第52話 リアとアンナとピクニック
「ヒューさま」
名を呼ばれてオレは振り返った。
朝も早く、鳥のさえずりもまだしない明け方であった。豪農のロラン・サーキ殿に借りているこの屋敷は、普段から人通りとは無縁の山岳牧場のすぐ脇にあるので、人などめったに通らないのだが、それでも人影のまずない時間帯を選んで、オレはこの屋敷の庭先で風魔の忍者刀をもって汗を流していたわけだが、そんなオレをアンナさんがリビングの窓越しに手招きしている。
「どうした」
オレが窓に近づくと、アンナさんが黙礼して後ろに下がり、リアが長椅子に寄りかかって待ち構えていた。
「早いな、リア。今日は七曜の七番目、休みの日だぞ」
「安息してられません。今日は体調が良さそうなので」
そんなことをリアが言った。ここ久しく聞いた覚えのない言葉であった。
それというのもリアはおそらくだが、召喚の儀で敵の施した細工のために、召喚魔法を常時起動している状態にある。そのためリアは普段は魔力の回復によく眠らざるをえない状態にあり、このような時間に早起きしてるのは珍しいのだ。
そのリアが調子が良いというようなことを言う。
やはり珍しいことであった。
「兄さま。今日はお出かけしましょう」
「それは構わぬが」
「そして私たちにも魔法の付与をしてください」
「それか…………」
サマースに魔法の付与が成功したことを、昨日のとある一件でバツが悪かったために自白、いや、告白させられている。どうやらその話を聞いて、リアとアンナさんも魔法を覚えたくなったらしい。今日は魔法の教本でも街に探しに行こうかと思ってたのだが、昨日サマースと二回も飲みに行ったことが露見してるので、断れる状況にはない。
「わかった。ならば朝餉を食してすぐにでも行くか」
「お弁当にしましょう。ピクニックです」
「ピクニックか」
「ピクニックです」
魔法を覚える姿とリアを衆目にさらすのを控えたいので、朝早くなら人も少ないだろうと、色々なことを慮ってそう申し出たわけだが、リアはそれよりも早く動こうと言い出していた。
「本当に調子が良さそうだな」
「はい」
では、と言ってアンナさんがお弁当の用意に向かった。
オレは忍者刀を鞘にしまって外套の所定の位置に隠すと、小さな溜息を吐いた。
何と言っていいのかわからないが、世の中は誤解と齟齬で成り立っているような気がする。リアが平穏ということは、敵は何故かリアの召喚魔法から魔力を吸い出していないということではないかとオレは思うのだ。だがその割にリアに手足が戻って来る気配もない。これをどう考えるべきか。
「何かはわからぬが、息を潜めてるのかな」
召喚の気配さえ隠したいような何か。
それは極めて不穏な予感である。
しかし何かが起きてるかも知れないとわかっても、こちらから打つ手がないのも事実であった。リアは気づいてるのだろうか。
自分の体調が良いという意味の、その奥を。
いや、だからこそこんな朝早くから魔法を覚えたいなどと言いだしたのかもしれない。
「ヒューさま、こちらは整いました。身体を拭き終えたのなら参りましょう」
いや、このまま出かけるつもりだから庭先で待っていたわけだが、よっぽどぼけっとしていたらしい。
「了解だ」
どう返事しようがやることは変わらぬ。
やはり世の中は誤解と齟齬で成り立っているとオレは思った。
オレたち三人はダルマーイカ川の魔水の濃度の濃いところを目指して移動を開始した。先を歩くのは道案内役のオレで、リアの車椅子をアンナさんが後ろから押していた。
オレはふたりの姿を確かめつつ、振り返った我が家の容貌とその背後につづく山岳牧場の光景にふと目を奪われた。どこまでも続くその上り坂の先に日が差し始めていた。とは言ってもそれは山頂の方だけで、我が家の方は未だ夜の帳が下りていた。山間の標高の違いは、日が差す際に時間差をつくるということを、この自治領に来て幾度となく体感させてもらったわけだが、フォルテの王都は平野部にあったから、こういう山岳都市というものを、ここに来て初めてオレは知ったわけだ。
「どうしました?」
「いつかリアにも見せてやりたい物だ。山間の日の出は高い所から日が当たって美しいぞ」
「わあ。それは美しそうですね」
「うつくしい。天道神さまでも喚ぶか」
「あはは。それはお気の毒ですよ。いつか自分の目で確かめます」
リアがそう言うのならかまわないが、今この時に一緒に見てみたい物だと思った。しかし心のどこかで、納屋を屋敷であると言い張ってるオレが、我が家と山頂を見て悦に入るのも、リアが気づいた途端に反応に困るだろうから、これで良かったのやも知れぬという思いもあった。
だが農道の一本道を進み、川にかかる石橋の前にまで至ると、リアが枢密院の屋敷にあるキャベツ畑を見たいと言い出した。そこで遠慮なくオレは降霊召喚をして天道神さまを喚んだ。
「なんじゃ?」
「すまんがリアがキャベツ畑を見たいらしくてな。天道神さまに目となってやって欲しいのだが」
そう召喚の場に喚んだ天道神さまにお願いすると、早速天道神さまがオレの身体を動かしてリアの頭に手を乗せた。
リアが、まあ、キャベツがいっぱいと喜んでいたが、正直オレは枢密院殿の屋敷にあるキャベツ畑を見るたびに、いまいましくなる。
ひとしきりリアがキャベツ畑と枢密院殿の屋敷を、それから屋敷まわりの景色を見やって熱心に覚えようとしていた。やがてリアが納得し、オレたちは天道神さまに礼を言ってお引き取りを願うと、天道神さまはいつものように、ではの~、と何でもないように剽げながら日の本の国へと帰っていった。
その頃になると街全体に日が差し始めていた。大気の透明度がダルマーイカの街を蒼く染め上げている。リアもアンナさんもオレも、蒼い暁闇のなかにいて、まるで美しい思い出の中にいるようだった。
オレたちはゆるりと川縁の道を歩いた。時折頬を撫でる風が気持ちいい。野辺の秋風も荒々しさがあっていいが、川辺の秋風もやわらかくていい。とくに麦畑の上をひと撫でするように風が抜けて行くと、麦の穂が一斉に揺れて延々とつづくザザザという葉擦れの音と相まって、なお心が安らぐようだ。
つと、リアが口を開いた。
「時折ですが、土の感触が変わりますね」
「そうか?」
「はい。粘土のような硬い土とか、魔素の濃淡の極端な断裂とか」
「あー、オレのせいかも知れぬ。昨日バイコーンと戦った時に土魔法で相当いじくったから」
そして確かにリアの言うように土の性質がちがうことにオレも気がついた。天道神さまにお願いして元に戻してもらったはずなんだが、オレがいじった後の元の姿なら、ここらの土の性質を変えてしまったのはオレということになる。
天道神さまは元の状態を知る由もないのだから。
「しまったな」
「ですが見た目ではわからないですよ、ヒューさま」
「そうなのですか? アンナさん」
リアが言った。
「はい。川縁に立派な一本道があるだけです。きっとリアさまが敏感なのですよ」
敏感か。
確かに目が見えないと、他の感覚が強化されるようになるという話は聞いたことがある。車椅子から伝わってくるわずかな震動をリアが拾って、探り当ててしまったのだろう。
うむ。オレのミスではないはずだ。
しかしちょびっとだが、今踏みしめてる場所だけでも周囲の土に合わせて同じにしてしまいたくなる。土魔法をどうやれば出来るのかわからないところが、また困ったところなのだが。
「兄さま、気配が濃くなりました」
「お、おう?」
「どうしました? 魔水の気配、まだこれでも薄いのですか?」
「うむ、そうだな。リアの言ってることは正しい。あの辺りだ、オレが魔水を汲んで媒体にしたのは」
オレはリアもオレと同じように魔水の気配が濃くなったところをピタリと言い当てたので、兄妹なのだなぁと思わず笑みがこぼれて、アンナさんにも思わず目を配ったのだが、アンナさんはひょいと肩をすくめていた。私はわかりませんと云うことらしい。
まぁ召喚魔法の遣い手が、魔法の威力を上げるために必要な媒体を、必要ともしないのに気にするわけがないので、アンナさんの反応のほうが自然だった。
そして、昨日も訪れた荷揚げ場が、すぐそこに見えて来ている。
その後荷揚げ場のすぐわきの川縁に腰を落ち着けると、オレは早速に木のカップに魔水をすくって魔法陣を描くと、ふたりに魔法を付与した。
「リア。炎輪をつくってくれ。大きさは手の平の大きさぐらいでいい」
「はい」
そして念のためにリアの背後に移動するとリアが手の平のうえに魔法を発動した。問題なく炎輪になっていた。大きさも強弱も、こちらの要望通りにリアが発動できることがわかり、そして他の属性でも同様のことを試して問題ないことを確認した。
ちなみにアンナさんも普通にこなした。
朝餉を食べてのんびりとする。
昨日の騒ぎがあったはずだが、夜明けと同時に麦を見にきた農夫が、畑の向こうに小さく姿を現していた。
「この魔法ですけど、兄さま」
「なんだ、どうした」
「魔法を召喚してますからね」
「そのことか。わかってる。リアが本当に言いたいところは、サマースのことを言いたいのだろう?」
「はい」
フォルテの召喚魔法は門外不出だ。
いわばオレのしたことは禁を破ったことになると云いたいのだろう。
「しかしな。召喚獣と契約したわけではない。魔法使いが魔法の媒体として使う、魔水による魔法という手段を、契約して使えるようにしたというだけに過ぎない」
「屁理屈のような、素晴らしい発見のような」
「普通の魔気では出来なかったのだ。たまたま魔水の濃い場所を見つけて、試しに契約を試みたら出来たというだけのことだ」
「あー」「まぁそうですね」
「だから我らだけの内緒にしとれば良いのだ。そもそもサマースは魔法を使ってるとしか思ってない。召喚魔法陣なんて、基礎知識がなければ、ただの魔法陣にしか見えないし、フォルテの王族がサマースのことを気にかけないでもしない限りバレることはない。そもそも発動時に魔法陣を展開しないから、他の者には確認しようがない。それを思えば父でも視認だけでは難しいと思うぞ」
「サマースさん、不思議に思ってませんかね?」
「おそらく今日も色々と試すことだろうが、サマースなら大丈夫だ。あいつは案外に加減をわかってる。それに、オレに他の者には教えるなと警告してきたぐらいだ」
「慎重なんですね」
「見かけによらずな」
だが言われてみると、サマースが魔法に慣れるようにと思って背反世界を観察しつつ撃ち合ってたわけだが――。
今思えば、リアとアンナさんに魔法を付与することで不都合が出ないかどうかの実験体になってもらったような気もする。むろん無意識のことである。そもそもいの一番でオレ自らが実験台になってるし、と言い訳じみた気持ちになってると、リアが困惑して言った。
「しかし不思議です。こないだは付与に失敗したのに、魔水でなら成功するだなんて」
「条件をオレと同じにしたら付与できたわけだしな。確かに不思議だ。なぜダルマーイカ川の水だと出来たのだろうな」
しかし考えても答えなどわからなかった。出来たらできたで気体と液体以外の他にどこに差異があったのかがわからないのだ。事実として魔法が使えるようになった、それだけが事実で、オレたちには大事であった。
「さて、食べるか」
そうして本日の目的を済ませたオレたちは荷揚げ場のベンチで朝餉をひとしきり取った。腹を満たしてお茶まで飲み終えると、ここまで来たついでにトライデントとティナの家にまで出向いて顔を見せた。
ついでに身バレしてて気兼ねのないトライデント一家に、アンナさんの召喚魔法で喚び出したアイロくんでブリと鰹を捕ってきてもらって手土産とし、海からは遠い山岳部なので二人にはこんな新鮮なものをと大層喜ばれた。
そうして昼まで寄らせてもらって家路についたわけだが、帰りしなにリアが街中の喧騒に身を置きたいと言いだした。オレとしては衆目のなかにリアの身を置くのはどうかと思ったのだが、リア自身は気にした様子もなく、時々調子が良い時にはアンナさんに連れて来てもらってるそうだった。
是非もなくダルマーイカの街を石畳を踏みしめながら散策していると、せめてものとばかりに火の粉よけにオレは先頭についた。商店街を抜け、飲食街を抜け、リアとアンナさんを守りながら先導していたわけだが、興味本位にリアを見てくる者はいなかった。
本当に結構、馴染んでるらしい?
オレがその知らなかった事実に驚きの思いでもって反芻していると、街中の広場でサマースに遭遇した。そのサマースだが、地元の友達と一緒におらずに一人でいるので、おそらくどこかで魔法の訓練でもしてたのだろうと思ったわけだが、サマースのほうから興奮冷めやらぬ口調でオレに話しかけて来た。
「おい、ヒュー、枢密院殿の屋敷には人が列をなして並んでたぞ」
「列?」
「山菜やら果物やらを贈ってるようだ。中には枢密院殿の屋敷では食べきれないと見越して、小麦の袋やら保存のきくものを運んでる者までいたぞ」
それでわかった。
サーバの国政会議で、王の真意をねじ曲げようとした宰相派の目論見を見事に糾弾して阻止した、正義の枢密院として名をあげた話がようやくこの地にも伝わって来たのだろう。
「おのれ。我らをキャベツだけで無料働きさせたくせに、当の本人は評判を上げて左団扇か」
「左団扇? あーなんとなく意味はわかったが。お前の故郷の方言か?」
「まぁそんなところだ」
それにしても、とサマースが石畳の広場の端に寄って往来への道を開けると、リアの車椅子の前に片膝をついて、妹さんは金髪なんだな、と話しかけた。
リアがちょっとビックリしたようなのでオレが答えた。
「リアは母似なんだ」
「じゃあお前の黒髪は?」
「父似だ。ちなみに眼も同じ紫だ」
「そうか」
と言ってサマースがリアの顔を眺めてことばに詰まり、話に聞かされた通り目がないことに心を痛めたようで、リアに気を遣って尋ねるのをやめた。
「私は緑色だったんですよ」
リアが朗らかに言った。思わぬ形で話の接ぎ穂をつなげてくれて、サマースがオッと驚いた顔をすると、ひと息吐いて、じゃあ母親は緑色の眼か? とオレに尋ねて来た。
「そう。リアと一緒だ」
「なるほどね~。これからよろしくね、リアちゃん、アンナさん。今度キャベツでも持ってくよ」
途端にアンナさんがくすっとし、リアも、あはははは、と声を上げて笑った。七曜の休みの日に、誰かさんの家に街の人が集まってることと同じように、サマースが我が家に並ぶようにしてキャベツを持って来る姿を思い起こさせたのだろう。
「それで? ヒューたちは街にお出かけか?」
「いや。お前と同じことをしたのだ。荷揚げ場からの帰りだ」
「なるほどな。それは重畳だ。しかし使えるようになると便利だな、魔法は。何をこれまで難しく感じてたのかがわからん」
サマースの言に、そんなに簡単になりましたか、とリアが尋ねた。
「はい」
「と言うことはお前はやはり訓練か」
「ああ。お主にはいい物をもらった」
「構わん。ついでだ」
「ついで?」
「ついでだ」
「ついでかよ」
「ああ。そもそもあの時約束してたしな」
友情じゃないのかよとかとか非難じみた声が聞こえて来たが、そんな恥ずかしいことを女子ふたりの前で言えるかと思った。案の定リアとアンナさんがくすくす笑っているではないか。
それにそもそもサーバ城に行く途中で、サマースには魔法の付与を請われたわけだが、ハロルド枢密院の用心棒に巻きこんでしまった以上、サマースの強化はオレの義務だった。
「あの」
「ん? どうした」
「今後とも兄さまのことをよろしくお願いしますね」
「もちろんだ。こちらこそよろしく」
そう言ってサマースがリアに、それから車椅子を押すアンナさんに目礼した。リアには手がないので握手を交わせないから致し方ない。
「そういえば枢密院さまにも、よろしくと言わないといけないでしょうか」
リアが小首をかしげた。
「「いや、必要ない」」
オレとサマースの声が見事に揃った。
そしてうむとオレが頷くと、サマースがオレたちに手の甲で口を隠すようにしてゴニョゴニョと言った。
「俺も気になってな。実は先ほどロッド先生に訊きに行ったのだ。国政会議の場で、御者代をケチると枢密院殿に対してジョージ元宰相がそう言っていたのだが、と」
「ほう」「どう言われました?」
「うむ。すると苦笑されてだな、こう言った。駅馬車を借りると、規定で御者を三人は雇わないといけないからな、と」
「そのような規定があるのか」
「そうだ。駅馬車は昼夜を問わずに走らされる場合もあるからな。御者が一人の時にそれをやられると、後の仕事に差し支えが出るのだ。それで駅馬車組合の規定で御者は必ず三人雇えと規定されてるらしい」
「ほほう」
「思い出せ、ヒュー。あのときはカーラ嬢がひとりだけであっただろ」
「うむ」
「それでなるほどなと、俺は腑に落ちた」
「御者代をケチったわけか」
「そうだ」
国政会議の場に駅馬車を雇わず、自前の馬車で出かけたのにはそうした懐事情の裏話があったらしい。
しかしそれを国政会議の場で、剣を交えながら指摘されるハロルド枢密院はどうなのだろう。そういう話が漏れ伝わって来たら、果たして小麦粉を袋ごと贈る者がでてくるだろうか。そう思うと、なんとなくだが胸の内が晴れた気がした。
「やはり有名だったのだな」
「そのようだ」
返事を聞いてる間にトライデントの顔が一瞬脳裏に浮かんだが、水に流した。
「しかしやられた方はたまらんな。枢密院殿の吝嗇ぶりは」
「ケチと言え、ケチと。遠慮は要らん。あの後俺がどれだけ嫂に気を遣ったことか」
すると後ろから視線を感じた気がした。アンナさんに睨まれたような…………。
と同時にサマースも狼狽える様子を見せた。こいつがアンナさんを恐れる理由は何ひとつないというのに、気になる所作であった。
「どうしたのだ」
「いや、うむ。やはり貴公には言っておこう。兄から聞いたのだが、キボッドがサーバに戦を仕掛けて来たかも知れぬ」
サマースが不穏なことを言った。
やっとこの四人を出会わせられました。静かな対話に感謝をしつつ。




