢密院殿の用心棒です。枢密院殿に仇なす者は排除しますよ。それに一度は見逃してます。二度目はないと思ってたのですが、二度目もありましたし、かなり手を抜いてるのでかまいません」
「しかしの」
「あいつは自分のたった一つの命は惜しんだ。枢密院殿の命は簡単に懸けさせていたのに」
オレは吐き捨てるように言った。
「あの歳では自分の命と他人の命の価値がちがって当たり前じゃろう。それを言うならお主の方がおかしい。老成しすぎじゃわい」
「何を仰ってるんです。そもそも等価ですよ、命は」
命を懸けさせたのなら、命を懸けさせる。ごく自然なことだ。
「でなければとっくに殺しておった、とか?」
「はい」
「お主、妹は四肢がないと言っておったのう、なるほどのう、そうもなるのか」
「枢密院殿、訂正があります。妹はないのではありません。奪われたのです」
眼のことは言わなかった。
枢密院殿の調査力をオレは舐める気はない。むしろ現時点でも明かしすぎだ。
「しかし魔法士団の副団長を一蹴とは」
「あ、そう言えばその通りですね」
そのひと言で終わらせたことに枢密院殿が苦い顔をした。
しかしそのようなお顔をされてもな。
死にかけたのはご自身だというのに、いざ自分が無事となるとこの御仁は情をかけたくなるらしい――。
やれやれである。
オレは大広間の天井を見上げた。
「おいピュー」
「ヒューです。もういいです」
用心棒に金をかけてくれたらいいのにと思ったのは、王室外交をやってる手前に飲みこんだのだがこれは内緒だ。フォルテの威信にかかわる。そういうことにしておこう。
するといつの間に歩み寄ってきてたのか、王杖がぽつんと言った。
「いつか」
「いつか?」
押し黙った王杖に振り返ると、王杖第三席は枢密院殿ではなくオレに語りかけていた。
「いつか、クレツキが外と交わることの意味を知り、なぜ殺し合いを受けようとしてたヒュー君が自分への炎を消したのか、そしてハロルド様を不測の事態に陥れたのに我らから咎められなかったのか、その意味を彼が本当の意味で理解した時に、コペルニクスは王杖になれるのだろうな。そのことがよくわかった」
王杖はそう言って、使うことのなかった短杖を腰にある鞘にもどした。
クレツキに関しては一切の言及をしなかった。
言えば罰さねばならなくなる。明かさねばならなくなる。
王室外交であった。
長くなりました。二、三話分あります。投稿の間隔も開きましたが一気に読んでいただきたかったのでお許しを。
ブクマありがとうございます。




