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第1話 読まれない小説

俺の小説は、見事なまでに読まれていなかった。


『最後の人類は、記憶の海で眠る』。地球が滅び、人類の記憶を積んだ宇宙船で最後の一人が目を覚ます。船を管理する人工知能と新天地を目指し、最後には、その一人も記憶から作られた人格だったと分かる――そんなSFだ。


自分では、わりと面白いと思う。少なくとも三か月かけて最後まで書いた身としては、そう思わないとやっていられない。


だが、WEB小説投稿サイト『ノベルポート』の数字は正直だった。完結の表示を付けて三日、最終話まで読んだ形跡は、確認のために俺が開いた分を除けば、たぶん一人。その一人も最後まで読んだのか、画面を開いたまま寝たのかは分からない。


「まあ、そうなるよなあ」


独り言は、無駄に広いリビングへ吸い込まれていった。


宝くじに当たり、仕事を辞めたのが二年前。前の会社にはきちんと引き継ぎをして、送別会まで開いてもらったものの、翌月から急に何もすることがなくなった。そこで勢い任せに買ったのが、この郊外の中古二世帯住宅である。


庭付きの七部屋。台所と風呂は二つずつ。


築三十年を過ぎた薄い灰色の二階建てで、玄関から細長い廊下が伸びている。右手が庭に面したリビング、奥が台所。階段を上がれば、使っていない部屋の扉が並んでいた。


内見では、庭の向こうに見える雑木林と、歩いて行ける川沿いの道が気に入った。余った部屋も何かに使えるだろうと考えたが、二年たった今も何にも使えていない。


川沿いを十分ほど歩けば、古い商店街を抜けて駅へ出る。反対側の住宅街には小さな公園があり、日用品は駅向こうのショッピングセンターで大抵そろった。車がなくても困らず、夜は驚くほど静かな町だった。


暇を持て余して小説を書いたのも、空き部屋と似たようなものだった。何かに使えるだろうと思った時間を、三か月ほど注ぎ込んでみたのである。


玄関のチャイムが鳴った。


開けてみれば、隣に住む村瀬さんが鍋を抱えている。あごの辺りで切りそろえた白髪に、紺色のカーディガン。小柄だが、鍋を持つ腕は危なげない。


「秋人さん、夕飯はもう決めた?」

「今から考えるところです」

「つまり、決めてないのね」


七十代の村瀬のぶ代さんは、俺よりずっと俺の食生活に詳しい。差し出された鍋からは醤油と生姜の匂いがして、のぞくと里芋と鶏肉がつやつや光っていた。


「いつもすみません」

「作りすぎただけよ。四人分くらいあるけど、秋人さんなら三日で食べるでしょう」

「俺を何人だと思ってるんですか」

「一人だから言ってるの」


これには言い返せない。


村瀬さんは玄関の奥をのぞき、物音ひとつしない廊下へ目をやった。


「せっかく部屋がたくさんあるのに、相変わらず静かねえ」

「空き部屋は騒ぎませんからね」

「そのうち誰か住むかもしれないわよ」

「勝手に?」


村瀬さんは目尻の皺を深くして笑い、そのまま自分の家へ戻っていった。うちの庭と低い生垣一枚で接した、黒い瓦屋根の平屋である。この時、もう少し強く否定しておけばよかった気もするが、もちろん否定したところで何も変わらなかっただろう。


鍋を台所へ置いてパソコンの前へ戻っても、ノベルポートの画面に変化はない。当然である。俺が煮物を受け取っているわずかな間に、全国の読者が急に俺の小説を発見するはずもなかった。


ランキングの上位を占めているのは、長い題名の作品ばかりだ。


転生、追放、令嬢、ダンジョン、配信。


流行する理由は何となく分かる。題名とあらすじを見るだけで、どんな楽しさが待っているのか伝わってくる。それに比べて『最後の人類は、記憶の海で眠る』は、題名からして少し眠そうだった。


「昔の文豪なら、こういう場所でも一位を取れるのかな」


夏目漱石とか、芥川龍之介とか。名前なら知っている。教科書と紙幣で見た記憶もある。ただ、作品となると、学生時代に一部を読んだような、あらすじだけ聞いたような、かなり怪しいところだった。


それでも、百年後まで名前が残るほどの人たちだ。現代のWEB小説へ放り込んでも、最初の一行で読者をつかみ、そのまま週間一位まで駆け上がるのだろうか。


気になり始めると、試せないことまで試したくなる。これは俺の悪い癖だった。


開いたままの生成AIへ、思いつくまま入力してみる。


『青空文庫に作品がある作家の中から、現代のWEB小説サイトでランキング一位を目指すなら、誰が面白いか。男女を含めて六人選んで』


送信すると、数秒後には回答が一行ずつ表示され始めた。


夏目漱石。


芥川龍之介。


太宰治。


江戸川乱歩。


樋口一葉。


与謝野晶子。


「なるほど。強そうだな」


何に対して強いのかは分からないものの、名前だけなら俺でも全員知っている。どんな選出理由が続くのかと画面を眺めていると、前触れもなくモニターが暗くなった。


「え?」


部屋の照明は点いており、冷蔵庫の作動音も聞こえる。停電ではないらしい。ところが、パソコンの電源を押しても反応はなかった。


暗い画面には、少し伸びた髪と、洗いざらしの灰色のパーカー姿が映っている。三十七歳で隠居生活にも慣れた、俺だった。


代わりに鳴ったのは、玄関のチャイムである。


村瀬さんが鍋の蓋でも忘れたのかと思ったが、呼び出し画面には見知らぬ五人が映っていた。


帽子をかぶった口ひげの男に、細身の若い男。目を輝かせて辺りを見回す男と、髪型も着物も今の町ではまず見かけない二人の女性。


少なくとも、宅配業者ではなさそうだ。


警戒しながら玄関を開けると、五人の視線が一斉にこちらへ向いた。


「あの……どちら様ですか」


口ひげの男が、いぶかしげに眉を寄せる。


「それはこちらが聞きたい。ここはどこかね」

「俺の家ですけど」


答えになっているようで、まるでなっていない。


背後のリビングから起動音が聞こえ、続いて、知らない男の声が響いた。


「ああ、よかった。僕だけ玄関に届かなかったのかと思いました」


五人を玄関に残したまま振り返ると、復帰したモニターにモノクロの男が映っていた。三十代後半ほどに見える。少しこけた頬へ癖のある髪がかかり、白い開襟シャツと濃い色の上着まで灰色の濃淡だけで描かれていた。写真のようでも動画のようでもあり、こちらを見ながら困ったように笑っている。


「ところで、これはずいぶん不公平ではないでしょうか。あちらの五人には身体があるのに、僕には画面しかない」


誰だ、こいつ。


そう聞くより早く、パソコンのスピーカーから感情のない声が流れた。玄関の五人も、示し合わせたように同じ言葉を口にする。


「元の場所へ帰りたければ、ノベルポートの週間総合ランキングで一位になれ」


玄関の五人と、画面の一人。交互に見比べているうち、ようやく一つだけ理解できた。


どうやら俺の小説が読まれなかったせいで、とんでもない連中が来てしまったらしい。

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